創世記28章10~22節 「ヤコブの旅立ち」
ヤコブは父をだまして兄を出し抜くという行為の報いとして、故郷カナンと家族を離れることを余儀なくされますが、この旅をきっかけとして、神と出会い、神との関係が大きく変化していきます。ヤコブは今、住み慣れたベエル・シェバを後にしてハランへと旅立ちます。一人旅の上に兄との確執や父母との別離など複雑な思いがあったことでしょう。ヤコブはこれまでは父イサクのもとで何一つ不自由のない生活を送っていました。しかし今や、ヤコブは一人になって不安と恐れ、心細さと孤独をかみしめながら、600キロにもなるハランへの旅を続けなくてはなりませんでした。孤独な荒野の旅路で、ヤコブは自分が父や兄にしたことに向き合わされ、これからどうなるのかと不安に思っていたことでしょう。日が沈んできた頃、ある場所にたどり着いたので、そこで一夜を明かすことにしました。彼はその場所で石を取って枕にし横になりました。暗闇の中、獣に襲われるかもしれず危険なことでした。ヤコブは自分の孤独と無力さとを痛感させられたに違いありません。不安な気持ちも湧いてきたでしょう。それでも疲れ切っていたヤコブはいつしかぐっすり眠ってしまいました。
(12)その夜、彼は不思議な夢を見ました。一つのはしごが天から地面に向けて下りていて、その頂は天に届いていました。そして、そのはしごの上を神の使いたちが上り下りしていました。この光景は、地は限りなく天に結ばれていて、神のみわざが天においてだけでなく、地上でもなされ続けていることを表しています。印象的な光景を見せながら、神はヤコブの傍らに立って語りかけます。「約束の地をあなたとあなたの子孫に与え、子孫は地のちりのように多くなり、すべての部族はあなたとあなたの子孫によって祝福される」と。兄エサウの空腹の時に奪い取った長子の権利、母の手引きにより父をだまして受けた祝福、本当に自分は祝福を受け継ぐ資格があるのかと疑ったかもしれません。しかしこの時、ヤコブが、神の祝福の継承者であることが、他でもない神ご自身によって宣言されたのです。(15)「見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」ヤコブは主のことばを聞いてどんなに慰められたことでしょう。彼が抱いていた不安と恐れは消え去りました。
(16)ヤコブは眠りから覚めた時、「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」と告白します。主はベエル・シェバの父の所に、あの祭壇の傍らだけおられると思っていました。しかしヤコブは今、この旅路の中に主が共におられることを知ったのです。ヤコブはこの主の臨在に触れた時、恐れおののきました。(17)「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」誰も住んでいないと思われた荒野は、実は「神の家」でした。それ以前は、孤独を恐れ、不安におののいていましたが、今は聖なる主を前にして恐れおののいたのです。ヤコブは翌朝早く起きます。彼は主の臨在の体験を記念して、枕にしていた石を立てて石の柱とし油を注ぎました。そしてその場所の名をべテル、つまり「神の家」と名づけました。それからヤコブは誓願を立てて応答の祈りをします。そして自分に現れてくださった神に対して捧げものをすると約束しました。私たちもまた地上を旅する小さな旅人です。しかしインマヌエルなるお方がいつも共にいて旅路を守ってくださいます。生涯必要なものを備え養い育ててくださいます。そしてやがて旅路の終わりへと完成させてくださいます。日々、自分に語られる主のみ声を聞き、その御声に応答して祈る者とさせてください。あなたの絶えざる恵みにお答えしていけますように。