小学校 赤字は今回レポート 緑字は過去レポート
- 蘭越町立旭台小学校(1973年閉校)
- 蘭越町立立川小学校(1980年蘭越町立昆布小学校へ統合)
- 蘭越町立上里小学校(1983年蘭越町立三和小学校へ統合)
- 蘭越町立田下小学校(1996年閉校)
- 蘭越町立名駒小学校(2001年閉校)
- 蘭越町立湯里小学校(2002年閉校)
- 蘭越町立港小学校(2008年蘭越町立蘭越小学校へ統合)
- 蘭越町立目名小学校(2009年蘭越小へ統合)
- 蘭越町立御成小学校(2013年蘭越小へ統合)
- 蘭越町立三和小学校(2014年蘭越小へ統合)
中学校 赤字は今回レポート
- 蘭越町立港中学校(1959年9月1日名駒中御成分校と統合し初田中へ)
- 蘭越町立名駒中学校御成分校(1959年9月1日港中と統合し初田中へ)
- 蘭越町立川上中学校(1966年11月15日豊浦町新富中学校へ統合)
- 蘭越町立蘭越中学校〈旧〉(1976年統合により蘭越町立蘭越中学校〈新〉へ)
- 蘭越町立名駒中学校(同上)
- 蘭越町立初田中学校(同上)
- 蘭越町立三和中学校(同上)
- 蘭越町立目名中学校(同上)
今回は岩内町から寿都町で折り返し蘭越町の道の駅から内陸部を廻り
ニセコ~中山峠から帰札した。
「旧蘭越町立港小学校」
※蘭越町史より
開校:明治14(1880)年
閉校:平成20(2008)年
校舎:昭和41(1966)年
蘭越町港町617
ナビは「介護予防拠点センターみなと」
寿都町から海沿いに蘭越町に戻る
まずは「道の駅」で休憩
その後、道道229号線で内陸部に入る
すぐに到着するのがナビ先の「介護予防拠点センターみなと」
場所が港町だから海に近いわけだ。
敷地内を見渡しても学校があった気配がなく、参考にさせていただいている方のブログではまだ旧校舎が現存していたころの記録だった
校舎はすでに解体されている
ただよく見ると、石碑のようなものがいくつかあった!
これは記念碑に間違いないだろう
校門も残したんだなぁ
プレートは無し
他に
蘭越町はこの標示に統一していくのだろう
この地に移転したのが昭和31年ということかな
こちらは百周年記念碑 歴史のある学校が多い町だ
この建物の正面にあり
新しくきれいな建物のそばに古い石碑が並ぶ
歴史的なものを残すことはいいことだと思う
この建物は学校時代のものだろうか
2024年11月3日撮影
「旧蘭越町立初田中学校」
※蘭越町史より
開校:昭和34(1959)年
閉校:昭和51(1976)年
校舎:昭和36(1961)年
蘭越町初田
ナビは「旧初田中学校入口」
港小学校跡地から道道229号線でさらに内陸部に南下する
ナビは学校名なのでわかりやすい
ただ校舎が解体されたのは確認している。
学校へは山へ向かっての一本道を行く
ダートで細い道だが車通行は大丈夫 ここが通学路だった。
もうすぐ校舎跡地のところで旧港小学校にあったような閉校記念碑を見る
この位置から学校の方を見てみるが・・・
あと少し行けば校舎があった場所
平地になり校舎跡地には学校があったことを示すものは何もない
ただの平地の広場があるだけだ
旧初田中学校は旧港中学校と旧名駒中学校御成分校(いずれも併置校)が統合して出来た学校だった。
中学校の独立校新設は併置校から移った生徒、関係者には喜びはひとしおだったろう。
2024年11月3日撮影
「旧蘭越町立御成小学校」
開校:明治31(1898)年
閉校:昭和51(2013)年
校舎:昭和35(1960)年
蘭越町御成416
ナビは「男山八幡神社」
御成小学校へのナビ先は神社で、学校の隣や近くに神社があるのはよく見る
こちらは神社の隣で、少し高くなった場所に校舎が見えていた
昭和51年の閉校で時が経っているが校舎は現存していたのだ。
入口側へ廻るとまずは校門と記念碑がある
百周年も兼ねている立派な記念碑だ
平屋の一直線の校舎
おそらく木造モルタル造りだろう
玄関から中が覗けた
校庭も広い
脇の木の下になにやらオブジェを発見
御成小学校のように築60年以上の校舎ほかが現存しており
かつ立派な記念碑があるのは、やはり地区の人々の努力があるのだろうか。
2024年11月3日撮影
「旧蘭越町立名駒小学校」
開校:明治25(1892)年
閉校:平成13(2001)年
校舎:昭和53(1978)年
蘭越町名駒町171
ナビは「名駒郵便局」
ナビ先の「名駒郵便局」は道道267号線、752号線が交わるあたりにあり旧名駒小学校はその向かい側にある。
校門から校舎まで少しだけ長いアプローチだ
その途中に記念碑ほか並んである。
オブジェに百周年、校舎落成、閉校記念など
御成小学校もそうだが蘭越町は碑を残すことが多いと感じる
校舎の方へ
RC造りだろう 2階建ての校舎の奥に新しい建物があるが
そこは未確認。
校庭に入ると校舎がよく見える
下草が生い茂っているので深入りはしなかった。
RC造りは木造のような劣化は少ないが、塗装が剥げたりカビが出たりヒビが入ったりでより廃墟感を与える
しかし地域にとっては活用があるのと、やはり学校は残しておきたいものだろう。
2024年11月3日撮影
「旧蘭越町立三和小学校」
※蘭越町史より
開校:明治38(1905)年
閉校:平成26(2014)年
校舎:昭和36(1961)年
蘭越町三和414
ナビは「三和盆踊り会場」
上記写真でわかる通り、校舎は道道229号線に面するように建っていた
校庭は中側になり横に神社と続いているように見える。
車で来た方向からはまず神社の鳥居が見えて、それから学校跡地に着く
校名プレート付の校門、立派な記念碑、また校庭跡地には
バックネットやサッカーゴール、鉄棒などの遊具とポールもあった
平成後半の閉校であり、また再活用もされているので残っているものも多く感ずる。
現在地には校舎の一部を改装して三和コミュニティ会館「ほたるの里」になった。
盆踊りや花火大会の会場になり地域活動の場となっている
2024年11月3日撮影
「旧蘭越町立上里小学校」
開校:昭和24(1949)年
閉校:昭和58(1988)年
校舎:昭和24(1949)年
蘭越町上里162
ナビは「桐山功英数教室」
蘭越町の閉校巡りもラストの学校
まだ未訪問は残っているがもう時間がなかった
旧三和小学校跡地からはルート上で一旦戻るような形になった
時間的にパスもあったが、ここには旧校舎の一部が現存している
ゆるやかな登りを山に向かって進む
両サイドは原野が広がっていた
やがて左手に浄水場を見ると、隣が旧校庭でその上にある小さな建物が校舎の一部である
1枚目写真の右側にあたる
木造モルタル造りのようだ 左に並んでいた木造板張りの校舎はすでに解体済。
校門も残っていたがプレートはない
すぐそばに2軒の住宅と思われる建物があったので
敷地内に入らず外から遠望した。
現在の旧校舎の使用用途はわからないが
一部でも旧校舎を観ることが出来たので行って良かった
この時ちょうど天気雨が降り、虹が綺麗だった
2024年11月3日撮影
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