#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Jobim+Mendoca】Caminhos Cruzados

2010-03-26 | MUSIC
【YouTube】Caminhos Cruzados/Caetano Veloso

Quando um coração que está cansado de sofrer,
Encontra um coração também cansado de sofrer,
É tempo de se pensar,
Que o amor pode de repente chegar.

Quando existe alguém que tem saudade de outro alguém
E esse outro alguém não entender,
Deixa esse novo amor chegar,
Mesmo que depois seja imprescindível chorar.

Que tolo fui eu que em vão tentei raciocinar
Nas coisas do amor que ninguém pode explicar!
Vem, nós dois vamos tentar...
Só um novo amor pode a saudade apagar

      ●

 疲れ果てた魂がもう一つの疲れ果てた魂に出会う時
 愛が芽生えることがある、突然に

 愚かだった、誰も解けない愛を一人で解こうとしていたんだ
 愛だけが、古い愛を砕くのだから

From Newton Mendonca+Tom Jobim / 十字路


 「十字路」…JobimとMendoncaの「さだめ」が交差した美しい創造。
 ひとつの幸福な結晶だと、ボクは思う。
 Bossa Nova黎明期の傑作。

      ●

3月28日、日曜日。花冷えの東京。
昨日よりも気持ち寒い気がする。

「ボクは結局、そういった人間の持つ祈りにも似た「想い」に共鳴しているんだと思う。」
…と昨日書いたけど、1年前の誕生日を読み返してみると、輪廻転生について触れていた。

今日も撮影しながら「想い」を写すってどういうことだろう…と考えていたんだけど、
そういや「念写」って言葉があるよなあ…と漠然と思った。

写真黎明期の時代は、「魂が盗られる」とまで恐れられていたメディア。
やはり「想い」とか「祈り」とか表層化しない部分を写し取る力が、
写真にはあるんじゃないか…少なくも銀塩写真にはその力が残っているんじゃないか?

ケータイでも簡単に写真が撮れる時代に、なんとアナログな…と思うだろうけど、
ボクはそういった「人の業(ごう)」に親しみを覚える人間だから、
どうしてもデジタルの割り切れた世界には気が削がれるのだ。

世界そのものが、…理屈では説明できない成り立ち。

人と人とが交差する…その偶然性・必然性も、

生と死を分つ…その理不尽なさだめも、

ボクが生きている…その事実自体も、決して説明はつかない。

そう、説明不要の事実として、ここに在る。

      ●

そんな「さだめ」の交差したところで、
新たな創造が生まれる。
ボクはそういった予兆を期待し、被写体にカメラを向ける
…のだと、思う。

いわば、写真は「過去」ではなく、「未来の兆し」なのだ。







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【bozzo】FOREVER 41

2010-03-26 | Photo-diary
3月25日。誕生日。
雨が一日ふりそぼる気温8度の東京。

台東区の書道博物館
中村不折の龍眠帖を観に行く。

3時間どっぷりと書の世界にひたる。

外の雨を静かに感じながら、
白と黒のシンプルな世界における「粋」を堪能する。

その後、浅草今半へ。
創業明治28年。江戸の「粋」が詰まった「すき焼き」を食す。

      ●

一日、台東区の時間感覚に触れながら
サウダーヂとJobimと「粋」について思考をシャッフル。

…ボクはいったい何に感動しているのだろう?

中村不折の書にしろ、浅草今半のすき焼きにしろ、
アントニオカルロスジョビンの300に及ぶ楽曲にしろ、
そこに横たわるモノってなんなんだ?

ジョビンと仲間たちが創造した新しい音楽のカタチは、
50年の紆余曲折を経て、BossaNovaに昇華された。

そこにはサウダーヂが常にあった。
…サウダーヂって?
ボクは思うに、それは「想い」なんじゃないかって思うんだ。

前出の上田力さんが、沖縄の唄者古謝美佐子さんに
サウダーヂを感じたって読んだとき、
ボクはそう思った。

沖縄には昔から「祈り」を重んじるところがあって、
いまだに御願所がしっかり機能している土地だけど、
古謝さんの唄には常に「祈り」が込められている。

あの人の唄は「祈り」そのもの。

それは強力な「想い」が情念として埋め込まれて、はじめて立ち上がってくるもの。

Jobimの楽曲に「情念」なんて言葉は似合わないんだけど、
彼の伝記や岩切さんの著作を読んでみると、そのBossaNova、ブラジルに対する「想い」って
「祈り」にも似た情念が色濃く横たわっている…そう思った。

Bossa Novaって思っている以上にブラジルでは亜流なわけ。

ほとんどがJobimとその周りの仲間たちによって生み出された…といっても過言じゃない。

でもここまで胸に打つ音楽として、今も輝きを喪っていないのは、
彼らのブラジルへの「想い」があったからだと、ボクは今確信してる。

中村不折や浅草今半がその「想い」につながるか…って言うと
ちょっと大げさなことに聞こえてしまうけど、
不折の生きた明治大正昭和初期の日本には、日本を興そう…という強い「想い」があって、
だからこそ彼はフランスパリへ絵画留学をして世界を吸収し、
中国へ赴きカリグラフィーへの造詣を深めていって、
最終的には日本人不折のオンリーワンな書を確立できたわけで。

書道博物館のコレクションはすべて、不折が個人で集めた中国の書の歴史であって、
その量を見せられると彼の書に対する「情念」も実感できるかもしれない。

      ●

ボクは結局、そういった人間の持つ祈りにも似た「想い」に共鳴しているんだと思う。

それを写真で表現できるかどうかは、今後の課題だと思うけど。












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【岩切直樹】SAUDADEとは?

2010-03-26 | MUSIC
岩切直樹さんの著作「愛と微笑みと花」を読む。
もうすっかりTom Jobimの世界に浸かりっぱなしで、寝ても覚めてもBossa Nova なのだけど、

その著作の中でJobimの楽曲を全曲演奏する偉業に挑戦している音楽家上田力さんが紹介されていて、
彼のインタビューでとても感銘したところがあった。

「歌は伝わらなきゃ意味がない」というバーンスタインの言葉を受けて
上田さんは沖縄の唄者古謝美佐子さんを例に

 彼女のアルバムの中で、ドヴォルザークの「家路」を完全に沖縄節にして歌っているんだけど、
 これがすばらしいんだよ。ああいうふうに歌える人はちょっといないよ。
 わざと沖縄のこぶしを入れているわけじゃないんだ。それなのに、
 元から沖縄の歌のように歌っているんだよね。伴奏にしても三線を使っているわけじゃなくて、
 弦楽をバックにして。だから古謝美佐子の歌一発の世界。でもそれと同じことは、
 Joao Gilbertoについても言えるよね。

最近の音楽はつまらない…ということを受けて

 それはやはりサウダーヂがないからなんだよね。
 サウダーヂっていうのは、ブラジル音楽だけじゃなくて
 どの音楽にも必要だと思うんだ。
 古謝美佐子の歌だってサウダーヂがいっぱいあるんだよ。
 
サウダーヂとは?  …ウィキから引用すると…

 単なる郷愁(nostalgie、ノスタルジー)でなく、温かい家庭や両親に守られ、
 無邪気に楽しい日々を過ごせた過去の自分への郷愁や、
 大人に成長した事でもう得られない懐かしい感情を意味する言葉と言われる。

 だが、それ以外にも、追い求めても叶わぬもの、
 いわゆる『憧れ』といったニュアンスも含んでおり、簡単に説明することはできない。
 ポルトガルに生まれた民俗歌謡のファド (Fado) に歌われる感情表現の主要なものであるといわれる。 


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【Vinicius de Moraes】Estrada Branca

2010-03-26 | MUSIC
【YouTube】Estraa Branca/Yoshiro Nakamura

 白い道
 白い月
 夜も更けて
 君の不在がひたひたと寄せてくる
 ボクの隣を
 面影が 想いが
 人生を打つ
 死んでしまった人生を

 鳥たちの道
 月夜
 この道は こんなにも独り
 独り ボクは進む
 悲しく月を見上げ
 前へ進んでいるのに
 歩いても歩いても
 ますます君に近くなる

 夜が昼であったなら
 陽がかがやき 詩が流れたなら
 旅立ちが哀しみでなく悦びであったなら
 この道に落ちる影が ボク独りのものではなかったなら
 この道に
 ボクを追う もう一つの影を見られたなら
 
 町はもう ずいぶんと遠くなった
 遠く あの町に 愛する君を置いてきた
 優しさのカケラもなく この道をボクは独り
 歩いてゆく
 死にたい気持ちを抱えたままで


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