小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

杜子春

2013-06-26 21:16:48 | 小説
「杜子春」

という小説を書きました。

ホームページ、「浅野浩二のHPの目次(1)」

http://www5f.biglobe.ne.jp/~asanokouji/mokuji.htm

に、アップしましたので、よろしかったら、ご覧ください。

(原稿用紙換算111枚)

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皇位継承問題

2013-06-20 02:48:06 | Weblog
水島聡のチャンネル桜で。小林よしのり氏が、陛下に仕える渡辺允侍従長が、サンデープロジェクトで、女性宮家を容認すべきだ、と発言した。ことを引き合いに出して、陛下にお仕えしている侍従長が陛下の意に反することを言うとは考えられない、と小林よしのり氏は発言した。一方、チャンネル桜の水島聡や、他の学者は、侍従長の発言=陛下のお心、ととらえるべきではないと、発言した。これは、どちらの意見が正しいのか。
軽く聞いていると、小林よしのり氏の発言がもっともなように感じられる。
しかし、よく考えてみると。
陛下も、皇位継承問題に関して、何らかのお考えを持っておらせられるかもしれない。
しかし、いくら側近で、陛下の身近にいて、陛下と話されているからといって、陛下が、政治的な考えを、もらしたり、お述べになったりすることは、絶対ありえないと私は考える。お顔にもお出しになられないと思う。
政治に関係のない雑事のことなら、お話しになられるであろうが。
そして、もう一つ。
たとえば、糖尿病の人が、腹一杯食べたいが、食べてはならないと思っている場合を、例として考えてみたい。この場合。
「腹一杯、食べたい」というのは、その人の思いである。しかし、
「腹一杯、食べてはならない」というのも、その人の思いである。
この場合、その人は、全く違った正反対の二つの思いを同時に持っている、といえる。
前者は感情的な思いであるのに対し、後者は知性的な自制の思いである。
陛下にあらせられても、皇位継承問題に関しては、全く別の思いを二つ、同時に持っておられる、かもしれない可能性は、考えられる。だから、やはり水島聡の言うように、侍従長の発言=陛下のお心、ととらえるべきではない、というのが間違いなく正解だろう。
陛下のお気持ちを忖度することは、恐れ多く不敬であるので、これ以上は書けないが。
陛下も、皇位継承問題について、個人的に、こうあって欲しい、という希望というか感情をお持ちになっておられる、かもしれない。しかし、陛下は、天皇という立場に生まれたことの十字架を背負われておられるのである。だから陛下にあらせられては、自分の思い通りになって欲しい、という、お考えはなく、日本のために一番よいように、皇位継承問題が解決されて欲しい、と思っておられて、それが陛下の本当のお気持ちである、と私は100%、絶対的に確信している。


私は、小林よしのり氏のゴーマニズムは、読んでいない。はっきり言ってレベルが低すぎて時間と金の無駄だからである。氏は、東大一直線の頃からナルシストだった。それはいいが、感情的に嫌いな人間の顔を徹底的に醜く描き、感情的に好きな人間の顔を美化して描く、という、論理に感情を入れまくるという、ことは私の最も忌み嫌う行為である。ただ氏を初めて見た時、あっ、彼は喘息内向性の人間だな、とすぐにわかった。内向的な人間は、物事の本質的な洞察には強いが、世事には疎いのである。

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枷(かせ)

2013-06-17 20:57:31 | 考察文
昔、レインボーマンというテレビドラマがあった。子供の時、見た。あれは好きだった。(仮面ライダーは、それほど面白いとは思わなかった)原作者は、月光仮面の原作者でもある川内康範氏である。レインボーマンは、主人公の青年が、月の化身、火の化身、水の化身、木の化身、金の化身、土の化身、日の化身、というのになれる。それぞれの化身が、独特の技を持っている。主人公の青年は、何か一つの化身になれる。その枷が面白かった。しかしテレビでは、かなりしてから、月の化身と火の化身の、両方になれる、というような、便利な能力をダイバダッタから教えられ、青年は、その技術を身につける。それを見た時、幻滅した。彼は、一度に、一つの化身にしかなれない、という枷があるから面白いのである。

サイボーグ009にしても、各サイボーグは、一つの能力だけしか持っていない。しかし、それがいいのである。そして、一人のサイボーグが一つの能力だけを持って、そして、あとは、勇気と知恵と9人の協力で、強い敵を倒す所に面白さがあるのである。さすが石森章太郎である。

枷があるから、話は面白くなるのである。

私はプロ野球には、あまり興味を持てない。強い選手が多くいれば、監督も選手もバカでも勝てるじゃねえか。メジャーリーグの外人選手が多くいる球団も嫌いである。プロ野球には、枷の面白さがない。

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石破茂

2013-06-17 20:41:53 | 政治
野党のアベノミクスに対する批判に対して、石破茂は、「副作用があるからといって薬を飲まない、という主張はおかしい」と言っているが。まあ、よくも、そんなことが言えたもんだ。自民党が野党の時、民主党の処方した薬の副作用を徹底的に非難したのは、どこのどいつだ。

そもそも石破茂氏は、幹事長という立場で、閣僚に入らなかった所に、氏のしたたかさ、がある。氏には防衛大臣は、うってつけ、だと思うが。要するに、非難はしたいが、非難はされたくない、というのが、氏の思いである。

なぜ自民党は、谷垣総裁ではなく、阿部晋三を首相にして選挙したか。それは、当然、阿部晋三の方が、国民に人気があり、選挙で勝てるからである。事実、勝った。

昔は谷垣総裁は嫌いだったが、今はそれほど嫌いではなくなった。

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従軍慰安婦

2013-06-11 19:41:38 | Weblog
橋下大阪市長の「米兵は性欲の処理に風俗嬢を活用すればいい」という発言。この発言の内容自体は、問題はない。沖縄には、那覇市のどこかに風俗店の集まった所がある。風俗店は、金を払って女を抱く所である。(本番は日本の法律で出来ないが)だから、なんら違法ではない。「米兵はお断り」としている風俗店は、まず無いであろう。だから米兵が、沖縄の風俗店に行って、金を払って女を抱く分には何ら問題はない。ただ、問題なのは、氏が大阪市長とか維新の会代表という公的な立場の人間なのに、そういう発言したことに問題があるのである。もっとも、公人じゃなく私人が発言したとしても、あまり、どころか品のいい発言ではない。それよりも米軍基地内にアメリカ人女性の風俗店を作ればいいと思うのだが。そういうものは無いのだろうか。米軍基地は、アメリカの一都市のようなもので、何でもあるから、そういうものも、あるのではないか、とも思うのだが。
さて従軍慰安婦について。私は従軍慰安婦について、あまり知らない。慰問団が日本軍の基地に行って、演劇などをして兵士達を楽しませた、ということがあるのは知っていたが。橋下氏の「戦争という極限状態では、慰安婦は性欲の吐け口として必要だった」という発言および、そういう認識に私は非常に疑問を感じる。戦争といっても、太平洋戦争の場合、ミッドウェー作戦の失敗から、日本は負け戦になった。国家総動員法、赤紙、徴兵、学徒出陣、特攻隊、など。特に特攻隊は、死ぬことが、確実に決定した兵士達である。現代で言えば、ガンで余命半年と宣言された人のようなものである。現代で、余命半年と宣告された人は、どんな感覚になるであろう。この心理を想像するのは難しくない。誰だって、ええー、と天地がひっくり返るほど驚き、ショック状態になり、ノイローゼや、うつ病になるだろう。将来への希望というものが無くなるのだから。ノイローゼや、うつ病になったら、食欲も性欲もなくなる。か、低下する。あるのは、ただ「死」との恐怖との精神的な戦いである。実際、特攻隊員には、「葉隠」や「論語」を読んで、何とか、死の恐怖を克服しようとした人も多い。「死」を宣告された人間がセックスをすることで、「死」の恐怖が緩和される、とは私には考えられない。「死」を宣告された人にとっては、セックスを楽しむ、どころの話ではない。と私は思う。私は従軍慰安婦のことは、よく知らない。日本人の慰安婦もいれば、朝鮮人の慰安婦もいただろう。しかし、慰安婦の数は、兵士の数と比べると圧倒的に少ないはずである。だいたい、特攻隊員が出撃する時は、別れの水杯、をかわしたのである。死なんとする人間に、酒すら飲ませてあげることが出来ないほど、日本は食料も、あらゆる物資も枯渇していたのである。鉄も石油も。特攻機も、「藤花」では、車輪の節約のため、空へ飛んだすぐ後に車輪を落とす、なんて、ことまでしていたのである。ガタルカナルの悲惨な兵士達にとっても。そうだが。日本の兵士や特攻隊員達に、必要だったのは、食料、衣料、負傷兵を治療する軍医、その医薬品、そして、死に対する精神的な覚悟、などだったはずである。特攻隊員たちは、若くて性欲が盛んな年頃とはいえ、彼ら様の、死の恐怖を和らげるために、女とのセックスが、必要だったとは私には思えない。セックスは、心身ともに健康で元気な時でしか、その気になれないし、楽しめないものである。はたして女とセックスしたら死の恐怖が、軽減されるものなのだろうか。
ただ、特攻隊員の心理は、特攻隊員でなければ、わからない。
戦時中には、兵士の士気を高めるために、覚醒剤が使われていた。また、人間は、死の恐怖が高じると、何とか生きようと、全身の機能が高揚して、性欲が高まることもある、ということも読んだことがある。
結果として、やはり、私には本当の事はわからない。
特攻隊員の心理は、特攻隊員でなければ、わからない。

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自律神経を理解するのは難しくない

2013-06-11 01:08:10 | 医学・病気
自律神経は一般の人では、難しいと思っている人が多いと思う。自律神経は健康に非常に大きく関係しているのである。

自律神経は交感神経と副交感神経の二つで成り立っている。交感神経は活動神経であり、昼間に優位な神経である。副交感神経は休息神経であり、夜寝ている時に優位な神経である。ただ昼間でも、グデーとしている時は、副交感神経が優位である。

この二つの神経が交互にテキパキと切り替わる生活が健康にいいのである。

学生でも社会人でも、月~金まで学校や会社に行く日は、交感神経が優位となる。しかし土日の休みがなければ、疲れやストレスがたまって、参ってしまう。なので土日は休みにしているのである。土日に休むことで、副交感神経が優位になる。こうして学校や会社では、健康のため、土日を休みにして交感神経と副交感神経を切り替えさせているのである。

交感神経と副交感神経のどっちの方がいい、とは一概に言えない。交感神経は、緊張感があるという長所もあれば、ストレスがかかるという短所もある。副交感神経は、ストレスがない、という長所があるかわりに、緊張感がなくなる、という短所があるのである。

定年で退職して働くなって、一気にストレスがなくなったのはいいけれど、グデーと一日中、寝転がってテレビを見るだけの生活になると、体調が悪くなるケースはよくあることである。

また、ほとんどの医者が、ストレスのない、規則正しい生活、十分な睡眠、適度な運動、が健康にいい、と言っているが、必ずしもそうではない。

締め切りに追われ、睡眠時間、一日三時間の作家などは、規則正しい生活や十分な睡眠など出来ようはずもない。しかし、だからといって作家は、みな不健康かといえば、そうではない。80歳までとか、長生きしている作家は、いくらでもいる。それはどうしてか、といえば、作家はいつも頭を酷使しているが、それは悪いストレスではないからである。作品を書いている時や、作品が完成した時には、言いようもない喜びであり、作家にとって頭を酷使しつづけることは、悪玉ストレスではなく、善玉ストレスだからである。睡眠にしても、単に寝た時間の問題ではないのである。作家は睡眠時間は短くても、寝る時には、十分に熟睡、バク睡しているだろう。だから、交感神経と副交感神経の切り替えの悪い生活とは言えないのである。

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なだいなだ

2013-06-10 23:59:40 | 考察文
精神科医で作家の、なだいなださん、が亡くなった。私は、なだいなださん、を一度だけ見たことがある。それは、大学二年の時の、学園祭の時である。なだいなださんの講演会があったので、それに出でみたのである。その時、話したことは、ほとんど全て、克明に覚えている。慶応医学部のテストで、みなでカンニングしたことや、痔になった時のことや、アルコール依存症の患者の治療のことなどを、ユーモラスに話していた。全部、書いてもいいが、面倒くさい。

北杜生も慶応医学部の精神科で歳も近く、医局では先輩、後輩の関係だった。

北杜生の言うところによると、なだいなだ氏はズバ抜けて頭のいい秀才だったらしい。

私も、なだいなだ氏の書いたものを、少し読んでみたことがある。しかし私にとっては、氏にはあまり魅力を感じなかった。

その一番の理由は、氏は、確かにユーモラスであるが。文章でも講演でも笑ってばかりで、悲哀というものが氏には感じられないからである。

氏は、どんなに苦しい立場になっても、弱音を言わない強い性格である。それはそれで、氏の精神の強さという長所であると思うが。はたして氏が人生で、弱気になったり泣いたことがあるのだろうかと思う。一度もないのではないだろうか。

私は精神の強い人を、尊敬する、というか、羨ましく思うが。そしてセンチメンタルを嫌っているが。それと同時に、人生を笑い飛ばすだけで人生の悲哀を感じられない人は性に合わない。

人生に悲哀を感じられない人は、自分に対しても他人に対してもドライである。

そういう人は、医者にあっては、患者の苦しみに対しても、患者の苦しみを痛切に感じとって、やりきれないほど気の毒に思ったり、涙を流したりすることが、ないのではないかと思う。

精神が強い、ということは逆にいえば、デリカシーがなく精神が鈍感とも言える。

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小学生、中学生に対する歴史教育

2013-06-07 23:36:17 | 考察文
小学生、中学生にとって、(高校生でも)歴史の勉強は難しいと思う。(特に世界史は)それは、なぜか、といったら、小学生や中学生は、純真だからである。彼らは、友達と仲良く楽しく遊び、ケンカはせず、性格が明るく、素直で、元気で親とも仲がいい。要するに、良い子である。

一方、歴史というのは、日本史にせよ、世界史にせよ、ヘドが出るほど汚い、人間個人や国家の、欲望、野望、エゴ、略奪、狡猾さ、など人間の「悪徳」が、歴史を動かしてきた原動力の基本だからである。もっとも、「悪」だけで歴史は、作られてきたわけではなく、「善」も、あることはある。イエス・キリスト(彼を善人と、はたして言い切れるかは疑問である)や、釈迦、孔子、ガンジー、孫文、など、数多い善人も、歴史の原動力となっていることは確かである。しかし、やはり善人というのは、数からすれば、圧倒的に少なく、歴史の原動力の基本は、人間の悪である。

小学生や中学生は、純真だから、人間が、ここまで、汚く、ずるく、えげつない、存在ということは、理解できにくいのではないか、と思う。だから小学生や中学生にとっては歴史は難しいと思う。だから真面目に勉強している生徒でも、歴史は、「なぜか」という理屈までは、わからず、出来事と年代を、理屈がわからないまま、暗記しているだけではないかと思う。

高校生でも歴史は難しいと思う。歴史が本当にわかるようになるには、もっと、大学生とか社会人とか、大人になって、「人間の悪」というものが見えてくるようになってからではないと、難しいのではないかと思う。

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