小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

ブラックボード・ジャングル

2010-12-31 02:03:57 | Weblog
ブラックボードジャングル。(邦題=暴力教室)暴力学校にやってきた熱血教師の、教師と生徒の戦いというパターンの映画が私は好きである。最初のは、1955年にアメリカで作られたブラックボード・ジャングルが最初だろう。日本では、1976年の「暴力教室」が最初だろう。不良生徒のクールスが、どうみても高校生とは、思えないほど大人っぽかった。暴力教師の松田優作のフェイントを使った殴り方が上手い。長い足をもてあましている感じさえする。次は、スクールウォーズで。これは、伏見工業高校というモデルがある。あれは、ドラマより、実際の方が面白い。特に、教師の山口良治先生と、つっぱりの小畑道弘さんが魅力的である。あれは、下手に脚色したドラマ化よりも、実際の方が素晴らしい。しかし、私は当時の伏見工業高校よりも、母校の自由学園の方が、もっと荒れていた暴力学校だったと思っている。寮があったのと、勉強しなくても大学部まで行けることが、悪くする条件だったと思う。寮がなければ、学校をサボって寮で麻雀をすることも出来にくい。私がいた時にあった非行は、下級生いじめ。下級生に対する暴力。授業をサボって寮で麻雀をする。他の生徒の物を盗む。掃除当番サボリ。無断借用。寮の夕食がまずいといって、外で外食する。食器洗い当番のシカト。クラスでのいじめ。タバコなど当然。ありとあらゆる悪事が行われていた。退学させられた生徒も多かった。どうみても伏見工業高校よりも遥かに、荒れた学校だった。唯一、なかったのはカンニングくらいなものである。というより、カンニングというのは、ある程度は理解していないと出来ないものであるし、そもそも、大学部まで、0点でも、落第生というものがないから、生徒は授業に対して焦りを感じていないから、落第しないためカンニングしなくては、という危機意識すらないのである。山口良治先生のような熱血漢の先生が来ても、まず伏見工業高校のようにワルがきれいに改心するとは思えない。

さて私は、暴力学校に熱血教師として乗り込むのは、まっぴらとは思ってない。精神科の研修病院では、男子病棟に行った時は、ホネのあるヤツと戦うのが楽しかった。

もし熱血教師として、暴力学校に行ったら私は、どうするか。私は精神が狂気だから、こっちから逆にワルのボスにチキンゲームやロシアンルーレットの決闘を申し込むつもりである。断ったらチキンとののしる。受けて立つほどのホネのあるヤツがいたら、感心する。まあ、チンピラなんかに受けて立てるほどの度胸のあるヤツは、いないと、はなからバカにしているが。

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大晦日

2010-12-31 01:45:47 | 大晦日(今年書いた小説)
いよいよ今日で2010年が終わりである。

今年、書いた小説は。

少年と二人の女・・・1月27日・・・136枚

老人とテニスと二人の女・・・3月20日・・・198枚

虫歯物語・・・10月27日・・・57枚

お鶴と亀吉・・・11月8日・・・14枚

小説家の憂鬱・・・11月15日・・・115枚

祈りの日記・・・11月17日・・・18枚

鬼ごっこ・・・11月19日・・・21枚

136+198+57+14+115+18+21=559枚

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今年もあと一日である

2010-12-30 15:36:34 | Weblog
今年もあと一日である。

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バンパイヤ・テニススクール

2010-12-29 16:45:43 | 武道・スポーツ
儲け主義を優先させると怪我人を多くする。と昨日、書いたが、それは昨日まさに、その光景を目の当たりに見たからである。私はどうも、おりこうさんの大人にはなかなか、なれなくて、(なろうとは努力しているのだが)たいした事じゃないなら、諍いを起こさないために黙っているが、あまりにもひどいと、つい口が出てしまう。そのため人生でかなり損をしている。私は、スクールに行く前に、おっかしなルールをつくっているので、来年からどうするかに迷って、「儲け主義を優先させると怪我人を多くしますよ」と言ってしまったのである。

それでスクールに行ったら、となりのコートで一人の高齢者が、コーチと二人でレッスンしているのを偶然、見たのである。その老人は、何か体調が悪いか、体力が衰えて息切れしているのか、関節痛があるのか、で、コーチと二人きりでのレッスンだったが、老人は全くついていけず、はじめは休み休みやっていた。それでも、ついていけず、ついにベンチに座って会話をするようになった。「休み休みやりましょう」とでも言ったのだろう。技術も、とても中級者とはいえず、初級者のレベルである。長年、続けているために、いつまでも初級者では格好悪いから、相手の体裁のために実力がなくても中級者としたのだと察する。武道で言えば、名誉段というか、功労賞というか。そういう類だろう。それも危険である。コーチは莫迦の一つ覚えのサービスを手本として見せていた。ついに、老人は途中で引き返し、レッスンは中止となった。

年をとるにつれて椎間板の水分は減っていくのである。体力が落ちていくのである。運動機能、全般が低下していくのである。体に問題がある時は休む。こんなのは当たり前である。自分の健康は本人が一番よく知っている。それなのに、なぜスクールに来たのか。休むと、無駄に金だけ払い続けるだけになるから、勿体ないと思って、無理してやって来たのだろう。体を鍛えようと、定期的に自分の意志で積極的に来ている人なら、運動は健康にいい。しかし、週一回で、何となく続けていて、やめられないルールを作ってしまうと、「今日は休みたいな」と思っても、こういう事態を作るのである。この場合、運動は、百害あって一利なし、である。腰痛や、大体骨頭骨折、脊椎分離、すべり症などを起こしかねない。プロスポーツ選手のように、いつも体力を鍛えていれば、デッドボール(野球の場合)をうけても、クーリングして、続けることは出来る。しかし、何となくの惰性で通っている老人では話が全く違う。やめられないようなルールにしているスクール管理者が悪いのである。他人が怪我して、車椅子や寝たきりになっても知ったこっちゃなく、自分らが金をいかにとるか、という儲けしか考えていないなら、バンパイヤ(吸血鬼)テニススクールとでも名前を代えた方がいい。

実際、以前、ある生徒が大きな怪我をしたらしい後に、コーチは、「あの人、もうダメだよねー」とあっけらかんとした他人事のような口調で言っていた。

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具一寿

2010-12-29 13:26:20 | 武道・スポーツ
実戦カンフーの達人、具一寿氏は、次のようなことを述べている。

「日本には、才能も素質もない中国拳法師範が多くの書籍を著わし、単純な感化されやすい人々に先生と呼ばれて得意になり、凡人には理解が困難な理論でまくしたて、われこそは真正拳法家という顔をしてのさばっている。しかし、氏の著わした理論などは正しい面が多いが、氏の演ずる写真を拝見すると思わず吹き出してしまう。氏が学んだ師は名人であるかもしれないが、氏のつきでた尻とみずから敵の打ちやすい所へ技をかける戦闘法は素人には区別できずとも真のカンフーを学ぶ者なら、見抜く事は容易である。またある氏は空手の威力で戦い、カンフー服を着てあたかもカンフーであると書籍を著わしている。またある氏は、柔術で戦う自分が最強であるかのような顔をしているが、ある著名な拳法家に食い物にされた人である。三氏のうちで才能も素質もない前者よりも後者二人の良い所は、後者二人はそれぞれ、違う武術を長い間訓練しているので写真など見ても隙がない。ただ二人にはカンフーの才能がない。一方前者は、写真やビデオテープで見ると隙だらけで、現在名師になってしまったのは、憲法界の七不思議の一つである。真のカンフーを訓練する者の間では、彼らを肴にして語られる場合が多く、またこのような者を素人のうちに見抜ける者はたいへんな才能を備えていると言えよう。」
(具一寿「中国拳法戦闘法」より)

前者とは、松田隆智さんのことである。後者の、空手家とは笠尾恭二さんのことである。柔術家とは、佐藤金兵衛さんのことである。

「このような者を素人のうちに見抜ける者はたいへんな才能を備えている」というのはちょっと大げさである。たいへんな才能などなくても見抜くことは出来る。それより技術が十分でない人を肴にして笑いものにするという、つまらないことをしている人間の方が人格的に問題がある。人格に問題があると思考能力にも欠点が出てくる。氏の理論にも多くの誤りがある。氏の「筋肉を鍛えるトレーニングは避け、特にキャットストレッチや、腕立て伏せなどで、背中と胸に筋肉をつけてしまうと、強力な打撃が打てないばかりか一生、カンフーと言うものは出来なくなる恐れがある。」という見解は全くの誤りである。本人がしっかりと目的とするものを獲得しようとする意志をもっていれば可能なのである。松田隆智さんは人格がしっかりしているから、人格のしっかりしている人を、私は批判する気には全くなれない。カンフーの基本の手の形の、掌と拳を合わせる形の意味は、(色々あるが)技術と基礎体力の両方が大切である、という意味でもあるのである。

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しごき論

2010-12-29 12:43:55 | 武道・スポーツ
空手の指導者を指導している南郷継正氏は、指導者の指導能力のなさをボロクソに批判している。氏にも、いくつかの誤りはあるが、大筋では正しい。氏を天才と呼んでも間違いではないと私は思っている。氏の「しごき論」の中の文の一部を引用しよう。

「ところが、技には創りあげる期間をおかねばならない、また、崩れやすいものであるということが理解できぬ指導者は、その技を創ることの中身が全然わからないために、使い方さえうまくなれば、それでまともな上達コースを歩いていると信じてしまって、「しごけ」ば強くなるものだから、「しごき」を万能と思い、それでまともな上達コースを辿っているとばかりに思いこんでいるものである。そしてその選手のお粗末な技の限界がやってくると、努力が足りないとか、もっと「しごか」ねばとか、肝心のお粗末な技のことなど全然省みもしないか、或いは、技をモデルチェンジするときにおきる大いなる障害をどれほどのものかも知りもしないで、技を直してやったのに、なぜ直してやった通りに使えないのかとか、直した技を使いきっていないと、あいつは才能がないのだとか、ともかく、自己の指導能力が0点なのを棚に上げて選手を叱りとばすのが、プロ野球コーチ諸君の大半なのだと言ったら、彼らは怒りだすであろうか。」
(南郷継正「武道の理論」より)

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儲け主義を優先させると怪我人を多くつくる

2010-12-28 16:22:16 | 武道・スポーツ
儲け主義を優先させると怪我人を多くつくる。(あるいは人を不幸にする)これは、利益を追求するあらゆる商売で言えることである。今、入っているテニススクールも、おっかしなルールをつくって、儲け主義第一である。だから怪我人を多く出している。怪我人は、知ったこっちゃない。お可哀相に。と他人事である。コーチも、ゲームで勝つ勝ち方の指導しか価値観にない。当然、アホばかりである。まあ、人格がまるでダメな人と、そうでない人はいるが。ここにも真実はない。

テニススクールに一度、入ったら、夏場は休みたいと思っても、休めないようなルールにしているのである。だから、老人は週一回、怪我をしても、体の具合が不調でも、金を払っている以上、レッスンを受けないともったいない、と思うから、体調の悪い体で無理して来て、体力もなく、腰痛や関節痛があるから、出来ず、ほとんどの時間を休憩、見学しているのである。全くアホらしい。そんな仕組みにしているスクールの経営者達も当然、頭がおかしい、か、エゴイストの化身、か、単純莫迦か、の人間の集まりである。莫迦だから、当然、指導能力もないし、そもそも価値観が、試合で如何に勝つか、ということしか頭にない、アホの集団である。

テニスの楽しみを一人でも多くの人に知って欲しい、とやらの、アホなこと思っているようだが。世の中には無限の、趣味、習い事、打ち込めるもの、がある。老人の場合は、激しい運動は避けた方がいい。学問、将棋、囲碁、絵画、音楽、読書、芸術創作、俳句、など無限にある。音楽にしても、クラシック、ポピュラー、演歌、ロック、ロックンロール、ジャズ、など限りがない。人間は脳の機能のほんの一部しか使わないまま、死ぬ。言葉を扱う作家にしても、作曲というものは、チンプンカンプンのまま死ぬ。もし、音楽の脳の機能を高めようとして練習したら、あるレベルまでは行くだろう。だがどのレベルまで行くかはわからない。それが音楽として価値のある一流のものになるか、どうかは、わからない。「人生は短く芸術は長し」である。あれもこれも、やろうと思うと、どれも中途半端になってしまうから、どれか一つ、か、いくつかの限られたことしか出来ない。

日野原重明先生が言う通りで、命とは時間である。

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警察官を叱りつける

2010-12-27 20:12:19 | Weblog
警察官とケンカした。もちろん口ゲンカだが。ケンカというよりも私が一方的に叱りつけた、と言った方が正しい。三日前、警察官の対応がいい加減で、権力を傘にきて、高圧的で、怠慢で、ずさんなヤツだったので、ネットなどで、正確な情報を徹底的に調べて、相手のいい加減さを全て指摘したので、こっちが正しいのだから、相手は、言い返せないので、「あんたの性格は、ズサンで、いい加減だと私は思ってますから」とか、「あんたとは関わりたくない」とか、言いたいことを全部、ぶちまけてやった。ちょうど、その時、「ある物をなくしました」と一市民が入ってきたので、大声で、「ここの警察は信用できませんよ。いい加減だから」と言った。私が正しく、相手の方が、ズサンで、理路整然と相手のいい加減さを指摘したので、相手は言い返せなくて、ごまかし、ヘラヘラ笑い、ご機嫌取り、に方針を変更した。

警察は国家権力を傘にきているから、どんな横暴でも出来る。こういう事は、まずしない方がいい。勿論、私も含めて。しかし私は、徹底的な証拠をつきつけて、相手の無数のいい加減さを指摘したので、その時の状況と、TPOによって、ここは、徹底的に、言って勝ち目があると判断したので、相手は、ヘラヘラご機嫌をとるしかなかった。警察の横暴に対してストレスをためないようにする必要も時にはあると思う。今日はスッキリした。

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梶原一騎の創作手法

2010-12-26 01:28:20 | Weblog
梶原一騎は、作品の量は膨大だか、よく読んでみると、ストーリーの作り方や、作品で使う出来事では、同じ事を、何度も何度も繰り返し使っている。ちょっと思いつくまま羅列してみよう。

ジキル博士とハイド氏。弁慶と牛若丸。(敵だった者とケンカして和解する)ケンカが強くて好き。枷(かせ)。とむらい合戦。(梶原一騎は忠臣蔵が好き)武士道。ストイシズム。女の父に罪があるという設定にしている。自分より強い敵と戦う。拳と拳との戦い。空手の頭突きの威力を強調している。握力の強さがスポーツマンの条件。コイン曲げが武道の達人の条件。足腰の強さ。逆立ち。(梶原は出来たのだろう)ベアハッグ対耳そぎチョップ。父との戦い。父を誇る。ハッタリ。父を克服する。少年院。孤児。孤児院でのリンチ。兄弟の絆。夭折の美。主人公は数学が苦手。(梶原一騎もそう)主人公は自信過剰。友情。初恋。命知らず。自分より強い敵と戦って怪我勝ちして友情を得る。(友情美談はきれいごとと、戦う前は言っておいて、後ではきれいごとの話になる)空手対プロレス。必殺技の開発。山の中(などの奇抜な所での奇抜な方法の)の特訓。格好悪く生きる。強がる。卑怯な手段でも手段を選ばず勝つ。命を捨ててかかっている。なのに命が惜しい。死を美ととらえている。自殺を勇気のある行為ととらえている。拷問には人間は勝てない。貸し借り(借りっぱなしが嫌い)にこだわる。お山の大将。人を征服する。やくざ社会。紅一点を出す。理想の女は秀才でスポーツ万能でつつましい性格。次々、より強い敵が現われる。過去の敵のその後の運命は、ほっぽらかす。時事問題をストーリーの中で上手く使う。

などは、いくつもの漫画で何度も繰り返し使っている。

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つっぱり

2010-12-25 20:08:14 | Weblog
つっぱり。つっぱる事は、何か悪いことのように思われているようだか、私は違う。そもそも、「つっぱり」の定義とは何か。スクールウォーズの頃の、つっぱり、とは、髪型がリーゼントで、タバコを吸い、暴走族として、爆音を鳴らし、教師に逆らったり、するものというような定義だったと私は思っている。教師に逆らうのは兎も角として、髪型など他のことは外見の形のことに関する定義だったと思う。そういう形のことは、どうでもいいと思っている。髪形や喫煙やオートバイがそんなに悪いとは思わない。私は、「つっぱる」という言葉が好きである。「つっぱる」とは、「反抗する」(特に権力者に)という精神的なもののように私は感じるのである。それは、むしろいい事だとさえ、思う。むやみやたらの意味のない反抗は愚かだが、自分の信念が教師の教えと違う場合、自分の信念を貫き通すことはいい事だと思う。私は学生時代、無言で心の中で、つっぱっていた。今でも、つっぱっているつもりである。教師や権力者の飼い犬になったらお仕舞いだと思う。威張るヤツほど人間を自分の飼い犬にしたがるものである。また、病理学の教授が私は嫌いだった。師は、学会で皆と反対意見を言う臍曲がりを嫌っていた。しかし、仮にも大人である。理屈のない反対意見というものはないだろう。皆が賛成するからといって、賛成するなんて人間こそ無価値である。コレステロール学会では、悪玉コレステロールさえ、健康にいいというような統計を出したではないか。全く常識破りである。現在の常識は将来、ひっくり返される可能性がある。たえず、「はたしてそうか」「本当に真実か」と疑問を持てる天邪鬼の方がずっと価値がある。

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自意識が強いと失敗する

2010-12-25 19:58:42 | Weblog
自意識が強いと失敗する。偽メールで自殺したある議員がいた。あまり死者の悪口は言いたくないが、客観的に見ると、氏は自分の自意識のあまりの強さによって自殺してしまったといえる。確かにスキャンダルを起こすとマスコミから非難を受ける。これが実際に自分にやましい所のある、ややこしい疑惑だと、ことが面倒である。しかし、氏の場合は、実に単純である。子供の悪戯のようなものである。いついつまでもマスコミが新聞や週刊誌の一面で、記事を書き続ける内容などない。一時の嵐に過ぎない。マスコミは常に新たなスケープゴートを探している。だから、いついつまでもマスコミに非難されるということは無い。三浦和義のように、証拠が十分あっても、認めようとしないと、世間は憎々しく思い続ける。マスコミは、いついつまでも批判の記事を書き続ける。しかし永田氏の場合、そういう種類のものではない。野党が与党の揚げ足取りをするのは当たり前の事である。だから与党を批判するのはいい。その方法が幼稚だっただけである。辻元清美氏の場合は政治家がやれなくなったら、失業者になるだけだから、これはノイローゼになるのは仕方がない。しかし永田氏の場合は、大金持ちの息子であり、東大卒、大蔵省入省という光栄まである。東大卒というのは、頭がいい証明でもあるが、努力家の証明でもある。遊んでいて東大に入ることは出来ない。金も時間もあるのだから、司法試験なり、司法書士なり、国家試験をめざして勉強すればよかったとも思う。ああいう場合は開き直った方がいい。「いたずらでやっちゃいました。あはは。すみません」というジョークを言えるくらいのゆとりがあれば、よかったと思うのだが。世間が自分をこう見ているであろうという推測と、実際の世間の見方とは違うのである。さらに痴漢のスキャンダルよりはずっとマシである。その点、押尾学氏は、度胸がある。髪が白髪になるのは、心身症からだが、肉体には心身症の症状が出ても、精神は参っていない。クソ度胸がある。あのクソ度胸は評価できる。氏は英語が出来て、面の印刷もいいからアメリカにでも行って、音楽なり、何なりやることも出来るのではなかろうか。日本での再起は無理だろうが。かく書いている私はどうか、といえば、他人事だから、落ち着いて書けるのであって、自分の故意で何かスキャンダルを起こしたら、(起こす気はないが)パニック状態になるだろう。しかし私は、「困った時ほど冷静に」というのを信条に持っているから、実際どうなるかはわからない。基本的に、人間は他人の醜聞を好むが、また基本的に、人間は他人の事などどうでもいいとも思っているのも事実である。ピンチになった時のために、何か、信条とか信念を持っていると強い。ケースバイケースだが、世間は、相手が気の小さい人間として、自分の予想通りの反応をした時、面白がるものである。これは、いじめで言える。相手が、予想とは違った人間らしくない反応をすると、いじめている方は、とまどってしまうものである。だから、何かあった時は、焦らず、落ち着いて、相手を拍子抜けさせるような行動をとった方がいい。ともかく柔軟に。こだわりを持たず。心を無にして。ほとぼりが冷めるのを待ち。感情をそのまま出さず。相手を拍子抜けさせる行動をとる。(これは自分に言い聞かせるため書いている文である)あわてれば、あわてるほど他人は面白がるものだ。作家は、作品や文章を書いても、何も精神的に進歩しない、と言ってる作家が多いが私は違う。私は書くことによって考えている。私は頭の中でモヤモヤ考えているより、文章にした方が、自分の考えが、しっかりと分かる。

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クリスマス・イブ

2010-12-24 04:11:32 | Weblog
今日はクリスマス・イブ。

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冬至

2010-12-23 06:15:42 | Weblog
昨日は冬至だった。これから日照時間が長くなってくる。

キムチを食べ過ぎて腹が痛くなった。夜、病院に行こうかと思ったが、我慢してたら直った。暴飲暴食は慎むべし。

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警察から身を守らねばならない

2010-12-17 19:34:05 | Weblog
警察が市民を守ってくれるのではなく(民事不介入)、市民は警察(という国家権力を傘にきたずさんな組織)から自分の身を守らねばならない。

私は警察官を見ただけで吐き気がする。

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テニスのダブルスの前衛はサッカーのゴールキーパーと同じ

2010-12-16 21:01:40 | 武道・スポーツ
テニススクールの練習の試合といえば、全部ダブルスである。人数が多いから、みなにやらせるには、ダブルスしかない。さて、テレビやYou-Tubeでは、シングルスがほとんどである。前衛のディフェンスとオフェンスはあまりない。ので、どうすべきか。

これは、サッカーのゴールキーパーと同じである。ゴールキーパーは、相手の動きと心理に全神経を集中している。そして、相手がキックする前から予測して、自分の動作を始めている。野球の野手でも同じである。テニスの前衛も、相手の動きと心理に全神経を集中して、相手が打つ前から相手の行動を予測して、自分の動作を始めなくてはならない。

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