リサイクルショップ 創庫生活館鶴岡店
買取りの情報はこちら→当店ホームページ左サイドメニューの買取のアドバイスをクリック下さい。
今から30年ほど前に月刊グラフ山形という、山形の写真誌がありました。当店にはたまに入荷するのですが、山形の盛り場というタイトルにつられて買ってみました。県内のいたる飲み屋街を紹介しています。盛り場という言葉は死語です。↓は当時の山形市の盛り場です。
↓これは鶴岡の川端通りの様子です。今は内川の川端が整備されましたが、当時は赤ちょうちんが灯る屋台が沢山並んでいました。ん~イイ感じです。
↓それと昭和通りと七日町通りが紹介されています。
↓昭和通りはももというバーが紹介されていますが『ヤングなアベックが多い店』と書かれています。これも死語です。ももに行く人はナウかったんでしょうね。今の喫酒MOMOかな?
↓七日町で紹介されているのが、ろばた焼の大漁さん。これは今はラーメンで有名な三瀬の琴平荘さんで経営していました。当時は気の利いた居酒屋さんは無く、食べて呑むとなると焼き鳥屋か料亭、この中間で大ヒットしたのが大漁さんです。←亡くなった私の父の話です。このブログにもよく出てくる琴平荘のカッケは、普通なら大学を卒業するのに4年かかるところ、2年で終わらせて鶴岡に戻って、このお店を手伝っていました。仕事が終わった後は、そのまま深夜の昭和通りに繰り出し、数々の伝説を作ったそうです。←これはMっちゃやゆた○から聞いた話。私は酩酊状態の彼から、よくモーニングコールをいただいていました。ただAM4時って早すぎませんか?ニワトリより早いんですよ。
↓この雑誌の同号に掲載されていたのが酒田港に海王丸来るという記事です。こんな帆船が酒田に来ていたとは、驚きです。
すごい迫力だったでしょうね。今更ながら見てみたかったです。
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今から30年ほど前に月刊グラフ山形という、山形の写真誌がありました。当店にはたまに入荷するのですが、山形の盛り場というタイトルにつられて買ってみました。県内のいたる飲み屋街を紹介しています。盛り場という言葉は死語です。↓は当時の山形市の盛り場です。
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