ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

生き方の基準

2007年11月06日 00時52分13秒 | Weblog
 何かのプレゼントでいただいた時計が止まってしまって何日か経つ。電池切れらしい。せわしい気分なので、ついつい電池交換をおこったってしまう。

 私たちは季節の変化を喜ぶ民族だ。春夏秋冬、さらに言えば、初夏だの晩秋だの細かい区切りまで与えている。これは気候の変化・移り変わりに起因しているものだが、最近、もう一つの解釈を勝手に与えてみた。

 つまり、日本人の死に対する恐れだ。
 生まれてから死するまでの期間は人それぞれ。いつ、いわゆる天命が訪れるのか分からない。その恐怖・不安といった感情を季節の変化の中に埋没させることで忘れ去ろうとしているのではないかと思える。
 極めて「時刻」的な生き方だと思う。

 最近、体調が悪いこともあり、何度か生命断絶の危機・不安を感じることがあったせいか、この「時刻」的な感覚が希薄になりつつある。「時間」的になりつつあるのである。
 うまく言えないが、○○まで後○時間的な発想である。とりわけ、死を意識すると極めて残酷な認識をしないといけない。よく寿命をロウソクに例えることがあるが、まさにそれである。
 自分というロウソクの長さは後何㎝? 一時的な病気で不安を覚えるうちはいいが、いったん日常的にこれを意識し始めると、たまらない気持ちになってくる。
 もっとプラスにとらえられたらいいのだけれども。
 
 
コメント
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