ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

1/5日(下の段) 袋井市の厄除け観音 法多山(はったさん)尊永寺に詣でて早めに帰着

2024-01-08 20:27:21 | 草花
静岡市清水区の三保半島の三保桟橋でミニクルーズを終えてから、帰りの道中になります。
今回は途中で袋井市の法多山(「はったさん」と読みます。)尊永寺にお参りをするツアー・デザインとなっています。

富士山の撮り納め ↓

三保半島の三保桟橋(簡単な船着き場でした。)で砂浜から眺めた富士山です。これが今回の撮り納めとなりました。
バスの中からも見えたのですが、座席の位置の関係で、とてもカメラを向けることが出来ません。



車窓から南アルプスの一部を望見 ↓

清水区大井付近で、ちらりと雪嶺が見えたので急いで撮りました。(ピンボケしか撮れなかったのが残念!)

カシミールで確認 ↓

それは左に上河内岳、中央に聖岳、と、右に赤石岳のほんの一部分が見えているようです。

途中で日本平の久能山などを車窓から眺めて通過、目的地の法多山尊永寺に着きます。

法多山は、寺号を尊永寺と称する、高野山真言宗の別格本山です。本尊正観世音菩薩は厄除開運のご利益に霊験あらたかであるとして、古来より俗に厄除観音と呼ばれております。神亀二年(七二五)、聖武天皇の勅命を受けた行基上人が大悲観音応臨の聖地をこの地に探し求め、自ら刻んだ本尊正観世音菩薩を安置したのが縁起といわれています。本尊の霊徳は遠く京都に及び、白河、後白河天皇の勅願あつく定額寺の列に加えられていました。その後今川、豊臣、徳川等武将の信仰を得て、特に慶長七年(一六〇二)、徳川家康公より五万石の格式を以って遇せられ、一山十二坊の法燈が栄えましたが、明治維新に朱印地返還、十二坊を廃して総号尊永寺と改め今日に至りました。(寺のHPより引用)


画では左下の仁王門から入り、右上の本堂までを往復しています。
なお、仁王門及び棟札は重要文化財に指定されています。


仁王門 ↓


阿形 ↓


吽形 ↓




参道の杉並木 ↓

参道の右側には杉並木があり、杉は大木で、あたりは厳かな雰囲気が醸し出されてています。



ツワブキ↓




本堂 ↓

山の頂付近にお寺の本堂があり、これはなかなか立派なものでした。ここでお守りとお札を購入し、山を下ります。
名物のお団子屋さんの前は行列ができていました。



帰りのバスの中 ↓

参加者は30人と聞いています。ほとんどが年配の二人連れで、皆さんお疲れのようでした。
名古屋には予定よりもだいぶ早く着き、名古屋駅前で夕食をとってから帰宅。
コメント (6)
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