#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

きこえていてはくれぬだろうか わたしのほねのみみに

2006-03-12 | MUSIC
ギニア生まれのジェンベプレイヤー、Lamine "YOUL" DIABATEの
アフリカ帰りwelcomeパーティに顔を出してきた。

YOULの帰りを祝って、
アフリカンダンスが激しく披露され、
さまざまなアーティストがゆかりの唄を歌う。

その中で、小嶋さちほさんがハーブ片手に
どんとの「波」をソロで歌った。

   波に抱かれて 島の唄を唄えば 
   ホロホロ涙がこぼれおちる

   ここはお国か 波の音もなくて
   叫んでみたけど 届かぬ想い

   お~い お~い お~い お~い 波~
   お~い お~い お~い お~い また
   お~い お~い お~い お~い 波~
   
   答えておくれ

どんとは今年7回忌。
95年に沖縄に移住して、2000年1月28日にハワイで亡くなられるまで
ゆるりとした沖縄の生活を堪能されていたようだ。
「波」はそんな生活から生まれた曲。

ボクが沖縄に来たのが98年だから、2年間の接点があった。
実際、泊港でのさちほさんとのライブや、カレー屋でのニアミスなど、
意外と身近にどんとを感じていた。

振り返ってみれば、ボクが美大受験生の時にローザ・ルクセンブルクの存在を知り、
ボ・ガンボス時代は中野サンプラザまで足を運んだりしていたので、
どんととは、何かしらの縁があったように、思う。

こうやって今、さちほさんがハーブ一本で
「波」をろうろうと歌っているのを見ると、
どんとの魂は、しっかり受け継がれているのだな…と感じる。

谷川俊太郎が書く。

   かわりにしんでくれるひとがいないので
   わたしはじぶんでしなねばならない
   だれのほねでもない
   わたしはわたしのほねになる
   かなしみ

   かわのながれ
   ひとびとのおしゃべり
   あさつゆにぬれたくものす
   そのどれひとつとして
   わたしはたずさえてゆくことができない
   せめてすきなうただけは
   きこえていてはくれぬだろうか
   わたしのほねのみみに

       (死と炎/“ポール・クレーの絵による「絵本」のために”より)

さちほさんの歌声が、しっかり
どんとの耳に届いた…素敵なひとときだった。

沖縄ヲ思フ/BEGIN“島人ぬ宝”

3/11YOUL、おかえりパーティ!
Comment (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする