「龍馬が大政奉還の一報に接した場所(その4)」
兎にも角にも、菱屋についてネットで調べてみたところ、それらしいのが見つかった
のです。それが冒頭(111ー1)に挙げた画像。
古めかしい大看板(見出し画像左)には菱型の中に「六」の文字が。その商標を囲む
文字は判読できませんが、その下に草書で分かりにくいのですが、「麹種もやし」と
あるようです。
場所は京都市東山区松原通大和大路東入二丁目轆轤町79となっています。
古地図でその場所を調べてみると、四条通と五条通の間にある松原通、その通を鴨川
を渡って東へ行くと愛宕寺と西福寺が通を挟んだ形であるのですが、その愛宕寺の脇
に位置することが分かります。
そこをざっくり云うと鹿野安兵衛(菊屋峰吉)の云う「四条下ル東側」になります。
菱六の裏側(北側)には、株式会社菱六があって、両方併せるとかなり広大な敷地
になります。
「もやし」は僕らの知っている豆もやしではなく、大麦もやしのことで、麦芽と称さ
れるように酒類の醸造用として使われるものを指してします。
一般的には「種麹」(たねこうじ)と呼び、味噌や醤油などでも「種麹」は使われ
るのですが、現在でも酒造メーカーだけは「もやし」と呼ぶ習慣があるそうです。
ということは、菱六は元々は酒造業で、もやしも自家製であった可能性があります。
なぜそう思うのかですが、大店にしては大看板が一枚板ではなく、細長い板を何枚か
並べ釘などで繋げた質素なものであるからです。酒造業を止めたときにその大看板を
下ろして、副業として片隅で営んでいたときのものを使っているとも思えるからです。
現在のご主人は創業がいつなのかご自身が何代目に当たるのかご存じないようですが、
幕末に存在していたことは確かなようです。それは、見出し画像右の縦看板を見て頂
ければ分かると思うのですが、こちらには「登録商標」の文字が見える。日本での特
許制度は、1885年(明治18年)7月1日に施行された専売特許条例に始まるので、それ
以降に作られたものであることが分かります。
「菱六」の屋号ですが、これは牽強付会も甚だしいと云われそうですが、鹿野安兵衛は
菱屋利右衛門(りえもん)と伝えていますが、六右衛門(りくえもん)を聞き間違えた
のかもしれません。代々その名を継いでいたので、「六」を菱型の中に入れた商標にした
とも考えられます。
制度化されたのは上述したように明治に入ってからですが、江戸時代には他者と区別
するために商標が使われていました。
商標の解釈はさておいて、今まで述べてきた理由から、近江屋で無いことだけは確かな
ように思います。
改めて龍馬研究家には洗い直してもらいたい。もしやもやし、しょーゆーことです。
(了)
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