経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

9月25日 聖日礼拝

2016-09-26 13:50:12 | 礼拝
聖書:創世記12:1~9
メッセージ:“あなたの名は祝福となる”
特別音楽:ヘンデル“オルガン協奏曲変ロ長調より2,3楽章”


1.神の祝福の約束

(1~3)「主はアブラムに仰せられた。『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。』」
 神はアブラムを選び、彼とその子孫を通して全民族を祝福しようと計画されました。「あなたの名は祝福となる」は、他の訳ですと「あなたは祝福の基となるであろう」と訳されています。アブラムとその子孫を通して神の祝福が届けられます。神はアブラムと契約を結び、みことばをもって神の祝福を約束されました。

2.信仰により旅立つアブラム

(4~5)「アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、ハランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。」
(へブル11:8)「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」
 アブラムたちは神を信じ信仰により旅立ちました。目に見える所ではなく、神のみことばを信じて行きました。私たちの旅路もこの先どうなるのか、どこに向かっているのか知ることができませんが、アブラムの信仰に習い、信仰によって踏み出してまいりましょう。

3.カナンで祭壇を築くアブラム

(6~8)「アブラムはその地を通って行き、シュケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。そのころ、主がアブラムに現れ、そして『あなたの子孫に、わたしはこの地を与える』と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。」
 到着したカナンという土地も、カナン人が住み偶像礼拝が行われていました。アブラムは行く場所、場所において祭壇を築きました。私たちもまた遣わされている中で、祭壇を築いていきます。
 マザー・テレサはインドの貧しい人たちを助け、誰にも顧みられず孤独な最後を迎える人たちに寄り添いました。彼女の働きは今全世界に及んでいます。日本では「人々は何不自由なく生きているように思えるけれども、心の飢えを持っている人たちがたくさんいるでしょう。誰からも必要とされず、誰からも愛されていないという心の貧しさ、それは一切れのパンに飢えているよりももっとひどい貧しさじゃないかと、わたしは思うの。」(「マザー・テレサ あふれる愛」沖守弘著)とマザーは言われます。
 私たち一人ひとりがそれぞれ遣わされた場所で祭壇を築き、人々に仕え、祝福を取次ぐ者とされていきますように。
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9月18日 敬老の日礼拝

2016-09-20 09:08:10 | 礼拝
聖書:Ⅱコリント4:16~5:5
メッセージ:“内なる人は日々新たに”
特別音楽:モーツァルト“ピアノソナタ10番”


1.内なる人は日々新たにされる

(16)「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」
 年齢とともに体は衰えていきますが、心とたましいは日々信仰によって新たにされます。「あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」(詩篇103:5)神様はあなたに祝福を与え続け一生を良いもので満たされます。それゆえあなたの若さは鷲のように新しくされます。
 クリスチャンドクターの日野原重明先生は、104歳で今もお元気で活躍されています。毎日充実した日々を過ごすために「3つのV」を紹介しています。1つ目のVは「ビジョン(Vision)」です。ビジョンを描き、将来の目標、ゴールを立てることです。2つ目のVは「ベンチャ ー(Venture)」です。勇気ある行動、チャレンジして実際の行動に移します。3つ目のVは「ビクトリー(Victory)」です。成功、成し遂げることです。たとえ小さなことでも目標を掲げ、その実現のために挑戦し、成し遂げることです。年齢とともに体は衰えていきますが、気持ちはいつも元気でありたいと願います。


2.今の患難は永遠の栄光をもたらす

(17)「今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。」
 今受けいている患難は、将来において重い永遠の栄光をもたらします。この地上で受ける患難が大きければ大きいほど天において受ける栄光は大きいからです。ここでの患難はこの世と調子を合わせず妥協しない時に受けるものです。
 イエス様は山上の説教で言われました。
(マタイ5:10~12)「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。」
 今の時の軽い患難は、後に重い永遠の栄光をもたらという約束の希望を信じて歩む者とさせてください。


3.見えないものにこそ目を留める

(18)「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」
 永遠に続く目に見えないものとは何でしょうか。聖書には「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。」とあります。神様を見ることができませんが、信仰の目で見ることができます。この地上のいのちには限りがありますが、永遠のいのちの希望が与えられています。そして神の愛はいつも私たちに注がれているのです。私たちは見えるものにではなく、永遠に続く見えないものに目を留めていきます。
 戦国時代のキリシタン大名、高山右近も見えるものよりも見えないものに望みを置いた人でした。彼は21歳の頃、高槻城主となり、城下町を整備する一方、20を超える教会を建設します。当時人口2万5千人のうち、7割強がキリスト教信者であったとも言われています。さらに織田信長や豊臣秀吉に仕え、黒田官兵衛や蒲生氏郷といった武将なども入信に導きました。武将としての才も長けており、明智光秀との山崎合戦では、秀吉方の先鋒として活躍します。また文化人としての教養も高く、茶の世界では千利休の弟子の一人に数えられています。
 しかし一方、右近の生涯は試練の連続でもありました。1587年、秀吉により伴天連追放令が発令されます。これにより多くのキリシタン大名が棄教する中、右近は信仰を守ることを引き換えに領地と財産をすべて捨てることを選びます。以後26年にわたる放浪と追放の日々が始まります。その後1614年、徳川幕府によりキリシタン禁教令が発令され、国外追放を命じられて一家とともにマニラに向かい、そこで病に倒れます。このように地位も名誉も国も失いましたが、彼は最後まで信仰を捨てることはありませんでした。
 現代に生きる私たちもまた、右近の生きた時代とは違いますが、信仰の様々な葛藤や戦いの中にあります。私たちも主の助けをいただき、いつまでも続く見えないものにこそ目を留めていく者とされますように。
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9月11日 聖日礼拝

2016-09-11 20:57:25 | 礼拝
聖書:ルカ15:11~24
メッセージ:“赦しにある希望” (ふちのべコミュニティ-チャーチ 阿部知幸師)
特別音楽:ヘンデル“オルガン協奏曲変ロ長調より一楽章”


1.率先して赦しに関わること

 この今日の聖書箇所では、神様が私たちをどのように赦して下さるかが父親の姿を通して描かれています。父親は、失礼極まりない弟息子にも、信じられないほどに寛大な赦しの愛をもって接しています。父親が亡くなる前に相続財産を求めた弟息子は旅立ち、財産をすっかり使いきり、無一文になった惨めな状態で父のもとへ帰ってきます。その弟息子を、父親は真っ先に見つけて走り寄り、抱きしめ、口づけして迎えました。「かわいそうに思って」とあるように、愛情と同情の思いから、いてもたってもいられず、なりふりかまわず迎えに行きました。
 この父親は赦しのイニチアチブをとりました。イニチアチブとは率先して物事に取り組むといった意味です。イエス様は十字架にかかった時に、自分を無実の罪で傷つけ、十字架にかけ、まったく悪びれる様子もない人たちを前にして、「父よ。彼らをおゆるし下さい。彼らは何をしているのか分からないのです」と赦しを求めて祈られました。イエス様は、予め、赦しを準備して下さっているのです。またコロサイ人への手紙には、「私たちは赦します。なぜなら、神が私たちを赦して下さったからです。」(コロサイ3:13)とあります。率先して赦して下さった神様に倣い、私たちも率先して赦す者となるようにと聖書は教えています。


2.赦しには犠牲が伴うことを覚えておく

 そして、イエス様からの赦しをいただいている者として、忘れてはならないことがあります。それは、その赦しには多大な犠牲が払われているということです。真の赦しには犠牲が伴います。赦しは決して安っぽいものではなく、非常に大きな犠牲の上に成り立つものです。この父親は、弟息子によって、経済的、社会的ダメージを受け、損害賠償を請求しても良い立場にありましたし、弟息子も父親の下に帰る前に、召使いとして働くという計画を立てていました。しかし、父親は弟息子が帰って来た時に、それらを弟息子には負わせないという選択をしました。損害は父親、そして兄息子が代わりに負うことになったのです。このようにして弟息子が赦されるためには多大な犠牲が払われました。これこそイエス様が私たちのためにしてくださったことです。罪のないイエス様が私たちの罪を背負って十字架にかかると言う大きな犠牲を払って下さったのです。


3.神の下に帰り、神との関係を楽しむ

 この話は放蕩息子と呼ばれているので、放蕩をした弟息子が注目されやすいのですが、実はこの兄息子の中にもイエス様は色んなメッセージを込めておられました。この話の中で父の下からいなくなっていたのは弟息子だけでなく、兄息子も含まれています。弟息子は物理的にお父さんの下を離れて行きましたが、兄息子も体はそこにあっても、心はお父さんから離れているような状態でした。お父さんと一緒にいることを楽しむことなく、喜ぶことなく、ただ義務感から一緒にいて家の仕事を手伝っていました。ですから、兄もお父さんを悲しませていたことになります。そして、兄の問題は自分で自分を正しいとしていたことです。これは私たちも気をつけたいことです。イエス様の大きな犠牲によってのみ救われ義とされている私たちなのですが、いつの間にか自分の正しい行ないによって自分は正しいと思ってしまう誘惑があるのです。救われた時の喜び、イエス様への感謝や喜びも、時間が経つと薄らいでしまって、神様との関係が形式的なものになり、更には義務的なものになりかねないのです。神様との関係を楽しむという本来のあり方から外れ、神様の下からいなくなっている状態です。だからこそ、福音に立ち返る必要があるのです。自分が赦されるためにイエス様がどれだけの犠牲を払って下さったかを覚え、そのイエス様に赦しの力を求めて祈り続けるならば、自分では出来ないこともイエス様が可能として下さいます。神の赦しに生き、赦しを行ない、赦しにある希望をこの世で輝かせる私たちでありたいと思います。

(参考図書:「放蕩する神」)
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9月4日聖日礼拝

2016-09-05 14:42:17 | 礼拝
聖書:Ⅱコリント12:7~10
メッセージ:“わたしの恵みはあなたに十分”
特別賛美:“主イエスの歩いた道 他”植木朋子先生(お茶の水聖書学院教会音楽科講師)

1.肉体のとげ
(7~8)「また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないようにと、私を打つための、サタンの使いです。このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。」
 パウロには神からのすばらしい啓示が示されましたが、そのために高ぶることがないようにと肉体に一つのとげが与えられました。「肉体のとげ」とは何なのかはっきりとはわかりませんが、目やてんかん性の病気など肉体的な弱さや苦痛とも言われています。パウロはこのとげを去らせてくださいと三度願いますが取り去られることはありませんでした。このことがなければもっと自由に活動に専念できたのでしょう。

2.主の力は弱さのうちに現れる
(9~10)「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」
 取り去られるように祈ったのに、しかし主は「わたしの恵みは、あなたに十分。」と言われました。なぜなら主の力は弱さのうちに完全に現されるからです。パウロはキリストのために弱さや苦痛を受け入れ、さらにキリストの力が自分をおおうために弱さを誇りとします。

 瞬きの詩人で知られる水野源三さんは、長野県に5人兄弟の次男として生まれます。終戦後、集団赤痢が発生し、当時小学4年生だった源三さんも病気にかかり脳性麻痺に冒されてしまいます。それ以後、見る、聞く以外は何もできない重い生涯を負った彼は寝たきりの生活を余儀なくされます。あらゆる治療の効果もなく、数年が過ぎた頃、一人の牧師が彼のもとを訪ねるようになりました。自らも進行性筋萎縮症病を負ったその牧師が語る聖書の話に、源三少年は徐々に耳を傾けるようになっていきます。希望もなく渇いていた心に、聖書のことばが命の水となって注がれ、明るさを取り戻し、1950年12月に洗礼を受けます。
 彼が詩作を始めたのは18歳の頃でした。お母さんが指す50音表の文字を見ながら、「はい」のときは目をつぶるという意思表示によって詩をつくりました。お母さんとの二人三脚の詩作でした。やがて、キリスト教の雑誌にぽつぽつと投稿した作品が取り上げられるようになり、世に知られるようになります。1975年、初めての詩集「わが恵み汝に足れり」が刊行され、それ以後4つの詩集が刊行されました。これらの詩集は多くの人たちに慰めと希望を与え続けています。そのうちの一つをご紹介します。
 
「悲しみよ悲しみよ 本当にありがとう お前が来なかったら つよくなかったなら 私は今どうなったか 悲しみよ悲しみよ お前が私を この世にはない大きな喜びが かわらない平安がある 主イエス様のみもとにつれて来てくれたのだ」   
                                  (「私は私らしく」いのちのことば社フォレストブックスより)

 源三さんは耐え難い程の悲しみの中にありましたが、その中でイエス様に出会い、生きる望みが与えられ、彼の人生は大きく変えられました。私たちも傷を受け弱さがありますが、主は私たちの弱さに働かれ、ご自身の力を現されます。すべてを宝に変え、私たちを通して主の栄光が現されていきますように。「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」
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