小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

文学の音楽的価値

2010-05-31 21:02:19 | Weblog
文学の音楽的価値。文学には、音楽的リズムというものはない。しかし、中にはあるものもある。そのいい例として、梶井の「檸檬」と、芥川の、「戯作三昧」がある。ラストに向かうにつれ、文章の緊張感が、天に昇るように急上昇していっている。梶井の、「檸檬」は、おそらく誰もそう感じるだろうが、芥川の「戯作三昧」は、私は、ラストに向かって急上昇していっているのを感じるのである。まるで気持ちのいい音楽のメロディーを聞いている時のような心地よさである。そういうのは、文学の思想やストーリーの内容とは別の次元の文学の価値であるように思うのである。つまり、それは思想やストーリーの内容など、いわゆる文学的価値と言われているものとは別の次元の、文学性の価値として認めてもいいものではないか、と思うのである。

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太宰治論

2010-05-30 05:51:54 | Weblog
太宰治が嫌い。「太宰治が嫌い」というフレーズがある。これは、三島由紀夫が、太宰治に面と向かって、そう言った事から発している所があるように思う。そして文学においては三島由紀夫を認めるなら太宰治を否定し、太宰治を認めるなら三島由紀夫を否定せねばならない、というような選択肢をとらねばならず、それをしない人間は物事を曖昧にする不誠実な人間らしい。では私の見解。私はまず、「嫌い」という言い方に、いい加減さがあるように感じる。「嫌い」というのは、感情である。物事は知性的でなくてはならないと私は思っている。だから、「太宰治は間違っている」というフレーズの選択肢に変えるべきだと思っている。そして、間違っている、というのなら、間違っている理由を論理的に述べるべきだと思うのである。結論から言うと、私の場合、太宰治の方が三島由紀夫より上だと思っている。それは、太宰治は、「如是我聞」で、嫌いな文学者である志賀直哉を、自分の思う所を全て、根拠をちゃんと述べた論理的な批判文を書いている。一方の三島由紀夫は、感情的に、「嫌いだ。嫌いだ」と感情的に言うだけで、論理的な批判文を書いていないからである。三島のエッセイ、「小説家の休暇」で、わずかに、短い批判文を書いているが、文章は三島流の独特の言い回しだか、内容はあまりにも表面的、常識的であり、太宰のように、徹底的に深く掘り下げたものではない。嫌いなものから、目を背けている感がある。それは、とりもなおさず、深く掘り下げると、自分を欺いている事に到達しかねない怖さから、逃げているからである。それに比べ太宰治の志賀直哉批判は、自分の思う所の全てを述べきっている。誠実である。だから、私は太宰治の方が三島由紀夫より誠実だと思うのである。太宰はよく弱い、戦っていない、と言われる。しかし、はたしてそうだろうか。太宰語録に、「人は恋と革命のために生まれてきた」というのがある。これは戦い以外の何なのであろうか。そして、太宰の文学の出発点は、寄生地主の家に生まれた人間の、自分の宿命に対するプロテスタント(戦い)ではないか。これは戦い以外の何なのだ。
そして私が思うのは、太宰治の行動の評価は、太宰治という人間の、生まれつきの性格と、彼の境遇との関数である、ということである。太宰は、生まれつき、弱い刀を持って生まれた。そして、その弱い刀で、精一杯、誠実に戦った。(結果としては負けた)と私は思うのである。ほとんどの人は、太宰より、はるかに強い、そして無神経な刀を持って生まれついている。だから、太宰と同じ境遇だったら、勝つだろう。それをもって、太宰を弱いというのは、単に自分を基準にして、物事を見ている荒削りな考えに過ぎない。と私は思っている。

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他人の不幸は鴨の味

2010-05-29 07:41:36 | Weblog
幸福が相対性になってしまうと、他人の不幸は鴨の味になってしまう。
なら、いじめられてる時、不幸な時は、オレは今、他人を幸せにしてあげているんだ、と考えればいい。少なくとも私は、いじめられてる時は、そう考えて苦しみに耐えてきた。
他人の不幸は、待ってましたとばかりニタニタ楽しむのに、てめえが少しでも他人に嫌われないかとビクビクしている臆病者など、私には最もみっともない限りの人間に見える。

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松本人志

2010-05-29 02:15:08 | Weblog
松本人志の「遺書」で、「暗いヤツに人を笑わせる面白いヤツはいるが、明るい性格のヤツは楽しいヤツだが、人を笑わせる面白いヤツは少ない」というのは、かなり妥当な意見だ。
女に人を笑わせられる芸人はいない。というのも妥当な意見だ。女は全てを曝け出せないからだ。鳥居みゆき、は、その例外である。彼女は、全てを曝け出せる。その上、地は暗い性格なのだから、なおさらである。

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鳩山総理

2010-05-28 05:59:50 | Weblog
野党の時の鳩山由紀夫氏は、頼りないと思っていた。しかし首相になって見直した。

鳩山氏のいい所。

一、自民党のように、「前向きに対応します」で、先延ばししてウヤムヤにせず、決定する期日を決めて、それを確実に実行している所。これは、テレビで見る限り、自民党への皮肉ではなく、鳩山由紀夫という人間の性格のように思われる。ダラダラしておらずテキパキ行動する性格なのではなかろうか。ちょっとテキパキし過ぎていて、もうちょっと時間をかけるべきだとすら思える。

二、感情的でなく知性的、理性的である所。小泉のように感情を顔に表さない。小泉のように感情をそのまま表す人間は、見てて面白いが、政治は面白さではない。

三、記者の質問にちゃんと答えている所。記者なんかの質問に別に答える義務はないのに、ちゃんと答えている。礼儀正しい。小泉は、感情的で怒りっぽくかなり無視していた。

四、党の人気を気にしていない。氏には権力欲は感じられないが、だからといって逃げ腰でもない。真意は分からぬが、また何か考えがあるのかもしれないが、見る限り、それも感じられない。

五、小泉のように自分の欲望を強行しようとせず、ポリシーや自我主張がなく、日本の国益しか考えていない。ように見受けられる。

六、またこんな事も考える。歴代の総理大臣はよく物まねの対象になる。しかし鳩山由紀夫の物まねを出来る物まね師がいるであろうか。いないように思う。それは氏が偏ったクセを持っていないように見受けられるからである。クセのある人は物まねしやすい。氏は東大の工学部卒で、理系人間である。理系人間は知性的、理性的に物事を考えられる。つまり色がなく透明である。だから、物まねすることが出来ないのである。

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夜間診療の医院

2010-05-28 05:05:28 | 医学・病気
さて単純な疑問だが、病院も医院も9:00~5:00で日曜休みというのがほとんどである。病院も会社と同じである。総合病院や大学病院では、受け付けは午前中というのが、ほとんどである。しかし、ほとんどの人は9:00~5:00の会社勤めである。これでは医者にかかれないではないか。時間を気にせずかかれるのはパートの主婦とか、定年退職した老人くらいである。かかるには、会社や学校を休まなくてはならない。幼稚園児だって昼間、医者にはかかれない。これはおかしい。

ので、サラリーマンで医者にかかる必要のある人のために、サラリーマンが安心して医者にかかれるために、午後6時~翌日の2時まで開業のクリニックというのを開いてはどうか。これならサラリーマンも安心して医者にかかれる。そもそも、民間の病院は赤字経営の所が多い。自転車操業でやってるところが多いのだ。なぜ、こういう医院がないのだろう。確かに勤務医はサラリーマンだから収入はいい。しかし、個人医院や民間病院は赤字の所が多いのだ。そのため医院開業のためのコンサルタントというのも、相当、多いのである。生活時間が夜型になるのが嫌だというのか。しかし、看護婦は、三交代制で、日勤9:00~5:00。準夜勤5:00~1:00。深夜勤1:00~9:00で、ローテーションして、もっと不規則な勤務なのである。

それに夜間の救急にしてもメチャクチャである。救急病院の当直医は、救急科の医者ではない。耳鼻科や皮膚科、その他、何科の医者でもよく、それが救急をやっているのだから、たらい回しは当然のことなのである。
病人「近くのあそこの病院はどうですか?」
病院「今日の当直医は眼科の先生なので出来ません」
という具合なのである。卒後二年の研修が必須になったが、やはり二年では難しいだろう。

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キムチ、鰻の蒲焼

2010-05-28 04:42:03 | Weblog
さて少し前に焼き肉屋で焼き肉を食ったらキムチが美味くて、それ以来、キムチが好みになってしまった。別に焼き肉などどうでもいい。御飯にキムチにワカメスープにコーラの組み合わせが美味いのである。焼き肉よりキムチの方が美味いのである。ということで、コンビニでキムチを買って食っている。焼き肉屋へは、焼き肉を注文せずにキムチと御飯を食べに行こうかとも思う。別に焼き肉屋に行ったら焼き肉を注文しなければならないという規則はない。

それと同様に、鰻の蒲焼も、鰻が別に美味いわけではない。蒲焼のタレの御飯が美味いのである。こう思っているのは私いがいの人でもいるのではないだろうか。だから、蒲焼のタレ御飯というのを売ったら結構、売れるのではないだろうか。

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私は鳩山を支持する

2010-05-27 02:00:31 | Weblog
世間では、普天間から辺野古への基地移設の問題で、鳩山を非難しているが、私は鳩山を支持する。最初は、おぼっちゃんで、度胸も無いと思っていたが、意外に度胸がある。(礼儀正しい言葉使いをすることと、軟弱とは違う)

はじめは鳩山は何考えてんだか、さっぱりわからなかったが、沖縄に行くのも沖縄の住民の感情を逆なですることは分かりきっているのに堂々と行った。

おそらく鳩山の頭の中はアメリカとの外交の重要性が90%頭を占めており、大局に気づき、大局に気づいてしまった人間は他の事には動じなくなる。

人気を落とし党益を下げてまで、大局の重要性を重んずる政治姿勢は立派である。

福島みずほ、もそうだが小泉のような国民受けすることのみ言うヤツ、ポピュリストは、国民の支持率は高いが、それに惑わされないでもらいたいものである。9・11でブッシュの完全な手下となった、単細胞で荒削りの小泉なんか外交に関しては頭はカラッポである。そもそも外交の素人の田中真紀子を、選挙で応援してくれたお礼に外務大臣にするなんてバカげた組閣をすること自体からして頭がおかしい。

政治は、お茶の間で楽しむものでも、パフォーマンスでも、国会答弁の言い方の面白さでも、XーJAPANとやらのロックグループのファンだと言って若さをアピールするものでも、ライオンヘアーをアピールするものでもない。

音楽でも地味なクラシックは売れず、流行歌は売れる。しかし本当の音楽的価値はどっちか。



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最高の政治形態は独裁政治である

2010-05-27 01:32:48 | Weblog
さて多くの人が誤解しているのでないかと思うが一番いい政治形態とは、独裁政治である。独裁政治という言葉だけで、悪いと決めつけてしまっている人が多いのではないだろうか。それは、権力者は横暴でわがままになるからである。残念ながら権力を握った人間は性悪説におちいってしまうのである。独裁者がイエス・キリストや釈迦なら、性悪にならないから、これほどいい政治形態はない。しかしそういう人は現実にはいないから民主主義とは、やむを得ずのセカンドチョイスの最高の政治形態と言わざるを得ないのである。

日本は二大政党制にした方がいい。また議院内閣制より大統領制にした方がいい。大雑把に言うと自民党と民主党いがいの党は現実を全く見据えていない。もし社民党が政権をとったら、一ヶ月も持つまい。自分らでも空理空論であることはわかっているはず。今、日本は外国という巨大な敵と戦わなくてはならないのだから、そして、それが本当の敵であるのだから、(尊皇攘夷的)、多数の党が、党益ばかり考えて足を引っ張り合っている時ではないと、自覚して欲しいものである。そうしないと本当にトンビ(外国)に油揚げさらわれてしまう。政治家になろうと思う人は、安泰な公務員や権力欲、名誉欲という理由からではなく、日本を本当に憂う、吉田松陰や高杉晋作、坂本竜馬のような人になって欲しいが、残念ながら叩き上げ議員が少なくなり、地盤、看板、カバンを引き継げられる世襲二世議員が増えるばかりで、あまり期待できない。

大きな政府、小さな政府、という事で言えば、今は大きな政府、政府が大きく介入した政治の方が必要だと思う。新幹線を作る時でも、たとえば上越線の燕三条は、完全な失敗であるが、あらかじめ、燕三条に大きな工場を建てておけば、あの町は栄えただろう。工場が出来れば、新幹線通勤する人も出てくるし、人口が増えれは、住まい、商店街、学校、病院、なども必要になって出来てくる。今からでも遅くない。燕三条に大規模工場を建てると名乗り出た企業には助成金を与えればいいと言ってみてはどうか。それは、全ての過疎化の地域で言えることである。それに残念ながら今の日本の中小企業では、外国に勝てない。日本はアメリカや中国と違って、国土の面積、距離が小さい。それはアメリカや中国より流通において極めて有利である。これを利用しない手はない。

さて、日本を立て直すには教育の改革が必要である。そもそも日本の大学は、入ってしまったら安泰、となっているからダメなのである。そもそも若者が、なりたいものの一番が、官僚であるらしいのだから、情けない。親方日の丸で潰れず高収入、しかも、企業の便宜を計る見返りに、企業に渡り鳥の天下りが出来る、おいしい職業というのに魅せられているのだから、困ったもんである。ラクして儲けて安楽な仕事が夢というのだから、困ったもんである。まず大学に偏差値があるのは悪くないと思う。たとえエゴが動機でも、勉強とは、そもそも詰め込み勉強でなくてはならないからだ。動機にかかわらず一心に勉強するというのは努力する人だからである。ただ、大学の四年間の勉強はあまりにも無駄が多すぎる。特に、教養の二年間は無駄、きわまりない。私も教養の二年間は、法学や人類学、その他、色々一生懸命、勉強したが、教授や講師が、ボソボソ呟いているだけで、なに言ってんだか、さっぱり分からず、当然、ほとんど全部、忘れてしまった。かろうじて哲学とドイツ語の文法の少しを覚えているだけである。そして、誰も授業には出ず、試験は過去問の三日漬けで、わけもわかわす、丸暗記したものを書いて単位を取っているのだから、無駄きわまりない。それに、テストは、教授や講師の好みのポイントだけというケースが多いのだから、なおさら無駄である。大学の教養の二年は、教授や講師のお好みの授業ではなく、それは無くして、司法書士や税理士や宅建、中小企業診断士、公務員試験、トーフル、漢字検定などの、国家試験をどれだけ多く取れるか、というようにして、それを評価にした方がいいように思う。専門の二年間もそれでやってもいいと思う。やる気のある完全な証拠になるし、第一、企業に入ってリストラされても国家資格を持っていれば、失業者にはならないですむ。もちろん、専門の学問を身につけてやろうと意気込んでいるヤツには、そっちの方がいい。大学の教育に選択肢を与えて、生徒にどっちかを取らせるようにしてはどうか。しかし、そしたらそれは大学と呼べなくなる。しかし、それなら大学ではなく、何らかの別の言葉に変えればいいだけである。



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北朝鮮

2010-05-26 05:40:28 | Weblog
北朝鮮になぜクーデターが起こらないか。北挑戦が軍事費に国家予算の多くを当てているのは、一つには、金正日の外国に対する恐れからである。攻撃してきてみろ。お返ししてやるぞ。で、外国を恐れているからである。金正日はかなり臆病な人間だろう。それは外国に対してである。しかし北挑戦は、軍事パレードをよくするが、それは国内の治安に対しての見せつけ、という意図もある。あれだけ、大規模な軍事パレードや多くの立派な大きな最新兵器をたくさん国民に見せつければ、とても国民が一致団結してクーデターをしても敵わないと国民を心理的に押さえつける効果がある。そしてまた、あれほど立派な軍隊や兵器を持っている国なら、自国は立派な国と国民をだます効果もある。いわば恐喝と崇拝の洗脳である。軍人や上層部で満足しているヤツラは、絶対者に忠誠を尽くすエロティシズムの快感に酔ってしまっている。ロイヤリティーの対象に命をかけるエロティシズムの快感はこの上なく心地よいものである。そして日本の江戸時代のように鎖国しているわけだから、外国や、色々な政治体制というものの存在を知らない。一つしかなければ、それが全てだと思ってしまう。そして、腐っても母国、腐っても愛国心である。子供の頃から育った国、言語、歴史、同朋意識は、愛国心をつくってしまう。もちろん脱北者もいるが、これは、イデオロギーではなく、飢餓死の恐れからである。背に腹は変えられない。江戸時代260年で、一揆は何度でも起きた。それは、百姓と武士の数の問題から起こす事が出来た。士農工商などという思想も疑っていた百姓は少なくはなかっただろう。江戸時代に、困った事はキリスト教の伝来である。絶対者は、殿様ではなく神であり、この世ではなく、あの世で救われるという、有難い、というか、おそろしい教えである。宗教は阿片ほどに怖い。
北挑戦には、金正日という一人の絶対者しかいない。
このキリスト教を北挑戦に布教させればいい。宗教は性病と同じくらいの速さで伝播する。しかし、国家が厳しく目を光らせて、宗教も、広がらないよう目を光らせているだろう。
私とて、日本なんて、こんな国は、潰れてしまっても一向にかまわない。寒いし、政府もなってない。しかし、やはり、政治的、経済的には、こんな国でも、言語、歴史、文化、伝統、同朋意識、町並み、には未練がある。私は、とても外国の、それらには、うちとけることは出来ない。
洗脳とは、そんなに難しいことではない。オウムの麻原は洗脳を熱心に研究したが、金正日は、そんなに洗脳を研究してはいないだろう。それは人を洗脳できる人間が頭がいいのではなく、人間はある条件の元では簡単に洗脳されてしまうからだ。北朝鮮の人々は、いわば井戸の中の蛙である。井戸の中の蛙が、はたして、無から民主主義という政治形態を思いつけるだろうか。絶対者による支配しか知らない人間は、絶対者による政治形態が当たり前の感覚になっていて、民主主義などという得体の知れない、目に見えない、不透明な、わけのわからない政治形態の利点など思いつけるはずがない。

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社民党は欲張り政党

2010-05-25 23:49:21 | Weblog
社民党は欲張り政党だ。与党としての権力も捨てたくないが、党の人気も落したくない。まあ、おそらく連立を離脱する可能性がかなりあるだろう。権力欲と党の存続のどちらかを取るかになったら、後者を取るだろうから。あるいは、基地移設反対のパフォーマンスを最後まで演じつつ、最後に決まってから、「力至らず申し訳ありません」と謝るかのどちらかだ。

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民主党

2010-05-25 03:05:06 | Weblog
民主党の支持率が低下しているが、基地問題は先延ばしにして、政権をもっと長くやらせた方がいい。今回の政権獲得で、いかに責任政党が厳しいかを認識させとけば、次期選挙で、万一、勝ったら今度は、ヘマをしない期待がもてる可能性がある。

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福島みずほ

2010-05-25 02:58:13 | Weblog
福島みずほが、連立から離脱するかもしれないことをほのめかした発言をした。これは、日米軍事同盟の強化を否定する社民党の純粋な信念と、国民世論を敵にまわすと次期選挙で議席を減らしてしまうのを恐れる党の利益の両方だが、後者の意図の方が大きいだろう。

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CIA

2010-05-25 01:07:05 | Weblog
なぜ北朝鮮で内乱が起こらないか不思議で仕方がない。
アメリカのCIAがちょっと秘密工作すれば内乱や上層部の洗脳解除は起こせるはず。

それが起こらないのは北朝鮮も、その可能性を考えて、秘密警察、強制収容所、拷問、処刑を徹底させているからだろう。

もし誰か一人でもCIAが少しでも動いていることをつきとめられたら、北朝鮮はアメリカに対し黙っていない。CIAはアメリカ大統領の意向を無視して単独行動をした、といくら言っても北朝鮮は納得するはずがない。

もし大統領に報告したと言ったら、アメリカは他国を非合法にかきまわす国と非難されるし、もし大統領に報告せず、単独行動したと言ったら、アメリカは国家公認の諜報組織の監督をしていない無責任な国と非難される。

そもそも洗脳解除がいかに困難かはオウム真理教の事件で明らかである。

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辺野古への基地移設

2010-05-24 23:18:00 | Weblog
鳩山首相が、辺野古への基地移設を強行しようとしている理由は、軍事上の重要性というのは表向きの口実で、日本とアメリカの力関係に気づいて、それを恐れているからではなかろうか。もしアメリカに従わなかったら、何らかの経済的、その他の制裁をすると、アメリカが暗に匂わせているのではなかろうか。仮に匂わせなくとも暗黙のうち結果としてそうなる。
日本はアメリカの機嫌を損ねてはやっていけない。

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