港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『12月24日』その1

2019-12-23 22:50:32 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆カルロ・ルスティケッリ Carlo Rustichelli (1916.12.24~2004.11.13)



数多くのセンチメンタルな珠玉の名曲を世に送り出し、映画音楽に大いなる影響を与えたイタリアの映画音楽家です。
北イタリアはボローニャ近郊の町カルピに生まれ、ボローニャの交響楽アカデミーでピアノを習得した後にローマの音楽学校で
作曲家のチェザーレ・ドビチに作曲法を学び、演劇用音楽の作曲家や指揮者として活動を始めました。1947年に舞台の仕事をして
いたときに映画監督のピエトロ・ジェルミと製作者のルイジ・ローヴェレの来訪を受け映画界への転向を熱心に勧められ映画界に
入り、1949年にピエトロ・ジェルミ監督の『無法者の掟』で本格的に映画音楽に進出しました。
その後もジェルミ監督作品とのタッグで『鉄道員』『わらの男』『刑事』などによってヒット・メーカーとなり、その勢いで
『ローマの恋』『禁じられた恋の島』『ブーベの恋人』など数多くの映画音楽で超一流の売れっ子となりました。
特に、哀愁を帯びたセンチメンタルなメロディ・ラインは日本でも大いに受け入れられ、数多くの曲が日本の音楽番組を賑わし
ました。
1970年代の後半まで活動していたようですが80年代には引退状態にあって殆ど名前も出なくなってしまいました。

【主要映画音楽作品】
1949年『無法者の掟』In Nome Della Legge
1950年『越境者』Il cammino della speranza
1950年『白い国境線』Cuori senza Frontiers
1951年『街は自衞する』 La città si difende
1956年『鉄道員』Il ferroviere

1958年『わらの男』L'uomo di paglia

1959年『刑事』Un maledetto imbroglio

1960年『サビーヌの掠奪』IL Ratto delle Sabine
1961年『ローマの恋』Un amore a Roma

1962年『イタリア式離婚狂想曲』Divorzio all'italiana

1962年『禁じられた恋の島』L'Isola Di Arturo

1962年『祖国は誰のものぞ』Le quattro giornate di Napoli
1963年『ブーベの恋人』La ragazza di Bube

1963年『誘惑されて棄てられて』Sedotta e abbandonata

1964年『愛してご免なさい』3 Notti D'Amore
1966年『蜜がいっぱい(紳士淑女諸君) 』Signore e Signori
1972年『アルフレード・アルフレード』Alfredo Alfredo

『12月24日』その2

2019-12-23 19:56:45 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆マイケル・カーティス Michael Curtiz (1886.12.24~1962.4.11)



効率の良い早撮りと手堅い演出で重宝されたハンガリー出身のハリウッド映画監督です。
ハンガリーのブダペストに生まれ、国立演劇センターに学び1906年に舞台俳優としてデビュー、1912年には草創期のハンガリー
映画界に入り数本の作品を監督しました。そのうちの一本『イスラエルの月』がワーナー社のジャック・ワーナーに認められて
ハリウッドに入りし、同時にアメリカに帰化しました。
1930年代は『海賊ブラッド』『ロビンフッドの冒険』などの活劇を監督、エロール・フリンとのコンビは8作にも及びましたが
二人は犬猿の中であったといわれています。1942年には『カサブランカ』『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』の大ヒットで
名声を高め、順応性に富んだ早撮りで効率の高い勤勉化として重宝され、B級娯楽作品の大家として成功を収めました。
しかし、1950年代半ばに自ら設立した制作会社とワーナー社の間でトラブルが発生して法廷闘争に発展して関係が崩壊、その後は
フリーとして活動を再開しましたが立ち直ることはできませんでした。

【主要監督作品】
1924年『イスラエルの月』Moon of Israel Die Sklavenkonigin
1933年『ケンネル殺人事件』The Kennel Murder Case
1938年『ロビンフッドの冒険』The Adventures of Robin Hood
1938年『汚れた顔の天使』Angels with Dirty Faces

1938年『四人の姉妹』Four Daughters
1940年『シー・ホーク』The Sea Hawk

1942年『カサブランカ』Casablanca

1942年『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』Yankee Doodle Dandy

1946年『夜も昼も』Night and Day
1954年『ホワイト・クリスマス』White Christmas

1955年『俺たちは天使じゃない』We're No Angels

1961年『コマンチェロ』The Comancheros


☆エヴァ・ガードナー Ava Gardner (1922.12.24~1990.1.25)



南部訛りが強くて心配されたが、端役から1946年の『殺人者』で一躍スターの座を射止めたハリウッド女優です。
貧しい小作農家の7人兄弟の末っ子としてノースカロライナ州スミスフィールドのグラブタウンで生まれました。ウィルスンの
アトランティック・カレッジを卒業し、17歳の時に写真家に嫁いでいた姉を頼ってニューヨークに出て、モデルなどの仕事を
していましたが、撮った写真を姉婿がMGMに見せたことから映画界に入りました。しかし、南部訛りが強くて女優としても
端役ばかりで低迷していました。ミッキー・ルーニーと結婚・離婚し、音楽家のアーティ・ショウと再婚したことで運が開け、
1946年の『殺人者』で主役となって脚光を浴びました。その後も『ショウ・ボート』『モガンボ』『裸足の伯爵夫人』などで
主にエキゾチックなファム・ファタール役として人気を集めてドル箱スターの仲間入りを果たしました。
その後も活劇やシリアス・ドラマなどに出演していましたが、1980年頃からTVに移ってしまいました。

【主要出演作品】
1944年『恋愛聴診器』3 Men in White

1946年『殺人者』The Killers

1948年『ヴィナスの接吻』One Touch of Venus
1951年『パンドラ』Pandora and the Flying Dutchman
1951年『ショウ・ボート』Show Boat

1952年『キリマンジャロの雪』The Snows of Kilimanjaro
1953年『モガンボ』Mogambo

1954年『裸足の伯爵夫人』The Barefoot Contessa

1957年『陽はまた昇る』The Sun Also Rises
1959年『渚にて』On the Beach

1963年『北京の55日』55 Days at Peking

1964年『五月の七日間』Seven Days in May
1964年『イグアナの夜』The Night of the Iguana

1966年『天地創造』The Bible

1969年『うたかたの恋』Mayerling


【ご命日】

★エンリケ・サントス・ディセポロ Enrique Santos Discépolo (1901.3.27~1951.12.24)



楽器の弾けない作詞・作曲家ながら社会風刺を盛り込んだ名曲を世に送り続けたアルゼンチン・タンゴ界の鬼才。
主な作詞または作曲作品として『今宵われ酔いしれて』『ジーラ・ジーラ』『メルセ寺院の鐘』『エル・チョクロ』などがある。


★ティタ・メレージョ Tita Merello (1904.10.11~2001.12.24)



アルゼンチン・タンゴの女性歌手の草分けで、巻き舌唱法で人気を集めたカリスマ的な歌手・俳優。
主な歌唱曲として『エル・チョクロ』『アルバレーラ』などがある。


★ロッサノ・ブラッツィ Rossano Brazzi (1916.9.18~1994.12.24)



ロマンス・グレーの二枚目として国際的に活躍したイタリアの俳優。
主な出演作品として『若草物語』『裸足の伯爵夫人』『旅情』『南太平洋』『恋愛専科』などがある。


『12月23日』

2019-12-22 16:51:45 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ディーノ・リージ Dino Risi (1917.12.23~2008.6.07)



1950~60年代に軽快なB級喜劇を得意としたイタリアの映画監督です。
歌劇場スカラ座の専属医師の父親のもとミラノに生まれました。12歳の時に父親が死去し、親戚や両親の友人に育てられて医師を
目指しましたが1940年頃に映画製作に興味を持ち、マリオ・ソルダーテやアルベルト・ラットゥアーダの助監督になりました。
第二次世界大戦中は中立国のスイス・ジュネーヴに移住してジャック・フェデーに従事しました。大戦後はミラノに戻って映画
雑誌に映画批評を執筆する一方で数多くの短篇映画やドキュメンタリーを制作しました。
1951年に "Vacanze col gangster" (ギャングと過ごすヴァカンス) で長篇監督としデビューしますが、1955年のイタリア式の喜劇
作品『殿方ごろし』が大ヒットしてそれ以来軽妙なB級喜劇監督としてイタリアでは売れっ子となりました。
1960年には恋愛映画『ローマの恋』でシリアスな作品に挑戦しましたが、だらしない内容をだらしなく撮ったと酷評され、再び
軽喜劇に戻りました。

【主要監督作品】
1953年『巷の恋』 L'amore in città (オムニバス第三話)
1955年『殿方ごろし』 Pane, amore e... 

1958年『ベニスと月とあなた』 Venezia, la luna e tu 

1960年『ローマの恋』 Un amore a Roma

1962年『追い越し野郎』 Il sorpasso 

1965年『バンボーレ』 Le bambole (オムニバス第一話)
1966年『ナポリと女と泥棒たち』 Operazione San Gennaro


☆マルク・アレグレ Marc Allégret (1900.12.23~1973.11.03)



作家のアンドレ・ジイトの甥っ子で、スター発掘の上手なフランスの映画監督です。
牧師の息子としてスイスのバーゼルに生まれ、中等教育の後に政治学校で法律の勉強をして法学士の資格を取りました。1926年に
叔父で作家のアンドレ・ジイドとコンゴを旅行し、そこでドキュメンタリーを撮影して映画製作者として身を立てることを決意、
1929年に映画界入りして助監督、美術監督などをつとめました。1931年にロベール・フローレイ監督が手がけていた長編劇映画
"Le Blanc et le Noir" (白と黒) を完成させて監督として一本立ちし、1933年の『乙女の湖』が出世作となりました。
その後はシェル・モルガン、ジャンヌ・モロー、ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーヴなどの数多くの新人女優を輩出
する監督として名をあげましたが、作品としてはいずれもB級娯楽の域を出ることはありませんでした。

【主要出演作品】
1933年『乙女の湖』Lac Aux Dames

1934年『家なき児』Felicie Nanteui
1942年『呪われた抱擁』Felicie Nanteuil
1947年『情炎』Blanche Fury
1953年『巴里の気まぐれ娘』Julietta

1955年『チャタレイ夫人の恋人』L'Amant de Lady Chatterley
1956年『裸で御免なさい』En Effeuillant la Marguerite

1958年『黙って抱いて』Sois Belle et Tais-Toi

1961年『パリジェンヌ』Les Parisiennes


☆マリー・ベル Marie Bell (1900.12.23~1985.8.15)



コメディ・フランセーズの幹部出身で気品ある美しさにより映画・舞台に活躍したフランスの女優です。
ジロンド県のベグルに生まれ、13歳の時にバレリーナとしてロンドン・パヴィリオンの舞台に立ちましたがバレエから演劇俳優を
目指し、コンセルヴァトワールに入校して1921年に首席で卒業しました。直ちにコメディ・フランセーズの座員となり数多くの
舞台を経験して28歳の時には幹部女優となりました。
映画には1924年の『巴里』で端役を演じた後、1933年のジャック・フェデー監督の『外人部隊』で一人二役を演じ、1937年には
ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『舞踏会の手帖』で気品ある美しき未亡人を演じてトップ・スターの期待を持たれましたが
その後は『幻の馬車』に出演しただけで舞台に戻ってしまいました。
1960年代に老婦人役で一時的な映画出演もありましたが、舞台俳優そして舞台監督としてその生涯を全うしました。

【主要出演作品】
1924年『巴里』Paris
1933年『装へる夜』L'homme a l'hispano
1933年『外人部隊』Le grand jeu

1937年『舞踏会の手帖』Un carnet de bal

1939年『幻の馬車』La charrette fantôme

1963年『いっちょう頂き』La bonne soupe
1965年『熊座の淡き星影』Vaghe stelle dell'orsa


【ご命日】

★フランシスコ・ロムート Francisco Lomuto  (1893.11.24~1950.12.23) 



五大楽団のひとつとしてアルゼンチン・タンゴの黄金期を支えたピアニスト、作曲家、そして楽団指揮者。
主な演奏曲として『ラ・クンパルシータ』『ノスタルヒアス』『ソーロ・グリス』『ミロンガが泣くとき』などがある。

『12月22日』

2019-12-21 17:19:44 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ピエール・ブラッスール Pierre Brasseur (1905.12.22~1972.8.14)



舞台出身でアクの強い個性でフランス映画界になくてはならない傍役として活躍した名俳優です。
両親が俳優という恵まれた環境でパリに生まれました。モンパルナスのアカデミー・コラロッシに通った後コンセルヴァトワールに
入り、フェルナン・ルドウたちのレッスンを受けました。15歳の時にジャン・コクトー演出の舞台劇『ロミオとジュリエット』の
端役として舞台に立って以来数多くの舞台を経験しました。1938年にマルセル・カルネ監督の『霧の波止場』の準主役で映画に
初出演して注目を集め、『天井桟敷の人々』『夜の門』などで存在感を示し、1956年のルネ・クレール監督による『リラの門』で
おおらかで大酒飲みの「ろくでなし人生」の主人公ジュジュを主演して玄人筋から絶賛されました。その後も渋みを増した演技で
舞台俳優そしてフランス映画の傍役として活躍を続けました。

【主要出演作品】
1938年『霧の波止場』Le Quai des brumes

1942年『高原の情熱』Lumiere D'ete
1944年『天井桟敷の人々』Les enfants du Paradis

1946年『夜の門』Les Portes de la Nuit

1948年『火の接吻』Les amants de Vérone
1949年『一日だけの天国』Millionnaires d'un Jour

1951年『青ひげ』Barbe-Bleue

1951年『快楽』Le Plaisir
1954年『悪の塔』La Tour de Nesle
1956年『リラの門』Porte des Lilas

1958年『掟』La Legge

1959年『カルタゴ』Cartagine in Fiamme
1960年『汚れなき抱擁』Il Bell Antonio

1960年『素晴らしき恋人たち』Les Amours Celebres
1960年『ヒッチ・ガール』Les Petits Matins
1960年『悪い女』Le crime ne paie Pas
1962年『黒い情事』Les Bonnes Causes

1965年『城の生活』La Vie de Chateau

1966年『まぼろしの市街戦』Le Roi de Cœur
1969年『ペルーの鳥』Les Oiseaux vont Mourir au Perou


【ご命日】

★ジョセフ・フォン・スタンバーグ Josef von Sternberg (1894.5.29~1969.12.22)



トーキー初期にマレーネ・ディートリッヒを起用して名作を作り続けたハリウッドの映画監督。
主な監督作品として『救ひを求むる人々』『紐育の波止場』『嘆きの天使』『モロッコ』『間諜X27』などがある。


★アレキサンダー・マッケンドリック Alexander Mackendrick (1912.9.08~1993.12.22)



イーリング・コメディ出身でドキュメンタリー・タッチの作品によって注目を集めたイギリス人監督。
主な監督作品として『成功の甘き香り』『サミー南へ行く』『サンタモニカの週末』などがある。





『12月21日』

2019-12-20 17:15:59 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ポール・ムーリッス Paul Meurisse (1912.12.21~1979.1.19)



ジャン・コクトーの舞台を経験して映画界入り、傍役が多かったもののフランス映画には欠かせない性格俳優です。
ダンケルクで生まれ、コルシカで貧しい少年時代を過ごし1936年にパリに出てナイトクラブなどのダンサー兼歌手となりました。
やがてエディット・ピアフに認められ、彼女からジャン・コクトーを紹介されてパリジャン劇場で舞台に立ちました。1941 年に
ピエール・キャロン監督のコメディ映画 "Ne bougez plus" (もう動かないでください) の端役で映画デビューを果たし、その後は
傍役や準主役などでフランス映画に欠かせない存在となりました。1955年の『悪魔のような女』での陰険で冷酷な教師役を演じ
たかと思えば、『草の上の昼食』や『スパイ対スパイ』ではコミカルな演技で主役を張るなど幅広い役柄で活躍を続けました。

【主要出演作品】
1947年『モロッコ守備隊』Bethsabee

1947年『宝石館』Macadam

1954年『四角い帆』Fortune Carree
1955年『悪魔のような女』Les Diaboliques【YOUTUBEより】

1958年『自殺への契約書』Marie Octobre

1959年『草の上の昼食』Le Dejeuner sur I'Herbe

1960年『フランス女性と恋愛』La Francaise et L'Amour
1960年『真実』La Verite

1962年『スパイ対スパイ』L'oeil Du Monocle

1969年『影の軍隊』L'armée des ombres