経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

5月22日 聖日礼拝

2011-05-23 10:19:17 | 礼拝
聖書:ヨハネ21:1-14
メッセージ:“右側に網をおろす”

Ⅰ:主を見失った弟子たち
(3)「『私は漁に行く。』『私たちもいっしょに行きましょう。』彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。」
 弟子たちは漁のプロでしたが、イエス様を見失い、失意・喪失感のなか漁に行っても何も取れませんでした。

Ⅱ:みことばに立ちます
(6)「『舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。』そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。」
 イエス様が言われる通りにすると大きな魚が網いっぱいに取れました。右側に網をおろすとは、聖書のみことばに立ち、みことばを信じお従いしていくことです。

Ⅲ:みことばはいのちを与えます
(9)「こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。」
(12)「さあ来て、朝の食事をしなさい。」
 主は先に弟子たちのために食事を用意され、疲れ切った弟子たちを力づけました。体が毎日食事を必要とするように、心とたましいもいのちの糧を必要としています。日々みことばによって、心の渇きがいやされ、まことのいのちに生かされますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月15日聖日礼拝

2011-05-17 10:58:21 | 礼拝
聖書:ヨハネ11:17-27
メッセージ:“わたしはよみがえりです。いのちです”

Ⅰ:神のご計画
(17)「それで、イエスがおいでになってみると、ラザロは墓の中に入れられて四日もたっていた。」
主は愛するラザロが病気という知らせを聞いても、ベタニアになお二日とどまられました。彼の病気は死で終わるのではなく、神の栄光が表わされるため、人々が信じるためでした。理解を越えてどうしてと思えるようなことの中にも、神のみこころがあることを信じていきます。

Ⅱ:いのちを与える主
(25-26)「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
 死んだらどうなるのでしょうか。この世での死で終わりではなく、その先に永遠の世界があることを聖書は示しています。信じる者は永遠のいのちを賜ります。

Ⅲ:涙を流す主
(35)「イエスは涙を流された。」
(36)「ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか。」
 主は人の罪のために身代わりとなって十字架にかかられ、永遠のいのちのためによみがえられました。主は涙するほどに、私たちを愛し、人を苦しめている罪を悲しまれます。イエス様の愛に応え、いのちに生かされますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月8日 母の日礼拝

2011-05-09 11:02:23 | 礼拝
聖書:出エジプト20:2;12-17
メッセージ:“あなたの父と母を敬え”

(12)「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」
父母を敬うことは、良い人間関係、幸せに生きていくための大切な土台です。神様と人を愛する幸いな歩みへとお導きください。

(民数記6:24-26)「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。」
 お母さんの上に、ご家族の上に神様の祝福が豊かにありますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月1日 こどもの日礼拝

2011-05-03 19:50:38 | 礼拝
聖書:ヨハネ20:24-31
メッセージ:“見ずに信じる者の幸い”

Ⅰ:仲間といっしょにいるトマス
(26)「八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。」
 弟子のトマスだけが、イエス様のよみがえらりを信じることができなかったが、今度は仲間と一緒に居続けました。
(ヘブル10:25)「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」
 キリストの体なる教会から離れずに、絶えず交わりの中を歩み、互いに励まし合っていきます。

Ⅱ:トマスにご自信を現すイエス
(27)「それからトマスに言われた。『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。』」
 トマス一人のためにご自身を現し、十字架にかかられた跡を示され優しく語られます。トマスは主の深い愛に触れ「私の主。私の神。」と告白します。主の愛のうちに信じる者とさせてください。

Ⅲ:見ずに信じる幸い
(29)「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
 目で見て手で触って信じるよりも、目に見えない神様、復活された主を、聖書を通して信じることが幸いです。
(31)「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」
 聖書のことばはまことのいのちを与えてくださいます。みことばによって豊かな信仰生活へとお導きください。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする