今日は、午前中、先祖供養でした。
いつもは片付けに2時ごろまでかかるのですが、
午後1時半から講演会があるので、大急ぎで片付けて、出かけました。
熊本市男女共同参画センター「はあもにい」での講演会です。
「先輩から学ぶ!日本を変えた熊本の女性たち」
~ジェーンズが残した日本初の男女共同参画~
講師はジェーンズ邸館長の黒田孔太郎氏です。
ジェーンズは熊本洋学校教師として、明治4年にアメリカから来熊しました。
アメリカでは南北戦争に北軍砲兵大尉として参加し、その後、士官学校の助教授となるも
農場で農業に従事していました。
熊本には幕末、横井小楠という偉大な人がいて、勝海舟から尊敬され、坂本龍馬も訪れています。
明治政府に招聘され、これからというときに、京都で暗殺されてしまいました。
その甥が明治2年末、勉強していたアメリカから帰国し、熊本知藩事に洋学校の作ることを
勧め、ジェーンズが教師として招かれたのです。
10歳から15歳までの少年、約500名の入学希望者が集まり、試験で入学したのは46名でした。
ジェーンズの授業はすべて英語で行われ、答えは教えず、自学自習で、毎日成績順に
席を入れ替えるので、皆、真剣に勉強していたそうです。
4年目のこと、二人の女の子が男の生徒に混じって勉強を始めました。
横井小楠の娘「横井みや子」と徳富蘇峰の姉「徳富初子」です。
男子学生が、猛反発して抗議をしたところ、「君の母親は男か女か?」と言われたそうです。
「女をさげすむ男が、母を持ったり、妹をもったり、まして妻を持ったりすることは
不自然ではないか・・・」と。
男子生徒はぐうの音も出ません。これが、日本初の男女共学です。
のちに、このとき抗議した男子学生が、みや子さんの夫になったというのも不思議な縁ですね。
学生たちはキリスト教に興味を持ち、ジェーンズに請い、ジェーンズ邸で聖書の輪読会が行われました。
その中で熱心なキリスト教信者が明治9年1月30日に花岡山で結盟し、キリスト教を広めようと
「奉教趣意書」を読み上げます。
しかし、そのことが原因で洋学校は閉校になってしまいました。
その後、学生たちは、京都の同志社英学校に移り、熊本方式の授業を取り入れて、熊本バンドと呼ばれました。
明治12年、同志社英学校の初卒業式の卒業生15名はすべてジェーンズの教え子でした。
このとき二人の女子学生も京都に移り、女学校で勉強を続け、のちに教育や女性の地位向上に活躍するのです。
ジェーンズは、食生活改善にも力をそそいでいます。
熊本の野菜の種類の少なく、栄養価が少ないと感じ、アメリカから、キャベツ、カリフラワー、レタス、
オクラ、グリンピースなどの種を取り寄せて、熊本に広めました。
また牛肉や野菜入りのシチューを振舞ったりして、熊本の人が牛乳、牛肉、パンを食べるきっかけになりました。
ジェーンズ邸は現在、水前寺公園の近くに移転されていますが、
元々は熊本城内の古城と呼ばれるところに建てられていて、現在は県立第一高校になっています。
日本初の男女共学となった熊本洋学校ですが、同じ場所に建っている県立第一高校は
男女共学にもかかわらず、現在、男子がいません。
戦前の第一高等女学校のイメージがいまだに残っていて、男子が入ってこないのです。
今年は、市内の中学校を回って、男子入学に力を入れているというのが話題になっています。
なんか不思議な感じですね。
1月14日に第二回目が開催され、本題の女性たちの活躍がテーマです。
ぜひ参加したいです。
いつもは片付けに2時ごろまでかかるのですが、
午後1時半から講演会があるので、大急ぎで片付けて、出かけました。
熊本市男女共同参画センター「はあもにい」での講演会です。
「先輩から学ぶ!日本を変えた熊本の女性たち」
~ジェーンズが残した日本初の男女共同参画~
講師はジェーンズ邸館長の黒田孔太郎氏です。
ジェーンズは熊本洋学校教師として、明治4年にアメリカから来熊しました。
アメリカでは南北戦争に北軍砲兵大尉として参加し、その後、士官学校の助教授となるも
農場で農業に従事していました。
熊本には幕末、横井小楠という偉大な人がいて、勝海舟から尊敬され、坂本龍馬も訪れています。
明治政府に招聘され、これからというときに、京都で暗殺されてしまいました。
その甥が明治2年末、勉強していたアメリカから帰国し、熊本知藩事に洋学校の作ることを
勧め、ジェーンズが教師として招かれたのです。
10歳から15歳までの少年、約500名の入学希望者が集まり、試験で入学したのは46名でした。
ジェーンズの授業はすべて英語で行われ、答えは教えず、自学自習で、毎日成績順に
席を入れ替えるので、皆、真剣に勉強していたそうです。
4年目のこと、二人の女の子が男の生徒に混じって勉強を始めました。
横井小楠の娘「横井みや子」と徳富蘇峰の姉「徳富初子」です。
男子学生が、猛反発して抗議をしたところ、「君の母親は男か女か?」と言われたそうです。
「女をさげすむ男が、母を持ったり、妹をもったり、まして妻を持ったりすることは
不自然ではないか・・・」と。
男子生徒はぐうの音も出ません。これが、日本初の男女共学です。
のちに、このとき抗議した男子学生が、みや子さんの夫になったというのも不思議な縁ですね。
学生たちはキリスト教に興味を持ち、ジェーンズに請い、ジェーンズ邸で聖書の輪読会が行われました。
その中で熱心なキリスト教信者が明治9年1月30日に花岡山で結盟し、キリスト教を広めようと
「奉教趣意書」を読み上げます。
しかし、そのことが原因で洋学校は閉校になってしまいました。
その後、学生たちは、京都の同志社英学校に移り、熊本方式の授業を取り入れて、熊本バンドと呼ばれました。
明治12年、同志社英学校の初卒業式の卒業生15名はすべてジェーンズの教え子でした。
このとき二人の女子学生も京都に移り、女学校で勉強を続け、のちに教育や女性の地位向上に活躍するのです。
ジェーンズは、食生活改善にも力をそそいでいます。
熊本の野菜の種類の少なく、栄養価が少ないと感じ、アメリカから、キャベツ、カリフラワー、レタス、
オクラ、グリンピースなどの種を取り寄せて、熊本に広めました。
また牛肉や野菜入りのシチューを振舞ったりして、熊本の人が牛乳、牛肉、パンを食べるきっかけになりました。
ジェーンズ邸は現在、水前寺公園の近くに移転されていますが、
元々は熊本城内の古城と呼ばれるところに建てられていて、現在は県立第一高校になっています。
日本初の男女共学となった熊本洋学校ですが、同じ場所に建っている県立第一高校は
男女共学にもかかわらず、現在、男子がいません。
戦前の第一高等女学校のイメージがいまだに残っていて、男子が入ってこないのです。
今年は、市内の中学校を回って、男子入学に力を入れているというのが話題になっています。
なんか不思議な感じですね。
1月14日に第二回目が開催され、本題の女性たちの活躍がテーマです。
ぜひ参加したいです。