世間の人間は統合失調症という病気を誤解している。
なので、植松聖には、責任能力があっただの、なかった、だの、なんていう、バカげた、ことを論じている。
ニュースでも、「裁判の争点は、植松聖には、責任能力があったか、どうか、という点が判決のポイントです」、などと、バカげたことを言っているのである。
世の精神科医は、腰抜け、ばかりで、誰も、発言しないようだから、私が、発言しておこう。
植松聖には、責任能力は全く無い。
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統合失調症とは、元の名は、精神分裂病、であり、わかりやすく言えば、キチガイ、である。
そして、統合失調症の患者は病識(自分が病人であるという自覚)が無い。
差別語とやらを含むが、わかりやすく言えば、
「キチガイ(=統合失調症患者)、は自分を正常と思っている」
のである。
これは、差別的な、フレーズだが、とてもわかりやすく、そして、真実の説明である。
年齢は何歳でも、発症する。
しかし、大体、10代後半、20代、30代、で発症の患者が多い。
しかし、40代で、発症する患者もいる。
統合失調症は、まず、知的障害者ではない。
大学卒の統合失調症患者もいる。
(その数は少ないが)
東北大学の大学院卒の、統合失調症患者も、僕が研修した、下総精神医療センターで、見た。
彼(A氏)としておこう。
A氏は、非常に知性的で、頭が良かった。
彼は、インテリで、哲学、文学、歴史、の知識もあった。
しかし、ある妄想で、どこかの国の大使館に、入り込んで、乱暴して、精神病院に入院となった。
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統合失調症の患者の妄想は、基本的に治らない。
まれに、治る患者もいるが、その割り合いは、1000人に1人もいない。
治療は、向精神薬の服薬である。
しかし、向精神薬を服薬させても、妄想、や、幻聴の、度合いを、多少、軽減させることは、出来ても、完全に、治ることは、まずない。
そもそも、統合失調症患者の治療のゴールは、患者の妄想を無くすことではない。
そんなことは、不可能である。
統合失調症患者にとって、患者が持っている妄想は、患者にとって、現実なのである。
なので、精神医療のゴールは、患者が妄想を持ちつつも、わけがわからないまま、薬を飲む自覚をさせて、薬を飲み続けられ、家族と暮らしても、トラブルを起こさないように、なって、(自分一人でも、家族に付き添われて、でも、いいから)、通院治療が、できるようになることが、治療のゴールなのである。
統合失調症患者の妄想は、患者にとっては、現実なのである。
なので、患者に説明して、患者の考えを、変えさせる、ということは、不可能なのである。
それは。たとえれば。
正常な、男の人に、「あなたは、女です」、と、説明して、その男に、「私は女なのだ」、と納得させるようなものなのである。
そんなとは、不可能である。
おそらく、一日中、10年間、20年間、どんなに説明しても、納得させることなど、出来っこない。
統合失調症患者にどんな妄想が起こるかは、わからないのである。
植松聖の場合は、妄想の内容が悪かったから、ああいう、悲惨な事件になってしまったのである。
つまり、植松聖の事件は、1964年(昭和39年)に起きた、「ライシャワー事件」、と、同質の事件なのである。
「ライシャワー事件」とは。
1964年(昭和39年)3月に、アメリカの東洋史研究者、ハーバード大学教授である、エドウィン・オールドファザー・ライシャワー氏が、アメリカ大使館門前で当時19歳の統合失調症患者にナイフで大腿を刺され重傷を負った事件である。
この事件は、ほんどの精神科医は知っているはずである。
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ちなみに、他の事件の犯人に関しては。
麻原彰晃は、被害妄想的傾向はあるが、統合失調症、とは診断は出来ず、責任能力がある。
宮崎勤も責任能力がある。
2018年東海道新幹線車内殺傷事件の犯人、や、寺内樺風(かぶ)、は、そもそも精神病ではない。
2018年東海道新幹線車内殺傷事件の犯人を、人格障害、と診断する精神科医もいるかもしれないが、僕は、人格障害とは、見ていない。
というより、会って、話を聞いてみないと、わからない。
犯罪者の全てが、何らかの精神病であるわけではない。