経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

9月23日聖日礼拝

2012-09-24 10:38:11 | 礼拝
聖書:創世記18:16-33
メッセージ:“滅ぼすまい。その十人のために”

Ⅰ:神の葛藤
(20-21)「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行っているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」
 神は罪をうやむやにはなさいませんが、人が滅びることを望まれません。そのために、神は一人子イエス・キリストを、人の罪の身代わりとして十字架にかけられました。

Ⅱ:とりなしの祈り
(32)「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」
 アブラハムはソドムに住む甥のロトを何としても救い出したいと考えました。私たちも大切な人、愛する人の身に危険が迫っていたらどうするでしょう。彼らのために、神様に立ち返るよう祈りましょう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月16日 敬老の日礼拝

2012-09-17 11:01:06 | 礼拝
聖書:詩篇71:9-20
メッセージ:“神は力強い避け所”

Ⅰ:奇跡をもって導かれる神
(7)「私は多くの人にとっては奇跡と思われました。あなたが、私の力強い避け所だからです。」
 詩編の記者は若い時から神に望みをおき、信頼してきました。様々な試練を通りましたが、不思議にも御手の内に守られてきました。

Ⅱ:年老いても見放さない神
(9)「年老いた時も、私を見放さないでください。私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください。」
 神は年老いても見放さず、(イザヤ46:3-4)彼を背負い、運び出してくださいます。

Ⅲ:賛美し語り伝えます
(20)「あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。」
(14-15)「いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。私の口には一日中、あなたの義とあなたの救いを語り告げましょう。」
 主の恵みに感謝し、主をほめたたえ、証しする生涯へと導きください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月9日聖日礼拝

2012-09-12 15:11:31 | 礼拝
聖書:ルカ7:36-50
メッセージ:“赦され、愛されるニーズ”(ふちのべコミュニティーチャーチ 阿部知幸師)

Ⅰ:愛ある行いの背景
(37-38)「その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持って来て、泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。」
 赦されて、愛されて初めて、愛することができるようになります。

Ⅱ:赦されるニーズを認めること
(47)「この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」
 パリサイ人は主にあって赦されるニーズを認めることができませんでした。ありのままの自分(欠点・弱さ・罪)を見て、ニーズを認め、赦されることが必要です。

Ⅲ:ニーズを満たす
 この女性はイエス様のもとに行き、赦され、愛され、イエス様を愛するに変えられました。イエス様は私たちを愛し、身代わりとなり十字架にかかり死んでくださいました。イエスさまとつながり、愛と赦しをいただき、受ける者から与える者としてくださいますように。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月2日聖日礼拝

2012-09-04 14:11:53 | 礼拝
聖書:創世記18:1-15
メッセージ:“主に不可能なことがあろうか”

Ⅰ:三人の訪問者
(1-2)「主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れた。彼は日の暑いころ、天幕の入口にすわっていた。彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。」
 三人の旅人がアブラハムを訪れます。アブラハムは彼らが誰だか分からずに食事を作りもてなします。その中の一人は主ご自身でした。普段の生活の中で、人との交わりを通して、主との出会いを経験させていただきます。

Ⅱ:主の可能
(13-14)「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに。』と言って笑うのか。主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」
 サラの不信仰を指摘します。常識で物事をとらえ、神の可能性を小さく見積もってしまいがちです。人の力には限りがありますが、神の力は無限大です。不可能を可能としてくださるお方を信頼し、お委ねしていきましょう。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする