経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

2月23日「みことばを聞く祝福」

2020-02-24 11:17:11 | 礼拝
聖書:ルカ10:38~42

 旅の途中、イエス様とその弟子たちがベタニアという村に入られるとマルタという女性が一行を迎え入れました。お客をもてなすためにその準備に取りかかりました。マルタにはマリアという姉妹がいましたが、マリアは主の足もとに座って主のことばに聞き入っていました。マルタは忙しく接待し、マリアは主の足もとに座って熱心に主の話を聞いていました。マルタは最初イエス様のために喜んでやっていましたが、いろいろとやることが多く、心が落ち着かなくなっていました。ついにマルタは何も手伝わないマリアのことが気になりだし、イライラが頂点に達して、イエス様に近寄って文句を言ってしまいます。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」「イエス様、あなたはわかっていない。」と言わんばかりに、不満と怒りをぶつけてしまいます。イエス様を喜ばせようとやっていたのに、逆にイエス様を非難することになってしまったのです。私たちも同じような経験をしたことがあるかと思います。自分はたくさんの仕事を抱えているが他の人はそうでもない、自分は毎日残業しているのに定時に帰る人を見る時にマルタと同じような気持ちになることがあります。マルタの不平に対して、イエス様はこのように言われました。 (41、42)「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」あなたはみことばを聞いているマリアからその機会を取り上げるほど多くのことを抱えすぎている、必要なことは一つ、その良い方をマリアは選び、彼女からそれが取り上げられることはないと言われました。イエス様はマルタの名前を呼び、マルタの逸れてしまった心を再び元に戻そうとされました。

 ある聖会に参加した時、エゼキエル書からみことばが開かれました。(エゼキエル36:26)「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」
 主は、新しい心、新しい霊を与える。石のような心を取り除き、柔らかい肉の心を与えると言われます。講師の先生は、石の心とはどのような心なのか、それは、自分のやり方でやるんだ、俺のやり方でやるんだという心であり、石のような心を砕いていただき、神に委ねていく、明け渡すときに、柔らかい肉の心が与えられると言われました。私の心にも明け渡さない、自分の思うようにやっている石の心があることに気づかされました。その時、また別のみことばが心に留まりました。(ガラテヤ2:19~20)「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」イエス様が優しく語りかけてくださったような気がいたしました。「古いあなたは私と共に十字架につけられた、あなたのうちには、私が生きているのです。今あなたが肉のからだにおいて生きているのは、あなたを愛し十字架にかかった私への信仰によるのです。」と。その時、再びイエス様の愛にお答えしていこうという思いが与えられました。

 「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱している。しかし、必要なことは一つだけです。」
主はマルタに語りかけたように、私たちにも語りかけてくださり、主は私たちをどんなに愛しておられるのか、私たちに何を望んでおられるかを示してくださいます。忙しい毎日の生活の中で自分の常識が心を占めて不満を抱いたり、人にいらだってしまうこともあることでしょう。思い煩って大切なことが見えなくなってしまうこともあるでしょう。しかし主は私たちに優しく語り、逸れてしまった心を呼び戻してくださるのです。
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2月9日「天の神に祈ってから」

2020-02-10 12:01:06 | 礼拝
聖書:ネヘミヤ記1:1~2:6

 ペルシア帝国の献酌官として仕えていたネヘミヤのもとに、ユダから彼の兄弟をはじめ数人の者が一緒にやってきました。そこでネヘミヤは捕囚されずにエルサレムに残された者たちの生活の様子について尋ねますと、エルサレムの城壁は崩され、門は火で焼き払われたままであり、周辺民族から辱めを受けて大きな困難の中にあることを聞かされます。それを聞いたネヘミヤは、座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈りました。「ああ、天の神、主よ。どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。」と呼び求めました。「私も私の父の家も罪を犯しました」とイスラエル民族の罪を自分の罪として悔い改め、「どうか、あなたのしもべモーセにお命じになったことばを思い起こしてください」と救いの約束に希望をおき、「どうか今日、このしもべに幸いを見させ、この人の前で、あわれみを受けさせてくださいますように」と王が私の願いを受け入れてくださるように祈りました。

 約4か月が過ぎ、ネヘミヤはいつもの通り王に仕えぶどう酒を差し上げていましたが、彼は気持ちが落ち込んでいたため王の方からことばがありました。「病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように沈んだ顔をしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」ネヘミヤは勇気をもって王にお答えします。「王よ、永遠に生きられますように。私の先祖の墓がある都が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして沈んだ顔をしないでいられるでしょうか。」すると王は「では、何を望んでいるのか。」と聞いてきました。その時ネヘミヤは、天の神に祈ってから「もしも王が良しとされ、このしもべにご好意をいただけますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある都へ遣わして、それを再建させてください。」とお答えします。「天の神に祈ってから」、それは王からすれば一瞬の沈黙であったかもしれませんが、ネヘミヤは天を仰ぎ、神の助けと導きを求めてから王に話しました。ネヘミヤはいつも祈っていたので、いざという時にもとっさに神に求めることができたのでしょう。ネヘミヤの城壁を再建する願いは聞き入れられ、ユダの地の総督という立場で遣わされ、その後12年間エルサレムに滞在することになります。

 ネヘミヤは王の献酌官でした。王宮の中でも高い地位にあり、王にも信頼されていました。彼は王宮で何の不足もない生活をしていましたが、彼の心はいつも故郷で苦しむ同胞の人たちの上にありました。彼は4か月の祈りの中で、神のみこころを求め、神の導きを待ち望んでいました。そしてその時が来た時に、「天の神に祈ってから」自分の心のうちにある願いを王に申し出ました。ネヘミヤにとって今の職を辞してエルサレムに赴くことは、王の信任を思う時に忍び難いことであったかもしれません。しかし、ネヘミヤは神を第一として、神のみ旨に聞き従っていこうとしたのです。私たちも人生の中で選択するときが何度かあります。その時、進む道に確信が与えられるように、神のみこころを祈りつつ神の導きを待ち望んでいきたいものです。
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2月2日 「大逆転」

2020-02-04 11:27:50 | 礼拝
聖書:エステル記6:1~11   

 ユダヤ人はハマンの策略により民族滅亡の危機に直面しますが、エステルはモルデカイの進言、「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」を受けて、自分の命を懸けて、自分の民族を救うために王の前に出ることを決意します。 (5:1)「エステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の奥の中庭に立った。王は王室の入り口の正面にある王宮の玉座に座っていた。」まさに息を呑む緊張の瞬間です。その時、王は手にしていた金の笏をエステルに差し伸ばしました。彼女のいのちは助かりました。王は彼女に(3)「どうしたのだ。王妃エステル。何を望んでいるのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」と尋ねますと、エステルは(4)「もしも王様がよろしければ、今日、私が王様のために設ける宴会にハマンと御一緒にお越しください。」と願います。その夜、王はハマンと一緒にエステルが設けた宴会にやってきました。その席で再び王はエステルに尋ねますが、その場でも答えることをせず、明日もう一度自分が設ける宴会にハマンと来てくださるようにと頼みます。

 そして、この緊迫した状況は、その夜に変わり始めます。(6:1)「その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じた。そしてそれは王の前で読まれた。」その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持ってくるように命じました。そこには過去の重要な出来事が克明に記録されていました。その中で、入り口を守っていた王の二人の宦官が王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれているのを見つけます。王暗殺計画を未然に防いだモルデカイの功績を発見します。「その夜、王は眠れなかったので」は、10章からなるエステル記の中心であり、正にエステル記のターニングポイントとされています。この一節をもって状況は一転します。ここで王はモルデカイにこれだけの功績がありながら、何一つ栄誉を与えず、昇進もさせなかったことに気づき、王は彼に最高の栄誉を与えようと考えます。それで、王は栄誉を与えたい者の名を隠してハマンに尋ねます。(6)「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」と。するとハマンは王が栄誉を与えたいと思う者は自分以外に誰がいるだろうと思い込み、最大限の栄誉を王に伝えます。(9)「王が栄誉を与えたいと思う人には、王服を着せて、頭に王冠をかぶらせ、馬に乗らせ、都の広場に行って『王が栄誉を与えたいと思われる人はこの通りである』と、ふれまわらせてください。」すると王はハマンに(10)「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬をとってきて、王の門のところに座っているユダヤ人のモルデカイにそのようにしなさい。あなたの言ったことを一つも怠ってはならない。」と命じました。なぜ王の口からモルデカイの名前が出るのか?!今まさに木にかけて殺そうとしていたモルデカイが最高の栄誉をもらい、ハマンはモルデカイの引き立て役をすることになったのです。ハマンの計画は完全に狂い始めました。

 それから、王はハマンを連れて再びエステルの宴会にやってきました。ハマンはすっかり気落ちし、心の余裕を失っていました。宴もたけなわとなったころ、例によって王はエステルに好意を示します。これで三回目です。「あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。」今まで王の好意への応答を引き延ばしてき彼女は、その夜ついに心中を打ち明けます。(7:4)「私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、虐殺され、滅ぼされようとしています。私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたことでしょうが、そうはいきません。その迫害する者は、王のお受けになる損失を償うことはできないのですから。」傍らでこのエステルの訴えを聞いていたハマンの心境はどうだったでしょうか。今までエステルは自分がユダヤ人であることを隠していましたがここで明らかにします。王は(5)「そんなことをしようと心に企んでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか。」この問いかけに、エステルは、(6)「迫害する者、敵とは、この悪人ハマンです。」と告げます。それを聞いたハマンはたちまち震え上がりました。ハマンは結局、王の命令により自分がモルデカイのために立てた木に掛けられてしまいます。その後、ユダヤ人を守るための新しい法令が発布されユダヤ人たちは助かりました。

 エステルは、自分の民族の滅亡という危機の中で、神の召しに応答して王の前に立ちました。神から知恵が当てられ、2回の宴会を開き、その時が来た時に、ハマンの策略を王に伝えました。エステルとモルデカイの勇気と信仰によって最大の危機から守られましたが、その背後にあって神はいつも見えない御手をもって、すべてのことを計らい導かれたのです。2回の宴会の間に、王が眠れず年代記を読み、このタイミングでモルデカイの功績が発見されます。エステル記には神の名前が一度も出てきませんが、本当の主人公は神ご自身と言えます。私たちが気がつかなくても、見えなくても、日々の生活の中で、神は私たちに関わってくださっています。私たちが行動するより先に、神が私たちを心配し、守りや救いを備えていてくださいます。エステルとモルデカイは困難の中、神を信じて神の召しに応答していきました。その時に、神は介入し状況が逆転していきました。神は私たちの人生のうちにも豊かに働いていてくださり、ご自身の摂理の御手をもって守り支えてくださいます。(詩篇37:5)「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」
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