この写真、何だと思います?
飯碗の蓋のところに「亀山製」と書いてあります。
実は、この飯碗と湯呑み、龍馬が愛用していたものなんです。
元治元年(1864)十月二十一日、勝海舟に江戸召還の命が
下り、龍馬の夢は儚くも潰え去ります。
居場所を無くした龍馬ら浪士は薩摩藩の庇護を受けることにな
ります。そして専ら薩摩藩の蒸気船(後に借金して自前の船を
持ちますが)の運用を行うために、慶応元年閏五月頃に交易の
地、長崎に社中を結成します。
長崎の街や港を一望にできる小高い丘の上、亀山を根城とした
ので亀山社中と後世名付けられるようになりましたが、当時は
ただ単に社中(同門の仲間)とだけ云っていました。
その亀山の地は、かって亀山焼の窯が沢山有りました。その跡
地に社中を構えたので、龍馬が買い求めたものと思えます。
飯碗は高さ7.8cm、湯呑みは7.5cmとありますから、
飯碗は普通より大きめですね。湯呑みの方は、モダンな絵模様
ですが、飯碗は龍馬好みの龍の絵が蓋ともに描かれてあります。
写真が小さいので判り難いですが、飯碗の方は確認できるだけ
でも二箇所、焼き継ぎの跡が見受けられます。
初めからセコハンを買ったとは思えませんので、お龍が、手元
が狂ったのか、投げつけたのか、分かりませんが割ってしまった
のでしょう。でも心配無用。焼き継ぎ屋で修行をした者が社中
にいたのですから。
河田小龍の内弟子となって絵を習っていた、そして女性のヌード
を描いていた美男子の新宮馬之助。彼は叔母の家に寄宿していた
ことがあって、そこが焼き継ぎ屋だったのです。
慶応三年早々に下関の阿弥陀寺町の本陣伊藤助太夫方にお龍とも
ども寓居を構えますので、それ以前の長崎に居たときに割って
しまったのだと思います。
この飯碗と湯呑みは下関市立長府博物館にありますが、残念なが
ら、以下の江戸東京博物館での展示品には含まれていません。
「2010年NHK大河ドラマ特別展 龍馬伝」(1F展示室)
会期:4月27日(火)~6月6日(日)
9:30~17:30(土曜日は19:30まで)
休館日:5月6日(木)、24日(月)、31日(月)
料金:1,200
展示物:
①太刀「吉行」(京都国立博物館蔵)
これ、龍馬が暗殺されたときに佩びていたものではありません。
あれは大正二年十二月の北海道釧路市の大火で焼けてしまいま
した。そんなことがあったものですから、坂本家(龍馬家では
なくて権平家の方)は龍馬の遺品を京都国立博物館に寄贈した
のですが、吉行は土佐の刀鍛冶でしたから権平が龍馬にあげた
ものの他にも持っていて、それがそのときに混ざって寄贈され
たのではないでしょうか。
②重文「近江屋旧蔵、書画貼交屏風」(同上)
これ、龍馬が暗殺された近江屋の奥座敷にあったもので、血痕
が残っています。たぶん、中岡慎太郎のもの。ただし、~5/10。
③龍馬のオリジナルガラス板写真(湿板写真)(高知県立歴史民俗
資料館蔵)
これ、例の明るい紺の紋付を着た立ち姿の写真です。現存する
唯一のガラス板写真だそうで、4/27~29の三日間しか実物は展示
されません。その後はレプリカを展示。
④胴掛(個人蔵、高知県立歴史民俗資料館寄託)
これ、例の平井加尾へ贈った寄せ書きのある胴掛です。
⑤龍馬所持の鍔(京都府立総合資料館蔵)
これ、父八平が龍馬に与えた「修行中心得」にありましたでしょ、
「諸道具に心移り、銀銭費やさざること」って。龍馬はこういった
ものの収集癖があったのです。
⑥龍馬使用の海獣葡萄鏡(京都国立博物館蔵)
これ、龍馬が近江屋に移ってから(といっても十日後に暗殺に遭う
のですが)、近江屋から借りて使っていたという青銅鏡です。
本当かどうか分かりませんが、お洒落な龍馬のことですから、そし
てこの頃身嗜みよろしく出掛けなければならないこともありました
から、借りていたのかも知れません。
⑦龍馬書簡
:重文「日本を今一度せんたくいたし申候」とある文久三年六月
二十九日付の乙女に宛てた有名な手紙。(同上)
:重文 お龍との新婚旅行を絵入りで報告した慶応二年十二月四日
付の乙女に宛てた、これまた有名な手紙。(同上)
しかし、なんたることか、は4/27~5/17、は5/18~6/6。要するに
二度足を運ばないと見ることができませんよ、ってこと。
:龍馬の絶筆となった慶応三年十一月十三日付の陸奥陽之助(宗光)
に宛てた手紙。「龍馬の暗号、最後の手紙に隠された謎!?」と
いうTVで紹介された手紙。TVの内容はアホラシイの一言。
⑧近江屋復元
これ、楽しみにしている一つです。龍馬と慎太郎が襲撃されたときに
居た二階奥(西側)の八畳間を実物大で復元するようです。
高知県立坂本龍馬記念館には模型で再現したものがあるのですが、や
はり実物大でないと、二人と刺客(最初は二人、慎太郎が逃げ出した
後は三人)がどのように動いたか確かめることができません。
京間ですからちょっと広めですよ。
他にももっと有るやも知れません。詳細は以下のところをご覧ください。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2010/0427/0427.html