美咲ちゃんちの投稿記録

保育士と3人の育児と中国新聞天風録川柳、ヤングスポットへのコメント、イクちゃんブロガーの取材、3世代新聞投稿の記録

「同郷の芥川賞親しみ」

2014-03-09 11:57:41 | じいじ掲載文
昨日は父が中国新聞の広場欄に掲載されました。

よかったら読んでみてください。

「同郷の芥川賞親しみ」

広島市佐伯区の小山田浩子さんが第150回芥川賞を受賞された。広島県出身者では初めて。同郷のものとしてうれしく思う。

受賞作品「穴」には私が毎日見ている八幡川の景色がある。川岸に草むらがあり、シラサギがたたずむ情景など、この辺りから眺めて小説の構想を練られたのだろうと思える。

第6回芥川賞を1937年下期に受賞した火野葦平は、北九州市若松の人だが、葦平の母親が庄原市の出身で、家が近所だったので子どもの頃、何度かお会いした。

葦平が父母を題材に書いた「花と竜」には、母親の郷里、庄原市大谷集落の情景が克明に描かれている。

52年、葦平がおばあさんの葬儀で帰った際、毎日新聞に連載中の「赤道祭」の話を講演で聴いた。その時から葦平は同郷の人に思えている。

佐伯区に住んで40年になる。すぐ近くから芥川賞作家が生まれ、正真正銘の同郷人で親しみを覚えている。立派な作家になられることを願っている。

中国新聞広場欄掲載 3月8日 じいじ77歳


父は「穴」をすぐ購入して読んで私に持ってきてくれました。



まだ読んでないのですが、読んでみようと思います。

小さいお子さんがおられるのにとても大変だろうと私はお会いしたことがないのに勝手に心配しておりますが、父の投稿を読んでくださっていたら嬉しいなと思います。

コメントを紹介いたします。

 お父さんの投稿が載っていましたね。作家に縁があっていいですね。よろしくお伝えください。

広島のどこかでいつか会えるかも I.Oより

 本が大好き、人が大好きな方なのですね。すてきです。
小山田さんはまさに郷土のほこりですね。T.Oより


ブログ「広場つれづれ」にも取り上げてくださりありがとうございました。






「スポーツ振興の好機」

2013-09-10 10:04:41 | じいじ掲載文
今日の中国新聞広場欄に私の父が掲載されたよ。

今日は特別に

「20年東京五輪決定」という特集が組まれたよ。

「スポーツ振興の好機」よかったら読んでみてください。

56年ぶりのオリンピック東京招致が決まった。

IOC総会で決定の瞬間に、

プレゼンテーターを務めたフェンシングの太田雄貴選手の号泣が映し出され、

感動した。

何かと暗い話題が多い中、

明るい気持ちになった。

オリンピックは平和の祭典と言われるように、

世界から戦争を無くすために貢献すると思う。

オリンピックで外国から来る人たちには、

広島、長崎を巡ってほしい。

東日本大震災の復興にも良い効果があると思う。

私はこの際、

国として、

スポーツ人口の底辺を広げることを考えてほしいと思う。

近年、

スポーツに親しむ子どもが限られていると思うからだ。

私たちが子どもの頃は、

草野球、ボール蹴り、水遊びなどができる広場や川がどこにでもあった。

今、子どもの遊び場が少な過ぎる。

心身ともに強い子どもを育てることを考えたい。

子どもたちが自由にスポーツが楽しめる場所を増やしてやりたいと思う。

中国新聞広場欄掲載 じいじ76歳


お祝いのコメントの紹介です。

 「五輪特集」の予想ずばりでしたね。

Hさんのお父さん、「アッパレ!」です。

Hさん、良かったね。T.Sより

 お父様の広場掲載拝見しました。

全く同感です。

オリンピックの決定の勢いを、福島をはじめ復興に向けてほしいですね。

あと7年、胸を張って、東北に海外からの観光客を迎えたいものです。

子どものスポーツ、遊び場づくりも本当に大切だと思います。M.Kより

お父さん、広場掲載おめでとうございます。

すぐの投稿、すごいです。K.Yより

お父さん、実にタイムリーでしたね。

また観点がいい。

オリンピックで来てくれる外国選手に広島や長崎、福島を見てほしい。

私も大賛成です。

そのために政府が先頭に立って平和を守り、

復興を成し遂げる強い決意と実行力が求められますね。

そして、最後に書かれておられたことにも大賛成です。

子ども達が伸び伸びと遊べる場の確保。

必要ですよね。

今は室内ゲームに押され気味。

まずは環境整備です。

東京オリンピックは今から7年先になります。

みんなそれぞれに7歳を加算します。

それでもみんな元気でその日を迎えましょうね。

必ず元気で。T.Oより


みなさん、ありがとうございました。


父が中国新聞広場欄に掲載

2013-07-05 08:45:33 | じいじ掲載文
今日は中国新聞の広場欄に父が掲載されました。

「ゲン貴重な被爆資料」

漫画家の中沢啓治さんが亡くなられて半年。

自らの被爆体験に基づいて描かれた

「はだしのゲン」は、

約20カ国語に翻訳され、

欧米やアジアで出版されている。

被爆の状況を伝える資料が少ない中で、

中沢さんが描いた絵は貴重である。

昨年夏、

原爆資料館で「はだしのゲン」の原画展を見た。

原爆投下後の惨状がリアルに描かれていた。

一緒に行った孫も、

一心に見ていた。

原爆資料館は展示を見直す計画だと聞く。

ぜひとも中沢啓治コーナーを設けていただきたい。

直接被爆した人々が減少する中で、

原爆資料館の果たす役割は大きくなっていくと思う。

外国人観光客や次代を担う子どもたち、

修学旅行生にも見てもらい、

考えてほしい。

中沢さんは体調不良の中で

「はだしのゲン」に心血を注いだと聞く。

これに勝る教材はないのではないかとさえ思う。

中国新聞広場欄掲載 みいちゃんじいじ 76歳


昨年の夏、原爆資料館の地下での

「はだしのゲン」の原画展の紹介。



中沢啓治さんの紹介。



「はだしのゲン」の原画。



「はだしのゲン」の絵本を一心に見る孫。



原爆が投下された瞬間の絵。



原爆資料館地下には原爆が投下される前の広島の写真もあります。





ぜひ、父が願う中沢啓治コーナーを実現してもらいたいな。

中国新聞掲載

2013-05-31 08:45:33 | じいじ掲載文
昨日の中国新聞の広場欄に父が掲載。

父の文章をご紹介します。

「π先生への感謝今も」

鉢のモミジが双葉を出し、

日ごとに成長している。

成長ぶりを見ていて、

ふと子どもの頃を思い出した。

小学校5年生の時、

師範学校を出たばかりの先生に担任をしていただき、

2年間お世話になった。

その先生との出会いがなかったら、

その後の私はなかったと思う。

π(パイ)先生というのは私だけが付けた愛称だ。

円周率を、少数点以下30桁くらいまで暗記させられた。

今でも、

十数桁まで覚えている。

卒業して数日後、

お宅にお礼にうかがった。

将来のことを励まされ、

学習参考書を5冊頂いた。

1949年ごろは、

本などなかなか買ってもらえなくて、

何度も読み返し、

自然に覚えた。

今でも大切に持っている。

小学校高学年の頃は、

能力が大きく伸びる時期だ。

ふとした機会に、

やる気を揺り動かされて能力を伸ばす子は、

本物の能力を身につけると思う。

私の孫も今年、

5年生になった。

大きく伸びてほしいと願っている。

中国新聞広場欄掲載 じいじ


読んでくださりありがとうございました。

今までにも父はよくこの話をしてくれていました。

新聞に掲載された文章を読んでみると

くわしい話と気持ちがよくわかり、

気持ちを文章で表現することの大切さが改めて分かりました。

昨日はたくさんの方から

「お父さんの文章が新聞に載っていた?」

と言われました。

気付いてくださりありがとうございました。

小学校での素敵な先生との出会いは宝だと思います。

でも、

先生にすべてを任せるのではなくて

親としても先生と情報交換しながら

子どものいいところを伸ばしていけるといいなと思います。





中国新聞広場欄写ッター掲載

2013-04-10 09:09:28 | じいじ掲載文
今日の中国新聞の広場欄に掲載。

写ッターという写真が載るコーナー。



「仲良し」という題名でじいじが投稿。

父は子どもたちに言っていたみたいだけど

私には内緒で投稿。

みんなに「おめでとう」って言われて

何の事だかさっぱり分からなかった朝でした。

これは広島市植物公園に行ったときの写真。

大温室の中のはすの花のところの上にあります。

虫を食べるという植物の模型です。

私も何枚も撮って

「助けて~ってやってみて」とかいろいろなパターンをやり

「もういい?」としまいには逃げられました。

他にも私はいつも写真を撮るところがあります。

妊婦でおなかが大きくなったら

サボテンのところに行き

大きいおなかをかかえた私と大きなサボテンの横に並んで撮ります。

妊婦さんぜひサボテンと一緒に1枚どうでしょう?

さてさて、今日は幼稚園にバスで初登園。

わが子は泣かずに行きましたよ。

私の方が泣きそうだわ。

さて、明日はどうなることか。

今日から私が家で一人になることを長男は気にしてくれて

「大休憩のときに小学校に遊びに来てもいいよ」

って言ってくれました。

妹のことよりも私の心配をしてくれる長男。

私もしっかりしなくっちゃ。