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クリエイト速読スクールブログ
「加速力」で成功をつかめ!
きのう本屋に行ったら、齋藤孝の新刊『「加速力」で成功をつかめ!』という書籍が、平積みされていました。
ブログに書き残しておきたいところを見つけたため、購入しました。
天才たちの才能の源泉は「量」にある
世の中には、何事についても「量より質」と考えている人が少なくない。とりわけ日本人は、直感的に「質」を好むようだ。ついでに、量をこなすと質が低下するという“妄信”もある。
しかし私は、まったく逆だと思っている。まず量の設定を優先することで、質もついてくる。これは一種の確信だ。私自身の経験でいえば、量をこなしてない人は、質をうんぬんするレベルに達していないことが多い。量をこなすことで初めて、いい悪いがわかるようになってくるのだ。もっと平たくいえば、何事も、とにかく量さえこなせばなんとかなるということである。
このことは、ものづくりで考えればわかりやすい。つくり手側からすると、大量につくるほうが、いいものが安定的にできる。とくに職人仕事なら当たり前で、20個しかつくらない場合と何万個もつくる場合を比較すれば、後者のほうが圧倒的に安定しているはずである。
じつは私も、かつては量をこなすと質が落ちるという考えにとらわれていた時期がある。だがあるときから、こうした考えを捨てた。私が尊敬する思想家などが、軒並み異常な量の仕事をこなしていることに気づいたからだ。
トルストイも、ドストエフスキーも、プラトンも、フロイトも、これが人間業かと思うほど大量の著作物を残している。あるいは民俗学者の柳田國男も膨大な量に達している。これを一文字一文字書いたのかと思うと、気が遠くなるぐらいだ。
では、彼らの書いたものはレベルが低いのかといえば、そのようなことはない。いずれも、人類の歴史上に残る偉大な著作物だ。
(中略)
「それは天才だからできた」という人もいるかもしれない。たしかに質に関しては、才能が大きく左右する部分もあるかもしれない。しかし、量については関係ない。誰でも、量をこなすだけならできるだろう。
さらにいえば、天才たちは、こうして量をこなすことで、“自動化”できる部分を増やしていったのではないか。それはとりもなおさず、新しい分野や表現にチャレンジする時間を確保することにもつながる。
画家なら、たとえばリンゴをずっと描きつづけていると、たんに上手くなるだけではなく、とくに何も考えずに描けるようになる。それが自動化だ。そういう部分が増えれば増えるほど、より短期に、しかも安定的に描くことができるようになるわけだ。だとすれば、まさに加速度的に作品の数は増えるし、チャレンジする機会も多くなる。天才の天才たるゆえんは量にこそあった、ともいえるのではないだろうか。(P69~71)―赤字部分本書太黒字―
啓蒙書・ビジネス書系の書き手のなかでは、群を抜く質の高い文章を書いている氏ですが、本書の内容も読みやすく、実のあるものとなっています。
良情報は、これからも紹介していきます。
できることなら、良情報で埋め尽くしたいものです。
発行日が、2007年10月2日。
きのうでした。ほかほかでした。 真
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記事に通じるところがあるように思います。
シート類、多少穴はあっても目を先に動かすとか、
倍速読みで理解度よりページ数優先とか。なるほどな、
と思いました。
そして何よりも、繰り返し教室に通う(通教の
回数を重ねる)ことの大切さが身に沁みました。
今夜はこのへんで。おやすみなさい。
前回のコメントからこの記事の間、ひとつ
読み飛ばしてしまいました。次回、気力・体力ともに
十分なときに、その記事から読み返します。
あさズバッ! からあさチャンに変わった時、齋藤孝と知ってすごく嬉しかったです!!
「声にだすことばえほん」で初めて知った人でした。
論語素読でもなんでも、声に出して読むっていいですよね。(……と、話題が違う方向に)
読みやすく実のある、って最高に理想的な文章ですね。