#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Csetano Veloso】Sampa

2010-02-15 | MUSIC
【YouTube】Caetano Veloso / Sampa

心の中でなにかが起こる
イピランガとサン・ジョアン大通りの角を横切ると
つまりこの町へ来たばかりの頃は
ボクにはなにもわからなかった
街角が詠うガチガチの抽象派の詩も
娘たちの地味な不格好さの意味も

ボクにはまだ リタ・リーもなければ
そのもっとも完璧な解釈もなかった
心の中でなにかが起こる
イピランガとサン・ジョアン大通りの角を横切ると


この町に面と向かった時
ボクは自分の顔を見なかった
趣味が悪いと口に出して言った
悪趣味なものは悪趣味だと
つまり ナルシスが
鏡以外のものは醜く思うのと同じコト
思考は脅かす
完全に老いてしまってはいないものを

僕らが変異種でない時
以前にそうではなかったものはいずれも
おまえは最初 むずかしかった
知らないものは 遠ざけてしまうボクにとって
都会の幸せな夢を思い描いて来る者は
じきにおまえを現実と呼ぶようになる
なぜならおまえは 逆のまた逆
逆の逆だから


搾取され 長蛇の列に場末の町に貧困窟に
押し込まれている人々の
美しいものを賛美しつつ破壊する
カネの力の
量を消してしまう酷いスモッグの
逆の逆だから
開けた野から 空間から
おまえの詩が立ち昇るのが見える
おまえの森の工場が
降りしきる雨の神々が

理想のアフリカの汎アメリカ
サンパの世界の理想
より可能性があるのは 新たなズンビのキロンボか
ノーヴォス・バイアーノスが
おまえの霧雨の中を散歩する
彼らにも おまえを楽しむことは
できるのさ

     ●

「おまえ」とあるのは、ブラジル「サン・パウロ」のこと。

東京から詩は立ち上がっているのか…。
否、日本からは?沖縄からは?

成熟した街でありながらも、詩が似合わない現代都市「東京」。
先週はダンスやライブパフォーマンスで
さまざまな表現を見てきたけど、まだまだサブカル的な勢い。
もっともっと自覚的な東京人が増えてもいい…と思う。

沖縄はその点、詩が立ち上がっているんだけど、なぜか無自覚。
…だから芸能になってしまってる。…そんな気がする。





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【中上健次】十九歳の地図

2010-02-15 | Photo-diary
2月15日。月曜日。雨のち雪か。
凍えるような寒さが続く。
徒らに冷気ばかり吹き荒れ、四十の身体の節々が痛む。
…また雪になる…のか。それは本当か。

4時起きの「お務め」も1ヶ月が過ぎた。

たかが1ヶ月、されど1ヶ月。
始発通いもひと月続くと、それとなく顔見知りもでき、
なんとなく疎んじられる気配が伝わってきたり…する。

こちらも楽しくて始発に乗り込んでいるわけではないので、
そんな空気を感じても意に介さず、毎日同じ列車に乗り込むのだけど、
こんな微妙な人間関係も築けるようになったのか…と
1ヶ月継続の力を思い知る。

      ●

ビル清掃も同じコトが云えて、
1ヶ月反復横跳びを繰り返すように、
一フロア200席近い机のゴミを毎日集めていると、
主は見えねども、主の性癖がゴミから伝わってきて、

「この部長は紙の分別もできねえで、よく部下を従えられたもんだ」とか
「カンやペットボトルは所定のゴミ箱があるだろうに」とか
「だから、喰いカスは生ゴミ処理してもらわないと…こちらも困るんだよ」などと

朝日を拝む前から、ブチブチ心の中でつぶやいたり切れたりしている。

バレンタインデー明けの月曜日。
予想通り机のゴミ箱には様々なチョコの包みが無造作に捨てられていて、

「田中さんの毎日を陰ながら応援しています。がんばってください」とか
「室長の働く姿勢にはいつも感服しております。レイコ」とか
「あなたの時間を少しだけワタシにください。美佳♥」などと

チョコの空き箱に添えて、ご丁寧に手書きのお手紙まで放り込んである。

ま、そのほとんどは行きつけのスナックかバーの「商売女」からのもので
同じ筆跡のお手紙が部長と室長と役員室のゴミ箱から出てきたりする。

一流企業の人間だから「夜のお勤め」もお盛んなんだろうけど、
まあその空き箱の量たるや。モロゾフからゴディバからメリーズから…
それはそれは、お見事なものだ。

      ●

 部屋の中は窓も入り口の扉もしめきられているのに奇妙に寒くて、このままにしているとぼくの
 体のなにからなにまで凍えてしまう気がした。ぼくはうつぶせになって机の上に置いてある物理
 のノートに書いた地図に×印をつけた。いま×印をつけた家には庭に貧血ぎみの赤いサルビアの
 花が植えられており、一度集金に行ったとき、その家の女がでてくるのがおそかったので、ぼく
 は花を真上から踏みつけすりつぶした。道をまっすぐいった先に、バラック建てがそのまま老い
 朽ちたようなつぎはぎした板が白くみえる家で、老婆が頭にかさぶたをつくったやせた子供をつ
 れてでこぼこの土間にでてきた時も、ぼくは胸がむかつき、古井戸のそばになれなれしく近寄っ
 た褐色のふとった犬の腹を思いきり蹴ってやった。しかしぼくはバラックの家には×をつけなか
 った。それが唯一のぼくの施しだと思えばよい。貧乏や、貧乏人などみるのもいやだ。
                               〈「十九歳の地図」中上健次 〉

住み込みの新聞配達をなりわいにした十九歳の予備校生が、
持ち場の配達エリアで気に入らないお宅があると、自前の地図に×印を入れ、
「きさまのとこは三重×だからな、覚悟しろ」…とおどしの電話を入れる話。

この荒み切ったストーリーに高校生のボクは衝撃を受け、今に至っている。
振り返ってみれば、この衝撃から立ち位置は変わっていない…気がする。
「40歳の地図」よろしくオフィスビルの座席表に…「こいつは今日も×だ」と
書き込んでいるようなもんだ。

なにがそんなに憎いのか。
己自身、こんなにも恵まれた境遇だっていうのに。

 これが人生ってやつだ、とぼくは思った。
 氷のつぶのような涙がころがるように出てき、ぼくはそれを指でぬぐった。ぼくはそんな自分の
 仕草が紺野のまねをしているように思えて、無理にグスっと鼻で笑った。不意に、ぼくの体の中
 心部にあった固く結晶したなにかが溶けてしまったように、眼の奥からさらさらしたあたたかい
 涙がながれだした。ぼくはとめどなく流れだすぬくもった涙に恍惚となりながら、立っていた。
 なんどもなんども死んだあけど生きてるのよお、声ががらんとした体の中でひびきあっているの
 を感じた。眼からあふれている涙が、体の中いっぱいにたまればよいと思いながら、電話ボック
 スのそばの歩道で、ぼくは白痴の新聞配達になってただ突っ立って、声を出さずに泣いているのだった。

ストーリーの後半、予備校生が手当たり次第に配達先のお宅に電話を掛け、
「だから、おれは、おまえみたいなやつがこの世にいることが気持ちわるくって耐えられない」と
罵詈雑言を吐き、とにかく片っ端から在らぬ言葉をふっかけ、受話器を置いた瞬間、
体の中がからっぽになり、不意に、「ぬくもった涙」があふれてくるシーン。

このカタルシスを得たいが為に、ボクはこんな立ち位置で、今日もブログを更新している。
何かが決定的に欠落している。「血は立ったまま眠っている」だなんて、
ほざけた純潔に共鳴して、結局のところ社会にコミットできない蓮っ葉でしかないのだ。

いつまでも「十九歳」の感受性を保持してるだなんて、ええかげんにしろ…である。















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