経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

6月29日礼拝メッセージ要約

2008-06-30 10:04:50 | 礼拝
聖書:マルコの福音書8:31-38
メッセージ:“十字架はいのちの道”

Ⅰ:問いかけるイエス様
 「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」「あなたは、キリストです。」イエス様は一人ひとりに問いかけます。私たちは告白が必要です。

Ⅱ:十字架による救いを目指しています
 「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。」預言の成就としての十字架。人間の救い・贖いのために、イエス様は十字架にかからなければなりませんでした。十字架により罪赦され、新しい神の創造にあずかります。

Ⅲ:十字架はいのちの道です
 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」弱きにつき、低きにつくとき勝利があります。蒔いたものは刈り取ることになります。失うこと、与えることは得ることになります。十字架はいのちを得る道です。
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6月22日礼拝メッセージ要約

2008-06-23 09:57:59 | 礼拝
聖書:ローマ人への手紙8:1-11
メッセージ:“いのちの御霊の法則による解放”

Ⅰ:罪の解放から始まる勝利の人生
 「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」イエス様の恵みに委ねていきます。「肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。」罪と死の原理が私のうちに働いていますが、解放してくださる神の恵みに委ねていきます。イエス様の十字架により、いのちの御霊の原則に入れてくださいます。

Ⅱ:御霊によるいのちと平安に生かされます
 「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」
 信仰は、夢、希望、期待感が与えられ、見えないものが見えてきます。御霊による思いは、いのちと平安の道であり、また生産的な道です。神様の喜びと平安に守られますように。

Ⅲ:御霊により復活のいのちに生かされます
「もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。」
キリストご自身が内に生きているならば、永遠のいのちが与えられます。御霊により復活のいのちに生かされます。いのちの御霊の原則により、罪と死から解放し、恵みの勝利の生活を与えてくださいますように。
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6月15日父の日礼拝メッセージ要約

2008-06-16 09:37:48 | 礼拝
聖書:エペソ人への手紙5:22-6:4
メッセージ:“キリストの愛に生きる父親”

Ⅰ:父親は光の子です
 「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。」闇の中を歩いていた者が光の中を歩むようになりました。信仰の模範となる父親像。

Ⅱ:父親と妻との関係
 「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」与える愛。夫婦仲良くなることによって子どもの信仰回復がなされたという話。夫婦愛の中の父親像。

Ⅲ:父親と子どもとの関係
 「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」
父が子どもに頼られる強さを持つことです。①お父さんに祈ってもらう。②保護する。③しつけをしている。④価値観を植えつける、礼拝を守る。⑤尊敬できる。⑥話題がある、へまをする父親。⑦祈る父親。⑧判断力のある父親
 父親が家庭生活、教会生活の中で主に豊かに用いられていきますように。
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6月8日礼拝メッセージ要約

2008-06-10 11:45:19 | 礼拝
聖書:ヨハネの福音書15:5-17
メッセージ:“主に選ばれ、任命された人生”

イエス様にとどまるとは、イエス様と私たちの間にどのような関係があるでしょうか。

Ⅰ:生命関係
 いのちの関係です。イエス様のいのちの中にとどまる関係です。とどまるとは、イエス様に思いを向けること、思い巡らすこと、瞑想することです。イエス様のみ思い・み心はなんだろうと。またとどまるとは、みこころが心の内にとどまることです。あわただしい生活の中、御前に出て、心静め黙想するとき新たな力をいただいていきます。

Ⅱ:愛の関係
(12、13)「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」神様の愛をいただき、その愛に押し出されていきます。また愛は実践的であり犠牲を伴います。イエス様の十字架の愛に生きる者となさせください。

Ⅲ:選ばれた関係
(16)「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」イエス様に選ばれた者として生きていきます。選ばれた目的は、任命され、出て行って実を結ぶためです。日々イエス様にとどまり、主に祈り助けをいただき、多くの実が結ばれていきますように。
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6月1日礼拝メッセージ要約

2008-06-01 22:18:34 | 礼拝
聖書:ヨハネの福音書15:1-8
メッセージ:“わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です”

Ⅰ:イエス様はまことのぶどうの木です
 (1)「わたしはまことのぶどうの木であり」イエス様は「まこと」なるお方です。偽り・にせものが多くあります。偶像崇拝がなされています。イエス様を信じる信仰によって救われます。まことなるイエス様に目を向けていくことができますように。いのちに至る狭い門から入らせください。

Ⅱ:父なる神は農夫です
 (1-2)「わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多くの実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」ぶどうの木が実を結ぶためには剪定、刈り込みが必要です。信仰生活も同じです。神様は私たちがもっと多くの実を結ぶために不必要なものを刈り込まれます。

Ⅲ:わたしたちは枝です
 (5)「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」枝が木につながっているときに多くの実を結びます。聖書を読み、祈り、交わり証しを通してイエス様につながり、イエス様からの供給をいただき多くの実を結ぶ者でありますように。神様にご栄光を帰しキリストのしもべ・弟子として豊かにお用いください。
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