おばか
研修病院には、私ともう一人の人が入った。最初、私は女子急性期病棟だったが、彼は男子病棟に配置された。女子病棟で、嬉しくないか、といえば、確かに嬉しくはあった。私は半年、ここの病棟で研修した。20代後半のきれいな人も何人か受け持った。だからといって、嬉しかったかというと、しんどかった。もう女子はこりごりだ、と思うほどになった。女でも健康な人とならいいが、相手は妄想をもった病人である。退院を何度も要求し、妄想から、無理難題を言ってくる。相手が男なら、きびしく叱ることも出来るのだが、女にはそうは出来ない。実際、私は男子病棟に移った時、実に肩の荷がおりて、ほっとした。男子病棟は実に楽で、また面白かった。しかし、最初の半年の女子急性期は、しんどかったが、たいへん実力が身についた。三年目ののオーベンは厳しかったが、やはり厳しい指導のため、実力がついた。楽をしようとすると、後で困ることになる。
ある一人のきれいな患者がいた。もちろん親が連れてきたのである。彼女は、もちろん入院することを嫌がった。本当は十分、保護入院で本人が嫌がっても入院させることが出来るし、他の先生ならそうしただろうが、私は無理矢理、入院させるのが、嫌だったので、(何か変なことを考えていると思われるのが嫌だからである)、その日は返した。ただ、「今日は帰ってもいいですが、あなたは、必ず病院に入院することになりますよ」と言っておいた。私は現実の女には興味がないので、彼女が来なくなっても何ともなかった。
一ヶ月くらいして、彼女は、また親に連れられて病院に来た。家で、あばれて家族もまいってしまったのである。私の予測が当たったため、彼女との関係はうまくいった。
彼女は治療抵抗性で薬がなかなか効かなかった。妄想も幻聴もとれない。彼女は両親との関係は良かった。彼女は、薬に違和感を訴え、自分は薬に過敏な体質だと言った。私は薬を増やしたくなかったのだが、医長が薬を増やすようアドバイスしたので、嫌々、増やした。また、私も薬は増やさない方がいいと医学的にも思っていた。事後、書いているからウソはいくらでも書けるが、私は、その時、本当に増やさない方がいいと思っていた。替えた薬を増やしたら、彼女の体にバーと薬疹が出てしまった。医長もあせって、「薬はやめ、やめ」と言って、薬疹治療に専念することになった。私は気が動転した。彼女の薬疹はひどく、とても街を歩けないほどである。私は彼女の発疹がひいてくれる事を神に祈った。もし、醜い発疹が残ってしまったら、私は死んでお詫びしようと思った。私は、うつ病になってしまった。直ちに抗アレルギー薬の治療が開始された。幸い、彼女も彼女の両親もあまり発疹に関しては気にしていなかった。幸い、発疹がだんだん、ひきだし、ついに元通りにもどってくれた。私は、ほっとした。
困るのは、彼女の父親が病院に面会に来ると、「青年の主張」をするのである。父親は「娘が暴れだすと、由美子(仮名)頑張れ、頑張れ、と言ってるんですよ」と言って、だんだん泣き出しそうになってくるのである。父親は涙もろい性格だった。私は神じゃない。まだ、経験、半年の研修医である。ただ私のようなくだらん人間の命と引き換えに彼女の妄想がとれてくれるのなら、私はいっこうにかまわない、と思っていた。
彼女は外泊をよく求めた。私は全部、許可した。だが帰院の日より、しっかり、ちゃっかり、一日か二日、必ず延びた。
彼女とは精神療法で、よく話した。精神科の精神療法は、単純に患者の妄想を否定するのではない。妄想は患者にとっては、間違いない現実なのである。だからといって、「そうだ。そうだ」と言うわけにもいかない。精神科の患者の治療のゴールは、妄想を持ちつつも、わからないままで、納得し、薬を飲み、自分の妄想を行動に移さず、日常生活を無事に出来るようにする事である。彼女は自分の妄想を、私が気が小さいことをいい事に堂々と主張した。無下に否定しては、かわいそうだが、認めるわけにもいかない。しかし何とかしてやりたい思いは強かった。彼女との精神療法は疲れた。私は訥弁で、激しい胃腸の病気もあって上手く話せない。いいかげん疲れて、私がどもりどもり、彼女と話そうとするので、とうとう彼女の方があせって、私を憐れんでくれて、「あっ。この前の新聞にも××という事は無い、と書いてありました」と自分の妄想の間違いを言って、私を慰めてくれた。もちろん、本心から、彼女がそう思っているわけではない。
「おばか」とは、彼女が自分の幻聴につけている名前である。
彼女は、また薬を替え、今度は少し効き出した。だが、思考力も押さえ、眠気を起こすので、あまり薬は増やしたくなかった。
半年過ぎ、私は女子急性期病棟から去り、男子病棟に移った。女子で受け持っていた患者は全部、医長にひきついでもらった。
彼女は、花屋で働くことを希望していた。だが、彼女は人と話すと顔がひきつってしまう。
だから、もしどこかの花屋で、きれいなのに顔がひきつって、対応が上手く出来ない店員がいたら、その理由に疑問を持たずに、あたたかく見守ってほしいと思う。
研修病院には、私ともう一人の人が入った。最初、私は女子急性期病棟だったが、彼は男子病棟に配置された。女子病棟で、嬉しくないか、といえば、確かに嬉しくはあった。私は半年、ここの病棟で研修した。20代後半のきれいな人も何人か受け持った。だからといって、嬉しかったかというと、しんどかった。もう女子はこりごりだ、と思うほどになった。女でも健康な人とならいいが、相手は妄想をもった病人である。退院を何度も要求し、妄想から、無理難題を言ってくる。相手が男なら、きびしく叱ることも出来るのだが、女にはそうは出来ない。実際、私は男子病棟に移った時、実に肩の荷がおりて、ほっとした。男子病棟は実に楽で、また面白かった。しかし、最初の半年の女子急性期は、しんどかったが、たいへん実力が身についた。三年目ののオーベンは厳しかったが、やはり厳しい指導のため、実力がついた。楽をしようとすると、後で困ることになる。
ある一人のきれいな患者がいた。もちろん親が連れてきたのである。彼女は、もちろん入院することを嫌がった。本当は十分、保護入院で本人が嫌がっても入院させることが出来るし、他の先生ならそうしただろうが、私は無理矢理、入院させるのが、嫌だったので、(何か変なことを考えていると思われるのが嫌だからである)、その日は返した。ただ、「今日は帰ってもいいですが、あなたは、必ず病院に入院することになりますよ」と言っておいた。私は現実の女には興味がないので、彼女が来なくなっても何ともなかった。
一ヶ月くらいして、彼女は、また親に連れられて病院に来た。家で、あばれて家族もまいってしまったのである。私の予測が当たったため、彼女との関係はうまくいった。
彼女は治療抵抗性で薬がなかなか効かなかった。妄想も幻聴もとれない。彼女は両親との関係は良かった。彼女は、薬に違和感を訴え、自分は薬に過敏な体質だと言った。私は薬を増やしたくなかったのだが、医長が薬を増やすようアドバイスしたので、嫌々、増やした。また、私も薬は増やさない方がいいと医学的にも思っていた。事後、書いているからウソはいくらでも書けるが、私は、その時、本当に増やさない方がいいと思っていた。替えた薬を増やしたら、彼女の体にバーと薬疹が出てしまった。医長もあせって、「薬はやめ、やめ」と言って、薬疹治療に専念することになった。私は気が動転した。彼女の薬疹はひどく、とても街を歩けないほどである。私は彼女の発疹がひいてくれる事を神に祈った。もし、醜い発疹が残ってしまったら、私は死んでお詫びしようと思った。私は、うつ病になってしまった。直ちに抗アレルギー薬の治療が開始された。幸い、彼女も彼女の両親もあまり発疹に関しては気にしていなかった。幸い、発疹がだんだん、ひきだし、ついに元通りにもどってくれた。私は、ほっとした。
困るのは、彼女の父親が病院に面会に来ると、「青年の主張」をするのである。父親は「娘が暴れだすと、由美子(仮名)頑張れ、頑張れ、と言ってるんですよ」と言って、だんだん泣き出しそうになってくるのである。父親は涙もろい性格だった。私は神じゃない。まだ、経験、半年の研修医である。ただ私のようなくだらん人間の命と引き換えに彼女の妄想がとれてくれるのなら、私はいっこうにかまわない、と思っていた。
彼女は外泊をよく求めた。私は全部、許可した。だが帰院の日より、しっかり、ちゃっかり、一日か二日、必ず延びた。
彼女とは精神療法で、よく話した。精神科の精神療法は、単純に患者の妄想を否定するのではない。妄想は患者にとっては、間違いない現実なのである。だからといって、「そうだ。そうだ」と言うわけにもいかない。精神科の患者の治療のゴールは、妄想を持ちつつも、わからないままで、納得し、薬を飲み、自分の妄想を行動に移さず、日常生活を無事に出来るようにする事である。彼女は自分の妄想を、私が気が小さいことをいい事に堂々と主張した。無下に否定しては、かわいそうだが、認めるわけにもいかない。しかし何とかしてやりたい思いは強かった。彼女との精神療法は疲れた。私は訥弁で、激しい胃腸の病気もあって上手く話せない。いいかげん疲れて、私がどもりどもり、彼女と話そうとするので、とうとう彼女の方があせって、私を憐れんでくれて、「あっ。この前の新聞にも××という事は無い、と書いてありました」と自分の妄想の間違いを言って、私を慰めてくれた。もちろん、本心から、彼女がそう思っているわけではない。
「おばか」とは、彼女が自分の幻聴につけている名前である。
彼女は、また薬を替え、今度は少し効き出した。だが、思考力も押さえ、眠気を起こすので、あまり薬は増やしたくなかった。
半年過ぎ、私は女子急性期病棟から去り、男子病棟に移った。女子で受け持っていた患者は全部、医長にひきついでもらった。
彼女は、花屋で働くことを希望していた。だが、彼女は人と話すと顔がひきつってしまう。
だから、もしどこかの花屋で、きれいなのに顔がひきつって、対応が上手く出来ない店員がいたら、その理由に疑問を持たずに、あたたかく見守ってほしいと思う。