昨日は母の命日で
朝からご仏壇のお花の水を入れ替え
お茶をお供えし
母の大好きだったコーヒーをお供えした。
そして
いつもの金曜日のように
午後から
アレンジメントフラワーのレッスンへ出かけた。
そのレッスンが終わると
また、いつものように
2年半まえから1人でも
フラッと出かけられるカフェに寄る
天井が高く
ライブが出来るような作りになっている
それもそのはずで
そこのママさんは、フルートの先生もしていて、時折、サプライズで吹いてくださるし、各種のライブも行われる
私は、コーヒーとその店のおすすめスイーツの『あんこプリン』を注文した
食べ終わったころ
ドアから1人、お客様が入ってきた。
そのお顔を見たら
駆け寄って私は泣いていた。
私を見たら
手を広げて『会いたかったよー』って言う婦人。
偶然にも、いや、母の命日と言うことを考えたら、
これはは必然かもしれないと頭をよぎりながら
会いたかった人に会えたと言う嬉しさが溢れてきた。
その婦人とは、一年半前に一度きり
このカフェで偶然出会った方だった。
今から一年半前
その頃の私は
母の痴呆症の出現であたふたしながら
手探りでなんとか躍起になっていた頃だった。
ヨボヨボと足取りもおぼつかない母が
痴呆症になった途端
スタスタと歩き出す。
徘徊と言われるものにも悩まされる。
とある昼間
秋田に行くんだと荷造り始め
化粧もし、着替えも1人で行った。
秋田に行くからと駅までタクシーを呼んでくれと言う母に
『それじゃ、秋田に行くのね、わかった。
けど、タクシーも大変だから、駅まで私が車で送っていくねー。
その前に、綺麗な洋服に着替えたから、
私と秋田に行く前にコーヒー飲みにいこう』と誘ってみた。
あっけなく『うん』とうなづいた。
駅前にある
和菓子店に併設されたカフェに行き
一緒にコーヒーと和菓子のセットを注文して時間を過ごした。
秋田の話は出てきやしないかと内心ヒヤヒヤしながら。
駅は目の前だ。
母は
『コーヒー美味しかったゎ。
けれど、なんだか疲れたから
家に連れて帰ってー』と
『そう?じゃ、お家に帰ろうか!』と
私は答えた。
そう言う一連の流れが
繰り返し繰り返し続いた日から
数日が経ったある日
買い物ついでにと
まだ、元気だった父に母を預けて
私は、いつものカフェに寄って、
ホッと一息ついていた頃の話。
カフェには、
数人のお客さん。
私はいつも座る場所に陣取っていた。
そのカフェに寄ったのは
息抜きもあったが
私がカフェに通い始めて
ちょうど『一年の記念日』ということを
ママに伝えたかったからもあった。
そんな私の介護の癒しにと
カフェのママが、
ユーミンの『ひこうき雲』を
フルート演奏してくださった。
ユーミンの『ひこうき雲』は
ユーミンの病気の友人に向けて書かれた曲。
その友人の方が
私の亡くなった兄と同じ病気だったという
少しわたしには、特別な曲だった。
それを知らずに選曲したママは、
私から初めて、兄の話を聞いて
その偶然に涙した。
その光景を見ていた婦人が1人。
年の方は、私より10歳ほど上の方
介護施設にも出入りし、市のボランティアにも通じ、絵本の読み聞かせの団体の
理事をされている方だった。
婦人はそっと
兄や介護の話を聞いてきたので、母のその頃の話をしたり、
当時の現状の一番の方法を探りたい私の
思いがわかったのか
ママの勧めで同席させて頂かせてもらい
婦人の話を興味深く聞かせてもらう形になった。
婦人の柔和な表情が
沁みるように
安心というか、優しさというか
その中の強さを感じながら話をしたり聞いたり。
ひとしきり話をしあった後、婦人は
私の母への対処の仕方を褒めてくださり
『それでいいのよー、怒ってはダメよ』
その婦人から
背中を押して頂いた感じがして
有り難くて有り難くて、、、。
結局は、母の痴呆症で
一日に、何十回と同じことを聞かれても
怒らず、繰り返し繰り返し答えることができたのも、この婦人と話ができたおかげだったと言える。
ベッドに寝たきりになって
訳のわからないことを口走っても
決して怒ることはしなくて済んだ。
いつか、その婦人に会えるだろう
もう一度、会えたなら、
その時のお礼がしたいと
ずっと思っていた。
思っていれば、叶うもので
母の命日の日に
そのカフェで
婦人と会えることが出来たなんて!
婦人のお孫さんの誕生日も、この日で
(母の命日だ)
婦人は、お孫さんのお祝いの席に行くのに
この店先の交差点でふと思ったそうだ。
ちょっと、このカフェに寄ってみたくなって来てしまったと。
婦人は
私のことが忘れられずにいたこと。
私は、両親を介護ののち、天国におくったことを告げた後
話しながら泣く私に
沿うように一緒に泣いてくれた。
婦人のおかげで、介護のチカラに出来たことのお礼が言えたことを喜んでくれた。
そこで
カフェのママが
あの時と同じように
フルート演奏したいのと言ってくれて
『初めて吹く曲だけど』と
コブクロの『蕾』をサプライズ演奏してくださった。
偶然に
その婦人がコブクロのファンだったこと。
私もファンなんですと告げて、にっこり微笑む
何故かわからないけれど
偶然と偶然が重なったことが
よけいに胸を熱くした。
曲のサビの部分
同じタイミングで
紙ナプキンを取りながら泣いた。
泣きあって互いに
また微笑み合う
しかし、拭けども拭けども
流れ落ちてくる涙
婦人は言った
『私も色々あってね。なんだかこちらのカフェに来たのだけど、あなたに会えて良かったゎー。今朝、私が凹んでいる時に
ふと見た記事にドラえもんの言葉が出てたの。普段は見落とちゃうね。けれど、
私もすごくいい言葉だったから
あなたにも教えてあげるね。
目はどこに付いてますかー。
目は前を見るために付いているのですよ。
だから、前を見て歩いていけるんだってー』
と言ってウインクでもするように
お茶目に笑った。
今度は
婦人と
再会を約束してカフェを後にした。
後から聞くと
カフェのママも偶然に
フルートのレッスンがその日に限って
1時間ずれたらしい
だから、私達と一緒に過ごせたんだと。
何という母の命日だったのだろうかー。
奇跡のカフェだった。
朝からご仏壇のお花の水を入れ替え
お茶をお供えし
母の大好きだったコーヒーをお供えした。
そして
いつもの金曜日のように
午後から
アレンジメントフラワーのレッスンへ出かけた。
そのレッスンが終わると
また、いつものように
2年半まえから1人でも
フラッと出かけられるカフェに寄る
天井が高く
ライブが出来るような作りになっている
それもそのはずで
そこのママさんは、フルートの先生もしていて、時折、サプライズで吹いてくださるし、各種のライブも行われる
私は、コーヒーとその店のおすすめスイーツの『あんこプリン』を注文した
食べ終わったころ
ドアから1人、お客様が入ってきた。
そのお顔を見たら
駆け寄って私は泣いていた。
私を見たら
手を広げて『会いたかったよー』って言う婦人。
偶然にも、いや、母の命日と言うことを考えたら、
これはは必然かもしれないと頭をよぎりながら
会いたかった人に会えたと言う嬉しさが溢れてきた。
その婦人とは、一年半前に一度きり
このカフェで偶然出会った方だった。
今から一年半前
その頃の私は
母の痴呆症の出現であたふたしながら
手探りでなんとか躍起になっていた頃だった。
ヨボヨボと足取りもおぼつかない母が
痴呆症になった途端
スタスタと歩き出す。
徘徊と言われるものにも悩まされる。
とある昼間
秋田に行くんだと荷造り始め
化粧もし、着替えも1人で行った。
秋田に行くからと駅までタクシーを呼んでくれと言う母に
『それじゃ、秋田に行くのね、わかった。
けど、タクシーも大変だから、駅まで私が車で送っていくねー。
その前に、綺麗な洋服に着替えたから、
私と秋田に行く前にコーヒー飲みにいこう』と誘ってみた。
あっけなく『うん』とうなづいた。
駅前にある
和菓子店に併設されたカフェに行き
一緒にコーヒーと和菓子のセットを注文して時間を過ごした。
秋田の話は出てきやしないかと内心ヒヤヒヤしながら。
駅は目の前だ。
母は
『コーヒー美味しかったゎ。
けれど、なんだか疲れたから
家に連れて帰ってー』と
『そう?じゃ、お家に帰ろうか!』と
私は答えた。
そう言う一連の流れが
繰り返し繰り返し続いた日から
数日が経ったある日
買い物ついでにと
まだ、元気だった父に母を預けて
私は、いつものカフェに寄って、
ホッと一息ついていた頃の話。
カフェには、
数人のお客さん。
私はいつも座る場所に陣取っていた。
そのカフェに寄ったのは
息抜きもあったが
私がカフェに通い始めて
ちょうど『一年の記念日』ということを
ママに伝えたかったからもあった。
そんな私の介護の癒しにと
カフェのママが、
ユーミンの『ひこうき雲』を
フルート演奏してくださった。
ユーミンの『ひこうき雲』は
ユーミンの病気の友人に向けて書かれた曲。
その友人の方が
私の亡くなった兄と同じ病気だったという
少しわたしには、特別な曲だった。
それを知らずに選曲したママは、
私から初めて、兄の話を聞いて
その偶然に涙した。
その光景を見ていた婦人が1人。
年の方は、私より10歳ほど上の方
介護施設にも出入りし、市のボランティアにも通じ、絵本の読み聞かせの団体の
理事をされている方だった。
婦人はそっと
兄や介護の話を聞いてきたので、母のその頃の話をしたり、
当時の現状の一番の方法を探りたい私の
思いがわかったのか
ママの勧めで同席させて頂かせてもらい
婦人の話を興味深く聞かせてもらう形になった。
婦人の柔和な表情が
沁みるように
安心というか、優しさというか
その中の強さを感じながら話をしたり聞いたり。
ひとしきり話をしあった後、婦人は
私の母への対処の仕方を褒めてくださり
『それでいいのよー、怒ってはダメよ』
その婦人から
背中を押して頂いた感じがして
有り難くて有り難くて、、、。
結局は、母の痴呆症で
一日に、何十回と同じことを聞かれても
怒らず、繰り返し繰り返し答えることができたのも、この婦人と話ができたおかげだったと言える。
ベッドに寝たきりになって
訳のわからないことを口走っても
決して怒ることはしなくて済んだ。
いつか、その婦人に会えるだろう
もう一度、会えたなら、
その時のお礼がしたいと
ずっと思っていた。
思っていれば、叶うもので
母の命日の日に
そのカフェで
婦人と会えることが出来たなんて!
婦人のお孫さんの誕生日も、この日で
(母の命日だ)
婦人は、お孫さんのお祝いの席に行くのに
この店先の交差点でふと思ったそうだ。
ちょっと、このカフェに寄ってみたくなって来てしまったと。
婦人は
私のことが忘れられずにいたこと。
私は、両親を介護ののち、天国におくったことを告げた後
話しながら泣く私に
沿うように一緒に泣いてくれた。
婦人のおかげで、介護のチカラに出来たことのお礼が言えたことを喜んでくれた。
そこで
カフェのママが
あの時と同じように
フルート演奏したいのと言ってくれて
『初めて吹く曲だけど』と
コブクロの『蕾』をサプライズ演奏してくださった。
偶然に
その婦人がコブクロのファンだったこと。
私もファンなんですと告げて、にっこり微笑む
何故かわからないけれど
偶然と偶然が重なったことが
よけいに胸を熱くした。
曲のサビの部分
同じタイミングで
紙ナプキンを取りながら泣いた。
泣きあって互いに
また微笑み合う
しかし、拭けども拭けども
流れ落ちてくる涙
婦人は言った
『私も色々あってね。なんだかこちらのカフェに来たのだけど、あなたに会えて良かったゎー。今朝、私が凹んでいる時に
ふと見た記事にドラえもんの言葉が出てたの。普段は見落とちゃうね。けれど、
私もすごくいい言葉だったから
あなたにも教えてあげるね。
目はどこに付いてますかー。
目は前を見るために付いているのですよ。
だから、前を見て歩いていけるんだってー』
と言ってウインクでもするように
お茶目に笑った。
今度は
婦人と
再会を約束してカフェを後にした。
後から聞くと
カフェのママも偶然に
フルートのレッスンがその日に限って
1時間ずれたらしい
だから、私達と一緒に過ごせたんだと。
何という母の命日だったのだろうかー。
奇跡のカフェだった。