今年は、三島由紀夫死後50年。
三島由紀夫は、自衛隊の総監を人質にとって、演説して切腹して死んだ。
まず、犯罪でも、人質をとる、というのは、もっとも卑劣な方法だと僕は思っている。
し、それは、皆も認めるであろう事実である。
だけど僕は、三島由紀夫の死は、肯定するけど。
三島由紀夫は、さかんに、
「美しく死にたい」、とか、「華々しく死にたい」、とか、「英雄的に死にたい」、とか、「歳をとって老いて死にたくない」、とか、「夭折したい」、とか、言ってたけど。
「美しく死にたい」、とか、「華々しく死にたい」、とか、「英雄的に死にたい」、とか、「歳をとって老いて死にたくない」、とか、「夭折したい」、などのことは、個人の好み、であって、思想では決してない。
☆
三島由紀夫の、他人との討論は、感情入れまくり、で、非知性的、きわまりない。
三島由紀夫が、他者、東大全共闘、とか、早稲田の学生、とか、評論家、とか、討論する時。
(議論とは、感情を入れず、知性的にすべきものである)
三島由紀夫は、誰かと討論する時、相手が、自分が満足できる発言をすると、やたら、露骨に相手に親しげな態度で接するが、相手が、自分が満足できない発言をすると、相手に対して、やたら露骨に不機嫌な態度で、接する。
これは、おかしいんじゃないの。
というより。
はっきり言って、三島由紀夫の頭の中で、知性と感情で、完全に論理が、出来あがってしまっているので、三島由紀夫と、討論することは、ナンセンスなのである。
議論は、感情を入れず、「真理を追究しようとする」、態度で知性的にすべきもの。
そうすれば、アウフヘーベンも起こりうる。
そして、三島由紀夫は、やたら、自分の、「男の意地」、を、曲げない、で、「男の意地」、を通す、と自分でも言っていて、相手と話している。
これらは、「思想」、と呼べるものじゃない。
三島由紀夫が、文学において、天才的に優れていて、また、非常に、多くの、哲学書、思想書、を読んでいるから、三島由紀夫の思想、も、天才の思想、と、世間の人間は、思ってしまっている。
しかし、だからといって、僕は、三島由紀夫の死を、否定しない。
肯定する。
それが、人質をとった卑劣な犯罪であっても。
それは、三島由紀夫の死には、非常に、誠実な動機、も、含まれているからである。
☆
三島由紀夫は、神風特攻隊、や、明治維新の志士たち(吉田松陰、や、西郷隆盛)、などのように、英雄的に行動して死にたかった。
しかし、そういう事件は、第二次世界大戦の平和な世界では、起こりえない。
だから、自分で、後世に残る大きな事件をつくるしかなかった。
三島由紀夫としては、人を殺さない、演説だけの、二・二六事件、を行ったということ。
☆
三島由紀夫は、「大義」、のために死にたかった。
三島由紀夫が、座右の書、としていたのは、武士の心得を書いた、「葉隠」、である。
しかし、「葉隠」、は、武士は、どう生きるべきか、ということを説いた、武士にだけ、当てはまる書物である。
全ての職業の人に当てはまる思想ではない。
そもそも、「葉隠」、は、思想、と呼べるものか、どうか、疑問である。
「強がる」、「死を恐れない」、「主君のために死ぬ」、などは、思想である。
しかし、それは、戦国時代の武士、のための、思想、であって、戦後には、「武士」、とか、「武士的な職業」、というものはない。
自衛隊の隊員にしたって、決して、「武士」、ではない。
防衛大学にしたって、自衛官たちに、「日本の防衛のために命をかけろ」、とは、決して言っていない。
(それは、戦前の日本の教育である)
また、自衛官たちも、「日本の防衛のためなら命をかけよう」、とは思っていないし、(なかには思っている人も数人は、いるかもしれないが)、また、はたして、「国防のために殉死する」、ことが、はたして、正しいことなのか、どうか、は疑問である。
だから、武士道に生きよう、とする、三島由紀夫、と、戦後の、日本国民、との間で、考えが、一致するはずがない。
まあ、あけすけに言ってしまえば、三島由紀夫の思想は、アナクロニズム(時代錯誤)、も、いいとこである。
三島由紀夫は、自衛隊員たちに、憲法改正の、クーデター、を、起こせ、なんて言ってたが、自衛隊が、クーデター、を起こすはずがないのは、三島由紀夫も、わかりきっている。
起こりえない、と、わかりきっている、ことに、対して、大真面目に、真剣に、命がけで、演じて、訴えるのが、三島由紀夫の、ユニークで、命がけの、真剣な、性格である。
☆
さて、武士であるためには、その人のために死ねる主君、というものが、どうしても必要になる。
宮本武蔵は、仕官しなかったから、武術家、兵法家、とは、言われるが、武士、とは、言われない。
主君がいなければ、武士には、なれないのである。
三島由紀夫は、武士になりたかったから、主君、というもの、が、どうしても、必要だったのである。
主君が、いなければ、作り出すしかない。
しかし、三島由紀夫にとって、幸いなことに、日本には、主君たりえる存在が、あったのである。
それは、言うまでもなく、天照大御神から、続いている、天皇制、である。
その、天皇制こそが、三島由紀夫にとって、日本の、歴史、伝統、文化、だったのである。
そこで、三島由紀夫は、自分が、武士になるために、天皇を、担ぎだして、天皇を主君にしたのである。
自分が武士になるために、天皇、の存在が、必要だったのであり、その天皇を、もっと神格化したかったのである。
あけすけに言ってしまうと、三島由紀夫にとって、天皇の人格などは、どうでもよかったのである。
さらに、あけすけに言ってしまうと、三島由紀夫は、天皇を、日本の絶対者、崇拝の対象にして、天皇のために、死ぬ、ヒロイズムに酔いたかったのである。
これは、軽率な心理であるが、三島由紀夫は、自分の軽率さ、を自覚しつつも、(武士になりたい、武士として死にたい)、という、三島由紀夫にとって、絶対、ゆずれぬ、目的のために、軽率な自分の信念に忠実であったのである。
三島由紀夫は、死ぬ、10日まえに、評論家の古林尚氏、と、対談しているが。
三島由紀夫は、その時、「主君は天皇でなくてもいいんですよ。封建時代の殿様でも、何でも、いいんですよ」、と、平然と言っている。
非常に、軽率だが。
太宰治は、「自分は非常に軽率な人間である」、とか、「小説家は人間に尊敬されてはならぬ」、とも、言っている。
しかし、逆に、偽りのない自分の本心を言う、人間は、誠実であると言えよう。
三島由紀夫も、感性においては、「軽率」、なものがあった。
三島由紀夫は、太宰治を嫌っていたが、それは、三島由紀夫が、太宰治に、いくつもの自分との共通点、を見た恥ずかしさ、ゆえである。
☆
人間は、自分が、ずっと、信じてきた、自分の信念を、簡単に変えることは出来ない。
誠実な人間にとっては。
終戦によって、多くの、誠実な日本人は、自分の良心に苦悩した。
三浦綾子さんは、戦前は、教師で、自分史的小説、「道ありき」、で、戦前、生徒たちに、教えていたこと、と、正反対のことを、戦後、教えなくてはならないことに苦悩した。
オウム真理教の信者も、麻原を絶対者として、信じていたが、麻原、が、無差別殺人したことを、知って、想像を絶する、苦悩におちいったことだろう。
三島由紀夫は、戦前は、「日本は太平洋戦争に負けて、日本は滅びて、自分も死ぬ運命である」、という絶対的な信念をもっていた。
遺書も書いた。
その信念を、終戦によって、コロリと、変えることは、どうしても、出来ないことだった。
三島由紀夫に限らず、誠実な人間は、終戦による、価値観の転換、に非常に苦悩した。
自分の思想を、コロコロ変えるヤツが、いい加減なヤツであることは、言うまでもないことである。
そんなヤツは、恥知らず、である。
だから、三島由紀夫は、終戦によって、価値観を、180度、てのひら返しに、平気で、変えた日本国民の多くを嫌っていた。
☆
三島由紀夫は、無神論者であり、ニヒリストである。
三島由紀夫の、小説のテーマの一つに、「エロティシズム」、がある。
エロティシズムには、絶対者(神)、の存在が、どうしても、必要なのである。
しかし、三島由紀夫は、無神論者である。
そこで、絶対者、が、存在なしくても、成立する、エロティシズム、というものを、考察した、文学者、哲学者、の、ジョージ・バタイユ、にも三島由紀夫は、大変、興味をもった。
バタイユ、は、エロティシズム、の、ニーチェ、と言われているほどである。
そこで、三島由紀夫にとって、「死=美=エロティシズム」、という、考えが、かたまって行った。
死、と、美、と、エロティシズム、は、等価である、という考えである。
そして、自分の死によって、それを実行した。
☆
知行合一。
三島由紀夫は、陽明学の、知行合一、思想を、信条としていた。
小説は、フィクションだから、小説の、テーマ、と、小説家の行動が、一致する必要はない。
しかし、三島由紀夫は、小説、以外にも、評論文、も、多く書き、自分の思想を、社会に訴えていた。
そこで、言ったり、評論文で書いたり、した自分の思想を、行動しないのは、卑怯だ、と考えていた。
☆
死人を罰することは、物理的に不可能である。
三島由紀夫は、光クラブ事件を、モデルにした、長編小説、「青の時代」、を書いているが、あの主人公、山崎晃嗣、は、「合理主義」、「感情を入れないニヒリズム」、「英雄志向」、などで、三島由紀夫と、共通する性格があるが、(だから、彼をモデルにした小説を書いたのだが)、法的、物理的に、「死者を罰することは出来ない」、という、当たり前のことを、利用した。
☆
三島由紀夫は、(嫌っている)太宰治の言う、「家庭の幸福は諸悪の根源」、という思いをもっていて、ささやかな、平和的な、家庭生活、を嫌っていた。
男は、行動すべきだと思っていた。
それは、三島由紀夫の文学作品の中でも、何度も、述べられている。
だから、思想の方向性は、違うが、学生運動で行動した、全共闘の熱意は評価していた。
行動の情熱が大きければ、大きいほど、三島由紀夫は、それを評価した。
三島由紀夫は、命がけの行動が好きだった。
しかし、行動した後、なぜ、死ななければ、ならないのか?
それは、三島由紀夫の、好み、であって、行動した後、死ぬ必要はないと思うのだが、それが、三島由紀夫の、美的価値観なのだから、仕方がない。
確かに、トップアスリート、や、プロスポーツ選手が、引退すると、さびしい。
現役の時は、過酷な練習をし、厳しいウェイトトレーニングをし、ボクシングなど、階級制のスポーツでは、食べたい物も食べず減量して、ウェートをキープしなければならない。
大きな目標のために、精一杯、頑張って生きている。
しかし、トップアスリート、や、プロスポーツ選手が、引退すると、もう、生きる目標も無くなり、苦しいトレーニングから解放されて、トレーニングもしなくなり、食い物も、食いたい放題になるので、ブクブクに太って、みっともなくなる。
だから、「大きな目的をもっている人間が、行動を終えた時、死ぬべきだ」、という考えは、十分、わかる。
僕も、引退した、アスリートには、全く興味ない。
☆
三島由紀夫は、だらしない日本人を嫌っていた。
しかし、愛国心はもっていた。
しかし、この、「愛国心」、という言葉が、クセモノなのである。
「愛国心」に関する、格言には、ロクなものがない。
「愛国心」、という言葉ほど、言葉の定義が、いい加減、な言葉はない。
愛国心、とは、一体、何を、愛するのか?
それぞれの、人間が、自分に都合のいいように、使っている。
☆
僕は、三島由紀夫から、思想的な影響は全く受けていない。
小説創作において、言葉の使い方、の技巧的なことでは、参考になったが。
また、盾の会の残党にも、ロクなヤツは一人もいない。
☆
三島由紀夫は、死ぬまで、「外見の美しさ」、「カッコ良さ」、ということに、こだわり続けた。
若い頃は、「文章は絶対、美しくなければならない」、ということに、こだわった。
大人になって、行動するようになっても、行動も、「外見の美しさ」、「カッコ良さ」、があることが、三島由紀夫にとって、絶対、必要なことだった。
盾の会の制服。
あの、きらびやかな制服は、一体、何だ?
まるで、お偉い将校の夜会服。
まあ、全部、三島由紀夫が、金、出して、つくったのだから、他人のことに、とやかく言うスジアイはないが。
盾の会、とは、日本を守る民兵組織でしょ。
なら、戦いやすい、機動的な服装の方が、いいはずだ。
三島由紀夫は、誠実な人間だが、三島由紀夫独自の個人的な美的価値観にまで、つきあう必要はない。
し、つきあう気もない。
☆
三島由紀夫の小説のテーの一つに、「認識と行動」の問題もある。
非常に、カント哲学を感じる。
イギリス経験論によって、哲学が、危機に瀕したのを、カントは救ったのである。
それまで、哲学は、テオリア(静観)することだと思われていた。
それを、カントは、行動によって、物事を認識することが出来る、という考えを、提唱したのである。
「金閣寺」でも、主人公の溝口は、悩んだ末、「世界を変えるのは行動だ」、という結論に達して、金閣寺を放火する。
それは、三島由紀夫の、自決でも、同じである。
まあ、これには、「禁をやぶることが、エロティシズムである」、という、バタイユ哲学も、影響しているが。
☆
三島由紀夫は、諧謔家である。
誰に対しても、常に、シニカルなユーモアを、交えて話していた。
ユーモアは、冗談、さぶけ、であって、思想ではない、と人は思うかもしれないが、それは、三島由紀夫の場合、完全な間違いである。
「葉隠」では、「強がる」、ことを美徳としている。
「強がる」ことを、信念としている人は、ほとんどの人間のように、「謙遜」、することをしない。
「オレは絶対、謙遜なんかしないぞ。人間関係においては、シニカルなユーモアを言って、強がるぞ」、という信念は、思想である。
☆
文芸評論家や小説家は、(奥野健男とか、福田恆存とか、川端康成も)、や、有識者を自称する連中は、三島由紀夫事件について、気取ったことを言って、カッコつけてるだけで、何もわかっていない。
いいだもも、は、かなり理解しているが。
☆
三島由紀夫が感じる、「美」、と、一般の人間が感じる、「美」、とは、全然、違う。
だから、「美」、も、三島由紀夫の小説のテーマの一つだった。
「仮面の告白」、でも述べられているように、三島由紀夫は、「女」、に、対して、「性愛」も「恋愛」も、感じられなかった。
三島由紀夫は、逞しくて、頭のあまりよくない男を愛してしまう感性だった。
三島由紀夫にとって、「女」、が、一体、どう見えたかは、誰にも、わからない。
しかし、三島由紀夫は、短編小説で、たくさんの、男女関係の、恋愛的な小説を書いている。
この理由は、簡単で、倒錯者にとっては、「世間の、男女関係とは、一体、どういうものなのか?」、ということが、わからないから、それが、問題意識となり、それを小説で描きたい、という欲求が起こるからである。
それに、三島由紀夫は、「可愛らしいもの」、を描くのが、好きだった。
☆
三島由紀夫が、「人間とは・・・」、と言って何か言う時、その意味を考えてはいけない。
なぜなら、それは、「人間一般」、に、当てはまる法則ではないからだ。
それは、「人間一般」、に当てはまることではなく、三島由紀夫だけに、当てはまる事だからである。
それは、三島由紀夫、自身も、わかっていただろう。
しかし、三島由紀夫は、「強がる」性格だから、「私は・・・なんです」、という、弱い言い方を嫌ったのである。
☆
三島由紀夫は、女と情死することが、「美しい」、と見えたのだが、僕は、全く、そうは、思わない。
むしろ正反対である。
僕は、ある場合には、自殺は否定しないが、男が死ぬ時は、道連れ、を出しては、決していけないと思っている。
一緒に死んでくれる、道連れ、がいると、「死」の、Threshold、が、低くなってしまうからだ。
男は、どんなに、「死」、が、こわくても、死ぬ時は、一人で死ぬ方が、はるかに男らしいと思っている。
三島由紀夫は、総監を人質にとって、止めに入った、自衛官を切りつけている。
壮大な死が、三島由紀夫には、英雄的で、美しいと思ったのだが、僕には、英雄的な死には、全く思えない。
その理由は、いくつかあるが。
(1)盾の会の会員を、何人か、使ったこと。
僕が、何か違法なことを、やるとしたら、てめえ一人の力でやる。
誰の助けも借りない。
犯罪でも、共犯者を使うのは、男として、卑怯だと思うからである。
(2)刀、日本刀を使ったこと。
三島由紀夫にとっては、日本刀は、「武士の魂」、なのだろうが、ジャック・ロンドン、が言っているように、「人間の発明による凶器」、を使うのは、卑怯者、腰抜け、のすること、だと僕は思うからである。
(3)「自分の死」に、道連れ、を出したこと。
三島由紀夫は、森田必勝も死なせてしまった。
僕は、どんなに、「死」が、こわくても、男は、死ぬ時には、一人で死ぬべきだと思っている。
自分の、「死」、に、道連れ、を出すのは、腰抜け、のやることだと思っている。
☆
三島由紀夫は、人から理解されない、という自信をもっていた。
そして、人間が、他人を理解しようとする行為を、「不潔な行為」、という思いを持っていた。
確かに、世の中の人間には、「自分を無にして相手を理解しようとする」、人は、極めて少ない。
ほとんどの人間は、「自分流の解釈、偏見で、相手を理解した気になっている」、人間がほとんどである。
さらに、人間の心は、ロボットてはなく、諸法無我、であり、また、歳月が経つことによって、自分の考えが、変わることもある。
だから、人間の、identity は、厳密に言うと、つかめめないもの、である。
しかし、少なくとも、僕は、「自分を無にして相手を理解しようとする」、態度を持っているつもりなので、「相手を理解している」、なんて、僭越で傲慢なことは、言わない。
そして、「人間は他者を理解できない」、という前提をもって、それで、「自分を無にして相手を理解しようとする」、態度を持って、相手を理解しようと、努力するなら、その行為は、「不潔」だとは思わない。
☆
三島由紀夫は、「自分のためだけに生きていると、卑しさを感じる」、とか、「民主主義、自由主義社会においては、自分を超える価値、というものが無いと、何のために生きているのか、わからなくなる」、とも言っている。
三島由紀夫は、精一杯、全身全霊を込めて、文学作品を書き続けた。
それは、三島由紀夫が、書きたいから、書いたのであり、自分のためである。
しかし、小説家に限らず、芸術家は、芸術作品を通して、世間の人間と、関わりをもっている。
そして、芸術作品は、世間の人間を楽しませる。
また、芸術家も、世間の人間を楽しませるために、芸術作品を作っている。
それは、三島由紀夫でも、同じである。
だから、芸術家は、「自分のためだけに生きている」、などと卑下する必要は、全くない。
しかし、三島由紀夫は、一般の人間と違って、理想が高かったから、そうは、思えなかったのである。
人間は、「何もしなくてもいいよ」、という状態になった時、ほとんどの人は、自分の、やりたいこと、好きなこと、をやる。
あるいは、だらけて、何もしなくなる。
人間は、何か、自分にとって嫌な拘束があった方が、生きよう、何かをしよう、という、情熱が起こるのである。
たとえば、男女の恋愛においては、恋愛の成就が妨害された方が、恋愛の情熱が激しくなるのである。
何の困難も無い、みなが祝福する、男女の恋愛では、恋愛の情熱の度合いは、燃え盛らないのである。
このことは、西尾幹二氏の、「国民の歴史」という本の中で、「人は完全な自由に耐えられるか」、と題して書かれている。
だから、三島由紀夫は、「経済的繁栄にうつつをぬかし、精神は、カラッポになった」、と、戦後の日本人を嫌っていたのである。
☆
「自分に向けられたサディズム」
三島由紀夫は、「仮面の告白」、でも、述べているように、サディストだった。
それを、精神の中で、とどめておくのなら、問題はないが、三島由紀夫の、「死」、には、「自分に向けられたサディズム」、の快感の興奮を求めて、それを実行してしまった、という面もある。
ボードレールの言う、「死刑囚にして死刑執行人」である。
サディズムの極致は、生易しいSМプレイなどではなく、「死」なのである。
☆
三島由紀夫は、「暴力を肯定する」、と堂々と言った。
これを、一般人は、おかしい、と思うだろう。
しかし、これは、全然、おかしくない。
三島由紀夫は、子供の頃、起きた、二・二六事件に、強い影響を受けた。
三島由紀夫の言う、「暴力肯定」、とは、政府、や、国家権力、などの、不正に対する、暴力のことである。
大塩平八郎の乱、で、はたして、大塩平八郎は、悪人なのだろうか?
日本の法、や、国家権力、政府、は、はたして、正しいものなのだろうか?
ジョン・アクトン、が言うようよ、「権力は腐敗する」のである。
それは、共産主義国家(独裁国家)、だけではなく、民主主義国家でも、同じである。
それを、法を守った、選挙の投票による、ノロノロ、グズグスした、方法で、変えることは、何十年、いや、100年、以上、かけても、起こるものではない。
だから、手っ取り早く、腐敗した、国家権力、を、変えるには、法を破った、違法な行為で、やるしかない。
違法な行為をすれば、犯罪者となる。
あとは、警察につかまって、裁かれるだけである。
あるいは、法を犯した後、死んでしまえば、司法は、死人を裁くことは出来ない。
三島由紀夫は、ドライな性格なので、犯罪というものを、極めて、事務的に処理されるものと考えていた。
そして、世界規模でみれば、「暴力の否定」、などということは、きれいごと、の、ナンセンスである。
国連決議だの、軍事同盟だの、と言ったところで、兵器、兵力、を、一番、たくさん持っている国が、「戦争」、によって、世界を支配できるのであり、しているのである。
三島由紀夫は、自衛隊の総監を人質にとって、演説して切腹して死んだ。
まず、犯罪でも、人質をとる、というのは、もっとも卑劣な方法だと僕は思っている。
し、それは、皆も認めるであろう事実である。
だけど僕は、三島由紀夫の死は、肯定するけど。
三島由紀夫は、さかんに、
「美しく死にたい」、とか、「華々しく死にたい」、とか、「英雄的に死にたい」、とか、「歳をとって老いて死にたくない」、とか、「夭折したい」、とか、言ってたけど。
「美しく死にたい」、とか、「華々しく死にたい」、とか、「英雄的に死にたい」、とか、「歳をとって老いて死にたくない」、とか、「夭折したい」、などのことは、個人の好み、であって、思想では決してない。
☆
三島由紀夫の、他人との討論は、感情入れまくり、で、非知性的、きわまりない。
三島由紀夫が、他者、東大全共闘、とか、早稲田の学生、とか、評論家、とか、討論する時。
(議論とは、感情を入れず、知性的にすべきものである)
三島由紀夫は、誰かと討論する時、相手が、自分が満足できる発言をすると、やたら、露骨に相手に親しげな態度で接するが、相手が、自分が満足できない発言をすると、相手に対して、やたら露骨に不機嫌な態度で、接する。
これは、おかしいんじゃないの。
というより。
はっきり言って、三島由紀夫の頭の中で、知性と感情で、完全に論理が、出来あがってしまっているので、三島由紀夫と、討論することは、ナンセンスなのである。
議論は、感情を入れず、「真理を追究しようとする」、態度で知性的にすべきもの。
そうすれば、アウフヘーベンも起こりうる。
そして、三島由紀夫は、やたら、自分の、「男の意地」、を、曲げない、で、「男の意地」、を通す、と自分でも言っていて、相手と話している。
これらは、「思想」、と呼べるものじゃない。
三島由紀夫が、文学において、天才的に優れていて、また、非常に、多くの、哲学書、思想書、を読んでいるから、三島由紀夫の思想、も、天才の思想、と、世間の人間は、思ってしまっている。
しかし、だからといって、僕は、三島由紀夫の死を、否定しない。
肯定する。
それが、人質をとった卑劣な犯罪であっても。
それは、三島由紀夫の死には、非常に、誠実な動機、も、含まれているからである。
☆
三島由紀夫は、神風特攻隊、や、明治維新の志士たち(吉田松陰、や、西郷隆盛)、などのように、英雄的に行動して死にたかった。
しかし、そういう事件は、第二次世界大戦の平和な世界では、起こりえない。
だから、自分で、後世に残る大きな事件をつくるしかなかった。
三島由紀夫としては、人を殺さない、演説だけの、二・二六事件、を行ったということ。
☆
三島由紀夫は、「大義」、のために死にたかった。
三島由紀夫が、座右の書、としていたのは、武士の心得を書いた、「葉隠」、である。
しかし、「葉隠」、は、武士は、どう生きるべきか、ということを説いた、武士にだけ、当てはまる書物である。
全ての職業の人に当てはまる思想ではない。
そもそも、「葉隠」、は、思想、と呼べるものか、どうか、疑問である。
「強がる」、「死を恐れない」、「主君のために死ぬ」、などは、思想である。
しかし、それは、戦国時代の武士、のための、思想、であって、戦後には、「武士」、とか、「武士的な職業」、というものはない。
自衛隊の隊員にしたって、決して、「武士」、ではない。
防衛大学にしたって、自衛官たちに、「日本の防衛のために命をかけろ」、とは、決して言っていない。
(それは、戦前の日本の教育である)
また、自衛官たちも、「日本の防衛のためなら命をかけよう」、とは思っていないし、(なかには思っている人も数人は、いるかもしれないが)、また、はたして、「国防のために殉死する」、ことが、はたして、正しいことなのか、どうか、は疑問である。
だから、武士道に生きよう、とする、三島由紀夫、と、戦後の、日本国民、との間で、考えが、一致するはずがない。
まあ、あけすけに言ってしまえば、三島由紀夫の思想は、アナクロニズム(時代錯誤)、も、いいとこである。
三島由紀夫は、自衛隊員たちに、憲法改正の、クーデター、を、起こせ、なんて言ってたが、自衛隊が、クーデター、を起こすはずがないのは、三島由紀夫も、わかりきっている。
起こりえない、と、わかりきっている、ことに、対して、大真面目に、真剣に、命がけで、演じて、訴えるのが、三島由紀夫の、ユニークで、命がけの、真剣な、性格である。
☆
さて、武士であるためには、その人のために死ねる主君、というものが、どうしても必要になる。
宮本武蔵は、仕官しなかったから、武術家、兵法家、とは、言われるが、武士、とは、言われない。
主君がいなければ、武士には、なれないのである。
三島由紀夫は、武士になりたかったから、主君、というもの、が、どうしても、必要だったのである。
主君が、いなければ、作り出すしかない。
しかし、三島由紀夫にとって、幸いなことに、日本には、主君たりえる存在が、あったのである。
それは、言うまでもなく、天照大御神から、続いている、天皇制、である。
その、天皇制こそが、三島由紀夫にとって、日本の、歴史、伝統、文化、だったのである。
そこで、三島由紀夫は、自分が、武士になるために、天皇を、担ぎだして、天皇を主君にしたのである。
自分が武士になるために、天皇、の存在が、必要だったのであり、その天皇を、もっと神格化したかったのである。
あけすけに言ってしまうと、三島由紀夫にとって、天皇の人格などは、どうでもよかったのである。
さらに、あけすけに言ってしまうと、三島由紀夫は、天皇を、日本の絶対者、崇拝の対象にして、天皇のために、死ぬ、ヒロイズムに酔いたかったのである。
これは、軽率な心理であるが、三島由紀夫は、自分の軽率さ、を自覚しつつも、(武士になりたい、武士として死にたい)、という、三島由紀夫にとって、絶対、ゆずれぬ、目的のために、軽率な自分の信念に忠実であったのである。
三島由紀夫は、死ぬ、10日まえに、評論家の古林尚氏、と、対談しているが。
三島由紀夫は、その時、「主君は天皇でなくてもいいんですよ。封建時代の殿様でも、何でも、いいんですよ」、と、平然と言っている。
非常に、軽率だが。
太宰治は、「自分は非常に軽率な人間である」、とか、「小説家は人間に尊敬されてはならぬ」、とも、言っている。
しかし、逆に、偽りのない自分の本心を言う、人間は、誠実であると言えよう。
三島由紀夫も、感性においては、「軽率」、なものがあった。
三島由紀夫は、太宰治を嫌っていたが、それは、三島由紀夫が、太宰治に、いくつもの自分との共通点、を見た恥ずかしさ、ゆえである。
☆
人間は、自分が、ずっと、信じてきた、自分の信念を、簡単に変えることは出来ない。
誠実な人間にとっては。
終戦によって、多くの、誠実な日本人は、自分の良心に苦悩した。
三浦綾子さんは、戦前は、教師で、自分史的小説、「道ありき」、で、戦前、生徒たちに、教えていたこと、と、正反対のことを、戦後、教えなくてはならないことに苦悩した。
オウム真理教の信者も、麻原を絶対者として、信じていたが、麻原、が、無差別殺人したことを、知って、想像を絶する、苦悩におちいったことだろう。
三島由紀夫は、戦前は、「日本は太平洋戦争に負けて、日本は滅びて、自分も死ぬ運命である」、という絶対的な信念をもっていた。
遺書も書いた。
その信念を、終戦によって、コロリと、変えることは、どうしても、出来ないことだった。
三島由紀夫に限らず、誠実な人間は、終戦による、価値観の転換、に非常に苦悩した。
自分の思想を、コロコロ変えるヤツが、いい加減なヤツであることは、言うまでもないことである。
そんなヤツは、恥知らず、である。
だから、三島由紀夫は、終戦によって、価値観を、180度、てのひら返しに、平気で、変えた日本国民の多くを嫌っていた。
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三島由紀夫は、無神論者であり、ニヒリストである。
三島由紀夫の、小説のテーマの一つに、「エロティシズム」、がある。
エロティシズムには、絶対者(神)、の存在が、どうしても、必要なのである。
しかし、三島由紀夫は、無神論者である。
そこで、絶対者、が、存在なしくても、成立する、エロティシズム、というものを、考察した、文学者、哲学者、の、ジョージ・バタイユ、にも三島由紀夫は、大変、興味をもった。
バタイユ、は、エロティシズム、の、ニーチェ、と言われているほどである。
そこで、三島由紀夫にとって、「死=美=エロティシズム」、という、考えが、かたまって行った。
死、と、美、と、エロティシズム、は、等価である、という考えである。
そして、自分の死によって、それを実行した。
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知行合一。
三島由紀夫は、陽明学の、知行合一、思想を、信条としていた。
小説は、フィクションだから、小説の、テーマ、と、小説家の行動が、一致する必要はない。
しかし、三島由紀夫は、小説、以外にも、評論文、も、多く書き、自分の思想を、社会に訴えていた。
そこで、言ったり、評論文で書いたり、した自分の思想を、行動しないのは、卑怯だ、と考えていた。
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死人を罰することは、物理的に不可能である。
三島由紀夫は、光クラブ事件を、モデルにした、長編小説、「青の時代」、を書いているが、あの主人公、山崎晃嗣、は、「合理主義」、「感情を入れないニヒリズム」、「英雄志向」、などで、三島由紀夫と、共通する性格があるが、(だから、彼をモデルにした小説を書いたのだが)、法的、物理的に、「死者を罰することは出来ない」、という、当たり前のことを、利用した。
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三島由紀夫は、(嫌っている)太宰治の言う、「家庭の幸福は諸悪の根源」、という思いをもっていて、ささやかな、平和的な、家庭生活、を嫌っていた。
男は、行動すべきだと思っていた。
それは、三島由紀夫の文学作品の中でも、何度も、述べられている。
だから、思想の方向性は、違うが、学生運動で行動した、全共闘の熱意は評価していた。
行動の情熱が大きければ、大きいほど、三島由紀夫は、それを評価した。
三島由紀夫は、命がけの行動が好きだった。
しかし、行動した後、なぜ、死ななければ、ならないのか?
それは、三島由紀夫の、好み、であって、行動した後、死ぬ必要はないと思うのだが、それが、三島由紀夫の、美的価値観なのだから、仕方がない。
確かに、トップアスリート、や、プロスポーツ選手が、引退すると、さびしい。
現役の時は、過酷な練習をし、厳しいウェイトトレーニングをし、ボクシングなど、階級制のスポーツでは、食べたい物も食べず減量して、ウェートをキープしなければならない。
大きな目標のために、精一杯、頑張って生きている。
しかし、トップアスリート、や、プロスポーツ選手が、引退すると、もう、生きる目標も無くなり、苦しいトレーニングから解放されて、トレーニングもしなくなり、食い物も、食いたい放題になるので、ブクブクに太って、みっともなくなる。
だから、「大きな目的をもっている人間が、行動を終えた時、死ぬべきだ」、という考えは、十分、わかる。
僕も、引退した、アスリートには、全く興味ない。
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三島由紀夫は、だらしない日本人を嫌っていた。
しかし、愛国心はもっていた。
しかし、この、「愛国心」、という言葉が、クセモノなのである。
「愛国心」に関する、格言には、ロクなものがない。
「愛国心」、という言葉ほど、言葉の定義が、いい加減、な言葉はない。
愛国心、とは、一体、何を、愛するのか?
それぞれの、人間が、自分に都合のいいように、使っている。
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僕は、三島由紀夫から、思想的な影響は全く受けていない。
小説創作において、言葉の使い方、の技巧的なことでは、参考になったが。
また、盾の会の残党にも、ロクなヤツは一人もいない。
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三島由紀夫は、死ぬまで、「外見の美しさ」、「カッコ良さ」、ということに、こだわり続けた。
若い頃は、「文章は絶対、美しくなければならない」、ということに、こだわった。
大人になって、行動するようになっても、行動も、「外見の美しさ」、「カッコ良さ」、があることが、三島由紀夫にとって、絶対、必要なことだった。
盾の会の制服。
あの、きらびやかな制服は、一体、何だ?
まるで、お偉い将校の夜会服。
まあ、全部、三島由紀夫が、金、出して、つくったのだから、他人のことに、とやかく言うスジアイはないが。
盾の会、とは、日本を守る民兵組織でしょ。
なら、戦いやすい、機動的な服装の方が、いいはずだ。
三島由紀夫は、誠実な人間だが、三島由紀夫独自の個人的な美的価値観にまで、つきあう必要はない。
し、つきあう気もない。
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三島由紀夫の小説のテーの一つに、「認識と行動」の問題もある。
非常に、カント哲学を感じる。
イギリス経験論によって、哲学が、危機に瀕したのを、カントは救ったのである。
それまで、哲学は、テオリア(静観)することだと思われていた。
それを、カントは、行動によって、物事を認識することが出来る、という考えを、提唱したのである。
「金閣寺」でも、主人公の溝口は、悩んだ末、「世界を変えるのは行動だ」、という結論に達して、金閣寺を放火する。
それは、三島由紀夫の、自決でも、同じである。
まあ、これには、「禁をやぶることが、エロティシズムである」、という、バタイユ哲学も、影響しているが。
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三島由紀夫は、諧謔家である。
誰に対しても、常に、シニカルなユーモアを、交えて話していた。
ユーモアは、冗談、さぶけ、であって、思想ではない、と人は思うかもしれないが、それは、三島由紀夫の場合、完全な間違いである。
「葉隠」では、「強がる」、ことを美徳としている。
「強がる」ことを、信念としている人は、ほとんどの人間のように、「謙遜」、することをしない。
「オレは絶対、謙遜なんかしないぞ。人間関係においては、シニカルなユーモアを言って、強がるぞ」、という信念は、思想である。
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文芸評論家や小説家は、(奥野健男とか、福田恆存とか、川端康成も)、や、有識者を自称する連中は、三島由紀夫事件について、気取ったことを言って、カッコつけてるだけで、何もわかっていない。
いいだもも、は、かなり理解しているが。
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三島由紀夫が感じる、「美」、と、一般の人間が感じる、「美」、とは、全然、違う。
だから、「美」、も、三島由紀夫の小説のテーマの一つだった。
「仮面の告白」、でも述べられているように、三島由紀夫は、「女」、に、対して、「性愛」も「恋愛」も、感じられなかった。
三島由紀夫は、逞しくて、頭のあまりよくない男を愛してしまう感性だった。
三島由紀夫にとって、「女」、が、一体、どう見えたかは、誰にも、わからない。
しかし、三島由紀夫は、短編小説で、たくさんの、男女関係の、恋愛的な小説を書いている。
この理由は、簡単で、倒錯者にとっては、「世間の、男女関係とは、一体、どういうものなのか?」、ということが、わからないから、それが、問題意識となり、それを小説で描きたい、という欲求が起こるからである。
それに、三島由紀夫は、「可愛らしいもの」、を描くのが、好きだった。
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三島由紀夫が、「人間とは・・・」、と言って何か言う時、その意味を考えてはいけない。
なぜなら、それは、「人間一般」、に、当てはまる法則ではないからだ。
それは、「人間一般」、に当てはまることではなく、三島由紀夫だけに、当てはまる事だからである。
それは、三島由紀夫、自身も、わかっていただろう。
しかし、三島由紀夫は、「強がる」性格だから、「私は・・・なんです」、という、弱い言い方を嫌ったのである。
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三島由紀夫は、女と情死することが、「美しい」、と見えたのだが、僕は、全く、そうは、思わない。
むしろ正反対である。
僕は、ある場合には、自殺は否定しないが、男が死ぬ時は、道連れ、を出しては、決していけないと思っている。
一緒に死んでくれる、道連れ、がいると、「死」の、Threshold、が、低くなってしまうからだ。
男は、どんなに、「死」、が、こわくても、死ぬ時は、一人で死ぬ方が、はるかに男らしいと思っている。
三島由紀夫は、総監を人質にとって、止めに入った、自衛官を切りつけている。
壮大な死が、三島由紀夫には、英雄的で、美しいと思ったのだが、僕には、英雄的な死には、全く思えない。
その理由は、いくつかあるが。
(1)盾の会の会員を、何人か、使ったこと。
僕が、何か違法なことを、やるとしたら、てめえ一人の力でやる。
誰の助けも借りない。
犯罪でも、共犯者を使うのは、男として、卑怯だと思うからである。
(2)刀、日本刀を使ったこと。
三島由紀夫にとっては、日本刀は、「武士の魂」、なのだろうが、ジャック・ロンドン、が言っているように、「人間の発明による凶器」、を使うのは、卑怯者、腰抜け、のすること、だと僕は思うからである。
(3)「自分の死」に、道連れ、を出したこと。
三島由紀夫は、森田必勝も死なせてしまった。
僕は、どんなに、「死」が、こわくても、男は、死ぬ時には、一人で死ぬべきだと思っている。
自分の、「死」、に、道連れ、を出すのは、腰抜け、のやることだと思っている。
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三島由紀夫は、人から理解されない、という自信をもっていた。
そして、人間が、他人を理解しようとする行為を、「不潔な行為」、という思いを持っていた。
確かに、世の中の人間には、「自分を無にして相手を理解しようとする」、人は、極めて少ない。
ほとんどの人間は、「自分流の解釈、偏見で、相手を理解した気になっている」、人間がほとんどである。
さらに、人間の心は、ロボットてはなく、諸法無我、であり、また、歳月が経つことによって、自分の考えが、変わることもある。
だから、人間の、identity は、厳密に言うと、つかめめないもの、である。
しかし、少なくとも、僕は、「自分を無にして相手を理解しようとする」、態度を持っているつもりなので、「相手を理解している」、なんて、僭越で傲慢なことは、言わない。
そして、「人間は他者を理解できない」、という前提をもって、それで、「自分を無にして相手を理解しようとする」、態度を持って、相手を理解しようと、努力するなら、その行為は、「不潔」だとは思わない。
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三島由紀夫は、「自分のためだけに生きていると、卑しさを感じる」、とか、「民主主義、自由主義社会においては、自分を超える価値、というものが無いと、何のために生きているのか、わからなくなる」、とも言っている。
三島由紀夫は、精一杯、全身全霊を込めて、文学作品を書き続けた。
それは、三島由紀夫が、書きたいから、書いたのであり、自分のためである。
しかし、小説家に限らず、芸術家は、芸術作品を通して、世間の人間と、関わりをもっている。
そして、芸術作品は、世間の人間を楽しませる。
また、芸術家も、世間の人間を楽しませるために、芸術作品を作っている。
それは、三島由紀夫でも、同じである。
だから、芸術家は、「自分のためだけに生きている」、などと卑下する必要は、全くない。
しかし、三島由紀夫は、一般の人間と違って、理想が高かったから、そうは、思えなかったのである。
人間は、「何もしなくてもいいよ」、という状態になった時、ほとんどの人は、自分の、やりたいこと、好きなこと、をやる。
あるいは、だらけて、何もしなくなる。
人間は、何か、自分にとって嫌な拘束があった方が、生きよう、何かをしよう、という、情熱が起こるのである。
たとえば、男女の恋愛においては、恋愛の成就が妨害された方が、恋愛の情熱が激しくなるのである。
何の困難も無い、みなが祝福する、男女の恋愛では、恋愛の情熱の度合いは、燃え盛らないのである。
このことは、西尾幹二氏の、「国民の歴史」という本の中で、「人は完全な自由に耐えられるか」、と題して書かれている。
だから、三島由紀夫は、「経済的繁栄にうつつをぬかし、精神は、カラッポになった」、と、戦後の日本人を嫌っていたのである。
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「自分に向けられたサディズム」
三島由紀夫は、「仮面の告白」、でも、述べているように、サディストだった。
それを、精神の中で、とどめておくのなら、問題はないが、三島由紀夫の、「死」、には、「自分に向けられたサディズム」、の快感の興奮を求めて、それを実行してしまった、という面もある。
ボードレールの言う、「死刑囚にして死刑執行人」である。
サディズムの極致は、生易しいSМプレイなどではなく、「死」なのである。
☆
三島由紀夫は、「暴力を肯定する」、と堂々と言った。
これを、一般人は、おかしい、と思うだろう。
しかし、これは、全然、おかしくない。
三島由紀夫は、子供の頃、起きた、二・二六事件に、強い影響を受けた。
三島由紀夫の言う、「暴力肯定」、とは、政府、や、国家権力、などの、不正に対する、暴力のことである。
大塩平八郎の乱、で、はたして、大塩平八郎は、悪人なのだろうか?
日本の法、や、国家権力、政府、は、はたして、正しいものなのだろうか?
ジョン・アクトン、が言うようよ、「権力は腐敗する」のである。
それは、共産主義国家(独裁国家)、だけではなく、民主主義国家でも、同じである。
それを、法を守った、選挙の投票による、ノロノロ、グズグスした、方法で、変えることは、何十年、いや、100年、以上、かけても、起こるものではない。
だから、手っ取り早く、腐敗した、国家権力、を、変えるには、法を破った、違法な行為で、やるしかない。
違法な行為をすれば、犯罪者となる。
あとは、警察につかまって、裁かれるだけである。
あるいは、法を犯した後、死んでしまえば、司法は、死人を裁くことは出来ない。
三島由紀夫は、ドライな性格なので、犯罪というものを、極めて、事務的に処理されるものと考えていた。
そして、世界規模でみれば、「暴力の否定」、などということは、きれいごと、の、ナンセンスである。
国連決議だの、軍事同盟だの、と言ったところで、兵器、兵力、を、一番、たくさん持っている国が、「戦争」、によって、世界を支配できるのであり、しているのである。