ギニア生まれのジェンベプレイヤー、Lamine "YOUL" DIABATEの
アフリカ帰りwelcomeパーティに顔を出してきた。
YOULの帰りを祝って、
アフリカンダンスが激しく披露され、
さまざまなアーティストがゆかりの唄を歌う。
その中で、小嶋さちほさんがハーブ片手に
どんとの「波」をソロで歌った。
波に抱かれて 島の唄を唄えば
ホロホロ涙がこぼれおちる
ここはお国か 波の音もなくて
叫んでみたけど 届かぬ想い
お~い お~い お~い お~い 波~
お~い お~い お~い お~い また
お~い お~い お~い お~い 波~
答えておくれ
どんとは今年7回忌。
95年に沖縄に移住して、2000年1月28日にハワイで亡くなられるまで
ゆるりとした沖縄の生活を堪能されていたようだ。
「波」はそんな生活から生まれた曲。
ボクが沖縄に来たのが98年だから、2年間の接点があった。
実際、泊港でのさちほさんとのライブや、カレー屋でのニアミスなど、
意外と身近にどんとを感じていた。
振り返ってみれば、ボクが美大受験生の時にローザ・ルクセンブルクの存在を知り、
ボ・ガンボス時代は中野サンプラザまで足を運んだりしていたので、
どんととは、何かしらの縁があったように、思う。
こうやって今、さちほさんがハーブ一本で
「波」をろうろうと歌っているのを見ると、
どんとの魂は、しっかり受け継がれているのだな…と感じる。
谷川俊太郎が書く。
かわりにしんでくれるひとがいないので
わたしはじぶんでしなねばならない
だれのほねでもない
わたしはわたしのほねになる
かなしみ
かわのながれ
ひとびとのおしゃべり
あさつゆにぬれたくものす
そのどれひとつとして
わたしはたずさえてゆくことができない
せめてすきなうただけは
きこえていてはくれぬだろうか
わたしのほねのみみに
(死と炎/“ポール・クレーの絵による「絵本」のために”より)
さちほさんの歌声が、しっかり
どんとの耳に届いた…素敵なひとときだった。
沖縄ヲ思フ/BEGIN“島人ぬ宝”
3/11YOUL、おかえりパーティ!
アフリカ帰りwelcomeパーティに顔を出してきた。
YOULの帰りを祝って、
アフリカンダンスが激しく披露され、
さまざまなアーティストがゆかりの唄を歌う。
その中で、小嶋さちほさんがハーブ片手に
どんとの「波」をソロで歌った。
波に抱かれて 島の唄を唄えば
ホロホロ涙がこぼれおちる
ここはお国か 波の音もなくて
叫んでみたけど 届かぬ想い
お~い お~い お~い お~い 波~
お~い お~い お~い お~い また
お~い お~い お~い お~い 波~
答えておくれ
どんとは今年7回忌。
95年に沖縄に移住して、2000年1月28日にハワイで亡くなられるまで
ゆるりとした沖縄の生活を堪能されていたようだ。
「波」はそんな生活から生まれた曲。
ボクが沖縄に来たのが98年だから、2年間の接点があった。
実際、泊港でのさちほさんとのライブや、カレー屋でのニアミスなど、
意外と身近にどんとを感じていた。
振り返ってみれば、ボクが美大受験生の時にローザ・ルクセンブルクの存在を知り、
ボ・ガンボス時代は中野サンプラザまで足を運んだりしていたので、
どんととは、何かしらの縁があったように、思う。
こうやって今、さちほさんがハーブ一本で
「波」をろうろうと歌っているのを見ると、
どんとの魂は、しっかり受け継がれているのだな…と感じる。
谷川俊太郎が書く。
かわりにしんでくれるひとがいないので
わたしはじぶんでしなねばならない
だれのほねでもない
わたしはわたしのほねになる
かなしみ
かわのながれ
ひとびとのおしゃべり
あさつゆにぬれたくものす
そのどれひとつとして
わたしはたずさえてゆくことができない
せめてすきなうただけは
きこえていてはくれぬだろうか
わたしのほねのみみに
(死と炎/“ポール・クレーの絵による「絵本」のために”より)
さちほさんの歌声が、しっかり
どんとの耳に届いた…素敵なひとときだった。
沖縄ヲ思フ/BEGIN“島人ぬ宝”
3/11YOUL、おかえりパーティ!