大森第一小学校第40期卒業生同期会

卒業して幾星霜、さあ懐かしい面々と再会し、浮世の憂さも忘れて、思い出話に花を咲かせよう!

つぶやきの部屋97

2023-01-16 22:27:00 | Weblog

「中岡慎太郎考」

龍馬とともに薩長同盟で活躍したとされる中岡慎太郎ですが、その実像は龍馬ほどには
知られていないようです。

見出し画像に挙げた3枚の写真が遺されていますが、一番有名なのは左側にあるきりっ
とした座像。口を真一文字にして目も爛々と輝いている。如何にも志操堅固・質実剛健
な男であったように思わせる1枚ですね。
でも残りの2枚は、別人と思えるほど、笑っているというよりにやけている。
しかし、きりっとした座像同様に床の模様や服装が同じですから、同じ日に撮ったもの
であることは確かです。
 いずれも慶応2年(1866年)11月24日に堀与兵衛写真館で撮影されたものです。
 土佐から上京した義兄(末姉かつの夫。6月26日に慎太郎の父小伝次が亡くなった
 ことや仲姉京の婿養子源平照久が家督を相続したことなどを伝えに来た)北川武平次
 にせがまれたのか、供応の目的で慎太郎が馴染みの揚屋に誘ったのか不明ですが、そこ
 で遊んだ遊女を伴って記念写真を撮ったのでしょう。右下の写真は、そのときの3人です。

真ん中の写真に至っては、左半分が塗りつぶされています。その塗りつぶされた写真の原板
は右上に挙げたもので、「中岡慎太郎の写真原板を確認/富山の個人宅で」と題する四国新
聞の2010/07/20の記事によると、
“坂本竜馬らと薩長同盟実現に奔走した幕末の志士、中岡慎太郎の写真のガラス原板が、
富山市の個人宅で保管されていたことが20日までに分かった。調査した中岡慎太郎館(高知
県北川村)によると、日本で最初に「笑顔」を写したとも言われる貴重な写真の原板という。
原板を保管していた富山市の鹿野秀夫さん(80)は、慎太郎が下宿していた京都の書店「菊
屋」経営者の五男にあたる峰吉の子孫。原板は峰吉が慎太郎から譲り受けたとみられる。峰
吉の死後、富山市に移り住んだ峰吉の妻キンの遺品として代々受け継いできた。
原板は縦約8センチ、横約10センチ。竜馬と共に暗殺される約1年前の1866年11月に京都の祇
園で撮影された。笑顔の慎太郎と一緒に写っている女性らしき人物の姿はなぜか削り取られ
たり、塗りつぶされたりしている。
同館は写った姿の鮮明さ、保管していた木箱に撮影した写真館を記した紙が張られていたこ
となどから原板と判断した。“
とあります。

菊屋峰吉は、慶応3年11月15日に龍馬らが襲われたときに龍馬に乞われて近所(四条木屋町)
の鳥新へ軍鶏肉を買いに行っていて難を逃れた青年(事件当時数えで17歳)です。
この後の峰吉の証言が本人の意図せぬ形で慎太郎像の欺瞞を炙り出すことになるのですが、その
ことについては別項で。
峰吉は、敬愛していた慎太郎の脂下がった姿を後世に伝えたくはなかったのでしょうね。それ
で塗りつぶした。

慎太郎は、文久3年8月18日の京都政変を知って、故郷に若妻(兼)を残して土佐藩を脱藩しま
したが、次の手紙(翌慶応元年9月30日付の妻に宛てた手紙)を読む限り、妻に対する未練は
無かったように思います。
「さて又、カネ子もどうしていますか。さぞや心配のことと気の毒千万に思っております。
何分父上様(小伝次)兄上様(義兄源平)のお考えになったことで、暇を出されようと、
どうされようと、双方で都合のよいようにしてくださるよう願っております」(意訳)

慎太郎を長とする陸援隊の隊士で慎太郎を身近に見てきた田中顕助(龍馬、慎太郎と同じく
武市半平太を盟主とする土佐勤皇に加盟し、後に脱藩。維新後に宮内大臣・伯爵となった
田中光顕。)が、
「非常に真面目な男であっただけに、坂本が大ビラにお龍を連れて歩いたのに比し、彼は極め
て秘密の裡に閑日月を楽しんだものである。」
「何時か一人で外出して帰ってきて『今日、祇園で湯に入ったが、素的な代物が一緒に入って
いて僕は湯から出られなくて困った』という笑い話をしたことがあった。中岡は大体謹厳な人
であったけれども、一方のこともなかなか剛の者であった」
と語っているように、(女嫌いどころか)女色にふける嫌いがあったのも確か。

やはり土佐勤皇党に加盟し、武市半平太に剣を学び、慎太郎と親交のあった三宅謙四郎によると、
「中岡は予と同年か一つ兄か位の人にて身丈も予と同様、五尺ばかりの男なりき。予と頗る馬合
いにて極めて親密にしたり。剣は予と同じく武市先生に学びたるも、余り熱心にてもなく、どちら
かといえば文学の人なりしが、それかといいて学問も深邃なりしとはいい難し。平生、大の議論
好きなり。
その風貌、写真の伝うのごとし。似たりとは愚か全くその儘なり。ただし眼光炯々として蒼鷹の
羽ばたかんとするがごとき感なるも、実際の人となりは温和にして色白く、声音も尋常なりき」
と、左側の写真から感じ取る慎太郎とは異なる実像の一端を語っています。

その実像にどこまで迫ることができるか分かりませんが、龍馬とともに遭難したときの慎太郎を
通して、この後探って行きたいと思います。(ただし、期日未定。m(__)m)

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つぶやきの部屋96

2023-01-02 17:56:27 | Weblog

「花手水」

明けましておめでとうございます。
今日、いつもの氏社へ初詣にいってきました。
本殿は、いつもの佇まいでしたが、珍しく手水場に水が張ってあって、
なんと花々が水面を覆っているではありませんか。
「花手水」(はなちょうず)と張り紙があったので、恥ずかしながらこの
歳になって初めてこういった習わしがあることを知りました。
水がないときに草花やその露でもって手を清めるのだそうです。なんと優
雅な風習でありましょうか。

なぜこれまでに見たことがなかったのかといいますと、手水場に花を浮か
べることを始めたのが京都の楊谷寺(ようこくじ)で、それが2017年だ
ったそうですから、6年ほど遅れてこの鄙(ひな)にも雅が漏れ伝わって
参ったのでしょうか。

今日2日は、季節外れですが、花曇り。身も清められたのかしらん。

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