「おシャカになる」
今朝、窓外にひらひらと小さな白い蝶が何匹も舞うようにして飛んでいる。と 見ていたら、どれもこれも
ゆっくりと下降してゆくではありませんか。 それもその筈。桜の花びらだったのですよね。直ぐ隣にソメ
イヨシノが咲いて いますから、そこから飛び立ったのでしょう。
青空に映えて、散りぎわも見事なものです。
綺麗な衣装を脱ぎ去った桜木を表題のようには呼びませんが、『ことばの歳時記』(金田一春彦著)の
今日(4月9日)の項は、この言葉の語源について以下のような面白い説が述べられています。
ひとつは、“ある鋳物工場で地蔵を作ってくれと頼まれたが、仕上がったのを 見ると、どうもお地蔵さん
の顔ではなくお釈迦様の顔である”とする説。
いま一つは、“下町の工場で金属の溶接をする時、火が強いと失敗してしまう。 それで接着がうまくいか
なかったものを「火が強かった」すなわち下町流に発言すれば「シガツヨカッタ」これをシャレて「四月
八日」と言い出した。そしていつのまにかこの日にお生まれになった「おシャカ」になってしまった”説。
意味としては、「出来が悪くて、使いものにならなくなった」ですから、最初の説のお釈迦さまが入滅
した後の地蔵菩薩となったお顔と生前のお顔に違いを求めると云うのはちと無理筋のように思います。
で二つ目の説の方はと云うと、落語に出てきそうなほどに気が利いていて落が着く。
広辞苑は最初の説に軍配を上げていますが、僕は二つ目に上げたい。(^^)v