………………………(弋工の思い出 1)…………
はっきり言えば《弋工》との思い出にイイ思い出が無い。
特に鉄骨建方の弋工では、私の現場時代の中でも最低部類の話があり、
ずっと尾を引いているようでもある。
昔、私の若かりし頃、高い所から、
「ここがおかしい、見に来い!若いの!」
とナメられてるような、上がって行く勇気がないのを見越したような、
怒鳴り声が来る。
私の現場経験が浅いのもあるが、年期の入った弋の職人さん達はオッ
サンであり、所長も今一歩腰を低くして、弋さん弋さんと、丁寧語を発
している。
「行くから、待ってろ!」
行っても何が何だかわからない私は、弋工に指示も出せないのに強気な
返事で負けてない。
昔の事だから、命綱はないし安全ネットを張るのでもなく、落ちたら命
も落とすだろうから、恐怖心を持たないように、頭にカッカと血を昇らせ
たままで、鉄骨柱をよじ登る。
梁の上に辿り着いて下をみると10㍍は越えている所に立っている。
「落ちたら串刺しになるぞ」
というように、鉄筋が地獄の針の山のように感じて見えるのもナントカ
が縮むって如くの恐怖が付きまとうものだ。
弋は梁の上で手招きしている。
「クソッタレが…(ナメんじゃねえや!)」
歩く面の鉄骨の幅が45㌢あろうとも、平均台の上を歩くよりもっと怖
いが、
「そんな素振りは見せられっか!」
と腹をくくるのだった。
なんど怖い思いをしただろうか、否、させられただろうか。
「怖いと思う前に、足元だけを見て鉄骨の上を歩けよ、足場板より広い
ンだよ」
地上で所長や先輩たちから何度も聞かされていても、鉄骨の上に立つと何
の役にも立たない教訓であった。
そんなこんなで弋さんから鉄骨建方も鍛えられたが、思い出話の一つを
してみよう。
昭和の終わり頃、私の副所長時代・・・。
静岡県のサッカーの強い街で鉄骨建方時の事件である。
工期はかなり遅れていて、鉄骨建方の弋職人の確保もままならない時
だった。
鉄骨工場(名古屋)から鉄骨の柱や梁が10㌧トラックで一気に現場に
入って来た。
鉄骨工場も出来上がった部材を現場に搬出しなければ、工場の製品置
場が山積みになってしまい身動きが取れず、納期予定が過ぎている部材
を先ず現場に搬入したのだ。
「現場も置く場所がないから、持って帰れ!」
と弋に言われても、トラック運転手は引き返す訳にはいかない。
鉄骨の搬入順序まで決めていても、現場の遅れにより搬入予定日も遅
れているのであるから、やむなく荷を受け取る事をせねばならない。
「建てるところからが仕事だから、荷降ろしは追加代をくれるなら
するよ」
「(今、建てなくても、荷降ろしは弋の仕事だ、何をホザイてンだこ
の弋は!)」
銭はどうにかするからと、トラックの荷物はひとまず地面に降ろした。
鉄骨の建築物が多くて、鉄骨建方専門の会社が少ないので、弋職人の
態度がデカい。
この現場は最初の打ち合わせではこの弋さんではなかったそうだが、
工期が遅れたので予定の弋さんは違う現場に行ってしまったそうだ。
急遽弋さんを探して、引っ張って来たのであるが、この弋さんが不足
している時に仕事が空いていたような弋さんでは
『人気が無くて腕は悪い』
と先入観が先走っていた通りであった。
名古屋から遠く離れた静岡県であり、職人さんの寝泊りの準備も、
現場で行う条件になってやっと確保出来た弋職人だったし、
朝晩の食事の世話まで頼まれて、それは断ったものの、夕食代金は多少
補填したようだった。
鉄骨建方が始まった。
《弋工事の思い出2へ 続く》
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