「八紘学園栗林記念館」 旧吉田善太郎別宅 (札幌の建築探訪NO104)
所在地 豊平区月寒東1条12丁目
建築年 大正初期
指定等 さっぽろ・ふるさと文化百選
開館時 2020年9月現在感染防止により一般公開はしていません
<再訪>
月寒、八紘学園の農産物直売所に行った帰りに様子を見てきた
やはり門は閉まっていて敷地に入ることは出来ない
これまで同様に金網越しにズームで撮るだけであった。
ちなみに同敷地内には珍しい「白レンガ」のリンゴ倉庫だったものもある
いつか見学会があった時に一緒に見てみたい。
いつか見学会があった時に一緒に見てみたい。
2024年7月13日撮影
「同資料館」 旧吉田牧場畜舎サイロ
所在地 豊平区月寒東1条13丁目
建築年 昭和18(1943)年
指定等 都市景観重要建築物
開館時 一般公開はしていません
<再訪>
上記と同じ理由で再訪
今回は好天でサイロによく似合う天気だ
ここも中の見学は出来ないがいつかはその機会があると期待する
今回は時間が無くパスしたが、ここと上記の栗林記念館から国道36号線へ向かうと八紘学園の施設で木造の建物が並んでいる。
学校関係者以外は立入禁止だが、外側から見ることが出来る
2024年7月13日撮影
ここから過去記載
「ろいず珈琲館」 旧沼田家りんご倉庫 (札幌の建築探訪NO105)
所在地 豊平区西岡4条10丁目
建築年 昭和27(1952)年
指定等 札幌景観資産 国登録有形文化財
開館時 店舗による
休館日 店舗による
西岡、福住、清田には赤レンガの「りんご倉庫」が多く、そのほとんどは一人の職人の手によって昭和27年~30年の間に作られたようです🍎
現ロイズコーヒー西岡店は西岡水源地へ向かう左側の道路に面しており
よく目にしていた建物でした。
よく目にしていた建物でした。
「ろいず」のひらがなの方が覚えがありますね
ロイズコーヒーさんは他店舗として伏見の旧小熊邸をカフェに利用、営業していました
一度だけ行ったことがありますが閉店は本当に残念😢
この上部に「沼」マークがあります
現在はカフェも止めてコーヒー豆売り専門店です
いつか美味しいコーヒー豆を買いに行きたいね☕
2020年9月撮影
「沼田家倉庫」
所在地 豊平区西岡4条10丁目
建築年 昭和28(1953)年
指定等
*現存していません(2014年解体)
ロイズコーヒーのすぐ近くでした
アーチ型の屋根や家紋、色タイルのアクセント、アーチ窓などのデザインが特徴的だったようですね
現在はお洒落なアパートが建っています。
*ストリートビュー2010年より
「札幌市水道局西岡水源地取水塔」 旧札幌衛戌地水道取水塔 (札幌の建築探訪NO106)
所在地 豊平区西岡公園内
建築年 明治40(1907)年
指定等 国指定有形文化財
開館時 無し
休館日 無し
入館料 無し
西岡公園は水源地を中心に、湿地帯、山地、河原などがあり老若男女問わず
色々な目的で遊べる公園で広い駐車場があります🏞
色々な目的で遊べる公園で広い駐車場があります🏞
私も子供が小さいころにはハイキングや川遊びによく来ていました
バードウォッチングの人も多いです🐦
が、奥地に行くにはヒグマとの対策が必要ですよ🐻
バードウォッチングの人も多いです🐦
が、奥地に行くにはヒグマとの対策が必要ですよ🐻
行ったときが悪かったか取水塔を囲むように工事のため通行禁止になっていました
それでも山側の路を進んで見えるところからズーム撮影
旧陸軍の水道施設として作られ、もう100年以上もここにいます
六角錐の赤い屋根に六角形の白い下見板張り、黒い窓枠と円柱形のレンガ基礎部分
今までは普通に見て何も思わなかったけど
歴史的な建造物だったのです
歴史的な建造物だったのです
2020年9月撮影
「高倉家サイロ・旧住宅」 (札幌の建築探訪NO107)
所在地 清田区北野6条4丁目
建築年 昭和7(1932)年
指定等
*現存していません
北野たかくら緑地は旧高倉牧場オーナーの高倉さんが一部を緑地にしたもので
住宅街の真ん中で原生の自然を味わえ、近隣住民の憩いの場のようです🌳
住宅も隣接していますが、すでに新築されていました。
住宅街の真ん中で原生の自然を味わえ、近隣住民の憩いの場のようです🌳
住宅も隣接していますが、すでに新築されていました。
旧住宅は酪農住宅らしく腰折れ屋根を持つ住宅だったようです。
サイロは鉾状の屋根飾りと牛の風見鶏をつけた牧場のシンボルでした🐄
サイロは鉾状の屋根飾りと牛の風見鶏をつけた牧場のシンボルでした🐄
「農林水産省北海道農業試験場旧事務所」 旧農商務省月寒種牛牧場庁舎 (札幌の建築探訪NO108)
所在地 豊平区羊ヶ丘1丁目
建築年 明治39(1906)年
指定等 さっぽろ・ふるさと文化百選
開館時 *現在感染防止のため部外者は入場できません
「同サイロ」 旧牝牛舎付属サイロ
所在地 豊平区羊ヶ丘1丁目
建築年 明治41(1908)年
指定等
開館時 *現在感染防止のため部外者は入場できません
「同玉葱黍庫」
所在地 豊平区羊ヶ丘1丁目
建築年 明治42(1909)年
指定等
開館時 *現在感染防止のため部外者は入場できません
上記3軒は同じ羊ヶ丘1丁目の
「国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構 北海道農業研究センター」にあるはずですが?
一般人は敷地内に入ることが出来ないのとセンターのHPには一切触れられていないので
現存してあるかどうかもわかりません。
現存してあるかどうかもわかりません。
メールで入場許可をもらおうとしたが感染防止のため不可でした💧
「札幌の建築探訪」では
>国道36号からのアプローチ道路となっているカラマツ並木の突き当りにかつて庁舎が建っていた。
事務所は斜め向かいである の記述を見てグーグルマップを衛星から見てみた。
写真で見ると小さいが実際はズームが出来るので
赤〇の中の白っぽい四角の屋根が事務所と思われる
その斜め向かい(やや北)のいかにもの鋭角な三角地帯が空き地になっており旧庁舎があったのでは?
「サイロ」は旧庁舎の奥に1基のサイロの記述があるがこれは見つけることは出来なかった。
「玉葱倉庫」は旧事務所をまっすぐ西へ500Mの記述があるがこれも見つけることは出来なかった
事務所と倉庫は木造、サイロは石造りで外部の目に触れずに
ひそかに現存していたらこんなうれしいことはない
見学できるチャンスがあるまで注視していよう。
見学できるチャンスがあるまで注視していよう。
「旧光塩学園女子短期大学 西岡キャンパス」
※光塩学園女子短期大学開学二十周年記念誌より
所在地 豊平区西岡
建築年 昭和62(1987)年
指定等 なし
開館時 *学校のためなし(閉校)
学校法人 光塩学園は、昭和23年網走にて「南部服装研究所」として設立された
昭和28年に「光塩学園」と改称
昭和42年に「光塩学園女子短期大学」開学
昭和43年に「光塩学園女子短期大学附属幼稚園」開園
昭和62年に「光塩学園女子短期大学西岡キャンパス」が完成している。
昭和28年に「光塩学園」と改称
昭和42年に「光塩学園女子短期大学」開学
昭和43年に「光塩学園女子短期大学附属幼稚園」開園
昭和62年に「光塩学園女子短期大学西岡キャンパス」が完成している。
このうち「光塩学園女子短期大学」と「光塩学園女子短期大学附属幼稚園」は
田上義也氏の設計によるものだ。
※北のまれびとより
※光塩学園女子短期大学開学二十周年記念誌より
これらは田上氏の設計年表にも記載されており
南区真駒内上町にある女子短期大学校舎は平成18年に新校舎に建て替えされ、付属幼稚園は平成30年に認定こども園に変わり
園舎も建て替えられている。
南区真駒内上町にある女子短期大学校舎は平成18年に新校舎に建て替えされ、付属幼稚園は平成30年に認定こども園に変わり
園舎も建て替えられている。
「光塩学園女子短期大学開学二十周年記念誌」にはこのような記述があった
「短大校舎新築については学長が視察してきた北欧風の建物を参考にし、またそれまでの現場の経験を生かしてアウトラインを作り、その設計を田上義也氏に依頼した」とある。
その中で建築資金を北海道銀行の常務に申し入れに行ったとあるが、この頃の田上氏はすでにいくつもの北海道銀行各支店の設計をしており
北海道銀行本店ビルに事務所を構えていたころだ。
田上氏への設計依頼は北海道銀行が関わっていたのだろうかと推察する。
さらに記念誌には女子短期大学の建設に際し
「建築のほうは地階を終わり、1階のコンクリート打ち込みが始まり、田上氏のところの本間哲夫氏が戸田建設の森谷現場監督と相談しつつ毎日指揮にあたっている」
明治32(1899)年生まれの田上氏はすでに68歳になっており、実際の設計と現場確認は事務所のスタッフである?「本間哲夫氏」がしたのかも知れない?
「建築のほうは地階を終わり、1階のコンクリート打ち込みが始まり、田上氏のところの本間哲夫氏が戸田建設の森谷現場監督と相談しつつ毎日指揮にあたっている」
明治32(1899)年生まれの田上氏はすでに68歳になっており、実際の設計と現場確認は事務所のスタッフである?「本間哲夫氏」がしたのかも知れない?
そこで西岡キャンパスだが、設計は「本間設計」と記載されていた
「田上氏のところの本間哲夫氏」がその後に独立したのだろうか 昭和62年と言えば田上氏は87.88歳である
短大の建築で信頼を得た本間氏に依頼することはありえる話だ。
「田上氏のところの本間哲夫氏」がその後に独立したのだろうか 昭和62年と言えば田上氏は87.88歳である
短大の建築で信頼を得た本間氏に依頼することはありえる話だ。
西岡キャンパスは現在は使用されていなかった だが何らかの使用用途があると思える
正面から見るファサードはどこかで見たような建物だった。
2023年3月撮影
例えば田上義也氏、昭和47(1972)年の作品に「イクサンダー大沼ユースホステル」がある
三角の大きな屋根、両側の2本の柱は西岡キャンパスでは階段室であろうか
※イクサンダー大沼ユースホステル
田上義也氏が師であるフランク・ロイド・ライトを思わせる設計をしたように
本間氏も師である田上氏の設計を参考にしたのだろうか
本間氏も師である田上氏の設計を参考にしたのだろうか
まぁこれも「田上氏のところの本間哲夫氏」が「本間設計」として独立し
この西岡キャンパスの設計をしたとの確証が何もない
なので勝手な憶測になるかもだが
この西岡キャンパスの設計をしたとの確証が何もない
なので勝手な憶測になるかもだが
これがまた楽しいのである。