特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

人情味(後編)

2009-05-26 12:31:36 | Weblog
世の中には、ボランティアで働いたり、他人のための無償奉仕を惜しまない人が多くいる。
そんな生き方が、苦にならない人がいる。

〝人助け〟には、少なからず、苦痛や自己犠牲がともなうはず。
それを、金銭と引き替えずに喜びと満足に変えるなんてことは、なかなかできることではない。

頭はよくないくせに、打算だけはよく働くこの私。
物事を損得以外で考える思考回路を、持ち合わせていない。
だから、強いられもしないのに、どうしてそういう生き方ができるのか不思議である。

不思議に思うだけならまだしも、かつて私は、その類のことを冷視していたことがある。
ビジネス性の強いチャリティーイベント等に、強い嫌悪感を覚えていたのだ。

特に若い頃・・・10代・20代の頃は、それが顕著。
人の打算や利害・表裏や偽善ばかりが目について、とても賛同する気にはなれなかった。

しかし、そもそも、人間に、完璧な善行なんてできやしない。
人間なんて、そんなにデキた動物ではない。
短所もあれば愚所もある
弱点もあれば欠点もある。
表があれば、裏もある。
陽があれば、陰もある。
それが、〝人間〟というもの。

問題なのは、そんな人間の不完全性ではなく、そこばかりに目がいく私の感性。
他人が悪人に見えてしまうのは、見る目が邪悪だから。
他人が偽善者に見えてしまうのは、見る目が不誠実だから。
同様に、他人の打算や利害・表裏や偽善ばかりが目につくのは、自分の頭がそれらに侵されているから。
結果は、それがもたらすのは、何もせずに傍観し、ただただ、くだらない批評や非難で利口者気分を味わって満足するだけの情けない自分・・・
とにもかくにも、こんな風に、理屈ばかりこねている私なんかより、どんなに小さくても、偽善や打算がつきまとっていても、身を削って行動している人の方がずっと立派だ。


前回の続き・・・

しばらくすると、大家の男性と不動産会社の担当者がやってきた。
二人とも、見た目は、〝おじさん〟というより〝おじいさん〟。
不動産屋の男性は、個人事業の社長らしく、地域密着で古くから商っているよう。
二人の付き合いは長いようで、幼なじみかと思うくらい随分と親しげ。
同様に、住民達とも古くからの顔見知り。
ただ、苦情に応えていないからだろうか、住民女性達に対して少し気マズそう。
一方、女性達は、いたって穏やか。
こちらも、見た目は〝おばさん〟というより〝おばあさん〟。
苦情らしい苦情も言わず、ニコニコと愛想よくしていた。

年配者には年配者ならではの、若年者にはない懐の深さがある。
悪い意味で年寄り扱いしてはいけないが、いい意味での大らかさがある。
本来なら、ピリピリした空気に包まれてもよさそうなシチュエーションだったが、皆か醸し出すのんびりした雰囲気に自然とリラックスする私だった。

それから、またしばらくすると、故人の母親がやってきた。
特に身体が悪い訳でもなさそうだったが、何分にも高齢。
背中を丸めた前傾姿勢で、ゆっくりと歩いてきた。

その姿が見えるなり、穏やかに弾んでいた会話はストップ。
故人の死を悼む気持ちからなのか、母親を気の毒に思う気持ちからなのか、皆の表情と場の空気は、一気に神妙なものに変わった。

「うちの子が、迷惑をかけて申し訳ありません」
母親は、最初から詫びを入れるつもりだったよう。
我々の傍に寄ってくるなり、深々と頭を下げた。
「・・・」
そんな母親に、誰も声をかけず。
誰も、掛けるべき言葉が見つからないようで、無言で頭を下げるだけだった。


母親がいくら気の毒に思えても、関係者全員が揃ったからには本題を協議しない訳にはいかない。
しかし、大家も不動産屋も、老いた母親に面と向かっては言いにくいよう。
後始末に必要な作業と費用を説明するのは、おのずと私の役回りとなった。

私は、自分が口火を切ることに躊躇を覚えたが、〝これも必要な仕事〟と割り切り。
部屋を元に戻すための必要事項を、それぞれの立場に気を遣いながら説明した。
一方、聞く側の母親は、こちらが恐縮するくらいに平身低頭。
必要な話をしているだけとはいえ、弱い老人をいじめているみたいで、何とも気分のいいものではなかった。


一通りの説明が終わると、今度は、母親の方からポツリポツリ・・・
その話は、本件の言い訳をするつもりでも、後始末の同情を誘うつもりでもなく、ただ、故人(息子)のことを弁護してやりたいと思う親心からきたものだった・・・

「ついこの前も、うちに来たばかりだったんですよ・・・」
「あれが、最後になったんですね・・・」
現場アパート(故人宅)から少し離れたところに、母親も独り暮らし。
高齢独居を案じてのことだろう、故人は、母親によく電話をかけ、よく顔を見せにやって来ていた。

「いつも、私のことを心配してくれてまして・・・」
「〝生活が苦しい〟なんて、一言も言ってませんでした・・・」
故人は、母親に心配を掛けないように努めていたよう。
それで、母親もその生活苦を知らず。
裕福でないことは薄々感づいてはいたけど、家賃や公共料金を滞納するほど逼迫しているとは思ってもいなかった。

「昔から、気の優しい子でね・・・(金銭問題に)悪気はなかったはずです・・・」
「もっと、ちゃんと育てておいてやればね・・・」
母親は、自責の念が、後悔をこえた大きな重荷になっている様子。
その悲しそうな表情からは、集まった関係者だけでなく、故人にも謝りたいと思っている心情が読みとれた。


いくつになっても、親は親・子は子。
親子の愛情は、年齢に応じて形を変化させても、風化することはないのだろう。
既に中年に達していた故人を〝子〟と呼ぶ母親にそれが感じられ、同時に、母親が息子(故人)を想う気持ちと、故人(息子)が母親を想っていたであろう気持ちを考えると、暖かい切なさを感じた。

そして、それは、私だけではなかった・・・
住民女性の中には、母親の話に涙する人もいたりして、それぞれの人がそれぞれの想いを抱いたよう。
皆、固い表情をして、頷いていた。

大家・不動産屋・住民女性達、皆が子を持つ親。
親の気持ちは、言われなくてもわかる・・・皆、母親の気持ちが痛いほどわかったようで、その後の協議は、母親への同情を機軸に進められた。


「私ができることは、精一杯やる」
これが、母親の誠意。

「過ぎたことだから、滞納分の家賃は請求しない」
これが、大家の誠意。

「預かっている敷金は、全額返す」
これが、不動産屋の誠意。

「ゴミ出しを手伝う」
これが、住民女性達の誠意。

そうして、皆が、それぞれの親切心を働かせた。
しかし、肝心要の特掃・消臭消毒を担う人は誰もおらず・・・
さすがに、これだけは、情をもってしても、誰にもどうすることもできないようだった。

場は、〝皆で少しずつ労苦を分け合って、部屋を片付けよう〟といった暖かい雰囲気。
それはそれで感じるものはあったし、嬉しくも思った。
そして、私も、それに相乗りして善行気分を味わうこともできた・・・
しかし、私は、一時的な感傷に動かされて、タダ作業するわけにはいかなかった。

確かに、ここで自分が無償奉仕するれば、ここの人達には感謝されただろう。
しかし、経費がかかる以上は、別のところにシワ寄せがいくし、母親が両手を挙げて喜んでくれるとも思えず・・・
結局、経費ギリギリの代金と引き換えに、作業を行ったのだった。


心や身体が弱っているときは、それがどんな小さなものでも、人の親切は骨身に沁みるもの。
この時の母親も、そうだっただろう。
そして、心の痛みや悲しみは、人と分かち合うことで小さくなることがある。
この時の母親も、そうだったかもしれない・・・
どんなに小さくても、人情には、人を生かす大きな力があることを知った現場であった。


「情けは他人のためならず・・・巡り巡って己がためなり」







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