経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

5月29日 聖日礼拝

2016-05-31 21:40:03 | 礼拝
聖書:使徒の働き9:1~22
メッセージ:「目からウロコ」 相模原グレースチャペル 阿部信夫師

1.迫害者サウロの熱心
クリスチャンを迫害することこそ、彼が信じる唯一の主なる神に対する忠誠であると心から信じての行動であった。しかし、ステパノの死に方が、パウロにショックを与えていた。それに続くクリスチャンの死も。落ち着き、しかも讃美歌を歌いながらという姿に心を揺さぶられていた。堅い岩をハンマーでたたき続けて見えないひびが入り、最後の一撃で見事に割れるように、彼の心は打たれつづけていた。

2.目からウロコ
“人生は出会いによって決まる”のごとく、最後の一撃は、イエス様との出会いであった。今、目の前におられるのはまさに主なる神。それは、サウロにはっきりわかった。しかし、まさか、イエス様が、そのお方であるとは全く考えたこともなかった。大混乱。そのショックの故に目が見えなくなったと思われる。アナニヤとの出会いによってまさに目からウロコが落ち、イエス様こそ、主なる神、自分はとんでもない勘違いをしていたと悟り、悔い改めて、クリスチャンとなった。私達は、これほど劇的ではなくても、まさに、目からウロコが落ちて、イエス様を信じることが出来た一人一人です。そのイエス様が、私たちにしてほしいと望んでおられることをしていこう。

3.迫害者サウロを受け入れた人
迫害者サウロがクリスチャンなったとはそう簡単に信じられることではない。しかしアナニヤは、イエス様の御声を聞き、信じてサウロに会い、「兄弟サウロ」と呼びかけた。その行動が、サウロの心に敵さえ赦すキリストの愛を感じさせた。この後アナニヤは聖書に登場しません。しかし、アナニヤの存在はとても大きい。大伝道者パウロを生むことになったのですから。私達はパウロのような働きはできなくても、アナニヤのような働きは出来るかもしれません。暖かい言葉、小さな親切、それは決して小さなことではない。「私の兄弟の最も小さな一人にしたのは私にしたのです。」とイエス様が言われるのですから。
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5月22日 聖日礼拝

2016-05-23 18:53:44 | 礼拝
聖書:ヨハネ14:16~27
メッセージ:“主の平安”
特別音楽:シューベルト即興曲 作品142-3

(27)「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」

1.共にいます平安
(16)「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」
 「もうひとりの助け主」とは、援助のためにそばにいて執り成してくださるお方です。助け主なる聖霊は、いつも私たちと共にいてくださいます。

2.愛されている平安
(21)「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、私を愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、私自身を現します。」
(23)「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」
 「わたしの戒め」とは、互いに愛し合うことです。互いに愛する者と共に神はいてご自身を現されます。私たちは神様に愛されています。

3.いのちが与えられている平安
(1~4)「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」
 父なる神は天の御国に私たちの場所を備えていてくださいます。罪赦され、永遠のいのちの希望が約束されています。不安や恐れから守りイエス様の平安で満たしてください。 
 
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5月15日 ペンテコステ礼拝

2016-05-17 09:03:51 | 礼拝
聖書:使徒の働き2:36~47
メッセージ:“教会の誕生”
特別賛美:シャルル・グノー「荘厳ミサ」より“サンクトゥス”

1.聖霊の降臨
(2:1-4)「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みな聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話し出した。」
 主の約束通り、弟子たちの上に聖霊が降りました。聖霊は主イエスを信じる者のうちに豊かに注がれています。

2.聖霊は罪を自覚させます
(36~38)「ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。』と言った。そこでペテロは彼らに答えた。『悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」
 聖霊は罪の自覚をもたらします。主イエス様の十字架を仰がせ罪をお赦しください。聖霊で満たしてください。

3.聖霊は愛を増し加えます
(44~47)「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」
 初代教会の人々は互いに仕え合い、温かい教会生活がなされていました。御霊の実が結ばれ、愛のうちに教会が建てられていきますように。
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5月8日 母の日礼拝

2016-05-10 11:14:18 | 礼拝
聖書:Ⅱテモテ1:1~7
メッセージ:“母の祈り”
特別賛美:男声コーラス

1.愛するテモテへ
(2)「愛する子テモテへ。父なる神および私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。」
(3~4)「私は、夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こしては、先祖以来きよい良心をもって仕えている神に感謝しています。私は、あなたの涙を覚えているので、あなたに会って、喜びに満たされたいと願っています。」
 パウロはテモテを実の子どものように愛しました。愛する家族、愛する神の家族が与えられていることを感謝します。祈りに覚えていきます。

2.純粋な信仰の継承
(5)「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。」
 パウロはテモテのうちに祖母と母からの信仰が宿っていることを確信しました。愛する家族・友人に信仰の遺産が継承されていきますように。

3.力と愛と慎みとの霊
(6,7)「私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」
 臆することなく、力と愛と慎みとの霊で満たしてください。そして主を証しし福音のために用いてください。
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5月1日 子どもの日礼拝

2016-05-02 14:28:56 | 礼拝
聖書:マタイ14:13~21
メッセージ:“五つのパンと二匹の魚”
特別音楽:ヘンデルのアリア

1.主は信仰をためされます
(15~16)「夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。『ここは寂しい所ですし、時刻ももう回っています。ですから群衆を解散させてください。そして村に行ってめいめいで食物を買うようにさせてください。』しかし、イエスは言われた。『彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。』」
 さまざまな問題は喜ばしいことではないですが、私たちに忍耐を生じさせ信仰を成長させてくださいます。

2.主は不可能を可能とします
(19~21)「そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群集に配った。人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった。」
 人には限界があり、どうしようもできない時、私たちは不可能を可能とする力ある神に目が向けられていきます。

3.主は信仰によって可能とします
(17~18)「しかし、弟子たちはイエスに言った。『ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。』すると、イエスは言われた。『それを、ここに持って来なさい。』」
 わずかなものでも、それをイエス様のもとに持っていくならば、大きな祝福へと変えてくださいます。
(ルカ17:6)「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ』と言えば、言いつけどおりになるのです。」
 からし種のような小さな信仰でも、主は大きな御業を現してくださいます。自分で抱えるのではなくイエス様に祈りお委ねいたしましょう。
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