大森第一小学校第40期卒業生同期会

卒業して幾星霜、さあ懐かしい面々と再会し、浮世の憂さも忘れて、思い出話に花を咲かせよう!

つぶやきの部屋9

2010-06-22 22:00:00 | Weblog

この写真は、龍馬遺品の銀糸綴錦織の三徳と称するものです。(残念ながら江戸東京博物館の特別展には展示されませんでした。)
広辞苑によると三徳とは、「鼻紙袋の一種。更紗または緞子で作り、別口を付け、鼻紙・書付・楊枝を入れる袋。江戸時代に流行」とあります。
写真の上が表側で、牡丹と菊の紋様が描かれていて、それぞれの花にとまる二羽の蝶が向き合うようにしてデザインされた金具が付いています。
写真の下は裏側で、その二羽の蝶が舞っているのでしょうか、中々に凝った作りになっています。
なぜこの三徳を持ち出したのかといいますと、嘉永六年三月、龍馬が初めて江戸へ上るときに父八平が与えた「修行中心得大意」と題した三ヶ条の訓戒書と関係があると思うからです。

訓戒書、実物を見てビックリしたのですが意外と大きいのです。縦30.5cm×横46.5cmもあるのです。
小学校の卒業証書が縦26.5cm×横38.2cmですから、随分と大きいことが分かるでしょ。(僕の貰ったこの手の物の中では大学の卒業証書が一番大きくて、縦32.6cm×横45.2cmもありますから、ほぼ同じ大きさになります。結構大きいのです、これが。)
僕はこんなに大きいものとは思っていなかったので、折りたたんでお守り袋に入れていたと、ずっと思っていたのです。でも実物を見て、これはお守り袋には収まり切らないと思いましたね。だから龍馬伝で龍馬が首に掛けているお守り袋に訓戒書が仕舞われてあったなんてことになったら(そうなる筈ですが)、「そりゃないでしょ」と大声で叫ぶ積りです。耳を澄ましていれば聞こえる筈です。(誰です、「そりゃないでしょ」って呟いたのは。)

海援隊士の関龍二が龍馬を「国を出づる時に、父母(父)より訓戒の辞を、書して与えられたのを、叮嚀(丁寧)に、紙に包み、上に『守』の一字を書加え、袋に入れて、常に懐中したなどは、豪宕(ごうとう、意気がさかんで思う通りにする)にして、而(しか)も赤子の如く、愛すべき所があった」と回顧して語っているからテッキリお守り袋と考えて仕舞い勝ちですが、実際はこの写真の三徳に折りたたんで収めていたのだと思います。
この三徳の大きさは縦14.5cm×横21.5cmですから、大き目の財布、小さ目のセカンドバッグ位です。これなら訓戒書を縦横三つ折にすれば余裕を持って収めることができます。

訓戒書が重文なら、それを収めたこの三徳も重文です(いずれも京都国立博物館蔵)。
それにしても凝った意匠のこの三徳、値が張りそうですね。父八平が諌めた「諸道具に心移り、銀銭費やさざること」だけは一向効き目が無かったようで。


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