この写真が例の龍馬の白黒写真をカラー化したものです。
僕がこの写真を目にしたのは、どうも今年の1月16日(土)の
午後7時からテレビ朝日で放映された「熱血!ホンキ応援団」
という番組らしいのですが・・・。
「フォトショップ」という市販ソフトを使用して、それに自動的に
色付け処理するコマンドを組み込んでカラー化するようです。
色の割付は、白黒写真のグレーの濃淡の度合いに応じて上記の
コンピュータソフトでもって赤・青・黄の三原色と黒色とをそれ
ぞれに当てはめて元の色を見つけ出すそうです。
この技術を可能にしたのは、神戸に本社のあるサンメディアという
写真製版を二十年以上に亘って取り組んできた会社で、その長年の
経験と知見とからグレーの濃淡から元の色を探り当てたそうです。
それでも完全な自動化とは行かないようで、仕上げのときは手作業が
必要になり、1枚仕上げるのに4時間ほど掛かると云います。
「龍馬伝」の放送開始に合わせて、昨年中に今年のカレンダーの他、
ポストカードを作って、発売しているとのこと。
カレンダーには龍馬の写真3点の他、問題の若き日のお龍の写真と
称するものが載っています。こんなとこにも無責任な学者の悪影響
が及んでいるのは何とも残念なことです。
龍馬というと、梳らぬポニーテールに鉄紺のような紋付を着て、
袴から覗くブーツ姿というのが定番ですが、実際の紋付は写真の
ように明るい紺だったわけです。
ブーツの色は薄茶と思っていたのですが、カーキのようです。
龍馬のところは、家系的に頭髪が薄かったようで、この写真でも
額のところが後退してきているのを見て取ることができます。
龍馬は、このことで後に著名な自由民権運動家となる中江兆民を
からかったようです。
兆民(当時は篤助)は、慶応2年と思えるのですが、長崎に英学修行
で遣って来ていたときに亀山社中で活躍していた龍馬と知り合った
ようで、そのときの龍馬の様子を「豪傑は自ら人をして崇拝の念を
生じしむ、予は当時少年(20歳)なりしも、彼を見て何となくエラキ
人なりと信ぜるが故に、平生人に屈せざるの予も、彼が純然たる土佐
訛りの言葉もて『中江のニイさん煙草を買うて来てオーセ』などと
命ぜらるれば、快然として使いせしこと屢々(るる=しばしば)なりき」
と後に語っています。
そして「彼の眼は細くしてその額は梅毒のため抜上がり居たりき」とも。
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