港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『12月20日』

2019-12-19 18:42:58 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジョージ・ロイ・ヒル George Roy Hill (1921.12.20~2002.12.27)



哀愁を持って古き良き日をノスタルジックに描く作風で注目されたアメリカの映画監督です。
ミネソタ州ミネアポリスに生まれ、名門校ブレイクスクールで教育を受け、エール大学では作曲を学びました。第二次大戦後の
1946年にアイルランドのダブリンで音楽と文学を学んでいましたが、経済的な理由からシェイクスピア劇団などに籍を置いて
舞台にも立つようになりました。1957年には演出家としてブロードウェイにも進出を果たし、テネシー・ウィリアムズの戯曲を
原作とした "Period of Adjustment" (調整期間)などを手がけ、この成功によって1962年に舞台劇の映画化となる『調整期間』で
監督デビューを果たしました。1966年には『ハワイ』『モダン・ミリー』といった大作を監督しましたが、いずれの作品でも
制作会社とのトラブルが絶えず、本人としては到底納得できる作品には至らなかったようです。ニュー・シネマが全盛期となった
1969年の『明日に向って撃て!』はノスタルジックな画調が高評価を得て、1973年の『スティング』においても古き良き日を
懐古的に描きました。

【主要監督作品】
1964年『マリアンの友だち』 The World of Henry Orient

1966年『ハワイ』 Hawaii

1966年『モダン・ミリー』 Thoroughly Modern Millie

1969年『明日に向って撃て!』 Butch Cassidy and the Sundance Kid 【YOUTUBEより】

1973年『スティング』 The Sting 



☆ジリオラ・チンクエッティ Gigliola Cinquetti (1947.12.20~ )



サンレモ音楽祭で二度の優勝を果たしたイタリアの人気カンツォーネ歌手です。
イタリアのヴェローナに生まれ、10代の頃にエナル音楽劇団に入団して歌手を夢見ました。16歳になった1964年に『夢見る想い』
を唄ってユーロビジョン・ソングコンテストで優勝し、その勢いで同年のサンレモ音楽祭でも優勝を果たし一躍有名になりました。
1966年にはドメニコ・モドゥーニョと組んだ『愛は限りなく』でサンレモ音楽祭二度目の優勝となり、1969年にはフランスの
フランス・ギャルと組んだ『雨』でサンレモに登場し、結果は6位に入賞にとどまりましたが『雨』は世界的ヒットとなって
イタリアはもとより世界的にもトップ歌手として絶大な人気を博しました。
1979年に結婚し翌年二人の男の子の育児に専念するため一時的に引退しましたが1985年には歌手活動を再開してサンレモに復帰、
欧州ツアーを行うなど、音楽の他にもジャーナリストとして活躍を続けました。

【主要歌唱曲】
1964年『夢見る想い』Non ho l'età  サンレモ音楽祭優勝【YOUTUBEより】

1965年『ナポリは恋人』 Napoli, fortuna mia【YOUTUBEより】

1966年『愛は限りなく』 Dio come ti amo サンレモ音楽祭優勝【YOUTUBEより】

1968年『悲しき天使』 Quelli erano i giorni 視聴
1969年『雨』 La pioggia  サンレモ音楽祭6位【YOUTUBEより】

1971年『薔薇のことづけ』 Rose nel buio 視聴
1977年『街角のシレーヌ』Serenade pour deux amours 視聴
1985年『愛と呼ぶの』Chiamalo amore サンレモ音楽祭3位 視聴


【ご命日】

★ロバート・マリガン Robert Mulligan (1925.8.23~2008.12.20)



TV出身でアメリカの良心と言われた社会派の映画監督。
主な監督作品として『ねずみの競争』『九月になれば』『アラバマ物語』『下り階段をのぼれ』などがある。


★ミシェル・モルガン Michèle Morgan (1920.2.29~2016.12.20)



1930年代から60年代末までの間、小柄ながらも気品ある美しさでフランス映画界を支えた大女優。
主な出演作品として『霧の波止場』『田園交響楽』『落ちた偶像』『狂熱の孤独』『夜の騎士道』などがある。


★ボビー・ダーリン Bobby Darin  (1936.5.14~1973.12.20)



37歳の若さでこの世を去ったアメリカの作曲家、ポップシンガー、エンターティナー、そして映画俳優。
主な歌唱曲として『マック・ザ・ナイフ』『おんぼろ汽車ポッポ』『さびた手錠』『初恋の並木道』などがあり、
主な出演作品として『九月になれば』『電話にご用心』『若さでブッ飛ばせ!』などがある。

『12月19日』その1

2019-12-18 21:06:02 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆エディット・ピアフ Édith Piaf (1915.12.19~1963.10.10)



フランス国民の象徴的存在で、世界中から尊敬された最も偉大なシャンソン歌手です。
軽業師の父と路上歌手を母に、パリの下町ベルビル地区で生まれました。しかし母親(当時17歳)は彼女を忌み嫌い育児を拒否した
ため1918年にベルネにある父方祖母の売春宿に預けられました。6歳から父と町の場末の路上で歌っていましたが、15歳の時に
父と別れ一人でストリート・シンガーとして歌い始めました。1935年に路上で歌っているところをナイトクラブのオーナーの
ルイ・ルプレに見出されて彼の店で芸名「ラ・モーム・ピアフ」の名で歌い始めました。1936年に「異国の人」でレコードデビュー
を果たしましたが同年にルイ・ルプレ殺害され、容疑者として取り調べを受けました。
1944年のドイツ占領下で、当時駆け出しだったイヴ・モンタンとの愛を綴った恋唄『バラ色の人生』を作詞・作曲、この成功に
よって歌手として確固たる地位を固めました。大戦後はヨーロッパ各地とアメリカ、南米などで公演旅行を行うなどで世界的な
人気を博していましたが、フランス人で既婚者のプロ・ボクサー、マルセル・セルダンとの熱愛が一大スキャンダルとなり、
そのセダンが1949年に飛行機事故で急逝してしまいました。そんな二人のなりふり構わぬ究極の愛の姿を唄った『愛の讃歌』を
翌年にリリース、これが爆発的なヒットとなりました。
1951年には腕と肋骨を骨折する交通事故にあい、その後深刻なモルヒネ中毒に苦しんだといわれています。1963年3月にリール市
オペラ座にて生涯最後のステージ出演を済ませた後、癌により47歳の若さでこの世を去ってしまいました。
その華やかな表舞台とは別に、数々の男性遍歴、殺人容疑、麻薬と酒、生涯に四度となる交通事故などの出来事はあまりにも謎が
多くて、恋多き大歌手の真相は闇の中となってしまいました。

【主要歌唱曲】
1936年『異国の人』L'étranger 視聴
1937年『私の兵隊さん』Mon légionnaire 視聴
1939年『アコーディオン弾き』 L'Accordéoniste 視聴
1944年『ばら色の人生』La Vie en rose【YOUTUBEより】

1945年『谷間に三つの鐘が鳴る』Les Trois Cloches 視聴
1948年『パリの恋人たち』Les amants de Paris 視聴
1949年『パリ』Paris 視聴
1950年『愛の讃歌』Hymne à l'amour【YOUTUBEより】

1950年『小さなマリー』La p'tite Marie 視聴
1950年『祭りはつづく』La fête continue 視聴
1951年『青のシャンソン』 Chanson bleue 視聴
1951年『パダム・パダム』 Padam... Padam…【YOUTUBEより】

1952年『恋人が一輪の花をくれた』Mon ami m'a donné 視聴
1954年『かわいそうなジャン』La goualante du pauvre Jean【YOUTUBEより】

1954年『夜は恋人』Mea Culpa 視聴
1954年『パリの空の下』Sous le ciel de Paris【YOUTUBEより】

1955年『憐れみ』Miséricorde 視聴
1955年『旅芸人の道』Le chemin des forains 視聴
1956年『枯葉』Les feuilles mortes【YOUTUBEより】

1957年『群衆』La Foule 視聴
1958年『私の回転木馬』Mon manège à moi 視聴
1959年『ミロール』Milord 視聴
1960年『水に流して』Non, Je ne regrette rien 視聴

『12月19日』その2

2019-12-18 17:24:35 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジョニー・アルビノ Johnny Albino (1919.12.19~2011.5.07)



1958年〜1966年に全盛期だったラテン・グループの「トリオ・ロス・パンチョス」の第一ヴォーカルです。
プエルトリコのヤウコで生まれ、若い頃ギターを片手に音楽界入りし、1946年にラテン・グループ「トリオ・サン・ファン」に
参加してリード・ヴォーカリストとして活躍しました。1958年にパンチョスの第一ヴォーカルであったエルナンド・アビレスが
退団したことでジョニー・アルビノが第一ヴォーカルとして加入、トリオ・ロス・パンチョスは世界各地をめぐる数多くの公演で
全盛期を迎えました。しかし、1966年に内部紛争、訴訟問題などでパンチョスを去り、独自の道を歩むこととなりました。

参考までに「トリオ・ロス・パンチョス」はメキシコのアルフレッド・ヒル とチューチョ・ナバロ、プエルトリコのエルナンド・
アビレス によって1944年にニューヨーク州で結成されたラテン・トリオで、その後リード・ヴォーカルが何度か交代しましたが
ジョニー・アルビノの時代が最盛期だったと言われています。1959年に初来日をしてその後何度も日本公演を行いました。

【トリオ・ロス・パンチョスの主要歌唱曲】
『アディオス・マリキータ・リンダ』Adios Mariquita Linda 視聴
『アモール』Amor, Amor, Amor  視聴
『ある恋の物語』Historia De Un Amor【YOUTUBEより】

『エストレリータ』Estrellita 視聴
『キェンセラ』Quien Sera【YOUTUBEより】

『キェレメ・ムーチョ』Quiereme Mucho 視聴
『キサス・キサス』Quizás Quizás【YOUTUBEより】

『ククルククパロマ』Cucurucucu Paloma  視聴
『グリーンアイズ』Green Eyes 視聴
『コーヒー・ルンバ』Moliendo Cafe 視聴
『さくらさくら』Sakura Sakura 視聴
『シェリト・リンド』Cielito Lindo 視聴
『シボネー』Siboney 視聴
『その名はフジヤマ』Së Llama Fujiyama 視聴
『ソラメンテ・ウナ・ヴエス』Solamente Una Vez 視聴
『月影のキューバ』Magica Luna 視聴
『テ・キェロ・ディヒステ』Te quiero, dijiste 視聴
『パーフィディア』Perfidia 視聴
『ベサメ・ムーチョ』Besame Mucho【YOUTUBEより】

『メロンの気持ち』Corazón de Melón 視聴
『ラ・クカラチャ』La Cucaracha 視聴
『ラ・パロマ』La Paloma 視聴
『ラ・マラゲーニア』La Malagueña【YOUTUBEより】



【ご命日】

★マルチェロ・マストロヤンニ Marcello Mastroianni (1924.9.28~1996.12.19)



イタリアを代表する名匠の傑作群に多く出演したことで名声を得たイタリアの俳優。
主な出演作品として『白夜』『甘い生活』『夜』『イタリア式離婚狂想曲』『8 1/2』『異邦人』などがある。


★ミシェル・マーニュ Michel Magne (1930.3.20~1984.12.19)



1960年代に活躍し完全主義をトレードマークとしたフランスの映画音楽家。
主な映画音楽作品として『太陽は傷だらけ』『地下室のメロディー』『ある晴れた朝突然に』『恋するガリア』などがある。


『12月18日』

2019-12-17 16:54:46 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジュールズ・ダッシン Jules Dassin (1911.12.18~2008.3.31)



マッカーシズムの赤狩りでアメリカを追われ逆にヨーロッパで本領を発揮して大成した映画監督です。
ウクライナの オデッサからのユダヤ人移民の子としてコネチカット州ミドルトンに生まれハーレムで育ちました。1934年から
2年間ヨーロッパで演劇を学び、帰国後はユダヤ人劇団の俳優兼任演出家となり、1940年にRKO社に入って助監督などをつとめ
ました。1941年にはMGMに移り数本の短編などを監督していましたが、1944年のファンタジー・コメディ『幽霊は臆病者』で
初の長編作品を監督し、続いて1947年に刑務所を舞台にした社会派映画『真昼の暴動』で注目を集めました。1948年の『裸の町』
においてはセミ・ドキュメンタリー方式で犯人を追う刑事の生き様をリアリズムで描き歪んだ現実を鮮烈に浮かび上がらせました。
しかし、1950年にレッドパージによって共産主義者のレッテルを張られたためハリウッドから追放されヨーロッパに渡りました。
数年間は仕事にありつけなかったのですが、1955年のフランスで『男の争い』を監督、 低予算・スターキャストなしでなおかつ
オリジナル小説の映画化というありがたくない仕事でしたが、持ち前のセミ・ドキュメンタリー様式のリアリズムで宝石強盗の
主人公の生き様を描き、特に会話や音楽のない沈黙に近い状態で撮影された30分間の強盗シーンはカンヌ映画祭で絶賛されました。
その後も1957年にギリシャのニコス・カザンツァキ原作の『宿命』、1959年にはコルシカ島の古い因習の「掟遊び」を題材にした
『掟』において息苦しいほどの濃い人間関係の対立を描き切りました。その後ギリシャに渡ってメリナ・メルクーリと意気投合し、
1960年にはギリシャの港町を舞台にした人間謳歌『日曜はダメよ』において陽気に生き生きと輝く娼婦イリアの生命の躍動を描き、
1962年の『死んでもいい』では義理の息子を愛した王妃をテーマにしたギリシャ悲劇の古典『フェードラ』を現代に置き換えた
重厚な恋愛悲劇を監督しました。
ヨーロッパからハリウッドに渡って失敗・凋落した映画監督は掃いて捨てるほどいますが、逆にジュールズ・ダッシンはアメリカ
からヨーロッパに渡って成功した数少ない監督でした。

【主要監督作品】
1944年『幽霊は臆病者』The Canterville Ghost

1947年『真昼の暴動』Brute Force

1948年『裸の町』 The Naked City

1950年『街の野獣』 Night and the City
 
1955年『男の争い』 Du rififi chez les hommes

1957年『宿命』 Celui qui doit mourir

1959年『掟』 La Legge 

1960年『日曜はダメよ』 Pote tin Kyriaki

1962年『死んでもいい』 Phaedra

1964年『トプカピ』 Topkapi 
1966年『夏の夜の10時30分』 10:30 P.M. Summer



☆ジョージ・スティーヴンス George Stevens (1904.12.18~1975.3.08)



重厚なリリシズムの中にセンチメンタルな人間洞察を織り込む独特の演出で開花したアメリカの映画監督です。
カリフォルニア州オークランドで生まれ、舞台人の両親の影響で5歳から舞台に立ちました。1923年にハリウッドに入り、製作者の
ハル・ローチのスタジオでローレル&ハーディのドタバタ短編映画を作り、1935年の『乙女よ嘆くな』を監督して注目を集めました。
その後はB級のミュージカルに甘んじていましたが、1948年の『ママの想い出』で移民家族を温かく見つめた庶民絵図でリアリスト
としての評価を得ました。1951年には『陽のあたる場所』で出世欲に飢え上流社会憧れた青年の悲劇を描いて自身のリリシズム
を加味した作風を確立しました。
1953年の股旅型の西部劇『シェーン』ではワイオミングの壮大な山々を背景に登場人物の心情を詩情豊かに描き、続いて1955年の
『ジャイアンツ』で保守色の強いテキサスの大牧場主夫妻を主人公として愛と葛藤、資本主義のひずみともいえる文明の粗野と残酷、
さらには人種問題をも取り上げた一大叙事詩を描き切りました。
しかし、1959年の『アンネの日記』では原作に忠実を建前としたためあまりにも生真面目すぎて自身の特徴を生かしきれず、また
1965年のキリストの生涯を綴った一大長編『偉大な生涯の物語』もダラダラとした平凡な作品に終り、1970年に監督業を卒業して
しまいました。

【主要監督作品】
1935年『乙女よ嘆くな』 Alice Adams 
1936年『有頂天時代』 Swing Time
1937年『踊る騎士』A Damsel in Distress
1939年『ガンガ・ディン』Gunga Din 
1941年『愛のアルバム』Penny Serenade 
1942年『女性No.1』Woman of the Year

1948年『ママの想い出』I Remember Mama

1951年『陽のあたる場所』A Place in the Sun

1953年『シェーン』Shane

1956年『ジャイアンツ』Giant

1959年『アンネの日記』The Diary of Anne Frank 

1965年『偉大な生涯の物語』The Greatest Story Ever Told



【ご命日】

★ロベール・ブレッソン Robert Bresson (1901.9.25~1999.12.18)



独自の厳格なスタイルで映画史に傑作を残した孤高のフランス人映画監督。
主な監督作品として『田舎司祭の日記』『抵抗』『スリ』『ジャンヌ・ダルク裁判』などがある。


★ジルベール・ベコー Gilbert Bécaud (1927.10.24~2001.12.18)



水玉模様のネクタイを愛用し、精力的なパフォーマンスから「ムッシュ10万ボルト」と称されたフランスの歌手。
主な歌唱曲として『ぼくの手』『君踊る時』『メケ・メケ』『雨の降る日』『そして今は』などがある。


『12月17日』

2019-12-16 16:35:10 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆アンドレ・クラヴォー Andre Claveau (1911.12.17~2003.7.04)



「魅惑の王子」と称されて1940~60年代を中心に活躍したフランスのシャンソン歌手です。
パリに生まれ、父親の家具職人を継ぐために美術・芸術系の専門学校に入りましたが、グラフィックデザイナーとして舞台美術や
ダミアなどの歌手のポスターの作成に携わりました。1936年にラジオ局主催のパリ郵便局が主催した素人コンクールで優勝した
ことから歌手としての活動を開始し、「魅惑のシャンソン」と称されたティノ・ロッシの後継者として認められるようになり、
そのなめらかな唄声に「魅惑の王子」というニックネームをつけられるほどに人気を博しました。
1950年代に入ると『バラ色の桜と白い林檎』『お誕生日おめでとう』『パパと踊ろう』などをヒットさせ、1958年オランダで
開催されたユーロビジョン・ソングコンテストではフランク・プゥルセル楽団を従えて『お休み恋人よ』で優勝を飾り、1940~
1960年代にかけてフランスを代表するトップシンガーの一人として活躍しました。

【主要歌唱曲】
『パパと踊ろう』Viens Valser Avec Papa【YOUTUBEより】

『お誕生日おめでとう』Bon anniversaire 視聴 
『マドモアゼル・ド・パリ』Mademoiselle de Paris 視聴 
『お休み恋人よ』Dors Mon Amour【YOUTUBEより】

『魅惑のワルツ』Fascination 視聴
『ムーラン・ルージュ』Moulin Rouge 視聴 
『バラ色の桜と白い林檎』Cerisier rose et pommier blanc 【YOUTUBEより】

『私の心はヴァイオリン』mon coeur est un violon【YOUTUBEより】

『スマイル』Ton Sourire Est Dans Mon Coeur 視聴
『ライムライト』Deux petits chaussons 視聴
『モナ・リザ』Mona-Lisa 視聴
『ドミノ』Domino【YOUTUBEより】



【ご命日】

★ジェラール・ブラン Gérard Blain (1930.10.23~2000.12.17)



ちょっと暗めの二枚目演技派ですがそれほど作品には恵まれなかったフランスの俳優。
主な出演作品として『洪水の前』『殺意の瞬間』『あこがれ』『いとこ同志』『太陽の誘惑』などがある。


★ジェニファー・ジョーンズ Jennifer Jones (1919.3.02~2009.12.17)



ハリウッドのドンといわれたセルズニックの疵護を受けて(後に結婚)トップスターになった女優。
主な出演作品として『聖処女』『ラヴレター』『白昼の決闘』『女狐』『終着駅』『慕情』などがある。