着物着てると「あるある」。
わたしは色黒なので白い着物を着る。昨日も白の紅型っぽいのを、冬はご存じ着倒しすぎかの白大島を。
出かければ帰りにスーパーで食材買って帰る。
すると、やっぱり、となるのが、用があるふりして、
かごでわざとぶつかってくる60-70代女性。
しらじらしいのだ。わざとらしいのだ。
白い着物の日しか起きないことで、
毎度ぶつかられから「本当にまたか!」ときづかされ、
白い着物なんだからやめてくれ!!とおもう。
「スーパーなんかに着物を着るな」という声も聞こえそうでムカツク。
いい?シャネルスーツにぶつかるばか、いないのよね?なぜ?
日本では、60-70代女性から、着物扱いが低いのだ。
知らん顔してよごしてやれ、という心理がある。
着ないけど、メンテが大変だって彼女たちは、わかってるから、
いじめが楽しい、あの心理だ。
黒い着物、木綿の超カジュアル着物を着てるとき、
絶対ぶつかられません。なぜに???
*
*
*
ぶつかりネタは、
着物でない時も。
電車もバスも人込みもそうだね。
この年代の多くは、ぶつかるのは一切悪いことだとおもっていない。荷物はひとにぶつけるためにある、とおもっているかのごとく、一言もいわず、黙って、ぼこぼこ回りにぶつけて、通り道を無理やりぶつけてつくろうとしてるのかのごとく、当然全然開かない人の隙間をがたんばたんぶつけて謝りもせず降りていく。
「すみません」のヒトコト言えば、ああ、下車したいのか、など、なんでもきづいて譲り合いは誰でもしてくれるのに、
例えば、下車するとき、わたしは大きな声で明瞭に言います。「すみません、降ります、ごめんなさい、通してください。」3人横位まで聞こえる=周囲半径3人横分のひとが、降りるひとを通す工夫をしてくださる=ほぼ、だれとも派手にぶつからず、降りられます。
*****************
なぜ、すみません、のひとことを、省かないといけないのだろう?
わたしは色黒なので白い着物を着る。昨日も白の紅型っぽいのを、冬はご存じ着倒しすぎかの白大島を。
出かければ帰りにスーパーで食材買って帰る。
すると、やっぱり、となるのが、用があるふりして、
かごでわざとぶつかってくる60-70代女性。
しらじらしいのだ。わざとらしいのだ。
白い着物の日しか起きないことで、
毎度ぶつかられから「本当にまたか!」ときづかされ、
白い着物なんだからやめてくれ!!とおもう。
「スーパーなんかに着物を着るな」という声も聞こえそうでムカツク。
いい?シャネルスーツにぶつかるばか、いないのよね?なぜ?
日本では、60-70代女性から、着物扱いが低いのだ。
知らん顔してよごしてやれ、という心理がある。
着ないけど、メンテが大変だって彼女たちは、わかってるから、
いじめが楽しい、あの心理だ。
黒い着物、木綿の超カジュアル着物を着てるとき、
絶対ぶつかられません。なぜに???
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ぶつかりネタは、
着物でない時も。
電車もバスも人込みもそうだね。
この年代の多くは、ぶつかるのは一切悪いことだとおもっていない。荷物はひとにぶつけるためにある、とおもっているかのごとく、一言もいわず、黙って、ぼこぼこ回りにぶつけて、通り道を無理やりぶつけてつくろうとしてるのかのごとく、当然全然開かない人の隙間をがたんばたんぶつけて謝りもせず降りていく。
「すみません」のヒトコト言えば、ああ、下車したいのか、など、なんでもきづいて譲り合いは誰でもしてくれるのに、
例えば、下車するとき、わたしは大きな声で明瞭に言います。「すみません、降ります、ごめんなさい、通してください。」3人横位まで聞こえる=周囲半径3人横分のひとが、降りるひとを通す工夫をしてくださる=ほぼ、だれとも派手にぶつからず、降りられます。
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なぜ、すみません、のひとことを、省かないといけないのだろう?