経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

2月20日聖日礼拝

2011-02-21 09:32:10 | 礼拝
聖書:マタイ17:1-8
メッセージ:“栄光に輝く主”

Ⅰ:姿を変えるイエス
(2-3)「そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。しかも、モーセとエリヤが現われてイエスと話し合っているではないか。」
 弟子のペテロとヤコブとヨハネはイエス様の栄光の御姿を拝しました。

Ⅱ:彼の言うことを聞きなさい
(5)「彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして雲の中から、『これは、私の愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。』という声がした。」
 雲は神の臨在を表します。雲の柱・火の柱が荒野でイスラエルの民を導かれました。イエス様は王なるメシヤであり、苦難のメシヤでもあります。主の道を歩み、主に御旨に聞き従っていきます。

Ⅲ:主の栄光をあらわす
(Ⅱコリント3:18)「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
 私たちも主の栄光の輝きを反映させながら変えられて行きます。主のご栄光をあらわす者とさせていただきます。
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2月13日聖日礼拝

2011-02-14 14:15:35 | 礼拝
聖書:マタイ16:13-26
メッセージ:“わたしについて来なさい”

Ⅰ:信仰告白を迫るイエス様
(15)「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。
(16)「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
 信じることは人の業ではなく、聖霊がその人のうちに働いてなされる神の業です。
 イエス様が神の子であり、私の救い主という信仰告白へと導きください。

Ⅱ:従うことを求めるイエス様
 (24)「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」
 (ガラテヤ2:20)「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」
  自分はイエス様とともに十字架につけられ罪に死に、イエス様が心の中心にいてくださいます。
(25)「いのちを救おうと思うも者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見出すのです。」
(26)「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」
 自分を捨て、自分の十字架を負い、イエス様のみ旨に従っていく者としてください。
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2月6日聖日礼拝

2011-02-07 10:19:13 | 礼拝
聖書:マタイ15:1-20
メッセージ:“心から出るもの”

Ⅰ:言い伝えについての論争
(3)「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを犯すのですか。」
 形式的なことではなく、律法の本質である、人を思いやり、愛する心が大切だと言わんとしています。
(ガラテヤ6:2)「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」

Ⅱ:汚れをきよめる主
(17-20)「口にはいる物はみな、腹にはいり、かわやに捨てられることを知らないのですか。しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。これらは、人を汚すものです。しかし、洗わない手で食べることは人を汚しません。」
 真に汚れているのは、人の心だと言われました。心の汚れから人は罪を犯します。
(Ⅰヨハネ1:7)「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」私たちの罪の赦しのためにイエス様は十字架にかかり死なれました。
(ガラテヤ5:22-23)「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」
 心のうちに御霊の実が結ばれ、互いの重荷を負い合う者としてください。
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1月30日聖日礼拝

2011-02-01 09:46:37 | 礼拝
聖書:Ⅰコリント12:12-27
メッセージ:“キリストのからだ”

Ⅰ:賜物の多様性
(11)「しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。」
 一人ひとりに異なった賜物・才能が与えられています。どのような賜物が与えられているでしょうか。様々な賜物が用いられ、一つの教会がが立て上げられていきます。

Ⅱ:一つの体と多くの部分
(12)「ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。」
 パウロは教会を人のからだに例えて説明しています。私たちはキリストのからだであり、一人ひとりはその器官です。人と比較して落胆したり、また賜物に優劣をつけ人を軽視することがないようお守りください。

Ⅲ:からだの調和
(22)「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。」
(24-25)「しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。」
 与えられた賜物を生かし合い、からだ全体に調和が与えられますように。互いに祈り合い、いたわり合いキリストのからだが立てられていきますように。

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