「物理学校」(漱石つながりで)
この写真は、明治39年(1906)9月29日、牛込区神楽町2丁目24番地の地に、
木造2階建てとして新築された東京物理学校の校舎を、その後身である東京理科大学
が、というより東京物理学校の卒業生の一人二村氏からの建設費寄贈によって、平成
3年(1991)に、創立110周年を記念して復元されたものです。
復元といっても、設計図が残っていたわけではなく、当時の写真を頼りに、それこ
そ手探りで造ったそうです。当時の総面積は226坪(約746㎡)で、器具、設備
を合わせて総工費38,192円(現在だと、約5億1000万円)だったとのこと
ですが、それらと比べてどうだったのでしょうか。
復元された建物は、東京理科大学が運営する「東京理科大学近代科学資料館」として、
神楽坂校舎の左手横道を入って行ったところにあり、東京物理学校から引き継がれた
書物や機器等が展示されています。それに館長は、TVでもお馴染みの数学者秋山 仁。
興味のある方は、以下のURLで。
http://www.sut.ac.jp/info/setubi/museum/
さて、漱石の『坊ちゃん』。
両親に死に別れた坊ちゃんですが、商業学校を卒業して九州の支店に勤務することに
なった兄が、家屋敷から家財道具の一切合財を売り払って、そのうちから600円を
手渡して自由に使えというので、
“六百円を三に割って一年に二百円宛使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命に
やれば何か出来る。夫からどこの学校へ這入ろうと考えたが、学問は生来どれもこれも
好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平御免だ。新体詩などと来ては二十
行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌なものなら何をやっても同じ事だと思ったが、
幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出て居たから、何も縁だと思って規
則書をもらってすぐ入学の手続をして仕舞った。今考えると是も親譲りの無鉄砲から起
った失策だ。
三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から
勘定する方が便利であった。然し不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業して仕舞
った。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業して置いた。”
とあります。
ちなみに、僕が持っている『坊ちゃん』(新潮文庫)は、昭和37年4月30日四十三刷
(定価50円)とありますから、中学生のときに読んだようです。
でも、その物理学校が5年後に入学した大学の前身であったことを知ったのは、入学時
に貰った小冊子「学園生活」を見てから。
大体が、大学選びに迷っていたときに、仲の良かった級友が見ていた学校案内を覗き込
んで、僕も受けてみようと思ったくらいですから、無鉄砲と云う点では、坊ちゃんとは
五十歩百歩。
その「学園生活」の中に、
“東京物理学校の神楽坂移転は、今まで学校のなかった場所だけに、周囲にいろいろの
逸話を残した。夏目漱石の『坊ちゃん』の主人公は、東京物理学校の門前を通りかかって、
ついふらふらと入学してしまう。この小説の発表は明治39年で、牛込に住む漱石は建
築中の本校の門前をたびたび通ったので、それを「坊ちゃん」のなかで使ったのだろう。”
とあります。
漱石は『坊ちゃん』を1週間ほどで書き上げていますが、果して坊ちゃんはこの白亜の
校舎の前を通りかかって入学したのでしょうか?
詳しくは、コメント欄で。