小学校 ※赤字はレポート済 ※緑字は今回レポート
- 深川市立内園小学校(1963年深川市立納内小学校へ統合)
- 深川市立納内小学校尚武山分校(同上)
- 深川市立菊水小学校(1993年深川市立深川小学校へ統合)
- 深川市立向陽小学校(1993年深川市立音江小学校へ統合。校舎跡は「ぬくもりの里芸術文化交流施設向陽館」として転用され、2003年に文部科学省の「廃校リニューアル50選」に選定された。)
- 深川市立住吉小学校(1994年納内小へ統合)
- 深川市立菊丘小学校(同上)
- 深川市立入志別小学校(1995年深川市立一己小学校へ統合)
- 深川市立多度志小学校〈初代〉(1997年統合により深川市立多度志小学校〈2代目〉へ)
- 深川市立幌成小学校(同上)
- 深川市立鷹泊小学校(同上)
多度志町(1970年・深川市に編入)
- 多度志町立湯内小学校(1966年多度志小〈初代〉へ統合)
- 多度志町立宇摩小学校(1967年多度志小〈初代〉へ統合)
中学校
- 深川市立納内中学校〈初代〉(1981年統合により納内中〈2代目〉へ)
- 深川市立菊丘中学校(同上)
- 深川市立吉住中学校(同上)
- 深川市立音江中学校〈初代〉(1981年向陽中と統合し音江中〈2代目〉へ)
- 深川市立向陽中学校(1981年音江中〈初代〉と統合し音江中〈2代目〉へ)
- 深川市立深川中学校〈旧〉(2014年音江中〈2代目〉と統合し深川市立深川中学校〈新〉へ)
- 深川市立音江中学校〈2代目〉(2014年深川中〈旧〉と統合し深川中〈新〉へ)
- 深川市立納内中学校〈2代目〉(2014年深川市立一已中学校〈新〉へ統合)
- 深川市立多度志中学校〈2代目〉(同上)
※wikipediaより
幌成小学校は現存する貴重な木造校舎 校門が現存しているのも嬉しい。
実際には両翼のかなりの部分を解体しているが、玄関廻り近辺を残し「幌成郷土資料館」となった。
内部は開館していなかったので分からないが資料室、収蔵庫、閉校時の職員室をそのままの形で展示、農機具などを収蔵している。
1段高い旧校舎の下に新しいコミュニティセンターがあり、その横に記念碑があった
こちらもしっかりとした立派な記念碑である。
ここは以前は前庭だったのだろう。
また敷地入り口付近には「竜山小学校統合記念植樹」の碑と樹木がある。
昭和26年4月1日に竜山小学校と統合した際の植樹である。
2023年10月撮影
場所は国道275号線沿いで深川市から幌加内町へ抜ける道の途中にある
かつては多度志町の学校であったが、深川市に統合後に閉校となった。
※深川市史より
前記の「幌成小学校」と同じ多度志町の学校であったが、こちらは深川市に統合をされる前に閉校したので正式には「旧多度志町立宇摩小学校」となる。
現在は敷地に「宇摩公民館」がある
入口には門柱が現存しているがプレートは「深川市宇摩公民館」である
中には立派な閉校記念碑があり、2つの時代の校舎の姿を垣間見ることが出来る
2023年10月撮影
国道275号線沿いにあり幌成小学校とも近い
明治の開校時は、開拓の人たちで結構な人口がこの近辺にいたと推測する。
※深川市史より
旭川市から深川市へ行くときは高速道央道か国道12号線を使用するが
今回初めて道道57号線に入ってみる。
それは「入志別小学校」跡が57号線沿いにあるからだ。
しかし実際には道道と旧校門の間に水路があり、なぜここに校門が?
奥に見える校舎解体後に建てられたと推測する会館のような建物
その前にポールがあり、その土台をよく見るとこの地に移設したと書いてある。
それではと会館の奥の広場に行って見ると閉校記念碑があった
さらに隣も空きスペースだ 結構大きな校舎があったのだろうか。
深川市の小学校の閉校記念碑はどこも立派であった
ただこれまでいくつかの深川市の閉校を巡ったが、必ずしもすべてが立派というわけでない。
深川市史にあった校舎写真は旧校舎が全焼したあとに建てられた
昭和37年に新築されたものだろう。
2023年10月撮影
※深川市史より
旧内園小学校校舎は北海道新聞発行の「旭川・道北の建築探訪」にその姿を見ることが出来る。
この本に掲載される「学校」はそんなに多くはない
だが同じ深川市の「向陽小学校校舎」(現存)も掲載されており、一つの街から2校は珍しい。
だが残念ながら運動場はおろか運動場も解体されていた。
石井喜助氏(1893-1977)は、岩見沢で設計事務所を、深川市に工務店を開設して地元を中心に設計をした人物。
石井氏は先の「向陽小学校」も設計しており、特徴のある建築物がまだいくつか現存している。
現在は深川市内園コミュニティセンターとして建物がポツンとあるだけで
学校があった証がない。
場所は国道12号線に面しており交通量の多い場所にある。
2023年10月撮影
前記の内園小学校跡から深川市方向へ、道の駅を超えてやはり国道12号線沿いにある、現在は豊泉コミュニティセンターが沖里河尋常小学校があった場所。
こちらもポツンと新たなコミュニティセンターが建っているだけだが
よく見ると細長い石碑が立っていた。
字体が良く見えないが「沖里河尋常高等小学校跡」とあり
閉校年は今から80年以上も前のことだ。
当然ながら情報は少ないが、石碑に「向陽小学校50年記念」の文字が見えるので、向陽小学校と統合し、閉校したのだろうか。
それであれば卒業生達が、向陽小の50年の記念に合わせてここに学校が
あったと知らしめるために建てた
これだと意味があると思う。
2023年10月撮影
旧菊水小学校は「深川・留萌自動車道」のすぐ下にあり
場所的には妹背牛町寄りにあった。
目の前の47号線を少し行っただけで妹背牛町になる。
解体された校舎の敷地には「菊水コミュニティーセンター」が建っている
その一角に立派な閉校記念碑があった。
記念碑には当時の校舎が描かれていて、現存していれば素敵な校舎に見えただろう。
2022年5月撮影
※深川市史より
今回の「旧音江小学校」は二代目であり、旧向陽中学と統合し二代目となった。
その後に旧深川中学と統合し「深川中学校」となって音江の名前は消滅した。
耐震工事を含めて改築された校舎は新しく個性がある
閉校後は「深川市学びと集いの郷 音江広里交流館 エフパシオ」として
地元の交流の場となっている。
道路沿いには水田が広がるのどかな光景だった。
敷地内手前には閉校の記念石碑があり、校名プレートも残っていた
学校では無くなったが多くの人に利用される施設に転用され
校名が残されているなど、閉校の一つの形になればよいなと思う。
2022年5月撮影
設計者の石井喜助氏(1893-1977)は、岩見沢で設計事務所を、深川市に工務店を開設して地元を中心に設計をした人物。
特徴のある建築物がまだいくつか現存しているので
今のうちに見ておきたいところ この校舎は代表作の一つではないか。
尋常小学校として建設され、向陽小学校になり閉校後は「向陽館」として
芸術家のギャラリーとなった。
市のHPで見てみると入館無料となっていたが、時間がなく外観だけの見学で終わる 次回こそ中も見たいね。
3つある入口のハーフティンバーや階段状ブラケットが特徴的だ
また裏へ廻ると体育館もあった。
前庭の広い駐車場がかつての校庭で、国道12号線をすぐ目の前にして
多くの児童が遊んだり運動したことだろう。
個人的に正面から見た姿が「増毛小学校」「弁華別小学校」と同じくらい素敵なな校舎だと思う。
2022年5月撮影
向陽小学校の右手奥に見える黒い建物が旧向陽中学校。
以前はもっと長い校舎だったが現存しているのは一部だそうだ。
校舎前の木々の中に埋もれるように碑があった
意識していないと見逃しそうな細長い碑であった。
残っていたのは玄関だろうか、赤と青に色を塗られて今でも素敵だ
ここからは小学校の裏側も見れて穴場のようだった。
校庭はパークゴルフ場に再利用されており、かつての卒業生も
校舎を望みながらプレーが出来る。
2022年5月撮影
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