大森第一小学校第40期卒業生同期会

卒業して幾星霜、さあ懐かしい面々と再会し、浮世の憂さも忘れて、思い出話に花を咲かせよう!

つぶやきの部屋12

2010-11-24 14:11:51 | Weblog

今晩の放送分も含めて「龍馬伝」は以下の6回のようです。
 第43回「船中八策」
 第44回「雨の逃亡者」
 第45回「龍馬の休日」←「ローマの休日」みたい
 第46回「土佐の大勝負」
 第47回「大政奉還」
 第48回「龍の魂」

龍馬が暗殺される最終回まで、この記事でコメントを収められるか
どうか、甚だ心許無いのですが、龍馬が刺客に襲われたときに慎太
郎と一緒にいた近江屋二階の奥座敷の写真を掲載しちゃいました。

上側のモノクロ写真は、明治初期に撮られたもので、部屋を北西に
見たものです。左側には、障子戸を開けてあるので、物干台が見え
ています。
下側のカラー写真は、事件当日の部屋の様子を再現したもので、部
屋を北東に見ています。写真には有りませんが、火鉢と障子戸との
間には行燈が有りました。
 (床の間にある違い棚と、その右横の襖から互いの位置関係を判断
 してください。)
「つぶやきの部屋8」で使用した血染めの掛軸は違い棚の下に掛け
られていて、龍馬の佩刀吉行は逆にもっと左寄りにあったと僕は考
えています。

京間は長辺が六尺五寸(約197cm、短辺はその半分)ですので、
江戸間の五尺八寸(約176cm)と比べると、八畳間だと約1.25倍
も広いのですが、流石に四人の立回りともなると、再現写真の右手前
に写っている屏風に足が掛かって倒れたのもむべなる哉です。
 (そこに残された血痕から倒れていたことが分かるのです。)
屏風は縦約180cm、横約160cmもあるので、倒れると部屋の
1/5弱の広さを占めることになるのですが、それが踏み破られてい
ないことから、すぐにそこから離れたところへ移って斬り合いが行わ
れたことが推測できます。
全てをここで披露することはできませんが、遺された写真・絵図、証言
や回想など、ちょっとしたものでも矯めつ眇めつしてアレコレ繋ぎ合わ
せて行くと、襲撃の模様が浮かび上がってくるのです。

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