小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

医学部の入試の不公平?

2018-10-28 02:49:19 | Weblog
医学部の入試の不公平?

世間では、医学部への、女子受験生、や、多浪生、に、男子受験生、や、現役受験生、より、高い、合格得点を、設定していた。

これを、世間の人間は、不公平、と、批難している。

しかし、僕は、この批難、を、間違っている、と思う。



というのは、そもそも、(医学部に限らず)、大学入試の、合否を決める、決定権(裁量権)、を、もっているのは、大学なのである。

だから、誰を、合格にして、誰を不合格にするか、ということを決める権利を持っているのは、大学なのである。

受験生には、そんな、権利などない。

そもそも、大学の入試要項には、二次試験は、英語、数学、と、理科から、二科目、選択、という、ことが、述べられているだけで、学科試験の結果は、公表していないし、(公表しなくてもいいし)、それに、総合得点の高い順に、合格させなければ、ならない、という、規則なども、文部省は、決めていない。

だから、「医学部の、合否は、総合得点の高い順に、合格させなければ、ならない」、という、受験生の主張は、おかしい。

それに、受験生は、模擬試験の結果などから、合格できる可能性、のある、大学を受験するから、学科の成績が、ほとんど、同じ受験生が、ものすごく多いから、どの受験生を、合格にするか、というのは、大学側でも、悩むのである。

医学部で、言うなら、総合得点が、ほんの少し、高い、受験生A、と、それより、総合得点が、Aより、ほんの少し、低い、受験生B、が、いた場合。

医者は、生物学、や、化学、の、得意な、人の方が、医者になってから、圧倒的に、伸びるから、総合得点では、受験生A、の方が、受験生Bより、少し高くても、生物学の試験が、受験生Bの方が、ダントツに高い場合、受験生B、を、合格させる、ということが、あっても、いいはずた。

大学としては、医者としての能力の優れた、優秀な医者、おおせいに働いてくれる医者を、求めているのは当然のことだから、そして受験生の合否を決める、裁量権は、大学にあるのだから、大学が、受験生の合否を決めていいのは、当たり前である。

それに、面接や、小論文の試験では、学科の試験のように、客観的な点数など、つけられないので、その点数は、大学側の主観になってしまうのは、当然のことである。

面接試験で、「この受験性は、学科の試験は、ズバぬけて、高くはないが、医者になったら、伸びそうだな」、と、大学が、判断したら、その生徒を、合格にすることは、何ら、おかしくはない。

むしろ、ペーパーテストの成績は、良くても、「この受験生は、ペーパーテストの能力は、強いが、医者としては、伸びないな」、と、大学が判断したら、その受験生を、不合格にすることも、おかしくない。

実際、ペーパーテストの能力と、臨床医としての能力は、全くの別物なのである。

世間では、さかんに、医学部を批難しているが。

ちょっと、おかしいのでは、ないだろうか?

受験は絶対的に、公正、公平にするべきだ、というのなら、「入試の合否は、総合得点の高い順とする。そして、総合得点は公表する。そして、主観の入ってしまう面接試験は、廃止する」、という規則を、文部省が、決めて、大学に守らせるべきなのである。

世間の人間は、物事を、知性的に考えることが出来ず、(考える能力が無いから)、物事を、感情的に、いい加減に、漠然に、しか、考えられないのである。



それと、多浪生は、合格得点を、現役生より、高くしていた事例もあるが。

これは、医学部の方の認識に問題があると僕は思う。

マッスル北村も言っているし、僕も、同級生で、年齢の高い、再受験生、を、見ているが。

彼らは、ニュースで、言われているのとは、反対で、良い医者になる人が多いのである。

というのは、現役生は、勉強が出来るから、医学部に入った、というだけの理由で、医者になりたい、という、強い動機のない、人が多いので、たいした医者にはならないが。(僕は、この目でそれを見ている)

再受験生は、(何らかの理由で)、「オレの天職は医者になることだ」、という、強い情熱、パッション、使命感、を持った人が、多いので、留年もしないし、良い医者になる人が多いのだ。



女の受験生は、合格得点を高くしていた医学部があるが。

これも。

受験は、絶対的に、公正、公平にするべきだ、というのなら、「入試の合否は、総合得点の高い順とする。そして、総合得点は公表する。そして、主観の入ってしまう面接試験は、廃止する」、という規則を、文部省が、決めて、大学に守らせるしかない。

しかし、女子受験生の合格点を高くする、というのは、疑問である。

というのは、女子で、医学部に合格した人は、合格できた喜びと、6年間の、膨大な、医学の、詰め込み勉強と、そして、国家試験の合格と、二年間の研修から、全員、一人前の女医になるのである。

そして、女医は、結婚、妊娠、子育て、のために、医師という仕事を、やめる、ということは、しないのである。

そもそも、医学部は、医師を育成する専門学校であり、卒業したら、全員、医師になるのである。

それは、卒業生名簿からも、明らかである。

医師の仕事は、習うより、慣れろ、であり、中には、ハードな科、(外科)、もあるが、大体、女子は、小児科、とか、眼科、とか、を選ぶ。

医師の、仕事は、やりがい、が、あるので、女医は、結婚のため、医者をやめる、ということは、ないのである。

まず、全員、死ぬまで、医師として、働く。

ただ、女医は、結婚できにくい、というは、ある。

女医は、ほとんど、男の医者と結婚する。

結婚できた、女医は、ラッキーだが、中には、結婚できない、女医も、結構いる。

結婚できにくい女医は、晩婚で結婚することもある。

そもそも、女医が、医者という仕事を、辞めたら、他に、仕事が無い。

だから、食べていけない。

だから、女医は、医者の仕事を続けるのである。

生活費のためと、医師の仕事の、やりがい、の、ため。

医学部でない、他の、大学、(文学部、だの、経済学部だの、要するに、医学部いがいの全ての大学)、の場合は、企業に就職したり、公務員になったりするから、その場合は、結婚、妊娠、子育て、のために、仕事を辞める、ということもある。

他の大学は、医学部のように、専門学校ではないから、たとえば、経済学部を出ても、経済学者になる、人なんて、100人に1人くらいの、ほんの、わずかな、人である。

一般の大学は、はっきり言って、勉強する場ではなく、いい企業に就職する目的の学校なのである。

だから、大学出の女性は、企業は、採用する時、「この人は、結婚して、会社を辞めてしまわないだろうか?」、とか、「結婚して、転職しないだろうか?」、と、心配するのである。

そして、実際に、いい人と、結婚して、会社を辞める、ということも、あり得る。

しかし、女医は、一般の大学と違って、女医の仕事を、辞めないから、女子受験生は、合格点を、高くする、という、医学部の、認識の方が、おかしい。

これは、どういう、理由でからは、わからない。

単純に、やはり、医者は、ハードな仕事だから、女医で、大丈夫、だろうか、という、漠然とした、医学部の不安から、では、ないだろうか?

これを書いていて、思いついた。

女医は、小児科、とか、眼科、とか、麻酔科とか、を選ぶ、傾向はある。

脳外科医、とか、心臓外科医とか、の、外科系の女医は、まず、いない。

テレビドラマの、外科医、大門未知子(米倉涼子)、のような、外科医は、いないのである。

医学部としては、女子受験生を、たくさん、合格させると、卒業して、女医には、なるが、外科系の医者が、少なくなってしまう、ことを、恐れているのでは、ないだろうか?

それが、女子受験生の合格点を高くしている理由なのでは、ないだろうか?



また、多浪生ほど、合格点を高くする、というのも、おかしい面がある。

これは、医学部の認識の方の問題だが。

というのは。

理系の受験生は、第一志望は、国公立の医学部だが、第二志望は、国公私立の、理工学部、という受験生もいる。

それで、受験して、第一志望は、国公立の医学部を受けたが、それは落ちて、第二志望の、国公私立の、理工学部、に、合格して、浪人するより、その受かった、理工学部に入る、という人もいる。

そういう人は、医者になれば、食うには、困らないだろうから、(つまり、生活の安定のため)という動機で、医学部を受けているのだから、医者になっても、たいした医者には、ならないだろう。

それに比べると、多浪生は、「オレは何がなんでも、医者になるんだ」、という、情熱を持っている人だから、医学部に合格したら、良い医者になる、可能性もある。



色々、世間の人の見方と、違うことを、書いたが、もちろん、基本的には、「女子受験生、や、多浪生、の、合格点を、秘密裡のうちに、高くする、のは、不公平」、という世間の見方の方が、基本的に、そして、圧倒的に、正しいと、僕も思っている。

しかし。

こういう見方も、あるのではないか、ということを、僕は、書いただけである。

そして、僕は、医学部にいた時、実際に、そういう人の存在を見ている。




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うらしま太郎Ⅱ(小説)

2018-10-27 03:24:59 | 小説
「うらしま太郎Ⅱ」

という小説を書きました。

ホームページ 「浅野浩二のHPその2」

http://www5f.biglobe.ne.jp/~asanokouji/mokuji2.html

に、アップしましたので、よろしかったらご覧ください。

(原稿用紙換算72枚)

ブログにも入れておきます。



うらしま太郎Ⅱ

ある浜辺の村に、うらしま太郎、という青年がいました。
うらしま太郎、は、幼少の時、(お伽話)、の、「浦島太郎」、の、話を読んで、その話が、いたく、気に入ってしまって、何度も、読み返しました。
うらしま太郎、は、毎日、浜辺へ行っては、
「竜宮城へ連れて行ってくれる亀は、いないかなあ」
と、時の経つのも、忘れ、日が暮れるまで、海を眺めていました。
(本当に、海の中には、竜宮城があって、きれいな、乙姫さま、が、いるのだろうか?)
(竜宮城、って、どれほど素晴らしい所なんだろうなー?)
(乙姫さま、って、どれほど、奇麗なんだろう?)
と、うらしま太郎、は、海を見ながら、考えていました。
その思いは、うらしま太郎、が、成長して、若者になっても、かわることは、ありませんでした。
子供の頃に、ギリシア神話のトロイヤの話に、感動して、大人になり、考古学者になって、本当に、発掘活動をして、ギリシア神話のトロイヤの遺跡、を、発掘した、ハインリヒ・シュリーマンのように、無邪気な子供の頃、熱烈に憧れたものは、大人になっても、変わることがないのです。
それと、同じように、うらしま太郎、も、成長して、若者になっても、海の中には、竜宮城があって、きれいな乙姫さま、が、いることを信じていました。
うらしま太郎、は、毎日、仕事が終わると、浜辺に行って、その夢想に浸りながら、日が暮れるまで、海を見ていました。
(竜宮城、って、どれほど素晴らしい所なんだろうなー?)
(乙姫さま、って、どれほど、奇麗なんだろう?)
と、想像を楽しみながら。

ある日のことです。
うらしま太郎、は、仕事が終わって、いつものように、浜辺に、行きました。
すると、どうでしょう。
うらしま太郎、は、びっくりしました。
なぜなら、村の子供たちが、寄ってたかって、大きな亀を、いじめていたからです。
「やーい。やーい。ドン亀」
と、子供たちは、囃し立てて、棒で、巨大な亀を、叩いていました。
うらしま太郎、は、当然、子供たちを、注意しました。
「こらこら。君たち。そんな、可哀想なことを、するものじゃないよ」
と、うらしま太郎、は、子供たちを諌めました。
すると。
「うわー。逃げろー」
と、子供たちは、うらしま太郎、に、叱られて、蜘蛛の子を散らすように、逃げていきました。
「ああ。ありがとうございました。もう少しで、いじめ殺される所でした」
亀は、助けてもらった、お礼を言いました。
「あ、あの。お名前は?」
亀が聞きました。
「私は、うらしま太郎、と言います」
うらしま太郎、は、答えました。
「うらしま太郎さま。ぜひ、助けて下さった、お礼をしたいと思います。ぜひとも、私と一緒に、竜宮城へ、行ってもらえないでしょうか?私は、亀蔵と言って、竜宮城にいる、乙姫さまに、仕えている、乙姫さまの、家来なのです」
亀は、そう言いました。
「わかりました。有難うございます。私も、ぜひ、竜宮城に行って、乙姫さまに、会いたいです」
と、うらしま太郎、は、言いました。
「それでは、私の背中に、お乗りください」
亀に、促されて、うらしま太郎、は、大きな、亀の甲羅の背中に乗りました。
亀は、海の中に、入ると、スーイ、スーイ、と、泳ぎ出しました。
亀の背中に乗って、海上を走るのは、なかなか、快適でした。
水上バイクに、乗っているような気分です。
「うらしま太郎さま。竜宮城は、海の底にあります。これから、海の中に、潜ります。しかし、ご安心ください。龍神の、神通力によって、うらしま太郎さまは、海中に入って呼吸しなくても、大丈夫です」
亀は、そう言いました。
そして、亀は、海の中に、潜水していきました。
亀の言った通り、うらしま太郎、は、海中に入って、呼吸が出来なくなっても、苦しくならず、平気でした。
うらしま太郎、は、子供の頃に、憧れて続けていた、夢が、本当に、かなって、言葉に言い表せない、最高の喜びを感じていました。
海の中では、様々な魚が、泳いでいます。
やがて、きれいな、お城が見えてきました。
「うらしま太郎さま。あれが、竜宮城です」
亀が言いました。
「乙姫さまー。ただいま、帰りました」
竜宮城に着くと、亀は、大きな声で叫びました。
すると。
「はーい」
という、声が聞こえました。
そして、竜宮城の戸が、開きました。
そして、美しい女性が顔を現しました。
「お帰り。亀蔵」
と、美しい女性は、亀に言いました。
「乙姫さま。ただいま、帰りました」
亀が、言いました。
「あら。こちらの方は誰?」
乙姫が亀に聞きました。
「乙姫さま。この方は、うらしま太郎さま、といいます。この方は、私が、浜辺で、子供たちに、いじめられている所を、救ってくださったんです」
亀は、乙姫に、そう説明しました。
「そうだったのですか。うらしま太郎、さま。それは。それは。どうも、ありがとうございました。この亀は、亀蔵と言って、私の大切な家来です。ぜひとも、お礼をしたく思います。さあ、どうぞ、お上がり下さい」
そう言って、乙姫は、うらしま太郎に、恭しく、頭を下げました。
うらしま太郎、は、乙姫を見て、驚きました。
想像以上に、あまりにも、美しかったからです。
そして、感動しました。
なぜなら、乙姫の上半身は、人間と、同じですが、下半身は、人間と違って、足が無く、魚のような、尾ひれ、になっていたからです。
つまり人魚です。
うらしま太郎、は、乙姫の体は、人間と同じ構造なのか、それとも、人魚なのか、の、どちらかは、どうしても、想像が出来ませんでした。
しかし、うらしま太郎、は、乙姫が、人魚であってくれたら、どれほど素晴らしいだろうか、と、思っていたのです。
「これは、これは、乙姫さま。お目にかかれて光栄です」
と、うらしま太郎、は、恭しく、深くお辞儀しました。
「さあ。どうぞ、お上がり下さい」
乙姫は、うらしま太郎、の、礼儀正しさ、に、喜んだのでしょう。
ニコッと、微笑んで、言いました。
「それでは、お邪魔いたします」
そう言って、うらしま太郎、は、竜宮城の中に、入りました。
竜宮城の中は、地上と同じように、海水ではなく、空気で満たされていました。
うらしま太郎、は、子供の時から、竜宮城は、空気で満たされている、と、思っていました。
いくらなんでも、海水の中で、長い月日を、乙姫と、仲睦まじく過ごす、というは、物理的に、ありえないように思われたからです。
「浦島さま。家来の、亀蔵を助けて下さってありがとうございました」
乙姫は、あらためて、うらしま太郎、に、礼を言いました。
「いえ。人間として当然のことをしたまでです」
うらしま太郎、は、謙虚に言いました。
「やっぱり、優しい方なんですね」
乙姫は、また、ニコッと、微笑みました。
「ところで、乙姫さま。つかぬ事をお聞きしたいのですが・・・」
「はい。何でしょうか?」
「乙姫さま、は、海の中を、自由に、何時間でも、泳ぎ続けることが出来るのですか?」
「ええ。出来ますわ」
「イルカのように、時々、空気を呼吸しなくてはならないんですか?」
「いいえ。呼吸しなくても、いつまでも、海の中を、泳ぐことが出来ます」
「では。今は、空気の中にいますが、時々、肌の乾燥をふせぐため、海に入らなくては、ならないのですか?」
うらしま太郎、が聞きました。
イルカの肌は乾燥に弱く、長時間水に触れていないと火傷に似た症状が発生して死んでしまうからです。
「いいえ。空気の中でも、何時間でも、生きていられますわ」
乙姫は、嬉しそうに答えました。
「では水陸両用なんですね」
うらしま太郎、が、聞きました。
「え、ええ。まあ、そうかも、しれませんわ」
乙姫は、照れくさそうな顔で答えました。
「それは、うらやましい。魚のように、水中で、自由に泳げて、しかも、陸でも、生きられるなんて・・・」
うらしま太郎、は、そう、言いました。
乙姫は、照れくさそうに、微笑みました。
「ところで、うらしま太郎、さん」
今度は、乙姫の方が、うらしま太郎、に、話しかけました。
「はい。何でしょうか?」
「私は、うらしま太郎、さんに、謝らなけばならないことがあります」
乙姫が真顔になりました。
「それは、何でしょうか?」
うらしま太郎、が、聞きました。
乙姫は、おもむろに、話し出しました。
「浦島さん。実を言うと、私は、海の中で、ひとりぼっち、で、さびしかったんです。それで、時々、人間界の、浜辺へ行って、人間を見ていました。人間は、友達と、仲良くしていて、うらやましかったんです。しかし。人間って、どういう動物なのか、わからなくて、それが、こわくて、人間に、話しかけることは、出来ませんでした。もしかすると、捕獲されて、動物園に入れられて、人間の、見世物にされて、しまうんでは、ないか、とも、心配しました。実際、人間は、イルカを、捕まえて、芸を仕込んで、人間の、ショーにしています。しかし、人間は、クジラの捕獲に反対したり、絶滅危惧種を保護したりして、動物愛護の精神も持っています。それで、私は、人間とは、どういう動物なのか、知りたくて、テストしてみたんです。私は、長いスカートを履いて、下半身がバレないようにして、村の子供たちに、亀をいじめて、欲しい、と、たのんだのです。そうしたら、あなたが、亀を助けて下さいました。私は、人間、って、優しい動物なのだと確信しました」
乙姫は、自信に満ちた口調で、キッパリと言いました。
「なるほど。そうだったのですか。でも、そんなことは、謝るに価しないことですよ。お礼を言うのは私の方です。私は、子供の時に、(浦島太郎)、のお伽話、を読んで、とても、感動して、それ以来、ずっと、竜宮城、や、乙姫さま、って、本当にいるのだろうか、と、疑問を持ち続けていました。本当に、いて、会えたら、素晴らしいな、って、思っていたのです。今、まさに、こうして、あなたと会えたのは、夢、実現です」
と、うらしま太郎、は、言いました。
「そう言って、もらえると、とても、嬉しいです」
乙姫は、顔を赤くして、照れくさそうに言いました。
「乙姫さま。は、想像以上に、美しくて、純粋な方だ」
うらしま太郎、は、最高に感動していました。
「では、今日は、手によりをかけて、美味しい料理を作りますので、召し上がって下さい。そして、うらしま太郎、さま、が、満足するまで、ここで、ごゆるりと、お過ごし下さい」
と、乙姫は、言いました。
「でも、あまり、長く居ると、私に、玉手箱を、渡すんでしょう。そして、私を、一気に、老人にしてしまうんでしょう?」
うらしま太郎、が、聞きました。
「そんなこと、絶対に、しませんわ。人間の作った、お伽話の、(浦島太郎)、の話のラストは、意地悪ですね。私が思うんですが、おそらく、あれは、あまり長い時間、遊んでばかりいると、後悔するよ、という、教訓だろうと思います」
乙姫は、少し、怒った顔で言いました。
「そうですか。それを聞いて安心しました」
うらしま太郎、は、ほっと、胸を撫でおろしました。
その晩は、乙姫は、手によりをかけて、うらしま太郎、のために、豪勢な料理を作りました。
その料理とは。
キャビア。フォアグラ。サザエのつぼ焼き。鯛。鯖(さば)の塩焼き。カレイの煮付け。アジの塩焼き。サーモンムニエル。イワシのつみれ汁。さんまの塩焼き。サンマの蒲焼。アナゴの天ぷら。カツオのタタキ。鮭のホイル焼き。ブリの照り焼き。鯖の味噌煮。うなぎの蒲焼き。鱈のムニエル。ナステーキ。辛子明太子。鮭のちゃんちゃん焼き。ふぐ刺し。
などです。
全部、魚料理でした。
乙姫は、海の中で、暮らしているので、それも、無理はありません。
それでも、うらしま太郎、は、「美味しい。美味しい」、と言って、乙姫の作った魚料理を食べました。
「お味はいかが?」
という、乙姫の少し自慢げな質問に対し、うらしま太郎、は、
「最高の美味です」
と、答えました。
乙姫は、ニッコリ笑って、
「そうでしょう。魚には、必須脂肪酸の、EPA、や、DHA、が、たっぷり含まれていますから、中性脂肪やコレステロールを下げ、血管や血液の、働きを向上させますから、健康にも、とても、いいのですよ」
と言いました。
うらしま太郎、は、「最高の美味です」、とは、言ったものの、本心では、「温かい、ご飯や、肉、や、野菜も、欲しいものだな」、と思っていました。
しかし、乙姫を失望させたくないので、それは、言わず、「美味しい。美味しい」、と、だけ言いながら、食べました。
しかし、さすがに、ふぐ刺し、だけは、大丈夫かな、と心配しながら、食べました。
ふぐ、には、テトロドトキシンという猛毒が含まれていますから、ふぐ調理師免許を持っていないと、調理できません。
しかし、乙姫は、海や魚のことは、詳しく知っているから、大丈夫だろう、と思って食べました。
乙姫は、全裸ではなく、ピンク色の、ブラジャーを着けていました。
「乙姫さま。そのブラジャーは、どうしたのですか?」
うらしま太郎、が、聞きました。
「ああ。これね。これは、夏、海水浴場に、近づいてみたら、海に、浮かんでいたので、持ってきたのです。人間って、こういう洒落た物を着けるのかと、思って、興味本位で、着けてみたら、結構、着け心地がいいですね」
と、ニコッと、笑って言いました。
食後。
乙姫は、鯛、や、ヒラメ、を、大勢、呼びました。
「さあ。あなた達。うらしま太郎、さま、の、おもてなし、です。踊りなさい」
乙姫は、命じました。
乙姫は、魚と話が出来るのです。
「はい。乙姫さま。わかりました」
そう言って、鯛、や、ヒラメ、は、優美な踊りを、うらしま太郎、に披露しました。
その夜は、うらしま太郎、は、乙姫と、巨大な、真珠貝の、中の、フカフカの、ベットで、手をつないで寝ました。
もちろん、乙姫とセックスすることは、出来ません。
なにせ、乙姫は、下半身が、魚なのですから。
しかし、そういう物理的な理由も、ありますが、うらしま太郎、は、ジェントルマンシップを持っていたので、というか、ストイックなので、いきなり、抱きつく、という趣のないことは、したくなかったのです。
こうして、うらしま太郎、は、竜宮城、で、乙姫と、一緒に、楽しく暮らしました。
しかし、竜宮城、には、テレビも、パソコンも、何もなく、だんだん、うらしま太郎、は、退屈になってきました。
その上、料理は、毎日、魚料理ばかりです。
乙姫は、うらしま太郎、に、陸の人間のことを、さかんに聞きたがるので、うらしま太郎、は、乙姫に、人間の生活のことを、詳しく説明してやりました。
テレビ、や、パソコン、や、車、や、新幹線、や、飛行機、があること。
スポーツ、があり、ファッション、があり、食べ物は、魚料理だけではなく、ビーフステーキ、や、甘いスイーツ、があること。
など、何でも話してやりました。
乙姫も、海の中だけの、生活に、飽きていたのでしょう。
「ステキ。私も、陸の生活をしてみたいわ」
と、言いました。
「じゃあ。陸に上がって、僕の家で、少し、暮らしてみないかい?」
うらしま太郎、が、提案しました。
「でも。私。足が無いから、陸で、生活できるかしら?それに、人に見られたら、どうしようかしら?」
乙姫が言いました。
「大丈夫だよ。ロングスカートを履いていれば、尾ひれ、は、隠せるよ。それと、移動は、車椅子を使えば、出来るよ」
うらしま太郎、が、言いました。
乙姫は、しばし、俯いて、考えていましたが、パッ、っと、顔を上げました。
「わかったわ。それじゃあ、うらしま太郎、さん、の家に、行ってみるわ」
乙姫が言いました。
「じゃあ、行こう」
うらしま太郎、が、言いました。
こうして、乙姫は、陸に上がることになりました。
乙姫は、うらしま太郎、と、手をつないで、竜宮城、を出て、深海の中を、スイスイと、陸を目指して、泳いでいきました。
そして、乙姫は、うらしま太郎、の、村の浜辺へ浮上しました。
早朝だったので、人は、いませんでした。
うらしま太郎、は、乙姫に、
「ちょっと。待ってて。家に行って、車をもってくるから。それまで、岩陰に隠れていて」
と、言って、家にもどりました。
うらしま太郎、は、急いで、家にもどると、すぐに、車に乗って、浜辺へ向かいました。
浜辺へ着くと、うらしま太郎、は、岩陰に身を潜めている、乙姫を抱きかかえて、車の助手席に乗せました。
車に乗せてしまえば、もう、安全です。
うらしま太郎、は、車を飛ばして、家に向かいました。
家に着くと、うらしま太郎、は、乙姫を、抱きかかえて、家の中に入れました。
そして、自分の部屋のベッドに寝かせました。
「お兄ちゃん。お帰り。一週間も、どこへ行っていたの?」
うらしま太郎、の、妹の京子、が、やって来て、聞きました。
「いや。ちょっとね。へへへ・・・・」
と、うらしま太郎、は、頭を掻いて、言葉を濁しました。
翌朝になりました。
うらしま太郎、は、妹に、乙姫のことを、話そうか、話すまいか、迷いました。
しかし、うらしま太郎、の、妹は、優しく、口も軽くありません。
それでも、一応、妹に聞いてみました。
「ねえ。京子。京子は、人魚って、本当にいると、思う?」
「うーん。わからないな。でも、いたら素敵だわね」
京子は、兄同様、ロマンチックな性格でした。
「じゃあ、紹介するよ」
そう言って、うらしま太郎、は、自分の部屋から、乙姫を、連れてきました。
「初めまして。乙姫と申します」
乙姫は、恭しく、京子に、挨拶しました。
「うわー。人魚だ。人魚って、本当にいたのね」
京子は、目を白黒させて、驚きました。
「この方は、乙姫といって、海の底の竜宮城、に、住んでいるんだ。人間の世界の話をしてやったら、ぜひ、見たい、と言うから、連れてきてあげたんだ」
うらしま太郎、は、妹に、そう説明しました。
「ふーん。竜宮城、や、乙姫さま、って、本当にあったのね。あれは、お伽話の、作り事だとばかり思っていたわ」
妹が言いました。
「よろしくね。乙姫さん」
「よろしく。京子さん」
こうして、二人は、すぐに、仲良しになりました。
京子は、高校3年生です。
「京子。乙姫さま、のことは、秘密だそ。世間で、騒がれるからな」
うらしま太郎、が、言いました。
「もちろん、誰にも、喋らないわ」
口の堅い京子は、キッパリと、言いました。
京子は、乙姫を、自分の部屋に連れて行って、人間世界のことを、こと細かく、教えてやりました。
乙姫は、興味津々の顔つきで、聞いていました。
その日の、夕食は、ビーフステーキでした。
うらしま太郎、と、妹と、乙姫は、三人で、夕食を食べました。
温かい、ご飯と、みそ汁、と、デザートは、アップルパイ、でした。
「美味しいわ。こんな、美味しい、料理、生まれて初めて食べたわ」
乙姫は、嬉しそうに、言いました。
数日、京子は、学校から、帰ってくると、すぐに、乙姫と、トランプをしたり、将棋をしたりして、遊びました。
季節は、7月に、入りました。
村で、七夕祭りがある、ということで、乙姫は、ぜひとも、見てみたい、と、言いました。
「じゃあ。連れて行ってあげよう」
うらしま太郎、が、言いました。
京子が、乙姫に、浴衣を着せてやりました。
裾の長い、浴衣なので、尾ひれ、は、隠れて見えません。
「乙姫さま。似合うわよ」
と、京子が言うと、乙姫は、照れくさそうに、ニコッ、と、微笑みました。
うらしま太郎、は、ワゴン車に、車椅子を乗せて、乙姫と、妹を、乗せて、三人で、七夕祭り、に、行きました。
そして、七夕祭り、の、会場に行き、駐車場に、車を止め、車から、車椅子を、降ろして、乙姫を座らせました。
そして、人で、賑わっている、七夕祭り、の、会場を、車椅子を押して、回りました。
人々は、乙姫を、下半身の不自由な、障害者と思っています。
乙姫は、人間たちが、楽しそうに、和気藹々としている、のを、見て、うらやましく思いました。
そして、三人で、屋台の、わたあめ、を、買ったり、焼きそば、を、買ったりして、食べました。
「美味しいわ。美味しいわ。人間って、こんな、美味しい物を食べているのね」
と、乙姫は、ハフハフ、言いながら、焼きソバを食べました。
「ねえ。あれをやってみない?」
と、妹が、乙姫に言いました。
それは、金魚すくい、でした。
「面白そうね」
そう言って、乙姫は、金魚すくい、の、屋台に行きました。
そして、乙姫は、何と、300匹、は、いた金魚を、全部、すくってしまいました。
乙姫は、魚と、魚語で、会話が出来るので、
「金魚さん。すぐに、逃がしてあげるから、網に乗って」
と、言ったからです。
世の、全ての魚は、乙姫の、ことを、敬愛していますから、
「はい。わかりました」
と、言って、逃げることなく、乙姫に、すくわれたからです。
そして、遠くでは、ドカン、ドカン、と、花火、が、鳴り出しました。
「うわー。きれいね」
と、乙姫は、我を忘れて、花火を、見入っていました。
そうして、花火が、全部、打ち尽くされるまで、見てから、夜遅くに、三人は、家に帰りました。
乙姫は、
「人間も、泳ぎ、を、楽しむ、レジャープール、というものに、ぜひ、行ってみたいわ」
と、言い出しました。
うらしま太郎、は、
「仕方ないな。見てるだけだよ」
と言って、車で、大磯ロングビーチに、乙姫を、連れて行きました。
そして、長いスカートを履かせて、人魚であることを、バレないようにして、車椅子に乗せて、障害者を装って、大磯ロングビーチに、入りました。
乙姫は、人間たちが、プールで、楽しそうに、騒いでいるのを、見ているうちに、だんだん、人間と一緒に、泳ぎたい、気持ちが、高じていきました。
乙姫は、ついに、その気持ちを、抑えきれなくなって、スカートを、脱いで、流れるプールに、入りました。
乙姫は、何しろ、世界中の海を、自在に、泳ぎまわれるので、その泳力は、人間とは、くらべものに、なりません。
客の間を、ぬって、スーイ、スーイ、と、目にも止まらぬ速さで、泳ぎました。
「うわー。何だ。ありゃ。人魚じゃねえか」
「うそだろー」
人々は、驚きました。
乙姫は、得意になって、泳ぎまわりました。
人間たちと、友達になりたかったのです。
うらしま太郎、は、心臓が止まるかと思うほど、びっくりしました。
乙姫が、うらしま太郎、の所にもどってくると、うらしま太郎、は、
「乙姫さま。だめじゃないですか。ちょっと、世間を騒がせますよ。すぐ、上がって下さい」
と、厳しく叱りました。
乙姫は、
「ごめんなさい」
と、ちょっと、悪戯っぽく、ペロリと舌を、出して、急いで、プールサイドに上がりました。
そして、うらしま太郎、は、乙姫に、急いで、スカートを履かせて、乙姫を、車椅子に乗せて、急いで、プール場、を、出ました。
そして、乙姫を車に乗せて、家に向かいました。
「乙姫さま。あまり、無茶なことは、しないで下さい」
うらしま太郎、は、厳しく、乙姫に注意しました。
「はい。つい。嬉しくなって。ごめんなさい」
そして、うらしま太郎、は、家に着きました。
しかし、乙姫は、しっかり、写真や、動画に、撮られていました。
You-Tube、に、乙姫の、動画が、アップされ、それは、一日のうちに、100万回、再生されました。
そして、夜のニースでも報道されました。
「今日。大磯ロングビーチに、突如、人魚があらわれました。幸い、人間に、危害を加えることなく、去っていきました。本当に、人魚なのか、どうかは、わからず、警察も行方を捜査していますが、見つかっていません。見つけた方は、すぐに、警察に連絡して下さい。これが、その動画です」
と、撮られた動画が、映し出されました。
翌日の新聞の第一面、も、乙姫の記事でした。
見出し、は、「人魚、現る」で、記事は、
「昨日。大磯ロングビーチに、突如、人魚があらわれました。幸い、人間に、危害を加えることなく、去っていきました。本当に、人魚なのか、どうか、わからず、警察も行方を捜査していますが、見つかっていません」
というようなものでした。
うらしま太郎、は、
「やれやれ。困ったものだ。世間を騒がせて」
と、困惑しました。
うらしま太郎、は、考え抜いた、あげく、乙姫の存在を、カミングアウトさせることに決めました。
うらしま太郎、は、まず世間を混乱させないため、乙姫の、ブログを、開設しました。
そして、乙姫の、メッセージ、や、乙姫の、写真、を、アップしました。
翌日。うらしま太郎、は、乙姫を、車に乗せて、東京海洋大学、に、連れて行きました。
さかなクン、に、紹介するのが、一番、いい、と思ったからです。
さかなクン、は、一見、子供っぽい、話し方をしている、タレントのように、思われていますが、日本一の魚類学者で、東京海洋大学名誉博士、で、東京海洋大学客員准教授、なのです。
その他。
東京海洋大学客員准教授(2006年)→名誉博士(2015年)
特定非営利活動法人自然のめぐみ教室海のめぐみ教室室長
お魚らいふコーディネーター
農林水産省 お魚大使
環境省「環のくらし応援団」メンバー
JF(全国漁業協同組合連合会)魚食普及委員
千葉県立安房博物館客員研究員
千葉県館山市「ふるさと親善大使」第一号
「よしもとおもしろ水族館」研究員(神奈川県横浜市中区、横浜中華街)
新潟おさかな大使(新潟県)
文部科学省・平成23年版科学技術白書表紙絵・デザインコンクール審査委員
日本ユネスコ国内委員会広報大使
明石たこ大使(明石市)
山陰海岸学習館ギョギョバイザー(鳥取県)
なぶら親善大使(静岡県御前崎市)
宮古島海の親善大使(沖縄県)
“渚の駅”たてやま名誉駅長(千葉県館山市)
小笠原諸島PR大使
などの、多くの、魚関係の役職を持っています。
乙姫は、さかなクン、を見ると、
「初めまして。乙姫と申します」
と、手を差し出しました。
さかなクン、も、さすがに、ギョギョギョ、と、驚きましたが、
「初めまして。宮澤正之、と、申します。でも、さかなクン、と、呼んで下さい」
と言って、乙姫と、握手しました。
さかなクン、は、乙姫に、色々なことを、聞きました。
そして、DNA検査をして、人間と同じであることを確認しました。
乙姫は、人間の進化の過程で、水中から陸に上がらず、魚類から、分かれて、進化していった、動物だろうと、さかなクン、は、言いました。
もっと、もっと、詳しく、調べたい、と、さかなクン、は、言い、乙姫も、それに、協力する、と言いました。
ある時、乙姫は、サングラスをかけ、長いスカートを履いて、オリンピックの日本代表選手が、練習する、東京辰巳国際水泳場、に、うらしま太郎、に、連れて行ってもらいました。
日本代表選手が、水泳の練習をしています。
乙姫は、しばし、見物していましたが、皆が、気持ちよさそうに、泳いでいるのを、見ているうちに、自分も、泳ぎたくなってきました。
(人間って、なんて、遅くしか、泳げないんだろう。私なら、あの数倍の速さで泳げるわ)
と、黙って見ていることが、出来なくなりました。
それで、代表選手が、泳いでいる、プールに、飛び込んで、スイスイと、水をかき分けて、泳ぎ出しました。
乙姫は、オリンピックの日本代表選手を、スイスイと、抜いて、泳ぎました。
それを見て、選手もコーチも、吃驚しました。
これなら、金メダル、確実です。
コーチは、前回の、リオオリンピックで優勝して、今回も、日本代表選手に、選ばれた、選手と、乙姫を競争させました。
しかし、乙姫は、世界の海を、自在に泳ぎ回れるので、人間では、とても、かなうはずがありません。
日本代表選手の、数倍の速さで、世界新記録を出して、泳ぎました。
乙姫は、人間のDNAを持っているので、人間と、認めるしか、ありません。
なので、日本の水泳界は、乙姫の、オリンピック参加を求めました。
国際オリンピック委員会の、バッハ会長も、人間である限り、オリンピックの参加を拒否することは、出来ませんでした。
こうして、乙姫は、2020年の、東京オリンピックに、出場することが決まりました。
競泳だけではなく、シンクロナイズド・スイミング(アーティスティックスイミング)、も、水球も。
乙姫は、優しい心の持ち主なので、海の中や、海の上で、魚たちと一緒に、踊るのが好きだったので、踊りが上手く、アーティスティックスイミングの鬼コーチの、井村雅代、の指導も、必要ありませんでした。
水球も、乙姫は、物凄い、スピードで、泳げる上、何時間、水の中にいても、疲れることがありませんから、水球でも、日本代表選手に選ばれました。
そして、乙姫のおかげで、日本は、2020年の、東京オリンピックで、競泳、シンクロナイズド・スイミング(アーティスティックスイミング)、水球、で、全て、金メダルをとりました。
競泳では、乙姫は、世界新記録を、すべて、ぬりかえました。
こうして、乙姫は、日本のスーパースターになりました。
国民栄誉賞、も、当然、受賞しました。
乙姫は、容貌も、どんな、女優より、女子アナより、美しかったので、芸能界は、こぞって、彼女の、写真集、や、ポスター、や、カレンダー、のモデルになり、彫刻家たちは、彼女の像を、作りました。
CM出演の依頼も、無数に来ましたが、乙姫は、全部、引き受けました。
乙姫は、海の中にいた時は、魚たちと友達なので、いつも魚に歌って、魚を楽しませていたので、歌唱力も、凄く上手く、ミュージックステーションに、出演し、毎週連続、ベスト1となり、歌手としても、デビューしました。
CDは、世界、194カ国で、1000億枚、売れ、売り上げは、1000億ドルを超しました。
こうして、乙姫は、日本だけではなく、世界中のスーパースターになりました。
さらに、乙姫は、海、や、魚の、ことは、何でも知っているので、魚類学者として、さかなクン、の、いる、東京海洋大学の特任教授になりました。
翌日のことです。
うらしま太郎、が、乙姫と一緒に、朝ごはん、の時、ニュースを見ようと、テレビをつけました。
すると、テレビ画面には、超大型の、旅客船が、沈没しかかっている映像が、映し出されました。
乙姫は、おどろきました。
アナウンサーが、言いました。
「昨夜、午後9時、仁川港から、済州島へ向けて出港した、韓国の大型旅客船セウォル号が、今朝、8時49分頃、珍島の西方、巨次群島と孟骨群島との間の孟骨水道を、南東に向かって進んでいました。同船は、屏風島と観梅島の間あたりにさしかかった、辺りで、右(南西方向)に45度旋回したところ、急に傾き始めました。船には、修学旅行のための、安山市の檀園高校の二年生の生徒325人と、一般客108人、乗務員29人の計476人が乗船しており、車両150台あまりが積載されています。その後も、船は、どんどん、傾き、沈んでいっています。原因は、いつくか考えられますが、同船の積載量の上限987トンに対し、車、180台を載せていたための、法定積載量の3.6倍となる3,608トンの過積載であったこと。および、コンテナの固定方法に、固定装置が使用されておらず、ロープで縛っただけ、だっため、それが、横倒しになって、船のバランスを崩したものと考えられます。加えて出航前、船長は過積載をごまかすために、『船底に入っている海水』、すなわち、『バラスト』、を、法定基準値の4分の1程度にして、船体を浮上させていました。このことにより船の重心が高くなり、同船は、不安定になって、横倒しになったと考えられます。さらに、事故当時、船長は、船長室にいて、一等航海士が担当しなければいけないところを、入社して4ヶ月の未熟な三等航海士のパク・ハンギョル氏が、操舵していたことも、事故の原因と考えられます。船長は、事故後、船内の乗客に、(そのまま、動かないで下さい)、とアナウンスした上、船から、脱出してしまいました。これらは、セウォル号の、運航会社の、(清海鎮海運)、の、船舶事業に対する、経費削減のための、人的事故、と思われます。韓国の、海洋警察も、動き出しましたが、現場海域は海水が濁っており、視界は20―30センチメートルとほぼゼロの状態であり、さらに流れが急で漂流物も多く、捜索は難航しています。その上、情報が、十分、行き届いておらず、大型客船なので、船内の、どこに、何人、生存者が、いるのかも、把握できず、また、船は、もう、完全に、転覆している上、海洋警察のダイバーも、こういう事態は、経験したことがなく、想定外の事件なので、対処の方法が、分からず、困惑している、とのことです」
と、報道しました。
船が横転し、救助に、なすすべがなく、困惑している様子が、テレビ画面に映し出されています。
乙姫は、すぐに、日本の海上保安庁に電話しました。
「すぐに、ヘリコプターを、私の家、に、よこして下さい。人間の潜水士では、救出は、無理です。私が、全員、救出します」
と、乙姫は、強い語調で言いました。
海上保安庁は、
「わかりました」
と、返事をしました。
すぐに、乙姫の家に、ババババッ、と、爆音が鳴って、乙姫の家の近くの公園に、海上保安庁の、ヘリコプターが、到着しました。
乙姫は、ヘリコプターに、乗り込み、ヘリコプターは、一路、セウォル号、の現場に、直行しました。
そして、ヘリコプターは、沈没しかかっている、セウォル号、の上に、着陸しました。
乙姫は、ヘリコプターから、降りると、すぐに、海中に、潜りました。
乙姫は、魚と、会話が出来るので、近くにいた、魚たちに、命じました。
「この近辺の、サメを、すぐに、探して、すぐに、ここに、来るよう、言いなさい」
乙姫は、そう、魚たちに、言いました。
「はい。わかりました」
魚たちは、そう言って、海の中を、四方八方へと散っていきました。
すぐに、大きな、サメたちが、100匹、ほど、やって来ました。
「この中に、高校生が、325人、閉じ込められています。船内に、入って、全員、救助しなさい」
乙姫は、サメたちに、命じました。
「はい。わかりました。乙姫さま」
そう言って、サメたちは、沈没しかかっている、船内に入っていきました。
サメたちは、海底の、沈没船を、寝床にしたり、遊んだりしているので、大型船の構造は、知っています。
乙姫も、そうです。
乙姫は、船内に入って、檀園高校の、生徒たち、を見つけると、彼らに言いました。
「これから、サメが、船内に入って、あなた達を、船の外に連れ出します。なので、怖がらず、しっかりと、サメにつかまっていて下さい。なので、一分間ほど、息を止めて、我慢して下さい」
と、言いました。
生徒たちは、
「はい。わかりました」
と、言いました。
サメ達が、とんどん、船内に、入って来ました。
生徒たちは、乙姫に、言われたように、サメに、しっかりと、つかまりました。
サメは、生徒たちが、手を放さない程度の、しかし可能な限り、速い速度で、生徒たちを、船内から、救出しました。
乙姫も、陣頭指揮を、とりながら、自分も、檀園高校の、生徒たちを、船内から、船の外へ、連れ出し、そして、海上へと、救出しました。
こうして、檀園高校の、生徒たちは、全員、無事に救出されました。
韓国政府、および、韓国国民は、涙を流して、乙姫に感謝しました。
そして、そのお礼、として、従軍慰安婦問題は、日本の主張通り、日韓合意を、不可逆的に、永久に、順守する、ことを、誓い、従軍慰安婦の像は、取っ払われて、かわりに、乙姫の像が、建てられました。
そして、韓国政府は、竹島は、日本の領土、であることを認めました。
日本政府も、乙姫に、警視総監賞と国民栄誉賞を送りました。
海上保安庁は、乙姫に、
「乙姫さま。大変、恐縮ですが、海上保安庁の顧問になって頂けないでしょうか?」
と、乙姫に、頼みました。
乙姫は、
「いいわよ」
の、一言で、これを、受諾しました。
その後。
海難事故が、起こると、海上保安庁は、乙姫に、すぐに、電話しました。
「乙姫さま。××の海域で、漁船が、転覆しまして、行方不明者が、おります。どうか、お力を貸して頂けないでしょうか?」
と、言われると、乙姫は、すぐに、ヘリコプターを要請し、海に潜って、魚たちに、命じ、行方不明者を探し出しました。
乙姫が、その度ごとに、警視総監賞、を受賞したのは、いうまでもありません。
ある晩のことです。
「乙姫さま。あなたも、出世しましたね」
うらしま太郎、が、言いました。
「これも、うらしま太郎、さん、の、おかげ、だわ」
乙姫が言いました。
「何を言うんです。乙姫さま、が、勇気を出して、陸に上がったから、こういう結果になったのですよ」
うらしま太郎、が、言いました。
「うらしま太郎、さん」
「はい。何ですか?」
「もう、乙姫さま。と、さま。を、つけるのは、やめて下さい」
「では、何と呼べばいいんでしょうか?」
「乙姫、と、呼び捨てにして下さい」
「はい。わかりました」
「うらしま太郎、さん。私は、あなたを愛しています」
「僕も、あなたを、愛しています」
うらしま太郎、は、そう言って、一呼吸、置いて。
乙姫の目をじっ、と、直視しました。
「乙姫さん。僕と結婚して下さい」
うらしま太郎、は、勇気を出して言いました。
「はい。私は、あなたが、そう言ってくれるのを、待っていました。私も、世界中で、愛しているのは、うらしま太郎、さま。あなた、です」
二人は、お互い、ガッシリと、抱き合いました。
乙姫は、当然、日本政府の、沖縄の辺野古の、埋め立て、には、反対していました。
沖縄の、エメラルドグリーンの美しい、海には、サンゴ礁も、あれば、カラフルな、亜熱帯の、魚も、たくさん、います。
乙姫にとって、美しい、沖縄の海が、埋め立てられることは、とても、耐えられることでは、ありませんでした。
乙姫は、時々、沖縄の、辺野古へ、行って、沖縄県民と、辺野古の、埋め立て、に、反対していました。
乙姫に、とって、世界中の海は、庭のようなものです。
なので、本土から、沖縄へは、かんたんに、泳いで行けます。
それに、海の中でも、生きていられるので、溺れる、ということも、ありません。
ある日のことです。
沖縄県知事の選挙が、近づてきた、ある日のことです。
乙姫は、沖縄県民と一緒に、辺野古の埋め立て、反対を訴えている、沖縄県知事選の、立候補者である、玉城デニー氏、を、応援するために、沖縄に、泳いで行きました。
その日は、日本政府が、強引に、辺野古の埋め立て、を、している時でした。
乙姫は、辺野古の海から、大声で、
「お願いです。辺野古の海を埋め立てないで下さい」
と、叫びました。
しかし、日本政府は、クレーンで、コンクリートブロックを、海中に、投入していました。
「お願いです。辺野古の海を埋め立てないで下さい」
乙姫は、体を張って、クレーンの、下から、叫びました。
その時、クレーンのロープが、切れて、乙姫の、体を直撃しました。
辺野古の埋め立て、を、反対していた、沖縄県民は、焦って、急いで、ボートを出して、乙姫を、救助しました。
意識はありませんでしたが、まだ、かすかに、脈と呼吸は、ありました。
沖縄県民の一人が、乙姫を車に、乗せて、フルスピードで、近くの、総合病院に、運びました。
しかし、乙姫は、DOA(来院時心肺停止)、で、医師たち、の、必死の、救命処置も、むなしく、死んでしまいました。
コンクリートブロックを、海に入れる、クレーンのロープの切れ方は、誰が、どう見ても、事故というより、故意の行為のように、見えました。
しかし、政府は、事故原因を調査する、と、言ったものの、事故原因は、明らかにしませんでした。
沖縄県民は、全員、泣いて悲しみました。
数日後。
沖縄県民、全員が集まって、乙姫の葬儀が行われました。
乙姫は、辺野古の埋め立て、反対を貫き通して、命を落とした、沖縄県の前知事の、翁長雄志の墓に、一緒に、葬られました。
うらしま太郎、は、三日三晩、泣いて悲しみました。
そして、うらしま太郎、は、乙姫の後を追うように、辺野古の海に、身投げして、死にました。




平成30年10月27日(金)擱筆







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HSC(ハイリー・センシティブ・パーソン)

2018-10-24 12:02:55 | 考察文
たまたま、HSCというのを知った。

その特徴。

とても敏感で、繊細さや感受性の強さ・豊かさを生まれ持つ気質の子・人のことを、

HSC(Highly Sensitive Child)・HSP(Highly Sensitive Person)と言います。



HSC・HSPは一般に、集団に合わせることよりも、自分のペースで思索・行動することを好みます。

これはその子・人の独自性が阻まれることを嫌がるほどの「強い個性」とも捉えられるのです。



またHSC・HSPは、「内気」とか「引っ込み思案」とか「神経質」とか「心配性」とか「臆病」などとネガティブな性格として捉えられがちなのですが、

「内気」「引っ込み思案」「神経質」「心配性」「臆病」な性格というのは、持って生まれた遺伝的なものではなく、後天的なものであり、それは過去におけるストレスやトラウマ体験が影響しているものと考えられています。



5人に1人は、HSC・HSPに該当すると言われ、HSC・HSP自体は病気や障がいではなく、とても敏感で感受性が強く、かつ繊細さを持った生得的な気質なのです。

(*HSC・HSPはアメリカのエイレン・N・アーロン博士が提唱した概念です)

※個人差があり、当てはまるものや、その強弱は、人によって異なります。また、HSC・HSPという敏感さと、HSS(High Sensation Seeking=刺激追究型)もしくはHNS(High Novelty Seeking=新奇追究型)という強い好奇心を併せ持っているタイプの子・人が存在しますが、ここではHSC・HSPの特徴について記し、HSS・HNSの特徴については触れていません。



①すぐにびっくりするなど、刺激に対して敏感である。

細かいことに気がつく(些細な刺激や情報でも感知する)。



②過剰に刺激を受けやすく、それに圧倒されると、ふだんの力を発揮することができなかったり、人より早く疲労を感じてしまったりする。

人の集まる場所や騒がしいところが苦手である。

誰かの大声や、誰かが怒鳴る声を耳にしたり、誰かが叱られているシーンを目にしたりするだけでつらい。



③目の前の状況をじっくりと観察し、情報を過去の記憶と照らし合わせて安全かどうか確認するなど、情報を徹底的に処理してから行動する。

そのため、行動するのに時間がかかったり、新しいことや初対面の人と関わることを躊躇したり、慣れた環境や状況が変わることを嫌がる傾向にある。

急に予定が変わったときや突発的な出来事に対して混乱してしまいやすい。



④人の気持ちに寄り添い深く思いやる力や、人の気持ちを読み取る力など『共感する能力』に秀でている。

細かな配慮ができる。



⑤自分と他人との間を隔てる「境界」が薄いことが多く、他人の影響を受けやすい。

他人のネガティブな気持ちや感情を受けやすい。



⑥直感力に優れている。

漂っている空気や気配・雰囲気などで、素早くその意味や苦手な空間・人などを感じ取る。

先のことまでわかってしまうことがある。         



直観力がある。

物事の本質を見抜く力がある。

物事を深く考える傾向にある。思慮深い。       

モラルや秩序を大事にする。正義感が強い。

不公平なことや、強要されることを嫌う。



⑦内面の世界に意識が向いていて、豊かなイマジネーションを持つ。

想像性・芸術性に優れている。

クリエイティブ(創造的)な仕事に向いている。



⑧静かに遊ぶことを好む。

1対1や少人数で話をするのを好む。

自分が交流を深めたい相手を選び、その相手と同じことを共有し、深いところでつながって共感し合えるようなコミュニケーションを好む傾向にある。

大人数の前や中では、力が発揮されにくい。                

自分のペースで思索・行動することを好む。

自分のペースでできた方がうまくいく。

観察されたり、評価されたり、急かされたり、競争させられたりすることを嫌う傾向にある。



⑨自己肯定感が育ちにくい。                           

外向性を重要視する学校や社会の中で、求められることを苦手に感じることが多く、人と比較したり、うまくいかなかったりした場合に自信を失いやすい。



⑩自分の気質に合わないことに対して、ストレス反応(様々な形での行動や症状としての反応…HSCの場合「落着きがなくなる」「固まる」「泣きやすい」「言葉遣いや態度が乱暴になる」「すぐにカッとなる」、「不眠」「発熱」「頭痛」「吐き気」「腹痛」「じんましん」など)が出やすい。

細かいことぜんふに気がついたり、些細な刺激にも敏感に反応したり、過剰に刺激や情報を受け止めたりするため、学校や職場での環境や人間関係から強いストレスを感じてしまい、不適応を起こしやすい。

人の些細な言葉や態度に傷つきやすく、小さな出来事でもトラウマとなりやすい。



全部が当てはまるわけではないが、僕は、かなり、ほとんど、当てはまる。

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才能と素質(秀才と天才の違い)

2018-10-22 14:13:04 | 武道・スポーツ
「才能と素質」、について実戦カンフーの具一寿氏が分かりやすく書いているので、その文をそのまま書いておこう。

才能=天才、であり、素質=秀才、でもある。



「才能と素質」

ある者は体格がよく、師の伝えた技をいとも簡単にこなす。反射神経にも素晴らしい物を持っている。これが素質と呼ばれるものである。しかし、彼には独創的な所が無く、ただ師に学んだとおり練習する。師が間違いを伝えた時でも同じように訓練にはげむ。

また、ある者は体格、スタミナ、反射神経も人並み以上ではない。しかし彼には師が伝える正解と誤りを的確に見分ける能力を備えている。これが才能である。

(具一寿。「中国拳法戦闘法」252ページ)

多くの人々は、才能と素質を同一と考えるが、これは大きな誤りである。
また才能と努力を理解していない。
素質が無い人間は努力することにより、体格、スタミナ、反射神経などは、ある程度、克服できる。しかしながら、カンフーを確実に習得しようとする場合、才能が無いと、いくら、老師が達人であっても、その者は、全体を学ぶことはできないし、独創性がないため、一生、一流派で終わってしまう。

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那覇市長選 城間幹子氏が再選 4年間の市政運営に評価

2018-10-22 01:31:58 | 政治
「那覇市長選 城間幹子氏が再選 4年間の市政運営に評価」

「任期満了に伴う那覇市長選は21日投開票され、無所属現職の城間幹子氏(67)が7万9677票を獲得し、4万2446票を得た無所属現職で前県議の翁長政俊氏(69)=自民、公明、維新、希望推薦=を3万7231票差で破り、再選を果たした。

城間氏は9月30日の知事選で勝利した玉城デニー知事と同じ「オール沖縄」の組織体制を維持して盤石の選挙運動を展開し、無党派そうに支持を広げ、企業も一部取り込んだ。

「オール沖縄」勢は、宜野湾市長選は落としたが、知事選、豊見城市長選に続く勝利となった。選挙結果は玉城デニー知事の県政運営に追い風となりそうだ。」

(琉球新報、10/22(月) 0:04配信 )



いいぞ。いいぞ。

ウジ虫。安倍政権は、滅びろ。

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電子ピアノの練習は紙鍵盤の方がいい

2018-10-21 20:32:42 | 考察文
「電子ピアノの練習は紙鍵盤の方がいい」

僕は、以前、医学部を卒業した時、電子ピアノを弾けるようになりたいと、思って、5000円くらいの、電子ピアノを勝って、練習して、色々な、曲が弾けるようになった。

1ヵ月くらいで、弾けるようになる。

ハープの音が、一番、きれいなので、ハープの音でばかり、弾いていた。

アベマリア、とか、クラシック、とか、ビートルズの曲とか、サザンの曲、とか、要するに、マイナートーン、の、悲しい曲が好きだった。

電子ピアノでも、そうだが、ワープロを、覚えるのでも、そうだが、僕は、紙鍵盤を、作って、紙鍵盤で練習した。



ワープロでは、「ローマ字入力」、でも、「かな入力」、でも、出来るようになった後で、ワープロの、「早打ちソフト」、を、どんなものかと、試しに、勝って、やってみたことがある。

あれは、絶対、良くない。

というのは、ワープロの早打ちソフトは、例外なく、「懲罰式の練習法」、だからだ。

(懲罰式とは、間違ったら、叱られる、練習法で、褒章式とは、その逆で、できたら褒められる、練習法、である)

つまり、間違ったら、「ブー」、という音が出る。

これは、練習する人にとって、不愉快なものである。

(正解だったら、グー、と、褒める、褒章式の、ものは無いのである)

電子ピアノでは、最初から、音を出して、練習するより、音を出さないで、練習した方がいい。

音を出すと、懲罰式、に、なってしまうからだ。

紙鍵盤を作ったのは、どこへでも、手軽に、持ち運べて、いつでも、練習できるからだ。

ものごとは、自分で、考えて、工夫して、合理的にやるべし。

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認知症、3割が身体拘束…病気・けがで入院時に

2018-10-21 14:01:03 | Weblog
「認知症、3割が身体拘束…病気・けがで入院時に」

「認知症の人が様々な病気やけがの治療で病院に入院した際、ほぼ3割が身体を縛られるなどの拘束を受けていたとする全国調査結果を、東京都医学総合研究所と国立がん研究センターの研究チームがまとめた。拘束の主な理由は入院中の事故防止だった。研究チームは「認知症の高齢者は、身体拘束を受けると、症状が進んだり筋力が低下したりしやすい。不必要な拘束を減らす取り組みが求められる」と指摘している。

中西三春・同研究所主席研究員らは昨年、全国の一般病院(100床以上)3466施設に調査書を送り、937施設から有効回答を得た。主に病気やけがの初期治療を行う急性期とリハビリなどを行う回復期の病院を対象とした。集中治療室(ICU)や、精神科病院は除外した。」

(読売新聞、10/21(日) 7:53配信)



これは、以前、「学閥」、と題して、2008年12月20日、に、このブログに書いておいたんだけどね。

コピペしておこう。



学閥

私は学閥というものの嫌らしさをつくつぐ感じた。
ある民間の精神病院に勤めた時である。
私はそこで精神保健指定医をとる条件で就職した。
給料は、その代わり安かった。
そこの院長は慈恵医大出身だった。そして勤務している医者も皆、慈恵医大出である。医師の求人というのは、院長が自分の出身大学の医局の教授に何百万かだして、医師を派遣して下さい、と頼んで医師を送ってもらうのである。僻地では、なかなか医師が来てくれない。医師の給料を上げて条件を良くして、ネットの医師斡旋業者に頼む手もあるが、来てくれる保証はない。確実に医師が欲しければ、出身医局の教授に頼むのが一番、確実である。教授の一番大きな権限は医局員の人事権と博士号認定の権限である。医局員、特に研修医は教授の命令には逆らえない。逆らいたかったら医局を辞めるしかない。なので医師の確保の確実な方法は教授に頼むことである。
そこの医局は、まるで慈恵医大のミニ医局だった。
私は余所者である。就職して、いつまでたっても受け持ち患者を持たせてくれない。これではケースレポートが書けない。なので、何度も院長と交渉した。だが、話題をそらすだけで話し合ってくれない。私は院長の受け持ち患者の診察や雑役などをやった。
私も院長の受け持ち患者の診察はしているので、ケースレポートは書く資格がある。だが院長は、完全に自分で受け持った患者でなければ、ケースレポートは書く資格がない、などと言う。
数ヶ月して慈恵医大から医師が一人来た。ケースレポートは8症例、必要なのだが、その医師は、小児の症例がなかった。ケースレポートは8症例きっちり、そろっていなくてはならないのである。
ある医局会議の時である。
院長も私もその先生もいた。その先生は、小児のレポートは別の先生が受け持った患者のカルテを見て、その子供を診療した医師に頼んで小児の症例のケースレポートを書いた事を言った。私なんか余所者なのでそこにいることさえ、眼中になかったから、口が軽くなって言ったのである。その先生は、その子の診療には全くのノータッチである。そして院長は、そのレポートにサインしたのである。
どんなにしっかりレポートを書いても院長のサインが無ければ駄目なのである。逆に言えば、自分が診療してなくても院長のサインがあれば、それはレポートと認められるのである。私はそれを聞いた時、ギロッと院長をにらんだ。院長はヘラヘラ笑って私の視線をそらした。
こんなのが病院において行われている学閥というものである。
そもそもこういう事は、してはいけないことなのである。
厚生省の指定医の審査はかなり厳しい。結局、彼は指定医になった。
もし私が、厚生省に連絡したら、その指定医の資格は取り消しになる可能性がある。また、そんな事を知っててサインした院長の指定医の資格も取り消し、か、厳重に注意される可能性がある。厚生省が監査に来て、カルテを見れば、その先生の字が一文字も全く無いから一目でわかる。

その院長の人間性には問題があった。
悪いヤツは何事でも悪いのである。
精神科では認知症の患者は出来るだけ拘束しないのが厚生省の方針である。そんな事は当たり前の事である。自分が拘束された場合を考えてみりゃ、わかることである。そこで厚生省の方針として看護婦を増やし、看護基準を上げる事によって、診療報酬の点数も上げるようにした。ほとんどの病院では、その方針に切り替える。しかし、そこの院長は慎重というかケチというか、看護婦を増やすと人件費が上がるので、看護婦の採用は極力ひかえた。結果、人手が無いから認知症の患者は胴をベッドに縛ることになった。ともかく胴拘束の患者が多いのである。患者が徘徊したり転倒して頭を打ったり、転んで骨折すると寝たきりになってしまいがちになるからである。
老人の認知症の患者も、その程度は変動するのである。認知症は不可逆ではなく、可逆性があるのである。そのレベルは長谷川式簡易知能評価スケールというので簡単にわかる。自分の名前、ここの場所、簡単な計算、野菜の名前を知ってるだけ言わせる、などのテストで点数として簡単に出来るのである。私がその病院に入った時、ある認知症の老人がいた。程度は悪かった。ここが病院である事さえわからなかった。野菜の名前も一つも言えなかった。しかし数ヶ月して、その老人の症状が改善しだしたのである。話が通じるようになった。野菜の名前もいくつも言えるようになった。ここが病院であることは、もちろん理解できている。
では病院は喜んだか、といえば、喜ぶどころか困った事になったと悩みだしたのである。症状が改善したとはいえ、全く元通りになったわけではない。70を越し歳もとっている。自由にして転倒したら困るから、拘束は解けないのである。人手が多ければ、拘束を解くことも出来るが、そこの病院は人件費をおさえ看護婦をギリギリにおさえていたので、それが出来なかった。
意識のしっかりしている人を拘束しておく事はおかしい。人手がたりないという理由で。
私が毎日、その患者に会いに行くと、その人は、
「どうして僕が縛られなくてはならないんですか」
「こんな人間は早く死んだ方がいいんですね」
と泣いて訴えた。私は病院の方針に逆らうわけにはいかない。逆らったら辞めさせられるだけである。
私はウソにならないよう、何とか、転倒による寝たきり予防などの理由を説明した。私立では息子を一人医者にするには一億かかる。手前の莫迦息子を医者にするために意識のしっかりした患者を一日中縛っておくのはどう考えてもおかしい。

こんなのはまだかわいい方である。
この病院の院長はもっとひどい事を平気でする。
私は病院に勤めた時から、人間以下の雑役夫だった。私は受け持ち患者を持たせてもらえず、もっぱら院長の患者との精神療法だけだった。他の医者の受け持ち患者に話す事も許されなかった。そのため、ある気の強い看護婦は私を莫迦にした。私は院長の受け持ち患者にひたすら問診し症状をカルテに書いた。院長は病院の経営やら患者集めやら何やらで忙しいので私に院長の仕事をさせたのである。ある強迫神経症の患者がいた。私はその患者とは就職した時から相性が合い、よく話した。彼の精神症状は悪かったが、それほどひどいものではなく、私のアドバイスや薬で何とか、病気を飼いならしていた。半年以上たった頃の事である。彼の症状がひどく悪化した。私は彼とはよく話しているので、症状の変化はよくわかる。そもそも、この病院では入院患者の受け持ちは一人の医者が60人以上いて、患者の症状はナースから聞いて薬を処方する場合もある。しかし、私は患者と直に話しているので、実感としてわかるのである。彼は息をハアハア言わせながら苦痛を訴え、「病院にはご迷惑をおかけになることになるかもしれません」と真剣な表情で言った。私ははっきりと自殺の意志を感じとった。それで、詳しく彼の悩みを聞き、自殺未遂の経験も聞いた。自殺未遂の経験は数回あった。ちょうどその頃、院長がその患者の薬を替えていて、それが原因かもしれないとも思った。それで、彼の病状のひどさをカルテに書き、「自殺の可能性あり」、「隔離、拘束も必要」とカルテに書いて、さらに目立つように、その文に赤線で印をつけた。私を莫迦にしていた看護婦に、「隔離、拘束してほしい」、「紐やシャープペンはとりあげてほしい」と言った。しかし看護婦は私を莫迦にしているため、聞く耳を持たなかった。ナースは患者の病状は医者より自分達の方が上だというプライドを持っているのである。その後、院長も病棟回診で私の書いたカルテを見ているのに、平気で単独外出を許可した。私は彼の外出中、気が気でならなかった。こんな病状では外出などもってのほかであり、あえて許可するなら看護婦付き添いにすべきだ、と思っていた。幸い、その日は無事に帰ってきた。私は彼が帰ってくるや、すぐに彼の所に行った。彼は息を切らしていて、不安が激しい。私は病状のひどさをさらに詳しくカルテに書いた。その数日後の事である。院長はまた彼に単独外出を許可した。私は気が気でならなかった。そして、外出した先で彼はカッターで自分の体を切り刻んだのである。直ぐに救急病院に運ばれた。幸い、傷は浅く、数日で彼は病院に転送された。と、まあ、こんなことがあったのである。

私は彼がカッターで自分の体を切り刻んでくれた事が、本当に嬉しかった。なぜって、私の予測が見事に当たったからである。数日後の病院の全体会議でその事が問題となった。もはや、院長も、私を莫迦にした看護婦も私には頭が上がらない。それ以来、そのナースは私に頭が上がらなくなった。さらにひどいのは院長である。再三、私が注意の警告を言い、カルテに記載したのに。院長は能無しのクセにプライドだけは人一倍強く、私が何か主張すると余計、むきになって私を否定しようとする。かわいそうなのは、そんな医者のプライドによって体を切り刻んでしまった患者である。人の命がくだらん医者のプライドによってもてあそばれている。所詮、医学なんて他人のつくってくれたものであり、誰がやっても同じである。だから私は医学なんかにたいして興味が無いし、プライドなんか無いのである。
こんなのが病院の現状なのである。権力を持った病院の院長は皆、タヌキである。嫌気がさしたので私はその病院をやめた。

ちなみにこの病院は神奈川県の清川遠寿病院で、院長は増田直樹である。

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人は一人の方が成長する

2018-10-21 01:20:41 | 考察文
数日前、NHKで、一人暮らしの老人、の方が、認知症にならない、というのを、やっていた。

マツコ・デラックスが出ていた。

こんなのは、当たり前で、人は、一人の方が、頭を使うからである。

夫婦二人暮らしだと、わからないこと、困ったこと、が、あると、真っ先に、妻、(夫)、に、聞いてしまうからである。

自分で、調べて、自分で、考えて、解決しようとしなくなるからである。

依存心が強まってしまうからである。

その点、一人暮らしだと、わからないこと、困ったこと、が、あると、聞く相手がいないから、いやがうえでも、自分で、調べて、自分で、解決するしかない。

だから、頭を使うから、問題解決能力、生活力、が、強くなるのである。

自立心が強くなるのである。

ロビンソン・クルーソーは、生活、すべて、自分で、考えて、工夫しなければ、生きていけなかった。



それと。

二人暮らし、だと、話す相手がいるから、自由な時間は、人の陰口、や、愚痴、泣き言、無意味な、惰性のおしゃべり、に、使ってしまうことになる。

しかし、一人暮らしだと、話す相手がいないから、自分で、何をするか、考えて、本を読んだり、何か、有意義なことに、時間を使おうとするからである。

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許されることは苦痛である

2018-10-20 19:15:22 | 考察文
「許されることほどつらいものはない」

他の人は、どうか、知らないが、僕にとって、「許されることは苦痛である」。

法的なことにおいても、人道的なことにおいても。

自分が、何かのことで、人を傷つけたり、人に迷惑をかけたり、した時。

これは、その人の人格によるので、そうである人と、そうでない人がいるが。

相手に、許しを求めることしかせず、相手に許されることによって、罪の、肩の荷が、おりて、ほっとする、だけの感情しか、起こらない人もいる。

しかし、僕は、違う。

僕は、人を傷つけたり、人に迷惑をかけたり、したら、安易に、許されたい、という感情は全く起こらない。

僕は、相手に、与えた、罪の重さの度合いに、応じた、謝罪を、したい、という感情が、真っ先に起こる。

責任をとらない、というのは、大人として、恥ずかしいことである。

つらいことである。

責任をとる、というのは、大人としての誇り、である。



渡辺裕之の、映画のデビュー作、は、「オン・ザ・ロード」、という作品である。

Wikipedia にも、載っているし、You-Tube の、動画にも、一部、載っている。

ストーリーは、単純で、白バイ隊員の、渡辺裕之、が、勤務中に、モデルの女を、はねて、ビッコにしてしまう。

モデルの女は、ビッコになってしまったため、モデルが出来なくなり、実家の沖縄に、姉の運転する車に乗って、東名高速を飛ばして、沖縄へ向かう。

渡辺裕之は、責任をとるために、白バイ隊員の制服姿のまま、白バイに乗って、ビッコにしてしまった女を、追いかける。

というものである。



こんなことをいうと、偽善だが、おそらく、僕が、渡辺裕之の立ち場、だったとしらた、同じことをしただろう。

なぜなら、「許されることほど、つらいものはない」、のだから。

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思想をもっているとはどういうことか

2018-10-20 17:32:43 | 考察文
「思想をもっているとはどういうことか」

それは、多くの思想家の本を読んでいる、とか、多くの哲学書を読んで知っているとか、宗教を知っているとか、そんなことでは、さらさらない。

思想をもっていない人間とは、自分の感情、(自分の欲望)、のまま、行動している人間であり。

(その人は自分の感情、欲望の奴隷になってしまっている)

思想をもっている人間とは、自分の感情、や、欲望をもちながらも、「自分の感情、や、欲望に反していても、物事は、こうあるべきだ、」、と、考えられ、それを、行動に移している人間のことである。

(その人は、自分の感情、や、欲望から、解放されている人間である)




そして。

いかなる思想も尊重されねばならない。

そして。

いかなる思想も、押しつけてもいけないし、否定してもいけない。

なぜなら、この世に、(正解の)、思想などないのだから。

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老後の楽しみは甥の極右教育

2018-10-19 05:02:08 | 考察文
「老後の楽しみは甥の極右教育」

私の叔父(母親の弟)、は、老後の楽しみ、として、私を極右教育、してやろうと、たくらんだ。

それと、グチの破棄捨て場、にしようと。

狡猾にだまして、褒めることによって、アメ玉、をしゃぶらせとけば、だませると思っているのだから、ちゃんちゃら、おかしい。

私の父親も、母親も、バカだけど、特に、母親の家系は、バカで愚劣な遺伝子が、組み込まれているので、バカで愚劣なヤツばかり、である。

叔父は、思想的には、カラッポなのに、年上で、人生経験が、上なんだから、オレの方が偉いんだ、人に説教する資格があるんだ、という、お粗末な思考からぬけ出せない。

所詮、本性は、単なるチンピラに過ぎない。

そんなヤツとは、関わりたくない。

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子は親に骨までシャブられる

2018-10-19 04:48:42 | 考察文
「子は親に骨までシャブられる」

シャブとは、覚醒剤、のことである。

覚醒剤は、人間を、骨まで、シャブる、から、シャブ、と言われるのである。

同様に、親もシャブである。

親は、子供を、骨まで、シャブろうとしているのである。

パワハラ。虐待。エゴむきだし。家庭の暴君。「私か悪かった」、と、センチメンタルになって謝った翌日には、すぐに、「誰がお前を育ててやったんだ」、という恩着せ。どんなワガママを言い散らしても、最後に一言、「ごめん」、と言っときゃ済むんだ、という恥知らず。歳をとれば、何をしても(犯罪さえ)、老人だから、許されるんだ、という、甘ったれた考え。

(言葉の暴力は、肉体の暴力より、はるかに、人をむごく責める)

もう、バカな親に振り回されるのは、まっぴらごめん。

また、とことん、甘やかすのは、本人のためにもよくない。

何でも、好き勝手なことしても、最後に、「ごめん」、の一言、いえば、済む、という考えを持ってしまうのは、親のためにならない。

あらゆる卑劣な手を使って、親は子供を、骨まで、シャブろうとする。

子の心、親知らず。

横暴の限りを尽くしておいて、自分には、やさしい言葉をかけてくれ、などという、情けない、親にはなって欲しくない。

とことんまで、愚劣な親にはなって欲しくない。

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安部政権のメディアへの圧力

2018-10-19 01:29:06 | 政治
9月30日の、沖縄県知事選挙は、当日の夕方、玉城デニー氏が、当選確実になったのに、NHKも、民放も、全く、その報道をしなかった。

翌日の、10月1日の朝のテレビのニュースも、沖縄県知事選挙のニュースは、全くなく、ノーベル賞を受賞した、本庶佑(ほんじょたすく)先生の、ニュースだけだった。

しかし、10月1日の、全ての新聞の、第一面の、見出し記事は、沖縄県知事選挙、のことである。

そのくせ、NHKは、10月2日の夜中には、くっだらない、バカげた、第4次、ウジ虫、安倍内閣の閣僚が決まった、ニュースを、夜中まで、長時間、やっていた。

これは、なぜか、というと。

新聞では、記事を書いた人間が、誰だか、わからないが、(見えないが)、テレビでは、安部政権を批判する発言をするアナウンサー、は、一目瞭然だから、安部政権を批判する、ニュース番組のアナウンサーに対しては、「あいつを辞めさせろ」、と、圧力をかけられるからである。

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石破茂が総理大臣だったら辺野古への基地移転は出来た

2018-10-18 23:14:18 | 政治
「石破茂が総理大臣だったら辺野古への基地移転は出来た」

本当は、普天間の米軍基地を撤去して、辺野古への、基地移転の方が、いいのである。

普天間基地は、宜野湾市の市街地の中にあり、回りには、学校もあれば、民家もあり、商店街もあり、危険極まりない、米軍基地である。

事故の危険性も、さることながら、騒音も、ひどすぎる。

その点、辺野古の方が、安全であるのは明らかである。

民主党政権の時、鳩山由紀夫が、「最低でも県外」、と、公約してしまったから、問題が、こじれてしまったのである。



もちろん、沖縄県民は、美しい沖縄の海を、埋め立てることに、抗議している。

しかし、人命には、かえられない。

美しい海を、埋め立てるより、人命の方が、大切なのは、当たり前のことである。



沖縄県民が怒っているのは、安倍政権が、暴力で、強引に、辺野古を埋め立てているからである。

安倍晋三は、知性も良心も、その両方が、ひとっかけら、も、無いバカで、友人との、ゴルフと、会食と、海外旅行しか、興味が無く、ウソと、逃げ、だまし、しか、出来ない、人間のクズである。

バカの政治手段といったら、暴力しかない。

日本の地方の現状に興味がなく、対話する能力もない。

し、対話が嫌い、である。

だから、対話せず、対話を無視して、強引に、辺野古を埋め立てているから、沖縄県民は怒っているのである。



その点、石破茂は、自民党の中でも、一番、論理的思考能力の優れた議員であり、また、全国の、過疎地、400カ所を見て、地方の実情を知っている。

安倍晋三は、自由な時間には、遊ぶことしか、しないが、石破茂は、自由な時間には、絶えず、日本の政治の具体的解決策を、考えている。

安倍晋三の趣味が、遊び、であるのに対し、石破茂の趣味は、政治の考察、である。



だから、石破茂が、総理大臣だったら、沖縄県知事の、玉城デニー氏、と、納得のいくまで、とことん、話し合って、普天間基地の跡地を、どうするか、提案を出し、徹底的に、話し合って、沖縄県民が、納得のいく条件で、折り合いを、つけることによって、普天間基地を撤去して、辺野古へ、米軍基地を移転させることが出来るのである。

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うらしま太郎(小説)

2018-10-16 20:13:47 | 小説
「うらしま太郎」

という小説を書きました。

ホームページ 浅野浩二のHPの目次その1

http://www5f.biglobe.ne.jp/~asanokouji/mokuji.htm

に、アップしましたので、よろしかったらご覧ください。

(原稿用紙換算36枚)

ブログにも入れておきます。



うらしま太郎

ある浜辺の町です。
そこには、うらしま太郎、という、18歳の、心の優しい男がいました。
うらしま太郎、は、小学生の頃から、野球が好きで、リトルリーグで、野球をしていました。
うらしま太郎、は、ピッチャーでした。
そして、中学も、野球部で、活躍し、高校は、A高校、という、あまり、強豪校ではない、地元の高校に入りました。
そして、一年生から、エースとして、活躍しました。
浦島は、一年の時から、プロ野球のスカウトに、目をつけられていていました。
浦島は、1年生、2年生、3年生、と、A高校の、エースとして、活躍し、A高校は、3年連続で、夏の甲子園大会で優勝しました。
もちろん、セ・パ・両リーグ、12球団の、全てのチームが、彼に目をつけていました。
そして、浦島は、ドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズに1位に指名されて、横浜DeNAベイスターズに入団することが、決まりました。
浦島太郎、は、来シーズンからの、プロでの、活躍のため、毎朝、浜辺を、10kmランニングしていました。

ある日、うらしま太郎が、浜辺をランニングしていた時です。
浜辺で、子供たちが、大きな亀を、いじめていました。
「やーい。やーい。ドン亀」
と、子供たちは、囃し立て、棒で、巨大な亀を、叩いていました。
「こらこら。君たち。そんな、可哀想なことを、するものじゃないよ」
と、うらしま太郎、は、子供たちを諌めました。
「うわー。逃げろー」
子供たちは、うらしま太郎、に、叱られて、蜘蛛の子を散らすように、逃げていきました。
あとには、亀が残されました。
「ああ。ありがとうございました」
亀は、助けてもらった、お礼を言いました。
「あ、あの。お名前は?」
亀が聞きました。
「私は、うらしま太郎、と言います」
うらしま太郎、は、答えました。
「あ、あの。助けてもらった、お礼をしたいのですが・・・」
亀が言いました。
「いいよ。別に。そんな、お礼なんて。ただ、子供たちに、注意した、だけだから」
と、うらしま太郎、は、言いました。
「いいえ。それでは、私の気がすみません。どうか、ぜひ、私の背中に乗って下さい。竜宮島に、ご案内、いたします。とても、いい所ですよ」
亀は言いました。
「そうかい。わかった。それじゃあ、ちょっと、その、竜宮島、という所に行ってみるとするか」
「ありがとうございます」
そう言うと、亀は、ノロノロと、海の方へ、歩んで行きました。
「さあ。うらしま太郎、さん。私の背中に乗って下さい」
亀は、そう、うらしま太郎、に、促しました。
浦島太郎は、大きな、亀の甲羅の背中に乗りました。
亀は、海の中に、入ると、スーイ、スーイ、と、泳ぎ出しました。
亀の背中に乗って、海上を走るのは、なかなか、快適でした。
水上バイクに、乗っているような気分です。
やがて、島が見えてきました。
「さあ。着きました。あれが竜宮島です」
亀が言いました。
浦島太郎は、亀の背中を降りました。
亀は、陸に上がると、また、ノロノロと、歩き出しました。
そして、ある家の前で、止まりました。
チャイム、と、ドアホーンは、家の下の方に、設置されていました。
亀は、チャイムを、鼻の先で押しました。
そして。
「乙姫さまー。ただいま、帰りました」
と、亀は、大きな声で叫びました。
すると。
「はーい」
という、声がして、家の中で、パタパタと、足音が聞こえました。
そして、家の戸が、開きました。
自分と同い年くらいの可愛い少女が、出てきました。
「お帰り。亀蔵」
と、少女は、言いました。
「乙姫さま。ただいま、帰りました」
亀が、言いました。
乙姫は、亀の横に立っている、男に、すぐに、視線を向けました。
「あら。この方は誰?」
少女は、亀に聞きました。
「乙姫さま。この方は、浦島太郎さま、といいます。この方は、私が、浜辺で、子供たちに、いじめられている所を、救ってくださったんです」
亀は、乙姫に、そう説明しました。
「そうだったのですか。浦島さま。それは。それは。どうも、ありがとうございました。この亀は、亀蔵と言って、私の大切なペットです。ぜひとも、お礼をしたいので、どうぞ、お上がり下さい」
そう言って、乙姫は、浦島太郎に、恭しく、頭を下げました。
「い、いえ。私は、ただ、この亀が、子供たちに、いじめられているのを、注意しただけです」
浦島は、恩着せがましいのが、大嫌いな性格だったので、照れくさくなって、慎ましく言いました。
しかし、乙姫の、家に、上がるのを断る理由もないので、浦島は、乙姫の家に入りました。
「浦島さま。亀蔵を助けて下さってありがとうございます」
「い、いえ。別に、子供たちに注意しただけです」
「お礼に、手によりをかけて、食事を作りますので、どうか、食べていって下さい」
「はい。わかりました」
そう言って、乙姫は、キッチンに行きました。
しばし、食卓で待っていると、乙姫が、料理を持って、やって来ました。
乙姫は、セクシーなビキニに着替えていました。
浦島は、思わず、うっ、と、興奮しました。
乙姫が、あまりに、セクシーだったからです。
乙姫は、料理を出しました。
それは、海の幸、山の幸、が、豊富な、とても、美味しい、料理でした。
食事が済むと、乙姫は、
「では。この町を案内いたしますわ」
と、言って、ワンボックスワゴンに、浦島を乗せて、島を一周しました。
島は、周囲1kmで、西には、きれいな絶景がありますので、どうか、ご覧になっていって下さい、と、言って、乙姫は、浦島を、西ガ浜に、連れて行きました。
そこは、とても、美しい、風光明媚な、眺めでした。
浦島は、離れ小島に、小旅行に、来たような、感覚になりました。
「ちょっと、待ってて下さい」
そう言って、乙姫は、ブラウスとスカートを脱いで、ビキニ姿になると、ドボンと、海の中に入りました。
「私、素潜りが出来るんです」
そう、乙姫は、ニコッと、笑って、言いました。
そして、海中に潜って行きました。
しばしして、乙姫は、アワビとサザエを持って、浮かんできました。
そして、島を一周すると、乙姫は、家にもどってきました。
「浦島さん。どうぞ。お風呂にお入り下さい」
乙姫に、促されて、浦島は、風呂に入りました。
(あー。いい湯だ)
浦島は、しばし、いい気分で、湯に浸かっていました。
しばしして、浦島は、体を洗おうと、浴槽から出ました。
すると、その時です。
ガラリ、と、戸が開いて、乙姫が、浴室に入ってきました。
ビキニ姿です。
浦島は、びっくりすると、同時に、ドキンと、しました。
「浦島さま。お背中を、お流し致します」
そう言って、乙姫は、体を洗おうと、湯船から、上がった、浦島の、背中を、スポンジに泡をつけて、キュッ、キュッ、と洗って、お湯で流しました。
「ど、どうも有難うございます」
そう言って、浦島は、また、湯船に入りました。
「あ、あの。浦島さま」
「はい。何でしょうか?」
「あつかましい、お願いですが。私も、一緒に、お風呂に入っても、よろしいでしょうか?」
「え、ええ」
浦島は、気が小さいので、乙姫の、申し出を、断ることが出来ませんでした。
乙姫は、ビキニを脱いで、裸になり、浦島と一緒に、浴槽に入りました。
「湯加減は、いかがですか?」
乙姫が聞きました。
「え、ええ。いいです」
浦島は、顔を真っ赤にして、答えました。
そうして、しばし、乙姫と、湯に浸かった後、風呂から上がりました。
浦島は、何だか、自分が、本当に、伽話の、「浦島太郎」、の、話、の主人公になっているような気がしてきまた。
しかし、いつまでも、島に居るわけには、いきません。
「乙姫さま。今日は、どうも有難うございました。そろそろ、帰ろうと、思います」
浦島が、言いました。
「浦島さま」
「はい。何でしょうか?」
「あの。ここは、週に一回しか、本土と往復する、定期船が出ていません。今日が、その日で、浦島さまが、この島に来られる1時間前に、来て、物資を届けて、本土に、もどってしまいました。なので、7日、待って頂けないでしょうか?」
乙姫が言いました。
「そうですか。それでは、仕方が、ありませんね。では、7日、ここに泊めさせて頂けないでしょうか?」
浦島太郎が言いました。
「ええ。ごゆっくり、おくつろぎ下さい」
乙姫は、ニッコリ笑って、言いました。
「乙姫さま。ところで、乙姫さまの、お父さん、や、お母さん、は、どうしているのですか?」
浦島が聞きました。
「母は、私が、幼い頃、膵臓ガンで死んでしまいました。父は、漁師で、この村の村長です。しかし、最近、体の具合が、悪いので、本土の、病院に、精密検査してもらうため、今日の定期船で、本土に行きました」
乙姫が言いました。
「そうなんですか。大変なんですね」
浦島は、乙姫を可哀想に思いました。
その夜、浦島は、乙姫の家に泊まりました。
翌日。
乙姫は、カレイの煮つけ、と、みそ汁、と、ご飯、の朝食を浦島に、出しました。
浦島が、乙姫と朝食をしている時です。
「乙姫さま。おはようございます。これから漁に出ますが、お父さんが、来ていませんが、どうしたのでしょうか?」
一人の、太った漁師が、やって来て、乙姫に聞きました。
「父は、本土の病院で、精密検査を、受けるため、昨日の定期船で、本土に行きました」
乙姫が言いました。
「そうですか。それは、困ったな」
太った漁師は、眉間に皺を寄せて、独り言を、呟くように言いました。
「ああ。そうだったわ。困ったわ。父がいないと、漁が出来ないわ・・・」
乙姫も、独り言を、呟くように言いました。
浦島は、一宿一飯の恩義を返す情を持っていたので、乙姫に、親切に、もてなしてもらったお礼も兼ねて、昨日から、乙姫に、何か、お礼をしなければ・・・と、思っていました。
「あ、あの。私でよければ、何か、役に立てれることがあれば、手伝いますが・・・」
心の優しい浦島は、そう申し出ました。
「本当ですか。それは助かります」
そう言って、浦島は、太った漁師と一緒に、漁港へ行きました。
漁港は、別の、一人の痩せた漁師がいました。
「おーい。村長は、昨日、本土の病院で、精密検査を受けるため、定期船で、本土に行ってしまったそうだ。その代わり、この方が、仕事を手伝って下さるそうだ。うらしま太郎、さんだ」
そう、太った漁師が言いました。
「いやー。それは、助かります。何分、人手が、ないもので」
痩せた漁師は、言いました。
「いえ。私は構いません。しかし、私でも出来ますか?」
うらしま太郎、は、聞きました。
「ええ。カツオの一本釣り、です。簡単ですよ」
と、漁港にいた、痩せた漁師が言いました。
こうして、浦島は、漁師の手伝いをすることになりました。
こうして、漁師二人と、うらしま太郎、を、乗せた漁船は、海に出ました。
カツオの一本釣り、は、簡単でした。
面白いように、カツオが、とれました。
(こういう、農林水産業こそ、日本の国力なのだな)
と、うらしま太郎、は、実感しました。
夕方、大漁で、船は、島に戻ってきました。
「いやー。浦島さん。有難う。人手が足りなくて。どうしようかと思っていたんです。今が、漁の最盛期ですからね」
と、漁師は、うらしま太郎、に、礼を言いました。
「浦島さん。どうも有難うございました」
家に帰ると、乙姫も、深々と頭を下げて、感謝の意を表しました。
その日も、浦島は、乙姫の、もてなしで、豪勢な、夕ご飯を食べました。

その夜。
浦島が、寝ていると、そーと、寝室の戸が開きました。
浦島は、びっくりしました。
乙姫でした。
「あっ。乙姫さま。何の用ですか?」
浦島は聞きました。
「あ、あの。浦島さん。今日は、漁を手伝って下さって有難うございました。あ、あの。お礼として。私でよければ、好きなようになさって下さい」
そう言って、乙姫は、寝間着を脱いで、裸になって、浦島の蒲団の中に、入ってきました。
浦島は、心が優しいので、女に恥をかかすことが、出来ないので、乙姫を、そっと抱きました。
抱いているうちに、だんだん、浦島は、興奮してきました。

翌日も、浦島は、漁を手伝いました。
浦島の心境が、変わり始めていました。
(プロ野球選手なんて、何も生産していない。自分のやりたいことをやって、世間の喝采を受け、莫大な年俸をもらっている。あんなのが、本当に、仕事といえるのだろうか。それよりも、こうやって、汗水たらして働くことこそ、本当の労働と言えるのではないだろうか?プロ野球選手なんて、世の中にいなくても、国民は生きていける。しかし、こういう、第一次産業で、食料を、生産したり、捕獲したりする人が、いなければ、国民は、生きていけないのだ)
浦島は、誠実な性格でしたので、そんなことを、考えていました。

こうして、ようやく、定期船が来る日が来ました。
「乙姫さま。一週間、色々と、有難うございました」
浦島は、深々と頭を下げて、乙姫に別れの挨拶をしました。
乙姫は、暗い顔をしています。
「あ、あの。浦島さん。大変、残念ですが、台風が近づいていて、時化になりそうなので、定期船は、危ないので、来ない、そうです」
そう、乙姫が言いました。
浦島は、ショックを受けました。
しかし、時化では、仕方ありません。
「そうですか。それじゃあ、仕方ありませんね」
浦島が言いました。
「それと、本土の病院からの連絡で、わかったことなのですが、父は、脳梗塞があって、本土の病院で、当分、リハビリをしなければ、ならない、そうです」
乙姫が言いました。
「そうですか」
浦島は、仕方なく、次回の、定期船が来るのを待つことにしました。
というより、本土に帰るには、それしか、方法がありません。
浦島は、漁の無い日は、他の漁師と一緒に、網の修理、や、船の清掃、などの仕事をして過ごしました。
その後も、定期船が、来る日は、なぜだか、海が時化て、定期船は、来ませんでした。
浦島は、島の、漁の人手不足が、可哀想で、毎日、漁を手伝いました。
そうして、3週間が経ちました。
今日は、定期船が来る日です。
「乙姫さま。色々と、有難うございました。とても、楽しい日々でした」
浦島は、深々と頭を下げて、乙姫に別れの挨拶をしました。
すると、乙姫は、暗い顔をして、重たげな口を開きました。
「あ、あの。浦島さま」
「はい。何でしょうか?」
「あ、あの。浦島さん。とても、言いにくいことなんですけれど。昨日、妊娠検査薬で検査した所、お腹に、私と、浦島さんの、赤ちゃん、が、出来ました。浦島さんには、ご迷惑をおかけしたくないので、中絶しようと思います」
乙姫が言いました。
浦島は、ショックを受けました。
「乙姫さん。あなたは、産みたいのですか、それとも、中絶したいのですか?」
浦島が乙姫の意見を聞きました。
「私は、産みたいです。だって、浦島さんは、優しいし、私は、浦島さんを、愛していますもの」
乙姫が言いました。
「わかりました。それなら、産んで下さい。私が働いて、養育費は支払います」
浦島は、心が優しいので、自分の事より、乙姫の希望を優先させました。
こうして、浦島は、漁を手伝いながら、竜宮島で過ごしました。
10カ月して、乙姫は、女の、赤ちゃん、を、産みました。
浦島は、責任感が強いので、生まれてきた子供の父親となり、そして、乙姫と結婚しました。
浦島は、女を妊娠させておいて、スタコラさっさ、と、逃げ出す、今時の若者とは違って、人間としての、責任感が強かったのです。

それから、二カ月が経ちました。
浦島は、乙姫の夫となり、そして乙姫の子の父親となり、そして、一人前の漁師になっていました。
うらしま太郎、は、予定していた、横浜DeNAベイスターズに入団して、プロ野球選手になることは、あきらめました。
ある時、漁から帰ってきた、浦島に、赤ちゃん、を、抱いて、乳をやっている乙姫が、語り始めました。
「あ、あの。あなた。話したいことがあるの」
「何だい?」
「実はね。一年前に、あなたが、ここへ来たでしょ。亀に乗って」
「ああ」
「あれはね。実は。私が仕組んだことなのです」
「どういうことなの?」
「あなたが、いつも、浜辺を、朝ランしているのを、私は知っていました。それで、あなたが、朝ランする時間に、亀に、その通り道にいるよう、命じたのです。それで、村の子供たちに、亀を、いじめるよう、私が、頼んだのです。あなたは、心が優しいから、きっと、亀を助けてくれる、と、思っていました。案の定、あなたは、亀を助けてくれました」
浦島は、目を白黒させて、乙姫を見ました。
「でも、どうして、亀は、人語を、話せたんだ?あの時は、疑問に思わなかったが、今、考えてみると、不思議だな」
浦島は、聞き返しました。
「それはね。亀の甲羅の中に、小型の、スマートフォンを、取り付けておいたの。それで、亀をいじめた、子供たち、が、スマートフォンで、物陰から、あなたを見ていて、子供たちに、喋らせたのです」
乙姫は言いました。
「なるほど。そうだったのか。でも、どうして、君は、僕を、この竜宮島へ来させたんだ?」
浦島が聞きました。
「あなたが好きだったから」
乙姫は、顔を赤くして言いました。
「どうして、僕のことを、知っているの?」
浦島が聞きました。
「あなたは、A高校の、ピッチャーだったでしょ。夏の甲子園大会の、地区予選では、あなたが、投げるのを、私は、何度も、応援しに行きました。あなたは、すごく、素敵だったわ。あなたを、一目見た時から、私は、あなたに、恋してしまったのです。でも、私の父は、この島を愛していて、私も、この島が好きなのです。なので。あなたに、この島へ来て、私と結婚して、この島に住んで、欲しかったのです。でも、そんなことを、あなたに言っても、あなたは、絶対、そんなこと、してくれないでしょ。だって、あなたは、学校中、いや、日本中、の、女子学生みんなに、モテモテだし、プロ野球選手になったら、あなたは、きっと、奇麗な、女子アナウンサーと結婚してしまうでしょ。私では、きれいな女子アナには、とても、かなわないもの。でも、私は、あなたと、どうしても、結婚したかったのです。そして、私と、ここで、一緒に住んで欲しかったのです。それで、私は、あなたの、やさしさ、誠実さ、に、つけこんで、そういう計画を立ててしまったのです。そして、あなたは、私の計画通りに行動したわ。私は、あなたの誠実さ、に、つけこんでしまったのです。父親の脳梗塞は、本当はウソです。父は、本土で、漁師として元気に働いています。それと、定期船が、なかなか来なかったのは、この島は、限界集落で、島の存続が危ないので、村長である父が、若者の人手を集めるため、亀を使って、島に、若者を呼んできては、定期船が、時化で来れないと報告させて、定期船が来ないようにしていたのです。ごめんなさい」
そう言って、乙姫は、床に頭をこすりつけて、謝りました。
「なるほど。青田刈り、だったんだね。そんなこととは、知らなかったな。まんまと、君の、計画にはまってしまったな。でも、いいよ。僕は、君が好きだから」
浦島が言いました。
「ありがとう。あなた」
乙姫は、涙を流して、夫に、抱きつきました。
「で、お父さんは、まだ、漁師が出来るんだね?」
「ええ。父は、元気です。父は、私が、あなたの子供を出産するまで、本土で、漁師をする、と提案しました。そして、今、本土で漁師をしています」
「そうかい。ところで、お父さんは、この島に、もどりたがっているのかね?」
「ええ。父は、本当は、この島で、漁師をしたいと思っています」
浦島は、腕組みをして、考えました。
そして、こんな提案をしました。
「じゃあ、お父さんには、ここにもどってきてもらおう。君は、僕と一緒に、本土で、親子三人で、暮らさないかい?横浜DeNAベイスターズは、僕を、スカウトしてくれたから。僕は、また、野球を、始めるよ」
「ええ。いいわ」
乙姫は嬉しそうな顔で快諾しました。
こうして、うらしま太郎、と、妻の、乙姫、と、幼い娘は、島を出て、横浜のマンションに移り住みました。
一年間、行方不明だった、うらしま太郎、が、横浜DeNAベイスターズに、ひょっこり、もどってきたので、監督をはじめ、みなが、驚きました。
「一年間、一体、どこへ行っていたんだね?」
との問いには、浦島は、
「それは、ちょっと秘密です」
と、笑って答えました。
浦島は、横浜DeNAベイスターズに入団し、一年目から、一軍の、レギュラーになり、防御率0.00の、最優秀投手になりました。
浦島は、3億円の契約金を、すべて、竜宮島の、インフラ整備のために、寄付しました。
そして、その年、横浜DeNAベイスターズは、リーグ優勝し、日本シリーズでも、優勝しました。




平成30年10月16日(火)擱筆







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