COSMOS

"忠太"奮闘記

隔世の感「デンワ」の進歩

2011-12-16 09:21:04 | 生活
「電話創業の日」に思う。
由来:1890(明治23)年のこの日、東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が開始した。
加入電話は東京155台・横浜44台で、女子7人・夜間専門の男子2人の交換手が対応した。
 受話器を取り上げ、交換手呼出信号発信用のハンドルを回すと、
 出てきた交換手が「コウカン・〃 〃」と連呼したと聞いたことがある。
 受話器の向こうの「エプロン姿のお姉さん」の声に胸をときめかせた輩も!
・その後、クロスバー交換機~電子交換機へと発展し、回線もメタルから光ファイバーの
 時代へ変わりつつある。
・SKYPEはお互いの顔を見ながら国内・海外を問わず無料通話ができる
・WiFiが垣根を低くし
・50Mbps - 1Gbps程度の超高速大容量通信を可能にした4G(第4世代)通信
 我が地球は電磁波の洪水である。
陰の声:おおかた25年位前、自動車用携帯電話が普及し始めたころのはなし。
 ・4級小型船舶操縦士の免許を取り、仲間と会社の船で瀬戸内の無人島に日帰り
  キャンプに出かけた。
  150馬力位の船外機2基の高速艇で結構スリルのあるクルージングを楽しめた。
  島でテントを張り、バーベキュー・パーティー!
  沖合でマリンジェットを楽しんでいた仲間が事故を起こし、念のため積み込んでおいた
  「自動車用携帯電話」でマリーナに緊急連絡。
  救急車を待機させてもらい地元の医院に搬送してもらう羽目になったが、
  あの時ほど携帯電話機の有難さを身に凍みて感じたことは無い。
 ・個人で購入するには高価で通話料金も高かったので断念し、おりしも話題になっていた
  「イリジュームサービス」が始まったら買おうと決めていた。
  (現在の衛星携帯電話である)
  宇宙空間に77個(*)の通信衛星を並べ、地球上どこでも通話できる「夢の電話機」
  という触れ込みだった。
  当時の携帯電話が高価で買えない無念さを「なぁ~に衛星電話サービス開始」を
  待っているだけ、とうそぶいていた。
  *イリジュームの原子番号が「77」で、当初の計画で衛星の数が77個だったことから
  サービス名が決まった。
  現在は66個で運用中、日本ではイリジュームサービスは「KDDI」が扱っており、
  東日本大震災で威力を発揮! 見直されている。
 ・やがて、サービスが始まったまでは良かったが、受話器の値段「何と50万円」と
  知ってビックリ仰天、泣く泣く諦めた経緯がある。
  現在は約半値の249,900円(税込)まで下がり、レンタルもあるが、個人では
  とても 〃 〃高嶺の花 
 ・公衆電話は減る一方、携帯持てないサラリーマンは苦労していた。
陰の声:PHS電話機の電源を切り、「地下街にいたものですから、電波が届かなくて~~」と、
  サボる口実にしたお人もいた。
  
イリジューム衛星の観測はここ 運が良ければ、 輝く瞬間を目視も可能