昨夜、鹿児島中央駅の近くのホテルに泊まりました。用事はなかったので、そのまま帰宅してもよかったのですが、ちょっと寄り道をすることにしました。
鹿児島市清水町にある石橋記念公園に向かいました。
鹿児島市の中央には、市の水道の水源にもなる甲突川が流れています。この甲突川には江戸時代に肥後国(現在の熊本県)出身の岩永三五郎が指導して作られた石橋がかかっていました。
1993(平成5)年に鹿児島市を中心に「8.6豪雨」という大雨が降りました。この年には強い台風も来襲するなど県内各地が大きな被害を受けた年です。この時、水害の原因の一つに石橋がダム状態になったことが指摘され、賛否両論めぐる中で、5つの石橋は撤去されました。
県は「100年に一度の大雨に備えて」などと言っていましたが、作られてから250年以上も壊れなかった石橋に対して、なんと「失礼な言い分」でしょう。
ともあれ、賛否両論の結果、石橋は縮小されましたが、石橋公園で復活することになりました。この石橋公園の敷地内には、石橋資料館、薩英戦争の砲台跡、西南の役の戦死者の慰霊碑(地下には何百体も遺体があるとか)もあります。
また、約200mほどの坂道を登らないといけませんが(車でも行けます)、多賀山という周囲を急峻な崖に囲まれた山があります。南北朝時代には東福寺城という城がありました。そこには今、日露戦争で英雄とされる東郷平八郎の墓・銅像があります。
この銅像からの眺めはなかなかのものです。アップした写真は石橋公園・北埠頭・鹿児島水族館イオワールド方面を写していますが、サマーナイト花火大会の時には眺めもきっと格別なんでしょうね。
ゆったり散歩して約90分。のんびりとした気分でした。
ちなみに、石橋公園から連絡橋を渡ったら祇園之洲町です。10/21に美里さんのライブ・レポート②で「われは海の子」歌碑を紹介しましたが、この歌碑がすぐそばにあります。まだ言えば、歌碑の50m隣りにはフランシスコ・ザビエル上陸記念碑もあります。いろんなものが集中している場所です。
鹿児島市清水町にある石橋記念公園に向かいました。
鹿児島市の中央には、市の水道の水源にもなる甲突川が流れています。この甲突川には江戸時代に肥後国(現在の熊本県)出身の岩永三五郎が指導して作られた石橋がかかっていました。
1993(平成5)年に鹿児島市を中心に「8.6豪雨」という大雨が降りました。この年には強い台風も来襲するなど県内各地が大きな被害を受けた年です。この時、水害の原因の一つに石橋がダム状態になったことが指摘され、賛否両論めぐる中で、5つの石橋は撤去されました。
県は「100年に一度の大雨に備えて」などと言っていましたが、作られてから250年以上も壊れなかった石橋に対して、なんと「失礼な言い分」でしょう。
ともあれ、賛否両論の結果、石橋は縮小されましたが、石橋公園で復活することになりました。この石橋公園の敷地内には、石橋資料館、薩英戦争の砲台跡、西南の役の戦死者の慰霊碑(地下には何百体も遺体があるとか)もあります。
また、約200mほどの坂道を登らないといけませんが(車でも行けます)、多賀山という周囲を急峻な崖に囲まれた山があります。南北朝時代には東福寺城という城がありました。そこには今、日露戦争で英雄とされる東郷平八郎の墓・銅像があります。
この銅像からの眺めはなかなかのものです。アップした写真は石橋公園・北埠頭・鹿児島水族館イオワールド方面を写していますが、サマーナイト花火大会の時には眺めもきっと格別なんでしょうね。
ゆったり散歩して約90分。のんびりとした気分でした。
ちなみに、石橋公園から連絡橋を渡ったら祇園之洲町です。10/21に美里さんのライブ・レポート②で「われは海の子」歌碑を紹介しましたが、この歌碑がすぐそばにあります。まだ言えば、歌碑の50m隣りにはフランシスコ・ザビエル上陸記念碑もあります。いろんなものが集中している場所です。