小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

イヤーノート

2013-05-30 03:38:14 | 医学・病気
イヤーノートについて。なにか2チャンネルの掲示板で、私が以前にホームページに書いた、「医師国家試験に通る方法」というのに、私の意見に対する批判のようなものが書いてあったので、読んでみた。私は、医師国家試験に通るには、「イヤーノートを教科書としなくてはならない」と断言した。実際、私のクラスでは、全員、イヤーノートを持っていて、イヤーノートを教科書として勉強し、卒業時には、イヤーノートが手垢で汚くなっていた。そして、国家試験の会場には、他の医学部の医学生も、全員、イヤーノートを持ってきていた。これは、まぎれもい事実である。そして、クエッション・バンク(国試の過去問)には、問題の下に、イヤーノートの参照ページまで、ご丁寧に書いてあった。(まあ、クエッション・バンクとイヤーノートは、同じ出版社という点はあるが)なにか掲示板では、今は、イヤーノートを使って国家試験の勉強をしている人は、少ないらしい。イヤーノートが、国家試験の絶対的にして唯一の教科書では、なくなっているらしい。(もっとも、掲示板では、国家試験に落ちた人達が書いていて、そもそも、2チャンネルの掲示板なんて、いい加減なのが多いが)私は、自分を強引に正当化しようという気は全くない。そんなの、私の最も忌み嫌うことである。では逆に知りたい。イヤーノート以外の何を教科書として、今の医学生は、国家試験の勉強をしているというのか。イヤーノート以上の、使いやすい、教科書が出た、ということなのだろうか。今度、医学書店に行ったら、見てみよう。(むしろ、書いている人は、国家試験に落ちた人なので、イヤーノートを教科書にして勉強しなかったから落ちた、とも思ってしまうのだが・・・)イヤーノートは、「概念」「原因」「症状」「検査」「診断」「治療」を、全ての疾患で理由なく羅列しただけの本である。しかし、その記述の中で、国家試験の過去問に出たフレーズは青色で書いてある。このことからして国家試験用の本と考えることは出来ると思う。確かに、医学は、時代が進むほど、新しい治療法や、その疾患に対する知識がわかってくるから、当然、医学生が学ばなければならない勉強量は、年々、増えていく。し、イヤーノートも厚くなっていく。これは当然である。

しかしである。医師国家試験というのは、それら全てを覚えなければならない、というものではない。ちょうど、数学を例にして例えるならば。数学の世界は無限である。数学の全てを知り尽くしている数学者などというのは、いない。数学も、色々と細分化されて専門があるからである。しかし、高校の数学を例に例えるなら、覚えるべき上限を設けている。のである。高校の数学では、「この範囲のことがらは、理解して覚えておいて下さい」というのが、文部科学省の方針である。

医師国家試験も、それと同じなのである。医学という学問も無限であり、医学の全ての知識を知り尽くしている医者や医学者は、この世にいない。医師国家試験というのは、高校の数学と同様、「この範囲の医学知識は理解して覚えて下さい」という上限を設定しているのである。だから、イヤーノートが、昔と比べて厚くなったからといって、イヤーノートでは勉強できなくなった、ということは私には考えられない。

また内科専門医の試験は、医師国家試験よりもレベルが高く、医師国家試験の知識量、理解度、では対処できない。しかし、内科専門医は、臨床を長くやっていて、実際の臨床には強いが、医師国家試験の知識は、かなり忘れているから、内科専門医の試験を受けようとする人もイヤーノートを使って勉強するだろう。(つまり、イヤーノートは、医師国家試験を受ける人だけのための教科書でもない、ということである)それは、ちょうど大学受験の時、英語をしっかり勉強したが、社会人になって何年も経っている人は、英語をかなり忘れているから、海外に行くためとかで、「よし。英語を勉強しよう」と思った時に、高校の英語の教科書で勉強するのと同じである。
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