港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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旅の友・ポップス編 (328) 『マルタ島の砂』

2018-01-21 12:06:52 | 旅の友・ポップス編

『マルタ島の砂』 ベルト・ケンプフェルト楽団
”The Maltese Melody” Bert Kaempfert 【YOUTUBEより】



この曲は1969年にベルト・ケンプフェルトとハーバート・レーバインの共作によりベルト・ケンプフェルト楽団演奏で
リリースされましたが、翌年にハーブ・アルパートとティファナブラスがカヴァーしてヒットしました。
マルタ島は、地中海のシチリア島南方に浮かぶ絶景の島として有名ですが、曲調はスパニッシュのパソ・ドブレの
雰囲気ですね。

関連記事
2015-12-18  続・60年代ポップス変遷史 1970年『マルタ島の砂』ハーブ・アルパートとティファナブラス

旅の友・ポップス編 (327) 『君去りし夜』

2018-01-20 16:02:51 | 旅の友・ポップス編

『君去りし夜』 ウーゴ・ブランコ楽団(唄:ラ・ダマ・エキス)
”La Noche De tu Partida” Hugo Blanco Y La Dama Equis 【YOUTUBEより】



『コーヒー・ルンバ』のヒットでお馴染みのウーゴ・ブランコ楽団としては珍しくヴォーカルを取り入れた楽曲で、
唄っているのはラ・ダマ・エキスという謎の人物になっています。
”La Dama Equis”は訳するとマダム・エックス、そしてその実体はウーゴ・ブランコ夫人です。
原曲は中南米ではかなり有名な曲だそうで、YOUTUBEにも多くの動画がアップされていますが、手元に資料がなく
残念ながら詳細は全く不明です。
日本では【今週のベストテン】において、1962年3月の第5週に一度だけ10位にランクインしていました。
ロックンロールや映画音楽が主流のチャートの中でひときわ輝いた一曲でした。


【付記】2018.1.22

先日、baoheさんより、「ラ・ダマ・エキスは、ベネズエラ人のTeresa de Gonzálezのあだ名のようで、彼女は
録音技師のFrancisco Gonzálezの奥さんのようです」との貴重なコメントを頂戴いたしました。

数十年前にラジオ関西の音楽番組【気ままなカフェテリア】で私のリクエストにお応えいただいた時に、
当時の担当アナがマダム・Xはブランコ夫人だと解説していいただいたのでそう信じ込んでおりました。
録音テープに音楽としては残っているのですが、残念ながらその時の担当アナの言葉は残っておりません。
元々、この曲に関する資料がなく、50数年も前の話なので再び調べようもありません。
従いまして、追加記事として baoheさんの貴重な情報をこの場に併記することにいたします。


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ここ数日の間バタバタしており記事がかなり手抜きになりますがご容赦ください

旅の友・ポップス編 (326) 『夢みるシャンソン人形』

2018-01-19 17:30:02 | 旅の友・ポップス編

『夢みるシャンソン人形』 フランス・ギャル
”Poupee De Cire Poupee De Son” France Gall 【YOUTUBEより】



1965年にセルジュ・ゲンスブールが作詞・作曲、同年のユーロヴィジョン・コンテストで見事にグランプリの栄冠に輝いた
アイドル歌手フランス・ギャルの実質的なデビュー曲です。
日本のタイトルはシャンソン人形ですが、原語では蝋人形・ヌカ詰め人形となっています。
歌詞の真意は、「私は何も知らないのに愛の歌を歌っているあやつり蝋人形よ」となっており、人生経験も浅い若年の
アイドルが恋愛について歌うことに対して皮肉を込めた冷たい眼で揶揄しています。
そんなこととはつゆ知らずに健気で得意げに唄っていたフランス・ギャルの姿はゲンスブールにとっては企み通りで
まさに思う壺だったことでしょう。
唄い出しは、ベートーヴェン作曲のピアノソナタ第1番へ短調 第4楽章を引用したといわれています。

関連記事
2015-08-16 12:14:38 | 続・60年代ポップス変遷史 1965年『夢みるシャンソン人形』フランス・ギャル



フランス・ギャルは1993年に乳癌を患い、その後は療養生活を送っていましたが、2018年1月7日にパリ郊外の
病院で乳癌により死去したという悲しいニュースが流れました。
遅ればせながら、故人を偲びご冥福をお祈りいたします。

旅の友・ポップス編 (325) 『マイアミ・ビーチ・ルンバ』

2018-01-18 14:04:44 | 旅の友・ポップス編

『マイアミ・ビーチ・ルンバ』 ザヴィア・クガー楽団
”Miami Beach Rumba”  Xavier Cugart And His Orchstra 【YOUTUBEより】


明るく陽気な『マイアミ・ビーチ・ルンバ』で【旅の友・ポップス編】を再スタートすることにいたします。

この曲は1946年にアーヴィング・フィールズが作曲したラテン・ナンバーで、翌年にザヴィア・クガー楽団で大ヒット、
これによってザヴィア・クガ―はルンバの王様といわれるようになりました。

関連記事
2016-02-29 名曲セレクション 『マイアミ・ビーチ・ルンバ』 ザヴィア・クガー楽団


あの日から23年

2018-01-17 14:37:59 | 独り言

1995.1.17 Am 5:46
激震が走り抜けた連休明けの寒い朝から23年
わが町神戸でも多くの尊い命が失われ
家族や住処を奪われた人々が悲しみのどん底に落とされました。
各地でイベントが行われています。
私自身体調も弱まり、出歩くこともままならなくなりましたが
夕刻には近隣の鎮魂イベントに出向いて黙祷を捧げてきます。


私の自宅も震度7の直撃を受けて全壊状態になり
建物が倒壊する物音、そしてガス漏れの匂い
四方で火の手も上がりましたが
幸いにも家族は無事でした。
しかし、現在でもあの日の恐怖は
身に沁みついてしまって
小さな揺れや響く物音に緊張が走る
そんな PTSDは現在でも消えることがありません。

あの日生まれた人もすでに立派な社会人に育ち
神戸市民の半数近くが地震を知らない住民に移り変わりました。
街並みも立派に復興して震災の影も見えなくなりました。
しかし、繰り返されるであろう悲劇を最小限にするためにも
次なる災害への備えは進めてもらわなくてはなりません。

極寒の中で見知らぬ人たちと、わずかな食べ物を分け合い、
声を掛け合い、助け合い、励まし合う …
あの時の純粋な心ほど尊いものはありませんでした。

私はそんな神戸の人々の真心を誇りに思っています。
そして、神戸が大好きです。

神戸市歌  【YOUTUBEより】



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今朝、10時過ぎに携帯の緊急メールのアラームが鳴り響きました。
PTSDが発動して激しく驚いたものの何事もありませんでした。
ネットによりますと、
「緊急速報」を装った悪質な迷惑メールがあるそうです。
迷惑千万、不届き者め、ふざけるな!
と叫びたくなります。