おそらく今の中高生はスマートフォンに触れないという日は1日もないでしょう。
それどころかほとんどの人は朝起きた瞬間から就寝直前までスマートフォンの画面を見ているのではないでしょうか。
青少年だけでなく、日本人すべてがスマートフォン依存症ともいうべき状況に陥っている様相です。
電車に乗ってもほとんどすべての人がスマートフォンの小さな画面を見つめており、常に指先を高速で動かしています。
しかし、本当に必要があって使用しているでしょうか。
むしろSNSを通した人間関係にストレスを感じたり、大量の情報に惑わされている人もいるのではないかと思います。
『日本の自殺』(グループ1984年)という本があります。
この本には文明の没落の過程を共同研究した論文がまとめられています。
今までのあらゆる文明の没落の原因は、内部からの崩壊であって天災や外敵の侵入によるものではないということです。
文明の没落は社会の衰弱と内部崩壊を通じての「自殺」であるというのが著者グループの主張です。
文明の繁栄こそがめぐりめぐってやがて滅亡にいたる代償を伴うということです。
繁栄の豊かさの代償としてあげられているひとつに便利さの代償があります。
スマートフォンやインターネットの発達は情報化という便利さをもたらしましたが、それには副作用を伴いました。
それは私たちが自分の頭で物を考えることをしなくなり、思考力や判断力が低下したことです。
また匿名性の高いSNSの世界で人は倫理観を失いがちです。
文字を書く力は確実に衰えています。
外食をする店を探すのにも、物を買うにしても他人の評価を気にしています。
そのような便利な道具がない時代の人々の知識や情報は限定されたものであったかも知れませんが、少なくても生活空間に関しては現代人が及びもつかない賢明さや知恵を持っていました。
『日本の自殺』によると情報に汚染された人間はやがて幼稚化し、野蛮な人間と化すことを警告しています。
この本が出版されたときにはインターネットもスマートフォンもありませんでしたが、その警告は現実となっているように感じています。
幼稚化は人から生きる力を奪い、情緒を不安定にさせています。
引きこもりという現象や無差別的な殺人のニュースに接するとそれを強く感じます。
本では「情報の洪水が人間を劣化させる」としています。
マスコミからの一方的な情報が増大することで、自分が直接経験することが減り、ネットワークの情報に依存することで人間関係がますます希薄化しています。
他者との関係を通して自分が直接できる「濃い内容」の経験が減り、マスコミによる「安価な内容」の情報に接することが増えていくのに従って思考力や判断力が低下し、それは結果として「知力の減退」につながっています。
本ではこのような状況を人々が「大量幻覚症状」に陥っていると表現しています。
人々は一時的な情報を追い求め、浅薄な好奇心だけを満たす刹那的な生き方に陥っていくようになるということです。
情緒の喪失や幼稚化・野蛮化の拡大は日本の自壊作用を強め、いずれ没落に至るというのが著者グループの主張です。
没落を防ぐにはどうしたらよいかという教訓も本に示されています。
私がお勧めするのは、休校中に1日でもよいのでスマートフォンに触らない日をつくってみてはどうだろうか、ということです。
おそらく多くの中高生(大人でも)は苦痛に感じる事でしょう。
苦痛を感じるということ自体がスマートフォンに依存しているということを示しています。
道具は人間が使用するものであって、道具に人間が使用されている状況は危険です。
その点、私はいわゆる「ガラケー」なので問題ありません。
携帯電話は仕事で連絡を取る際に使用するものと考えているので、スマートフォンがなくて不便だと感じたこともありません。
スマートフォンで調べる地図は便利そうだと思いますが、自分で考えたり人に聞いたりして目的地にたどり着いた方が道も覚えるというものです。
外食するお店も入ってみて美味しくなければいかなければよいわけですし、本を探すのも直接本屋でみて探す方がよほど楽しいです。
LINEをする必要性も感じたことはありません。
確かに自分の頭で考えるというのは疲れることですが、自分で考えて判断することをやめたら人間は進歩どころか退化する一方です。
「生きる力」は衰え、いずれ文明は没落に向かうことでしょう。
この記事もSNSの一種ですから、しばらく連絡事項以外は更新を休止致します。
休校中のトレーニングや栄養補給、家での過ごし方については今まで紹介してきたとおりです。
あとは他人の情報に頼らず「自分の頭で考えて」、充実した日々を過ごして下さい。
竹村知洋