経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

6月26日 聖日礼拝

2016-06-28 09:21:36 | 礼拝
聖書:ヤコブ2:14~26
メッセージ:“力ある生きた信仰”

1.信仰は行いと共に働きます
(14)「私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。」
 信仰と行いとは矛盾するものではなく、互いに補い合うものであり、信仰は行いと共に生きて働きます。行いを通して信仰が全うされます。

2.信仰は愛と共に働きます
(19)「あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。」
 悪霊でさえ神がいることは信じています。しかしその信仰は知的理解にとどまり、恐れからの信仰です。生きた信仰は神を愛することを伴います。
「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(マタイ22:37)
 愛する人のために、喜ばせようと、一緒に過ごし、手伝いをしたり、プレゼントをしたりします。なぜなら愛しているからです。イエス様をどのように愛するでしょうか。生きた信仰は愛することであり、愛と共に働きます。

3.信仰は試練と共に働きます
(21~23)「私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行いによって義と認められたではありませんか。あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、そして、『アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた』という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。」
 生きた信仰は試練と共に働きます。アブラハムは信仰によって義とみなされましたが、その後、息子のイサクを捧げるという大きな試練に遭いました。
 意味のない試練や苦しみはないと言われます。試練をどうようにしたら解決できるかも大切ですが、それ以上に、その意味するところは何なのか、そこから何を学ぶのかが大切であると言えます。ただ我慢して耐えるというのではなく、前向きにとらえ、神のみこころを知ることができますように。
 
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6月19日 父の日礼拝

2016-06-20 18:28:38 | 礼拝
聖書:ヤコブ2:1~13
メッセージ:“愛の実践”
特別賛美:女声コーラス

1.人を偏り見ない
(1)「私の兄弟たち。あなたがたは私たちの栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしてはいけません。」
(5)「よく聞きなさい。愛する兄弟たち。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。」 
 父なる神は公平で、人をみな大切な存在としています。えこひいきするお方ではありません。私たちも人を偏り見ることがないようにしてください。

2.最高の律法を守る
(8)「もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いはりっぱです。」
(マタイ7:12)「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり、預言者です。」
 父なる神は愛ですので、私たちは互いに愛し合います。報いを求めず、自分がしてもらいたいことを他の人にもしていけるように助けてください。
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6月12日 聖日礼拝

2016-06-14 17:50:37 | 礼拝
聖書:ヤコブ1:19~27
メッセージ:“みことばを実行する人”
特別音楽:シューベルト「即興曲作品90-3」

1.怒るにおそい
(19~21)「愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。」
 みことばを実行する人は怒るに遅い人です。人の怒りは神の義を実現するのに妨げとなります。

2.自分を欺かない
(22~24)「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」
 みことばを実行する人は自分を欺かない人です。自分を欺いて正しいとする時ただみことばを聞き流すだけになってしまいます。みことばは自分の心を映す鏡であり心に深く留めていきます。

3.主イエスを愛する
(26~27)「自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。」
 みことばを実行する人は主を愛する人です。主の愛の業に励みます。
(マタイ25:35~36)「あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。」
(25:40)「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」
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6月5日聖日礼拝

2016-06-06 09:53:45 | 礼拝
聖書:ヤコブの手紙1:1~12
メッセージ:成熟したクリスチャン-試練に耐える人-
特別賛美:バッハ「幻想曲とフーガト短調より幻想曲」

1.完全な者となります
(2~4)「私の兄弟たち。さまざまな試練に会う時は、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」
 試練に耐える人は、成長を遂げた完全な者となります。「完全」とは、霊的大人、成人を意味しています。神は私たちが成熟したキリスト者となることを望んでおられます。

2.神の知恵を求めます
(5~6)「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。」
 試練に耐える人は、知恵を求めます。「知恵」とは、人間的な知識ではなく、神の知恵です。試練にぶつかる時、その意味や目的また対処方法など知恵が必要です。疑わずに信じて願い求めます。

3.いのちの冠を受けます
(9~10)「貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。なざなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去っていくからです。」(12)「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」
 たとえこの世での境遇が貧しくても、天においてはキリストにあって高い身分が与えらていることを誇りとします。試練に耐える人は幸いです。神を愛する者に約束されたいのちの冠を受けます。主の栄光があらわされますように。
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