あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。
君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。
これは、与謝野晶子が1904年の日露戦争に従軍した弟を思って詠んだ歌である。もちろん、素晴らしい歌である。涙がこぼれるほど。と同時に、与謝野晶子の、とてつもない度胸に、タジタジとさせられる。とても私には、そんな度胸はない。
もちろん、当時の国粋主義者で文芸批評家の大町桂月氏、その他の人たちの猛烈な非難をうけた。
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。
君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。
これは、与謝野晶子が1904年の日露戦争に従軍した弟を思って詠んだ歌である。もちろん、素晴らしい歌である。涙がこぼれるほど。と同時に、与謝野晶子の、とてつもない度胸に、タジタジとさせられる。とても私には、そんな度胸はない。
もちろん、当時の国粋主義者で文芸批評家の大町桂月氏、その他の人たちの猛烈な非難をうけた。