学習やスポーツを通して、自分のために「全力を出す」というのは、学生時代の特権ではないでしょうか。
大人になってからは他人のためにはあるとしても、自分のことではそれほどあるものではないと思います。
自分のために「全力を出す」ことができるのも、部活動のよさです。
特に運動部の場合は、身体を使って「全力を出す」ので、出し尽くした後はむしろすがすがしいものです。
今日の練習は午前も午後もきつかったので、こんな感じです。
早く帰って休もう!
竹村知洋
学習やスポーツを通して、自分のために「全力を出す」というのは、学生時代の特権ではないでしょうか。
大人になってからは他人のためにはあるとしても、自分のことではそれほどあるものではないと思います。
自分のために「全力を出す」ことができるのも、部活動のよさです。
特に運動部の場合は、身体を使って「全力を出す」ので、出し尽くした後はむしろすがすがしいものです。
今日の練習は午前も午後もきつかったので、こんな感じです。
早く帰って休もう!
竹村知洋
部活動の「ブラック化」が教育関連のニュースとして取り上げられています。
なぜ部活動がブラックといわれるようになったのでしょうか。
それは、生徒にしろ教員にしろ、自分の気持ちに反する活動を強制されることから出てくる言葉だと思います。
部活動というのは、学習指導要領によると「教育課程外」の教育活動です。
あくまでも生徒の自発的・自主的な活動に基づくものです。
そのため必ずしも教員が担当しなければならない業務でもありません。
休みがないことや長時間の活動、極端な勝利至上主義、保護者の過剰な期待など生徒も教員もやっていて楽しくなくなるような活動が「ブラック化」する原因ではないでしょうか。
生徒の側からすれば、目標が何であるにしろ、楽しさや充実感のある活動がしたいはずです。
教員の側からすれば、極端な負担になることなく、生徒の希望に応える仕事がしたいはずです。
大切なことは、そのバランスを見極めることであると考えます。
日本の部活動は、世界的にも珍しい教育活動であるといわれています。
かつての教員は労働時間など気にすることなく、献身的に部活動に励んでいました。
そのことが日本の教育効果を高め、スポーツや文化活動の向上に役立ってきたはずです。
しかし少子化や働き方改革の問題で、部活動のあり方を見直す必要が生じてきました。
その対応策として、部活動の地域移行や大会への民間クラブ参加が認められるようになっています。
そして、学校から部活動が徐々に消えつつあります。
時代の流れとともに変えていかなくてはならない部分はありますが、ここまで部活動の価値を高めてくれた諸先生方の努力を何とか後世につなげていく方法はないものでしょうか。
なつかしい旧校舎のプールです。
竹村知洋
部活動は時間を有効に活かすことができます。
部活動により違いはあるかと思いますが、多くは学校の施設を使うため、授業後にすぐに練習に入ることができます。
保護者による送迎も必要ありません。
例えば本校水泳部であれば一番遅いチームでも平日であれば18:30、土曜日であれば17:00には活動が終了します。
日曜日を休みにしていますので、休息もしっかりとることができます。
民間のスイミングクラブになると、たいてい選手クラスが始まるのは18:30や19:00だと思います。
そうすると練習の終了が21:00や21:30となり、帰宅はさらに遅い時間となります。
学習塾やクラブチームなど他の習い事でも一度帰宅してからいくとなると、同じようなものではないでしょうか。
中高生であれば早めに食事をとり、学習や睡眠時間をしっかりと確保することが健全な成長につながるものと思います。
日本人の傾向として「石の上にも3年」とか「継続は力なり」が美点として受け継がれていますが、「何とかひとすじ」だけでなく、特に青少年時代は様々なことを経験するのもよいと思います。
そのためには限られた時間を有効に活かし、家族との食事や外出、他の趣味やスポーツに取り組むことも大切な経験です。
それは部活動を担当する教員やコーチにも同じくいえることです。
活動時間もやたらと長くするのではなく、できるだけ短い時間に集中して取り組んだ方が生徒にも先生にもよいと思います。
水泳の場合、年間を通して土日に試合が入っており、夏の大会はお盆の時期ですから休みが少なくなるかもしれません。
それも近年は有給休暇や振替休日の取得が義務付けられてきましたから、上手く利用していきたいものです。
練習は毎日、色々なチームで分けて、短時間に集中です。
竹村知洋
人が生きていくうえで大切なのは、テストで良い点を取ることだけではないことはいうまでもありません。
何が大切かということは人それぞれかと思いますが、それらをまとめて「人間力」と呼ぶこととします。
部活動は総合的に「人間力」を高めるのにふさわしい活動といえます。
例えば、先輩や後輩との関係を通して人に対する「思いやり」を学んだり、大会に向けて自分の能力を限界まで引き出すことに挑戦することを通して「忍耐力」を養ったり、成功や失敗を経験することで「豊かな情緒」を育んだりすることです。
学校は成績によって序列があり、産業界もそれに従って人材を採用していることで、テストで点数をとる能力が高ければ、将来の選択肢が広がる可能性はあります。
経済的に安定することは生きていくうえで大切なことですが、それが人生の価値とイコールではありません。
むしろ将来を考えると、受験学力だけが高くて「人間力」を備えていない人の方が心配になります。
学校は人間を育成する場所であり、それは学力を高めることだけに限りません。
そして多くの生徒は、勉強のためだけに学校に来ているわけではないと思います。
私たちは部活動を大切な教育活動の一環であると考えています。
部活動に取り組むことによって、教室の授業だけでは養うことが難しい総合的な「人間力」を培うことができるからです。
「思いやり」や「忍耐力」は点数のように目に見える形で示すことはできませんが、そのような「人間力」を備えた人は将来、有意義な人生を歩むことができることでしょう。
昨今のニュースでは部活動が廃止や削減の流れにあることを報じていますが、一度やめたものはそう簡単には戻せません。
大切なものを失う前に、もう一度部活動の意義について考えてみる価値はあると思います。
毎朝、みんなで清掃しています。
竹村知洋
本校には現在200名以上の部員が在籍しています。
日大豊山水泳部というと、なぜか全員が実績のある速い選手ばかりであるというふうに誤解している人がいます。
本校水泳部のなかには泳げないから泳げるようになりたいという生徒もおり、入部の目的は人それぞれです。
他のクラブと兼部している生徒もいれば、学校外の習い事をしている生徒もいます。
全国大会の出場や活躍を目指している生徒もいますし、マネージャーを希望して入部する生徒もいます。
特別進学クラスの生徒もいれば、体育クラスの生徒もいます。
オリンピック選手から初心者まで多様な生徒が在籍しているのが、日大豊山水泳部なのです。
当然、練習時間や内容は分けており、それぞれの泳力に応じた対応をしています。
大会に関してもそれぞれの力量や希望に合ったものに出場することになります。
大会出場に関しても本人の希望で申し込みをしますので、強制したりはしません。
学校のほうでもそれに見合ったコーチの人数を確保しているので、細かい対応が可能となっています。
途中で退部するという生徒は少なく、たいていは中学または高校3年間、豊山中学出身の生徒は6年間在籍している生徒も多いです。
泳ぐのが速いかどうかは問題ではなく、水泳部の活動を一生懸命にするという気持ちさえあれば、泳力にかかわらず、誰でも入部は可能です。
勝利至上主義が問題となっていますが、勝利を目指してインターハイや全国中学を目指すことから学ぶことは多いです。
3年間で4種目を楽しく泳げるようになることを目標にするのもありです。
これまでも入学時に15mしか泳げなかったのが、3年目には50mを30秒切るぐらいにまでなったという生徒もいます。
水泳部は授業が終わってからすぐに練習に入りますし、基本的に日曜日を休みにしていますので、学業との両立も十分可能です。
3年生で全付属生徒の中で医学部進学が可能なほどの優秀な成績を取った生徒は、今年のレギュラー選手に選ばれています。
このような対応ができるかどうかは学校によると思いますが、部活動に取り組むことでそれぞれの希望に応じて好きなスポーツを楽しむことができ、「自分らしさ」を生かすことができます。
チームを細分化し、活動しています。
竹村知洋
部活動を通して、クラスや学年などの垣根を越えた幅広い人間関係をもつことができます。
例えば日大豊山水泳部は中高合同クラブなので、中学1年生から高校3年生までが同じプールで活動をしています。
ちなみに今年(2023年)の水泳部員は、中高あわせて総勢204名です。
このような人間関係を授業や学校行事だけでつくるのは難しいことです。
そして大会や合宿にいけば、同じスポーツを行う他の学校の生徒ともつながりをもつことができます。
全国大会に出場するようになれば、全国的な人とのつながりになります。
さらにスポーツを通じて、日本以外の国とのつながりもできてきます。
例えば数年前に日大豊山高校の練習に参加するため、ニブロム・ニクラス君ははるばるスウェーデンからやってきました。
いまだに年に数回は連絡を取り合っており、ニブロム君との練習は良い思い出となっています。
つまり部活動を通して、様々な人間関係をつくり、よりよい経験を得ることができるわけです。
やはり人間はオンライン上でつながっているだけで心を通い合わせることは難しいのではないでしょうか。
水泳というスポーツを通じて、あらゆる年齢や性別、学校、または国を越えて「幅広い人間関係」をつくることができるというのは大変すばらしいことです。
だからこそ世界中の人が集まって競い合うオリンピックは、「スポーツ最大の祭典」と呼ばれるのでしょう。
中高生の時代の人間関係は、一生のつながりになることもあります。
例えば日大豊山水泳部OB会(豊水会)には80代から10代までのOBが在籍しており、現在は約1000人の会員によって構成されています。
同じ経験をした人たちが結ぶこのような人間関係は、日大豊山の水泳部に所属していたことであるからこそ生まれてくるものです。
そして部活動を通した教員と生徒との関係も、より深いものになります。
このような関係は、同じ目標に向かって共に努力を積み重ねることから生まれるものです。
部活動のつながりは、より深く幅広い人間関係を築くことができる絶好の機会であるといえます。
人間関係が希薄になっている現代であるからこそ、学校の教育活動を見直してみる価値はあるのではないでしょうか。
前列右から4人目がニブロム・ニクラス君。
スウェーデンの大会会場から、プレゼントしたセームをもって。
OBの宮坂君の講演会。
優勝祝勝会(2017年)の会場で、中1から高3まで勢ぞろい。
竹村知洋
教育に関する日々のニュースでは、部活動に関する話題がよくあがっています。
あらためて中高生にとって、部活動にはどのような意義があるか、ということについて考えてみます。
その1は部活動に取り組むことによって、「より充実した学校生活」を送ることができる、ということです。
学校は塾や予備校と違って、受験勉強のためだけに通う場所ではありません。
もちろん学校の教育活動の中心は教室での学習ですが、部活動に取り組むことによって、より学校生活を充実したものにすることができるはずです。
ためしに中学や高校を卒業した人に学校生活の思い出を聞いてみるとわかると思いますが、授業が1番印象に残っているという人はどれほどいるでしょうか。
私自身も日々、公民科の授業を行なっていますが、残念ながら授業によって生徒たちに練習や水泳大会以上の思い出を残せているという自信はありません。
部活動は授業で体験できないことを通して、学校生活に彩りを添えるものといえます。
その体験とは日々の練習はもちろんのこと、先輩や後輩との人間関係や数々の大会に出場したことなど人それぞれでしょう。
スポーツに関していえば民間クラブでも取り組むことはできますが、学校ならではの取り組みができるのが部活動なのです。
中学・高校は3年間という限られた時間しかないため、終わってしまえば「あっ」という間です。
青春時代の時間をどう過ごすかは人によりますが、一生懸命部活動に取り組んだ経験は、必ずや学校生活に彩を添え、より充実したものにさせてくれるはずです。
ようやく日常が戻ってきた東京アクアティクスセンターでの付属大会の様子です。
写真を見るだけでも生徒の生き生きした様子が伝わってくると思います。
竹村知洋
標記の件が東京都中体連から発表されました。
これは文部科学省やスポーツ庁の中学校部活動に対する施策の影響によるもので、全国中学大会に地域スポーツ団体(競泳の場合はスイミングクラブ)から参加が可能となったためです。
それに伴い、全国中学校大会で学校ごとの得点で競う対抗戦が撤廃されることとなりました。
日大豊山は高校と同様に中学でも全中での総合優勝を目指して活動をしてきましたが、その大きな目標が失われたことになります。
日大豊山中学水泳部は、これまで2017年と2018年に高校水泳部と共に全国制覇を成し遂げましたが、二度の総合優勝でその歴史に幕を閉じることとなりました。
今後の全国中学大会に関しては、スイミングクラブから参加する選手たちと個人で争うのみとなります。
「全国中学校体育大会」という名称も変わるのではないでしょうか。
この流れは数年後に高校のインターハイにも及ぶことが予想されます。
その理由は、スポーツ庁により定められた「学校部活動及び新たな地域クラブ活動の在り方等に関する総合的なガイドライン」に「高等学校段階の学校部活動についても本ガイドラインを原則として適用する」ことが示されているからです。
「学校対抗の総合優勝」という目標で活動している私たちのような部活動は、改めて今後の活動方針について考えるときが来ているようです。
そもそも「体育」という名称も「スポーツ」に変更されています。
「日本体育協会」は「日本スポーツ協会」へ、「国民体育大会」は「国民スポーツ大会」へというようにです。
かつて「体育」は日本人にとって、知育・徳育と並んで人間を形成する大切な教育目的であったはずですが、「時代」はどこに流れていくのでしょうか。
「体育とスポーツの違い」
https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=ae3b866c412bb01c2ff77d4465677f9f&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTQlQkQlOTMlRTglODIlQjImcD0x
竹村知洋
東京都は、2025年度までにすべての公立中学校で部活動の地域移行を広げる方針を明らかにしました。
(https://news.yahoo.co.jp/articles/74bc199391faf8f9f1a3e877369a526b4ec0a755)
教員の働き方改革や少子化対策などを含んだ問題で、中学生にとっては地域クラブで専門的な指導を受けることができるメリットなどもあります。
一方では、地域の受け皿の問題や地域クラブに加入することで発生する費用、教育的な指導に関連することなど、問題も山積しているようです。
この流れは、数年後には高校のクラブ活動にまで広がっていくことでしょう。
このままいくと10年後には全国の公立学校から部活動が消滅していることが予想されます。
私は公立学校でクラブ活動を廃止する流れにある今だからこそ、私立学校の役割が重要になるものと考えています。
例えば、日大豊山高校・中学校の水泳部では、有資格者によって専門的な水泳指導を受けることができます。
部費の徴収などもありませんし、参加費や宿泊費などを含めて大会にかかる費用はすべて学校が負担致します。
さらに日常の活動や大会において不足する部分は、水泳部OB会(豊水会)の応援によってまかなわれているため、クラブ活動において費用が発生することはほとんどありません。
私立学校はそもそも授業料が高額ではないかという声もありますが、東京都に関しては、「私立高等学校等授業料軽減助成金事業」という制度があり、私立学校の学費負担を軽減する制度もあります。(https://www.shigaku-tokyo.or.jp/pdf/pamphlet/r4_brochure.pdf)
さらに本校は大学付属校でもあるため、塾や予備校などに通わなくても、学校の授業をしっかり受けていれば日大に進学することは十分に可能です。
クラブ活動の時間に関しても、通常のスイミングクラブの選手コースは18:00以降から始まることが多いと思いますが、本校では授業後すぐにクラブ活動を行います。
そのため一番遅くまで活動するチームでも、平日は18:30、土曜日は17:00にはすべての活動が終了し、さらに日曜日は休みにしていますから、十分に身体を休め、家族と食事をとり、学習する時間を確保することができます。
また本校水泳部は泳力ごとにチーム分けをしているため、それぞれの体力や目標に応じた活動をすることができますので、泳力にかかわらず誰でも入部することができます。
水泳部は総勢で200名以上という大所帯ですが、それぞれのチームにコーチをつけられるように顧問数やコーチ数も確保されています。
私立学校は独自の教員採用試験を課しているため、クラブ活動を専門的に指導できる教員を採用することができるわけです。
学校の勝利至上主義が問題とされているようですが、そもそも勝利を目指して活動することから学ぶことは大変多いですし、頑張ったことで得られる喜びは何にも代えがたいものです。
水泳部ではクラブ活動と授業を通して、それぞれの水泳・学習の目標を達成するために、全人的な教育活動を展開しています。
例えば今年の高校3年生の合格先は、水泳と学習それぞれで、GMARCHクラスであれば明治大学2名、青山学院大学3名、中央大学2名が合格しており、日本大学では薬学部2名や法学部1名をはじめとし、全員が進路を決定しています。
今も受験中の生徒がいるため、よい報告を待っているところです。
そして高校卒業後は水泳部OB会の一員として、生涯にわたってつながりを保ち続けることになります。
それでは顧問やコーチの働き方はどうかというと、近年は日曜日や夏季休暇中に行われる大会に対して振替休日の設定などがあり、日常的な労働時間に関しても十分な配慮をしていただいております。
労働に関してキツイことは間違いないですが、以前に比べれば相当改善されています。
このように私立学校は、公立学校ではできない活動が可能になるというメリットが大いにあると考えています。
スポーツ庁における部活動の地域移行会議の議事録をみると、「クラブ活動を教育的な活動であると勘違いをしている教員がいまだにいる」というような記載もみられますが、私たちはこれからも意識的に、クラブ活動を教育的な活動であると「勘違い」していく所存です。
来年度の全国中学校水泳大会はスイミングクラブから出場できるため、大会の名称は変更され、おそらくほとんどの選手はスイミングクラブからの出場となることでしょう。
このような流れであるからこそ、「学校水泳」を存続し、全国大会に学校名で出場することに意義があると考えています。
時代が変わったとしても、大切なものがあるということを忘れずに活動を続けていきます。
竹村知洋
最近、「価値観の違い」に関して考えることがよくあります。
例えばコロナウィルスへの対応を考えても、国によりまったく異なっています。
同じ病気なのに各国で対策が異なるのは、価値観の違いによるものといえます。
和辻哲郎は、人々の価値観や国による文化の違いを「風土」によるものと説明しましたが、コロナへの対応にもそれを強く感じます。
和辻によると、「牧場型」の風土で生きるヨーロッパの人々は合理的な思考になり、「モンスーン型」の風土で生きる日本人は受容的・忍従的になるということです。
人間関係においても欧米人は「個人」を重視し、日本人は他者とのつながりである「和」を重視しています。
最近のニュースで見ていても欧米人はマスクをほとんどしていませんが、日本人は政府から外してよいといわれてもいまだにしている人がほとんどです。
どちらが正しいということではないのですが、国や組織、個人のレベルでお互いの価値観に違いがある場合、一緒に活動していくことは難しくなります。
人による考え方の違いをすべて認めていると、まとまりがつかなくなってしまいます。
最悪の場合は価値観の違いが衝突し、争いになってしまいます。
個人のレベルでは会わなければよいだけかもしれませんが、組織になるとそうもいきません。
組織では「価値観を共有」することが大切になりますが、そこにいたるまでには根気強く「対話」を続けるしかなさそうです。
それをあきらめてしまうと人々のつながりは断ち切れてしまい、孤独と虚しさだけが残ることになります。
モラリストであるモンテーニュは、「ク・セ・ジュ?」(私は何を知っているか)という謙虚に物事を考える態度を大切にしました。
他人との価値観の違いを感じる場合には、一度相手の話を聴くという姿勢が大切だということです。
考え方の違う人と価値観を共有することは大変なことですが、それこそが社会的存在である人間の宿命なのかもしれません。
竹村知洋