出エジプト記1章15節~2章10節 「モーセの誕生」
ヨセフはエジプトで宰相となり、父ヤコブと兄弟たちをエジプトに呼び寄せました。その後イスラエル人はエジプトで増えていきました。ヨセフたちが世を去ってからも、神はイスラエルを祝福し民を増やされたのです。しかし、この時代に多くのイスラエル人は、先祖たちが保っていた純粋な信仰を失い、エジプト人の偶像崇拝に妥協するようになってしまったようです。 (8)やがて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こりました。すると、エジプト王ファラオはイスラエル人が力を持つことを恐れ、彼らの勢力を弱めようと、彼らを奴隷にして過酷な労働をさせるようにしました。しかし、苦しめれば苦しめるほどイスラエルの民はますます増え広がっていきました。またそればかりではなく、エジプトの王は、へブル人の助産婦たちに、へブル人の男の子が生まれた時には直ちに殺すようにという命令を下しました。(17)「しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはしないで、男の子を生かしておきました。」なぜなら、彼女らは、自分たちの国を支配する王よりも、生きて働かれる神を恐れたからです。そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼んで(18)「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」と怒りますが、助産婦たちは上手に言い訳をして、自分のいのちをかけてまでも王の命令に従いませんでした。それゆえ、神はこの助産婦たちを大いに祝福され、イスラエルの民は非常に増え、強くなりました。そこでファラオは、分娩の時に殺すことができないなら、生まれた後でナイル川に投げ込むように命じたのです。
その頃、あるイスラエル人の夫婦に男の子モーセが生まれます。モーセはこのような危機的な状況の中で生まれました。両親はもちろん王の命令を知っていましたが、かわいい赤ちゃんを川に投げ込むことはできませんでした。彼らも王よりも神を恐れたのです。3か月間はどうにか隠すことができましたが、もうこれ以上隠しきれないと判断すると、赤ちゃんを籠に寝かせナイル川の葦の茂みに置きました。それは、決してあきらめと絶望のうちに流したのではなく、神様の守りに信頼してお委ねしたのです。彼らは、「どうかこの子を助けてください」と必死に祈り続けたことでしょう。 (5)すると、神は彼らの祈りに答えてすばらしいことをなさいました。ちょうどその場所に、ファラオの娘が水浴びをしようとナイル川に下りてきました。 (6)籠を開けてみると、男の子が泣いていたのです。彼女はその子を見た時に、へブル人の子どもであると分かりましたが、「かわいそう」と思ったのです。神は彼女の心にその子をあわれむ心を与えられました。その様子をずっと見ていた姉のミリアムはとっさに飛び出していき、大胆にも (7)「私が行って、あなた様にへブル人の中から乳母を一人呼んで参りましょうか。あなた様に代わって、その子に乳を飲ませるために。」と提案すると、王女はその提案を快く受け入れます。ミリアムは大急ぎで家に戻り、母を連れてパロの娘のもとに戻って来ました。それで、母親は、エジプトの王女からの支援も受けながら、男の子に乳を飲ませて育てることになります。やがてその子が大きくなった時、母はその子をパロの娘のところに連れて行きました。そして、王女の息子となり、「モーセ」と名づけられ、将来イスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放する、引き出すリーダーとして立てられていくのです。このように、安逸な暮らしの中で偶像崇拝にのめり込みかけていたイスラエル人は、この苦しみの中で、まことの神に向かって叫ぶようになり、やがてはすばらしい神の力による解放を体験するようになるのです。「荒野で恵みを見出す。」(エレミヤ31:2)とあるように、このような荒野の中でこそ、神様に祈り、叫び求めてすばらしい恵みを見出すことができるのです。日々、主に助けを求めていけますように。日々主の恵みが私たちを支えてくださいますように。